Day 8
私は一華さんの頼みを快く引き受けた。
2人の為なら・・・、一華さんが彩恵ちゃんを救うためなら、喜んで協力するに決まってる。
私はそう思いながら彩恵ちゃんの病室のドアを開けた。
私の姿を見た彩恵ちゃんは、ぱっと花を咲かせたような笑顔を向ける。けれども私の後ろにいる一華さんを見ると、何かが起こることを察したみたい。
「彩恵・・・」
院内学級に行っていないことへの後ろめたさからか、何かが起こることを察したからか・・・。
彩恵ちゃんはうつむいてしまう。
一華さんは彩恵ちゃんのすぐそばまで行くと、屈んで彩恵ちゃんの小さな肩に優しく手を置いた。
「・・・日菜ちゃんから聞いたよ・・・。院内学級行かない理由」
「え・・・」
「日菜ちゃんに私が「教えて」って言ったの」
その言葉を聞いた彩恵ちゃんは、小さく頷くと、ようやく一華さんに直接行かなくなった理由を話し出した。
「劇で・・・、主役になって・・・。みんなに笑われるの・・・。本番も・・・、きっと、失敗しちゃう」
彩恵ちゃんの今までの心細さを想像したら、私まで胸が苦しくなる。
彩恵ちゃんと同じように思わず下を向く私の隣で、一華さんは表情一つ変えずに、静かに問う。
「だから、行きたくないの?」
頷く彩恵ちゃん。
すると、一華さんのまっすぐな声がよどみなく病室に響いた。
「彩恵、明日から院内学級行きな。今日はもういいから、明日からいつも通りちゃんと行きな」
「え・・・」
大きく目を見開いて首を激しく横に振る彩恵ちゃんに、一華さんも真っ直ぐな瞳で答え続けた。
私でさえも、一華さんのまっすぐすぎる瞳から逃れられない。
「友達に笑われてもいい。失敗してもいいから、行きなさい」
「や、やだよ。行きたくない・・・、失敗したくないし笑われたくないもん・・・」
「いい?彩恵。確かに嫌だったら役を変えることもできる。逃げることもできる。でも、彩恵は逃げたらダメ。彩恵は負けちゃダメ。これから先、嫌なことも辛いこともたっくさんある。その度に逃げるような大人になってほしくないの。本当に苦しかったら逃げることも大切かもしれないけど、今は逃げる時じゃない。彩恵はまだ、頑張れるよ。だから彩恵は最後までドロシー役をやりなさい」
「でも・・・」
「本番失敗したら、私のせいにすればいい。「一華先生にやれって言われた」って言いな」
大きな瞳に不安を映す彩恵ちゃんを一華さんは優しく抱きしめた。
優しく抱きしめて、何度も何度も彩恵ちゃんの小さな頭をなでながら
「彩恵は大丈夫、大丈夫だよ。絶対大丈夫」
やっぱり、おまじないのように唱えた。
それから彩恵ちゃんは、毎日院内学級へ行ってドロシー役をやり始めた。
私とゆき音は心配で心配で、ボランティアの合間に院内学級の教室を覗いたりしていた。彩恵ちゃんは他の子供たちよりずいぶんと体も小さいし、ほっそりとしているから、すぐにわかる。
頑張れ、彩恵ちゃん。
私とゆき音は心の中で必死に応援した。
もちろん、彩恵ちゃんの練習の相手も喜んで務めた。特にゆき音はもともと演技をしたり、好きなキャラクターを真似るのが上手い。演劇部さながらの演技指導を病室で繰り広げる。そんな時、彩恵ちゃんはいつもの可愛い笑顔を見せてくれた。
そして私達が院内学級を覗くタイミングで、一華さんも院内学級の前にいることがあった。厳しいことを言って彩恵ちゃんを送り出した一華さんだけど、こうして見守る姿から、ただ冷たく突き放したのではないと分かって、私もゆき音も納得して頷く。
そして、一華さんの近くには若い看護師さんも数人いる。
皆が彩恵ちゃんを心配しているようだった。
「一華さん」
私達が声をかけると、一華さんは少し驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの無表情に戻って「ああ・・・」と声を上げる。
「いつもありがとう」
「いえ」
「私達も好きで来ているので」
その時。
「彩恵って体もちっちぇけど、声もちっさいよなー!せんせー、彩恵がドロシーじゃ劇にならないよぉ」
坊主頭の、元気がよさそうな男の子は大きな声で言った。
そして彩恵ちゃんの台本をとると、わざと彩恵ちゃんが手の届かないような高さでヒラヒラしてみせる。「こらこら、やめなさい」と、院内学級の先生も言う中、その様子を見た1人の看護師さんは、すぐに止めに入ろうと足を動かした。
「待って」
そんな看護師さんを、一華さんが静かに制する。
一華先生に止められた看護師さんは
「なんでですか」
と、抗議の声を上げた。
