Day 5

私はその日の夜、初めて最近現れた常連さんの接客をした。私はゆき音と一緒にお店兼自宅に帰ると、そのお客さんはもうカウンターにいて

「ああ、日菜。ちょうどいいところに帰って来た!コーヒー淹れて。ごめーん、ゆき音ちゃん!手伝って〰〰!」

茉莉ちゃんがキッチンから手招きをした。私が慌ててゆき音に荷物を預けてエプロンを身につける間も、常連のお客さんは何も言わない。笑顔もない。

「どうぞ」

私は氷がカラカラと音を立てるアイスコーヒーを、女の子の前に差し出す。女の子は表情を変えずに、ひと口だけコーヒーを飲む。

一華さんと、今目の前にいる女の子。2人とも笑顔がないのは同じなのに、なんでこんなに違うんだろう・・・。

女の子の周りは冷え切った空気で満ちているように感じる。

どうしよう・・・。何か話した方がいいんだろうけど・・・、この空気で話を切り出すのは・・・。

困り果てていた私の隣に、カップルのお客さん達の対応を終わらせた茉莉ちゃんが助け舟を出してくれた。他のお客さんの対応は、ゆき音が引き受けてくれたみたい。チラリとゆき音の方を見たら、ゆき音がさりげなく「オッケー」とジェスチャーしている。

「奈々美ちゃんだよね」

奈々美ちゃん、と呼ばれた女の子は肩を震わせて、茉莉ちゃんのことを怯えたような瞳で見つめる。

「お母さんがこないだ、ご挨拶に来て下さったんだ」

その言葉に俯く奈々美ちゃん。そんな奈々美ちゃんに負けじと、茉莉ちゃんは明るい声で話し続けた。私と2人暮らしであること、普段の私達の様子を笑い話に変えながら話し続ける。私は必死に相づちを打っていた。

「ねえ、奈々美ちゃんって好きな人いないの?」

「い、いないいない」

初めて奈々美ちゃんから反応が帰って来た!

私と茉莉ちゃんは思わず笑顔になって、顔を見合わせる。

「ええ〰〰?ほんと?」

「ぶ、部活ばっかりだったし」

「部活?何部?」

「・・・吹奏楽部・・・」

「えっ、日菜も中学校で吹奏楽部だったんだよ!ね!」

「うん。楽器は?」

「・・・パーカッション・・・」

「カッコイイ!え?パーカッションってドラムとかだよね?」

「今は、もうやってない・・・っていうか、学校・・・、行ってないから・・・」

震えている小さな声に私は何とも言えない、複雑な気持ちになる。

きっと、今までずっとひとりぽっちで冷たい場所にいたんだろうな・・・。

泣きだしそうな表情になった奈々美ちゃんに、私は思わず身を乗り出して言う。

「また、ここにきて」

「・・・え・・・?」

「コーヒー、淹れるから、おいでよ」



それから奈々美ちゃんは、毎日のようにお店にやって来るようになった。

夏休みだから、菜々美ちゃんがお店に来る時間はバラバラ。私やゆき音が桜が丘病院に出かけている時に来るときもあったみたい。

そんな時は、茉莉ちゃんが得意の恋バナをしているそう。

私とゆき音も学校以外の話題を持ち掛けて、奈々美ちゃんと話す。特に私達は楽器経験者という大きな共通点がある。

ゆき音のギターと奈々美ちゃんのドラムがあれば、かなり本格的な演奏ができるよね。

そう言ったら

「・・・いつか、したいな」

小さな声で奈々美ちゃんが呟いた。

「しようよ!」

ゆき音が小指を奈々美ちゃんに差し出す。

「日菜もやろう」

「うん。やろう」

私はゆき音と同じように小指を差し出した。奈々美ちゃんは私達の顔と、小指を交互に見て戸惑う。けれども

「・・・じゃあ・・・」

遠慮がちに奈々美ちゃんの小指が私たち2人の小指と絡む。2人分のちょっと無理がある指切り。けれども私とゆき音は笑顔でその指切りを結んだ。

その指切りから3日後。

私とゆき音は彩恵ちゃんの病室にいた。

「見て」

病室に私とゆき音が入るなり、彩恵ちゃんは引き出しから自信満々の笑みを浮かべて、1枚の紙を取り出す。それは算数のテスト用紙だった。

彩恵ちゃんらしい丁寧な字の上に重ねられた丸・・・、そして「新島彩恵」と書かれた名前の隣には、懐かしい赤ペンで書かれたはなまるがある。

「すごい!100点!」

「彩恵ちゃん、数学得意なんだね〰〰。 ・・・あ、数学じゃなくて算数か」

「そうだね。もう「数学」って言うのが癖だよね」

ゆき音と一緒にうなずき合っていると、目の前の彩恵ちゃんはベットの上で、大きな瞳を輝かせながら尋ねてくる。

「高校生になると、すうがくになるの?どんな勉強?」

今日は「数学」から話が始まり、私達にとっては当たり前の学校生活を彩恵ちゃんは本当に楽しそうに聞いていた。けれどもしばらくすると、彩恵ちゃんは少しドアの向こう側を気にし始めた。

「どうした?」

ゆき音が尋ねると、彩恵ちゃんはちょっともじもじしながら

「一華先生に、このテスト・・・まだ見せてないから・・・」

と、可愛らしく頬を赤くさせながら言う。

そっか。一華さんにも見せたいんだね。

きっとこのテストも大好きな一華さんに喜んでほしくて、頑張ったんだろうなぁ。

そう考えたら、もう彩恵ちゃんが可愛くて仕方がない。自然と口角が上がった。隣を見たら私以上に表情を和ませたゆき音が目に入る。

「うちの妹たちも、彩恵ちゃんぐらいピュアだったら・・・」

思わず三姉妹の長女の本音を漏らしたゆき音に笑ったとき、どこからか足音が聞こえてきた。

「一華先生!」

ぴょんとベットから降りて、待ちきれないといった様子で点滴と一緒に病室を飛び出してしまった彩恵ちゃんを、私とゆき音は慌てて追いかける。けれども、彩恵ちゃんは病室のドアの前で足を止めた。

私とゆき音も慌てて止まったとき・・・、世界が止まったように感じた。一瞬だけ見た映像が、永遠と続く長い映像に感じる。

「解毒剤の準備して!処置室空いてる?」

「空いてます!」

「滝本先生に連絡は!?」

数人の看護師さんに囲まれて流れていくストレッチャー。その上には

「・・・奈々美ちゃん・・・?」

奈々美ちゃんがいた。

奈々美ちゃんだと分からなくなってしまうくらい、ストレッチャーの上に目をつぶったまま乗せられている奈々美ちゃんは青白い。

私の視界に一華さんが飛び込んでくる。一華さんに続いて、男性の先生も駆け付けてきた。

「先生・・・!うちの子を助けてください、お願いします・・・!」

「最善を尽くします」

奈々美ちゃんのお母さんだろう、ストレッチャーと引き離された1人の女性が、一華さんの真っ白な白衣にしがみついて訴える。そんな訴えに冷静に答えた一華さんは奈々美ちゃんを乗せたストレッチャーと一緒に、どこか遠くの部屋へと消えてしまった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る