Day 24
それからしばらく彩恵ちゃんに面会ができない日々が続いた。
「落ち着いては来たんだけど、一応ね」
一華さんは私や茉莉ちゃん、ゆき音とすれ違うたびにそう言って、1人だけ彩恵ちゃんの病室に入っていく。もちろん私たちから質問攻めをすることもできない。しばらくの間、ただお客さんがいなくなった時間にでみんなで何も言わずに、彩恵ちゃんの誕生日会の準備をする日々が続いた。
「あの後、彩恵ちゃんのお父さんは・・・?」
「来てない」
お店に来てくれた和彦さんに問うと、首を横に振られてしまった。そんな和彦さんの反応を見て、茉莉ちゃんは花を抱えたまま怒りと悔しさを込めた声で言う。
「許せない・・・。だって、普通できます?娘が目の前で倒れたんですよ!?」
「彩恵ちゃんのお父さんは、もう彩恵ちゃんのことは娘だと思ってないんだよ」
「そもそも、そこから間違ってるでしょ!!」
怒りが収まらない様子の茉莉ちゃんは、そのまま勢いよく花の茎を切り落とした。そんな茉莉ちゃんをなだめるように
「その分、今は一華が彩恵ちゃんのそばにいてあげてるんだ。時間をうまくやりくりして、会いに行ってるって」
和彦さんは言った。
「彩恵ちゃん、まだ会いに行けませんか・・・?」
「残念ながら、俺たちが会えるのはもう少し先かな」
和彦さんの答えに、私は肩を落として床に落ちていた花びらを拾った。
それから数日後、桜が丘病院から電話が来た。
もしかしてと期待を込めて電話に出ると相手は木原さんだった。
『日菜ちゃん、小児科に定期落としていったでしょう?今からなら、ギリギリ取りに来れるよ』
夕方、子供たちに興味津々になって見られていた鞄を見てみると、見事に定期入れごと無くなっていた。私は何度も木原さんにお礼を言って、落とした場所が幸いにも病院だったことに感謝しながら夜の病院に向かった。
当たり前だけど、こんな時間にここに来るのは初めて。
昼間のにぎやかさを失った小児科はやけに寂しい。小さな子供たちはみんな寝ちゃったんだろうな。お見舞いに来ている人たちもまばらだ。
自然と、彩恵ちゃんの病室の方に目がいく。けれども今は会えないことをすぐに思い出して、私は急いで病院を去ろうとした。
両親の祖父母もまだ元気で、曾祖母も私が夏休みに遊びにいくたびにこっそりお年玉をくれる。母方の曽祖父は私が生まれる前に亡くなってしまった。
彩恵ちゃんに迫り来る「嫌な予感」は、私にとって初めての実感のあるものだった。それまで死だなんてどこか遠い世界の出来事のように感じていたのに、最近、ここに来るとそれがすぐ近くにあるような気がする。
彩恵ちゃんを信じていないわけじゃない。
一華さんを信じていないわけじゃない。
それでも、まだ子供な私には、怖い。
息を切らして逃げた先の病院のロビーにあるステンドグラスは、月の光や外からの街灯の光を受けて瞬いていた。
こんな状況なのに、なんで病院はこんなに綺麗なんだろう。
「ごめん、忙しいのに」
急に人の声が聞こえて、私はびっくりして廊下の角に隠れる。
私・・・じゃないよね。
「はい、これ。夕飯の弁当」
「ありがとう。和彦こそ、忙しいのにごめん」
一華さんと和彦さんだ。
出て行きたくても出ていけない雰囲気に押される私に気づかず、2人の時間は進んでいく。
「ごめん、今日も家には帰れない。 ・・・家事とか、全部任せきりでごめんね・・・」
「大丈夫だよ。俺に任せて。それよりも、ちゃんと食べてる?一華が倒れたら今度は彩恵ちゃんが悲しむよ」
「・・・和彦」
「うん?」
「私・・・、彩恵のこと、守るどころか傷つけてた・・・。彩恵に一杯我慢させて背負わせて、結局私も・・・、彩恵のこと、苦しませてたのかも」
「そんなことないよ・・・」
「あの日・・・、彩恵のお父さんと話し合った時ね・・・、お父さんは手術同意書にサインはしないって頑なだった。でも、彩恵は何度もお願いしてたの」
一華さんが震える声で言った情景が、何もない病院の廊下に映し出されていくように感じた。
「お父さん、お願いします。一緒に暮らしたいとは思わないから・・・だから・・・」
小さな手を震わせながら必死にお願いする彩恵ちゃんを、一華さんはただ見てることしかできなかった。
でも
「だから!もうお前のこと、娘だと思ってないんだって。新しい家族ももういて、お前のお姉ちゃんも、もう新しい生活になれてる。今更・・・、嫌なんだよ。もういいだろ、忘れさせてくれ。面倒なんだよ・・・、俺はただ、あいつが勝手にお前のことを置いていったから、仕方がなく・・・!」
「待ってください」
一華さんだって、悔しさと怒りで手を震わせていた。
泣きそうになる彩恵ちゃんを庇うかのように、一華さんは前に進んで言った。
「彩恵ちゃんが・・・、彩恵ちゃんが今まで、どんな思いでお父さんを待ち続けていたと思っているんですか?彩恵ちゃんは今まで、お父さんともう一度暮らせると思って、どんな治療にも耐えてきたんです!そんな我が子の手術に同意もしてくださらないんですか・・・?」
「先生は・・・、お子さん、いらっしゃるんですか?」
「え?」
「お子さん、育てたことあるんですか?産んだことあるんですか?」
「・・・ないです」
「子供を育てるのがどれほど大変か、分かりもしないのに・・・、そんな偉そうに言わないでいただけますか・・・。こちらの苦労なんて、何も分からないでしょう?」
その時だった。
「何もわかってないの、お父さんだよ・・・!」
彩恵ちゃんが音を立てて椅子から立ち上った。そして、涙をこぼしながら言ったらしい。
「一華先生のこと・・・、何も知らないのに、そんな風に言わないで!一華先生に謝って!」
情けなく鞄を抱えて彩恵ちゃんのお父さんが逃げようとした矢先、彩恵ちゃんは床に崩れ落ちて行った。
「結局私のせい。私があの時、ちゃんと彩恵のお父さんに言い返せていたら・・・。ううん、言い返すなんてできない。だって、本当のことだから・・・。私には分からない、子供を育てる大変さも、子供を産むことも・・・分からないから」
「違うよ。そうじゃない」
「違くないよ・・・。私、今まで何度も「病気にならなきゃ良かった」って思ってきた。だけど・・・、まさか・・・、彩恵まで傷つけなきゃいけないなんて・・・」
「一華」
「本当は、誰よりも・・・守りたいのに・・・。私が何もできない研修医の頃から、彩恵が誰よりもそばにいた。絶対医者になったら、この子を助けたい。私と同じ思いをこの子にはさせたくないって・・・思ってたのに・・・。医者になっても私にできることはほんの少し・・・。今だって・・・」
私はそこまで聞いていて、堪えられずに足音が鳴るのも構わず、裏の駐車場から病院を抜け出した。
「・・・あ・・・」
外に出た途端、自分の額に、小さな雪のかけらが落ちてきた。
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