「今私達が助けに入っても、なにも彩恵の為にはならない」
「で・・・、でも!」
「彩恵のことを信じて。お願いだから、今彩恵を助けないで。彩恵の為なの」
ありえないという顔で一華さんを見つめる看護師さん。
そんな看護師さんのことなど気にも留めずに、一華さんは彩恵ちゃんに視線を戻した。
何も言えずに俯く彩恵ちゃん。
私もゆき音も祈るような気持ちで彩恵ちゃんを見つめる。
すると
「返して・・・!」
彩恵ちゃんの小さな一歩を踏み出す足音が、確かに鳴り響いた。
男の子は驚いた顔をしたまま、彩恵ちゃんに台本を差し出す。普段引っ込み思案で恥ずかしがりやな彩恵ちゃんの反抗に、よっぽど驚いたようだ。
そして、小さな一歩を踏み出す足音を聞いた一華さんは、静かに頷くと私達に背を向けて病院の廊下を歩き出す。
私とゆき音は思わず笑顔で一華さんを追いかけて、
「一華さん!」
ハイタッチの意味を込めて、手のひらを見せた。
「え?」
「ハイタッチです!」
一華さんは「なんでだろう?」という顔をしつつも、私とゆき音の手のひらに白くてきれいな手を重ねた。
そんな様子に微笑んだ私達は、喜びの気持ちを分け合いたい気持ちを持ちつつも、一華さんの仕事の邪魔をするわけにもいかないのでボランティアへ帰ることにした。けれども、私もゆき音も、すがすがしい気持ちで夕方までボランティアを続けることが出来た。
彩恵ちゃんになんて声を掛けよう。
彩恵ちゃんに会ったら、私もゆき音も喜びを全開にして、2人ではしゃいじゃいそう。
だって彩恵ちゃん、頑張って言い返してたもん。かっこよかったなあ。
そう思いながらナースステーションを歩いていた時
「どういうことですか・・・!」
看護師さんのそんな声が聞こえて、私は思わず足を止めて声のした方を見た。
そこには一華さんと、確か・・・、彩恵ちゃんを助けに入ろうとしていた看護師が向かい合っている。
たくさんの看護師さんが見つめる中、その看護師さんは怒りをあらわにした顔で一華さんに言う。
「なんで彩恵ちゃんのこと助けなかったんですか!一華先生がしたことが、彩恵ちゃんのためを思ってしたこととは思えません。ただ、冷たく突き放しただけじゃないですか!彩恵ちゃんがどれほど、あの時心細くて辛い思いをしたか・・・!!!」
「・・・」
「彩恵ちゃんは長い間病気を抱えていて、しかもご両親も会いに来なくて、ただでさえ普通の子供達よりも大きな不安を抱えているんです!そんな彩恵ちゃんにすることですか!?一華先生、本当に子供達のこと考えてますか!?」
「考えてる」
「じゃあなんで笑わないんですか!?そんな冷たい行動取るから、子供達からも信頼されていないんですよ!」
「分かってるそんなこと!」
私は肩を震わせた。
初めて聞く、一華さんの大声だった。
「彩恵が小さい頃から病気を抱えているのも知ってる。両親が会いに来なくて不安がってるのも分かってる・・・!だって、彩恵が入院するとき、父親にしがみついているあの子を無理やり引き離したのは私だから。無理やり引き離して、病室にいれたのは私。だからそんなの分かってる」
「・・・」
「でも、「病気を抱えているから、両親が会いに来なくて不安がってるから」って彩恵に普通の子の何倍も優しくしたら、あの子はそれでいいんだって思いはじめる。「私は病気だから、親が会いに来なくて可哀想だから、優しくされて当たり前。逃げてもとがめられない」。でも、それって違うでしょう?病気が治ったら、あの子は普通の子供として、大人として社会に出るの。その時そんな考えを持っていたら、彩恵はダメになってしまう。私は彩恵を、そんな子供にはしたくないの!」
「それでも!不安がってる子供に優しく寄り添うのが私達の仕事です!!!」
「それと同時に、子供の未来を守るのが私達の仕事なのよ。子供の未来を守るのには、優しさだけじゃ足りない時だってある!特に彩恵の場合は・・・、今は、あの子を思って厳しくする大人はいない。本来その役目をする親がいないから、なおさら・・・」
その言葉を聞いて、現実という冷たい風にさらされて、心なしか私の心がひりひりと音を立てる。
けれども、一華さんの言葉がそんな風を消し去った。真の通った声で。
「どんなに助けを出したいと思っても、助けたらダメ。生きてくために必要なことはどんなに時間がかかっても、傷つけさせたとしても身につけさせる。それが今の彩恵の為。未来の彩恵の為。大丈夫、彩恵はきっと分かってくれる」
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