Day 12

 秋のある日。

 風で飛んでくる木の葉をよけながら桜が丘病院に着いたら、なぜか彩恵ちゃんは病室のベットの上でふくれっ面をしていた。聴診器をつけていた一華さんがいたので、診察の邪魔になっちゃうかなと思っていたら

「もう終わったから大丈夫だよ」

 と、一華さんがいつもの声で言う。

 一華さんが平常運航なのに対して、彩恵ちゃんはこの表情。

 一緒に来ていたゆき音は首をかしげながら

「彩恵ちゃん・・・、どうしたの?」

 それとなく尋ねた。

「最近来た新しい先生が、一華先生のことたぶらかしてる」

「「たぶらかしてる!?」」

 衝撃的な言葉に私たちが声をそろえたのとほぼ同時に、一華さんはむせてしまった。

「たぶらかす、って・・・。そんなことしてないよ、林田さんは」

 どうやら研修医として新しく来た先生・林田はやしださんのことが、彩恵ちゃんはお気に召さない様子。彩恵ちゃん情報によると、林田さんは「明るくてカッコいい人だけど、一華先生にずっと話しかけてる」らしい。

 そりゃあ彩恵ちゃんがご機嫌斜めなわけだ。

 大好きな一華さんが他の先生にとられちゃったようなものだね。しかも、和彦さんとも仲良しなら、なおさら許せないはず。

「一華先生、不倫するの?和彦さんと離婚?」

「不倫、離婚!?彩恵、どこからそんな言葉覚えてきたの!」

 そんなことするわけないでしょう!と珍しく慌てた声で言った一華さんと病院の廊下を歩きながら、私は数分前の彩恵ちゃんの様子を思い出して、思わず笑ってしまった。

「え?」

「ごめんなさい、でも・・・、なんか彩恵ちゃんが可愛くて」

「彩恵が?」

「ヤキモチですね」

 そう言うと、一華さんは私から目をそらして考え込む仕草をする。

「・・・ヤキモチ?」

「大好きな一華さんが林田先生とずっと一緒にいるから。和彦さんと仲がいいならなおさらだと思います。彩恵ちゃん、一華さんの親友だから・・・。親友が彼氏以外の男の人と話してたら、ものすごく心配するし、ヤキモチ焼いちゃいます」

 私の言葉に、一華さんは立ち止まった。そんな一華さんの瞳には驚きと嬉しさが混じっている。

 一華さんは表情では多くを語らないけれど、瞳から感情を伝えてくれる人だ。思い返してみれば、彩恵ちゃんも和彦さんも、本当によく一華さんの目を見ている。

「一華先生!!」

 そう思っていた時に飛び込んできた若い男性の声に、私は思わず肩を震わせた。

 その一方で、一華さんは「ああ・・・」と、何とも言えない声を上げている。

 駆け足でやって来た若い男性こそが、彩恵ちゃんが今最も嫌悪している「林田先生」。

 確かに爽やかで好印象な人だけど、どこか私の学校の野球部と同じ熱血さを感じる。彩恵ちゃんが嫌いそう・・・って思ったことは伏せておこう。

「こんにちは!お疲れ様です!これから楠木美香ちゃんの診察ですよね!僕も同行していいですか!あ、そのあとは!」

「林田先生。落ち着いて」

 息もつかぬほどの速さで今日一日のスケジュールを確認する林田先生に、一華さんは冷静な声で言うが、明らかに困っていた。それに気づかない林田先生は・・・。

「それで!一華先生!!!」

「・・・はい・・・」

「今日、お仕事が終わったあとお食事行きませんかっ!色々お話聞きながら勉強させて頂きたくて!!」

 ・・・あれ?

 今の会話から考えて・・・、林田先生、一華さんが既婚者だと気づいていない?

 一華さんは結婚指輪はしていないけれども、そういうことは他のお医者さんたちから聞いているものだと思っていた。

 そう思いながら何気なく遠くを見たら、ゆき音が呆然とした表情で私たちを凝視しているのが目に飛び込んでくる。ゆき音はわなわなと肩を震わせていた。

 絶対、よからぬ勘違いをしている・・・!!!

「ゆき音ゆき音!」

 失神しそうなほど顔を真っ青にさせてしまったゆき音に、私と一華さんは慌てて駆け寄る。真っ青なゆき音とは正反対に、一華さんは白い肌を赤くさせて必死に弁解を試みる。

「ゆき音ちゃん!これは違うの、不倫も離婚も違うから・・・!」

「ゆき音、落ち着いて。これには事情があるの!」

「どんな事情!?昼ドラ!?昼ドラ的事情・・・!?」

「違うよ!!」

「だっ、大丈夫ですか!ナースステーションに運びましょう!」

「林田先生は黙って!!!」

 良かれと思ってゆき音に近づいた林田先生は、あっという間に一華さんに制される。

 一華さんの声に背筋を伸ばした林田先生。

 その反応から「ああ、この人ほんとにいい人なんだな」と、一瞬は思えた。いい人だからこその鈍感さなんだ。

 一華さんはそんな林田先生の前に立つと、深く、深くため息をつく。女性にしては高身長の一華さんだから、林田先生の顔との距離も自然と近くなる。林田先生の緊張は最高潮になって、顔がみるみる赤くなっていった。

「林田先生、あのね・・・」

「は、はい・・・っ!」

「ここで言うのもなんだと思うんだけど・・・」

 そこまで聞いた私とゆき音は、悲惨な光景を想像してお互いに目を閉じた。

「なんでしょう・・・!」

「私、既婚者なんだよね」

 ああ・・・、今、林田先生に恋の終了を告げたコングの音が聞こえた気がする・・・。

「・・・えっ?」

「だから・・・、あ、私の勘違いだったら本当にごめんなさい。でも、その・・・、他の男性と2人きりで食事に行くのは、旦那に申し訳ないし・・・、林田先生に対しても失礼にあたると思うから、ごめんなさい」

