Day 11
奈々美ちゃんがお店に来なくなってから1週間後。オズの魔法使いの公演日。
私はこの日に限って寝坊をして、茉莉ちゃんの運転する車の中で髪の毛をセットして身支度を整え、桜が丘病院に駆け込むことになった。
「焦ったよ!2人がいつまでたっても来ないから・・・!」
「日菜が寝坊するから!」
「だって、昨日は色々心配で眠れなくて・・・」
私が苦し紛れに言うと、ゆき音は「それは彩恵ちゃんのセリフ!」とツッコミを入れてくる。
全くその通り。
「あ、でも・・・、一華さんのセリフでもあったかも」
「ああ」
ゆき音の視線の先にはいつも通りを装っている一華さんの姿があった。
そんな一華さんの隣にいる和彦さんは、私たちを見つけていつも通り手を振ってくれる。
笑顔で私たちが2人のもとへ向かうと、一華さんはやっぱり「いつも通りの振り」で
「来てくれてありがとう」
と、言うが、私たちはそんな一華さんにニヤニヤしてしまう。
「一華さん、今心拍数、絶対大変なことになってるでしょ?」
「そんなことないけど」
「やだもーっ、一華さんってばツンデレ!」
ああっ、茉莉ちゃんの勢いで一華さんが飛ばされちゃう!!
そう思っちゃうくらい、勢いよく一華さんの腕を叩いた茉莉ちゃんを慌ててゆき音と鎮めた時、音楽が鳴って「オズの魔法使い」が始まった。
学校のお遊戯会ほど手の込んだものじゃないけれども、周りにはちゃんとお花や、背景を思わせる絵がある。そんな中に、ドロシー姿の彩恵ちゃんが現れた。
ここで一華さんが泣いていた。
「一華さん・・・、オズの魔法使い、始まってまだ3秒です。カップラーメンよりも速い!」
「カップラーメン・・・」
茉莉ちゃんの例えに必死に笑いをこらえる和彦さんとは反対に、木原さんは号泣する一華さんの顔を覗き込んで
「やだ、泣くの速すぎ!誰か一華先生にティッシュあげて。箱でね。バスタオルの方がよかったかしら?」
普段の木原さんらしくテキパキと指示を出す。
すると、1人の看護師さんが本当にティッシュペーパーを箱で一華さんに差し出してきた。
え、誰?!本当にティッシュペーパーを箱で用意してくれてたの!
私と茉莉ちゃん、ゆき音が思わず彩恵ちゃんから目を離してティッシュボックスを差し出す人を見ると、その人は若い看護師さん・・・、以前一華さんと言い合っていた看護師さんだった。
「みんなで力を合わせれば大丈夫!きっとオズの魔法使いのもとにたどり着いて、西の魔女を倒せるわ」
号泣する一華さんをよそに、彩恵ちゃんは真っ白な病室で何度も私たちと練習した台詞を、たくさんの子供たちや親御さんたちの前で堂々と口にしている。
あんなに恥ずかしがっていたのが嘘みたい。
「ドロシー、君のおかげで僕は脳みそを手に入れられたよ」
「ドロシー、君のおかげで僕は勇気を手に入れることが出来た」
「ドロシー、君のおかげ僕は優しい心を手に入れられた」
かかし、ブリキの木こり、ライオンにお礼を言われたドロシーは愛犬のトトを抱えて笑顔で言った。
「さあ、みんなでお家に帰りましょう」
かかとを3回鳴らすドロシー。
そこで劇は幕を閉じた。
オズ魔法使いからでも良い魔女からでもなく、自分自身で勇気を手に入れたドロシーは、たくさんのお客さん達から拍手をもらっている。私達もそんな拍手に交じって大きな拍手を送った。
「彩恵ちゃん〰〰!」
彩恵ちゃんの劇の成功に、チークでピンク色にした頬をさらに紅潮させた茉莉ちゃんが、誰よりも先にはしゃいで駆け寄る。
そんな茉莉ちゃんよりも一足先に、一華さんが彩恵ちゃんの小さな体をしっかりと抱きしめた。勢い良く抱きしめられた彩恵ちゃんの三つ編みは大きく揺れる。一華さんは、そんな彩恵ちゃんをなにも言わずに・・・、でもしっかりと、彩恵ちゃんを守るかのように抱きしめる。
泣きながら。
「みんないるのに恥ずかしいよ、一華先生」
そう言う彩恵ちゃんだけれども、実際はちょっぴりうれしそうにしていた。
2人を見ながら、私とゆき音、茉莉ちゃんの心が温まったのは言うまでもない。
私たちだけじゃなくて、2人を知るお医者さんや看護師さん達からも、2人に温かい視線が送られていた。
私たちを包む空気がほかほかと温かい。
