Day 10

奈々美ちゃんだ。


あの時見た青白い肌はすっかり健康的な白い肌に戻っている。最後にここに来た時と変わらない奈々美ちゃんの姿に安心したけれども・・・、心のどこかで、複雑な何かを感じている自分がいることに、気づいていた。

そんな自分を止めることが出来なかった私は、目の前のカウンター席に座った奈々美ちゃんに、震える声で尋ねた。

尋ねてはいけないと、分かっていたはずだった。

「なんで・・・?」

1番聞いてはいけないし、理由なんてものは、この間来てくれた奈々美ちゃんのお母さんからすべて聞いていた。聞いていたけれども、心のどこかで奈々美ちゃん本人からの言葉を待っていた。

ちゃんと聞きたい。

そんな思いを込めて奈々美ちゃんを見つめた。

しばらく壁にかけてある時計が秒針を動かしている音だけが聴こえる時間が続く。そして、お湯が沸騰させた火を私が止めるのとほぼ同時に、奈々美ちゃんの小さくて弱い声が聞こえた。

「生きるのが、苦しくなったんです」

「・・・」

「なんか・・・頑張ろうって思ってた自分がバカに思えてきちゃって・・・。なんでこんな苦しいのに「頑張ろう」とか思ってるんだろう、って。こんな苦しいの、本当はずっと前から止めたかったんです」

「・・・」

「だから・・・」

「全力で生きたらダメ?」

気がついたら、私はそう言っていた。

自然と私の視線は照明の光を受けて輝く氷から奈々美ちゃんに移っている。視界には、驚いた表情の奈々美ちゃんがしっかりと写り込んでいる。

「頑張って生きることって、いけないこと?」

「・・・え・・・」

「苦しいけど生きることってダメ?一瞬一瞬、頑張って全力で生きることって、バカなこと・・・?」

本当に?本当にそんな生き方はバカバカしいの?そんな生き方したらダメ?

そんなはずないよ。

毎日、毎日の一瞬、たった一瞬に全力をかけて生きることって全然バカなことじゃない。

小さなことに喜んだり、些細なことにお腹をかかえるほど笑ったり、ちょっとでも新しい何かに心を躍らせたり、大好きな人が傷つく姿に傷ついたり、何かに立ち向かったり、大好きな人を死ぬほど心配したり、大好きな人のために生きたいと願う。

生きたいって思って、苦しい状況を全力で生きる。

全然バカなことじゃないよ。

「もしかしたら奈々美ちゃんの周りの人は・・・、バカみたいだって笑ったのかもしれない。けど私は、全力で生きることが、一生懸命になることが、バカだとは思わない。そういう生き方が「バカみたい」だなんて、絶対思わないよ」

「・・・バカみたいだよ・・・、おかしいよ・・・」

「・・・なんで・・・?」

「だって・・・、だってさ!他の人達はもっと楽していい人生生きてるんだよ!?本当は間違ってることやってるのに、大人はみんなそれを許すの!間違ってることやってる、あいつら全員許すの!なのに私は・・・。正しいことを少しでも言えば、仲間外れ。「真面目すぎてバカみたい」って笑われて、誰も助けてくれない!」

奈々美ちゃんは、涙をこぼしながら叫ぶ。

「本当は私だってもっと楽して生きたかったよ!知ってる。だったら真面目なんてやめればいい。 ・・・でも、でも・・・私は・・・、強い人間じゃないから・・・」

アイスコーヒーの中に落ちる涙。グラスの中に広がる波紋。こんなに悲しいのに、グラスの中のコーヒーはキラキラ輝いている。

この場に似合わなさすぎる風景を見ながら、私の視界もキラキラと瞬いていく。

「・・・なんで、泣いてるの・・・?」

奈々美ちゃんの問いで、ようやく自分が泣いていたんだと自覚した私は、肺一杯に空気を詰めて言った。

「・・・私だって、思うよ。自分が苦しい時、頑張らなきゃいけない時はいつだって、楽しそうに笑ってる人に目が行っちゃう。「ああ、いいな。楽できていいな。なんで私、今頑張ってるんだっけ」・・・思うよ」

「あなただけじゃないなんて、そんな言葉なんっかいも聞いた・・・!」

「奈々美ちゃんがいる世界が、すべてじゃない。今の世界だけが、奈々美ちゃんの世界じゃないんだよ・・・!世界のどこかには今も、一瞬一瞬を一生懸命、全力をかけて生きてる人がいる。奈々美ちゃんの今生きてるこの場所が、学校が、世界の全部じゃない!絶対に奈々美ちゃんの生き方を全力で肯定してくれる人はいる!私も・・・、私も、肯定してるよ」

「・・・」

「全力で生きることは、バカなことなんかじゃない」

そこまで言った私が涙を掌で必死に拭っていると、奈々美ちゃんは何も言わずにお店を出て行った。騒がしく鳴り響く鈴の音に、引き留めた方がよかったかと考えたが、私の涙ですっかりダメになってしまったコーヒー豆を見てその考えはすぐ消えた。

今あのまま何かを言い続けることもできなかっただろう。想いは全部、言葉になった。

ここまで自分の想いを言葉にしたのが初めてだったからか、一気に手の力が抜けて、足も震えている。

そんな私の隣に立った茉莉ちゃんは

「私も、そう思うよ」

夏風に溶けそうなほどやさしい声でそう言ってくれた。


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