「あ、旦那さん・・・、既婚者・・・、あ、あはは・・・」

 恐る恐る目を開けてみると、まるで一反木綿のようになってしまった林田先生がいた。秋風に飛んで行ってしまいそうなほどの力なさで、その場を去る林田先生に、私はもちろん一華さんもかける言葉がない。

 その後、一華さんが既婚者であると「わざと」伝えなかった木原さんに、一華さんが責めたのは言うまでもなかった。

「木原さん・・・!なんでわざと言わなかったんですか!」

「結婚しても、モテモテね〰〰」

 全く反省する様子が見られない木原さんと、「滝本先生の旦那さん、絶対イケメンですよね」などと言って盛り上がる看護師さんたち。私は心の中で「旦那さん、知ってます!」と手を挙げる。

 困り果ててる一華さんを前に、さすがに本当に手を挙げはしなかったけどね。

 けれども次の瞬間、一華さんにさらなる問題が降りかかった。

「こんにちは。一華いますか」

 まさかの和彦さん登場だった。

「和彦・・・、なんで来たの・・・!」

「えっ、ごめん・・・、忙しかった?これ、夕飯の弁当な。彩恵ちゃんのところ行ったらすぐ帰るから、夕飯はちゃんと食べて」

 一華さんは頬を赤くさせながら素早くお弁当を受け取り、

「わかった、わかったからお願い、あの・・・、早く帰って!」

 と和彦さんを急かす。その間もナースステーションの看護師さん達から憧れの視線が降り注がれていた。

「いいなあ、私も結婚したい~」

「お弁当とか作ってもらいたいねえ」

 その時だった。

「うわっ」

「おっと!大丈夫?」

 足をもたつかせた一華さんを見事に和彦さんが受け止めた。高身長の一華さんがすっぽりと和彦さんの腕の中に納まってしまったのだ。

 茉莉ちゃんがいたら大喜びで連写確定だ。

 私達がときめいている中に可愛らしい足音が響いてきた。足音の正体を知っている私は笑顔で振り向く。

「日菜ちゃん、こんにちは。あ、和彦さんだ!和彦さん、この間借りた絵本」

 途中まで無邪気な笑顔を見せていた彩恵ちゃんは、和彦さんと一華さんを見ると

「え」

 と、声を上げて固まる。

「さ、彩恵!!違う違う違う違う違う・・・!」

 一華さんの悲痛な声が響いていた。


 林田先生の出現で「恋ブーム」が桜が丘病院のナースステーションで(ほんの一種)巻き起こったみたいだけど、恋ブームが来てるのは、桜が丘病院だけではない。

 ここにも来ている。

「てかさぁ、マジで文化祭の居残りとか面倒〰〰」

「そんなこと言うなよ。最後の文化祭だろ?」

「タクヤのクラスって何やるんだっけ?」

「お化け屋敷?」

 ・・・ダメだ、5秒以上この人たちを直視できない・・・。

 慌てて目線を落として、意識をコーヒーへと集中しようとした矢先、私と全く生きる世界が違う女子高生が・・・いや、お客さんが、声をかけてきた。

「ねえ、ここのお店ってラテアートとかないの?」

「あ、すみません。当店では・・・」

「せっかく花屋とカフェでインスタ映えだと思ったのになぁ。え、もしかしてブラックだけ?」

「いえ。こちらにミルクと砂糖をご用意しております・・・」

 跳ねるような音を立てて、私が数分前に淹れたコーヒーに、白い角砂糖と溶けそうなほどとろとろのミルクが大量に入れられていく。

「タクヤ一口飲む?はぁい」

「お、上手い。香りがいいな、このコーヒー。ってか、かえでの髪の毛もいい香りする。シャンプー変えた?」

 不意に肩を叩かれて、私は眉間にしわを寄せたまま振り向いた。

 茉莉ちゃん。

 茉莉ちゃんは無言で「休憩入っていいよ」と合図すると、そっと私をらせん階段の方へ逃がしてくれた。

「いい香りします?そのコーヒー、当店自慢の「コーヒーのスペシャリスト」が淹れたんですよ〰〰!」

 茉莉ちゃんの声を聞きながら、私は2階のリビングにあるソファーに思いっきりダイブ。数秒前まで目の前で繰り広げられていた、あまりにも甘すぎるカップルのやり取りに何とも言えない気恥ずかしさとむなしさが広がる。

 その思いのやり場も分からずに、私は足をばたつかせた。

 別に羨ましがってるわけじゃないんだけどさ。

 あんなに目の前でいちゃちゃされたらどうしたらいいか分かんなくなるし、気まずいし・・・、何より見てるこっちが恥ずかしいよ!

 ・・・でも、彼女の女の子は本当にお人形さんみたいな可愛さだった。男の子もそれなりの「イケメン」なのかもしれない。

 学校ではさぞかし「リア充」なんだろうなぁ。

 でも・・・、私のあの手の華やかさは、ちょっと。

 こういう時の対応は茉莉ちゃんの方がよく知っているはず。茉莉ちゃんが来てくれてよかった。

 そう思いながら寝返りを打って、近くのテーブルに置いてあった彩恵ちゃんからの手紙を手に取って、ふと思い出した。


「最近来た新しい先生が、一華先生のことたぶらかしてる」


 彩恵ちゃんのあの可愛いふくれっ面と、一華さんと林田先生の一連のやり取り・・・。その後の見事すぎる一華さんと和彦さんのラブシーン。

 ・・・秋って、恋の季節なのか???

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