「信じてたよ、彩恵なら絶対やり遂げられるって。よく負けなかったね」
真っ白な手で彩恵ちゃんのふわふわした頬を包み込む一華さん。そんな一華さんの濡れた頬に、彩恵ちゃんは小さな両手で触れた。にっこりと微笑んで
「おあいこ」
彩恵ちゃんは言う。
その時だった。
「一華先生・・・」
一華さんにティッシュボックスを差し出してきた看護師さんが、気まずそうに一華さんに声をかけた。一華さんはハッと我に返ると、すぐに乱暴に涙を拭きながら立ち上がる。
彩恵ちゃんが2人の様子を交互に、心配そうに見つめていた。
「・・・さっきは、ティッシュボックス・・・、ありがとう」
「・・・一華先生・・・、あの、その・・・」
しばらく沈黙が続く。なんだか私たちまでハラハラしてきちゃう。
「ここで女の修羅場か??」
思わず和彦さんもそうつぶやくような険悪な雰囲気の中で、一華さんと看護師さんはしばらく対峙しあっていた。彩恵ちゃんが不安そうな顔で一華さんの後ろへ隠れる。すると、ついに看護師さんの方が沈黙を破った。
「すみませんでした・・・!」
「・・・、・・・え?」
数秒遅れて一華さんが目をぱちくりさせると、看護師さんは深々と下げていた頭をあげて、視線を伏せたまま続ける。
「私、滝本先生のこと・・・、笑わないからって冷たい人だって決めつけて・・・、今回のことも・・・。滝本先生は優秀な方だって聞いていたから、困っている彩恵ちゃんの気持ちが分かっていないんだ、なんて子供みたいな思い込みしてたんです」
「はあ・・・」
「でも、今日の滝本先生と彩恵ちゃん見てたら、そんな自分が恥ずかしいと思ったんです。滝本先生は、愛情を持って彩恵ちゃんに厳しくしてたんだって、ようやく気づけました。あの時は失礼なこと言って、本当に、すみませんでした!」
桜が丘病院でも変わり者扱いをされ、特に若い看護師さんやお医者さんたちから一線を引かれている一華さんの新たな一面が、今回の劇を通していろんな人に伝わったみたい。
これもきっと、彩恵ちゃんが頑張ったからこそ。
一華さんは自分に向かって深々と頭を下げる看護師さんに動揺しながらも、
「私こそ・・・、誤解されるような態度をとり続けてごめんなさい。私は、患者さんに対して笑顔で接してあげられる、あなたたちが羨ましい・・・。私にはそれができなかった・・・。こないだ、南ちゃんが言ってたよ。「怖くて夜中、1人で泣いていたら立山さんが、優しい笑顔で私が眠るまで側にいてくれた。だから安心して眠れた」って・・・。立山さん、本当に素敵な看護師さんだと思う。だから、これからもよろしくね」
いつもの優しい無表情で言った。立山さんはその言葉に最高の笑顔を見せて「はい!」と返事をする。
「一華」
普段しないであろう看護師さんとの慣れない会話に頬を赤らめた一華さん。そんな一華さんに優しく和彦さんが声をかけ、大きな紙袋を渡した。それは、うちのお店の紙袋。
中から現れたのは、夏らしいひまわりの大きな花束。
鮮やかな黄色の向日葵をカスミソウが優しく包んでいた。
「はい、彩恵。 ・・・約束の花束」
そんな花束を抱えた彩恵ちゃんは、誰よりも幸せそうに向日葵に顔をうずめた。
新学期当日の朝、家を出るときに目に入った向日葵の花びらが揺れた。
その時、目の前を紺色のセーラー服のスカートが揺れて通り過ぎる。
「・・・あ」
奈々美ちゃんだった。
奈々美ちゃんはリュックを背負ったセーラー服姿で、声を上げた私を見る。しばらくお互いに何も言えず、見つめ合う時間だけが続いた。
何かの始まりのような、何かの終わりのような・・・、爽やかな夏風が吹き抜けていったとき
「ありがとう・・・!」
風に乗ってそんな声が響いた。
その言葉は私の心にすとん、と落ちて、私を満たしてくれる。まるで、今まで雨が降っていた空が晴れ渡っていくような感覚だ。
「また・・・、お店に来てもいい?」
私はしっかりと頷く。
「お待ちしております」
私の答えを聞いた奈々美ちゃんは「ありがとう」と、ぎこちなく笑うと、私に背を向けて堂々と歩きだした。
その姿は、向日葵が夏の太陽に向かって咲いているように、輝いていた。
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