Day 6


奈々美ちゃんが桜が丘病院に運ばれて、1週間が経った。

もうすぐ夏休みも終わるなぁ・・・。

仕事の合間に、ちょっとだけ弱くなった蝉の大合唱を聞きながらなんとなくそう思った。ふと隣を見たら、どこか不安げな表情をしたゆき音がいた。

「2人ともー!」

茉莉ちゃんの明るい声に呼ばれて、私とゆき音がカウンターへ行くと、そこにはなぜかアイスコーヒー2つと一緒にクッキーが置かれてある。突然のことに視界が鮮明になった。

「え・・・?茉莉ちゃん、これなに・・・?」

茉莉ちゃんはキッチンから「なにって」と笑いながら

「2人とも、顔がムンクの叫びみたい!サービスだよ。今日はお客さんそんなに来ないし・・・、たまにはいいでしょ?」

私たちの「ムンクの叫びみたい」な顔を見つめた。

「え、悪いですよ!」

「いいのいいの!ほら、座って」

ゆき音の遠慮を跳ねのけるように言った茉莉ちゃんに勧められて、私達は椅子に座る。

カウンター席にコーヒーを前にして座るのは、なんだか不思議な気持ち。

そう思っていたら不意に鈴の音がして、お客さんがやって来た。

反射的に振り向くと

「あ・・・」

そこには、一華さんに泣きながら訴えていた、奈々美ちゃんのお母さんがいた。

「こんにちは・・・、ここに、奈々美と仲良くしてくれてた日菜ちゃんとゆき音ちゃんという子がいると聞いて・・・」

「私達・・・です」

ゆき音が立ち上がりながら言うと、奈々美ちゃんのお母さんは力ない笑顔を浮かべて「あなた達が・・・」と呟く。

その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「どうぞおかけください」

茉莉ちゃんにすすめられて奈々美ちゃんのお母さんは私の隣の椅子に座る。そして、ゆっくりと話しだした。

「いつも奈々美と仲良くしてくださって、ありがとうございます・・・」

「いえ・・・」

「昨日、意識が戻って・・・、もう大丈夫だろうと、お医者さん方が」

そのひと言で、私にまとわりついていた重たい何かが消えていく感覚がした。同時にじわじわと体の熱が戻ってくるの感じて、自然と目が熱くなった。

でも同時に、奈々美ちゃんが一度は死を選んでしまったことへの疑問と冷たさが残る。

「あの子・・・、本当は、ものすごく頑張り屋さんだったんです」


奈々美ちゃんは、学校で学級委員長を任されるほど先生達からの信頼も厚い、真面目な中学生だった。

テストも上位をキープ。運動だってできて、優しくて明るくて、誰にでも優しくできる奈々美ちゃんはみんなから好かれていた。

事の発端は2年生のクラス替え。

奈々美ちゃんは学年でも話題の中心的女の子達と同じクラスになった。

なってしまった。


何真面目ちゃんしてるの?

いい子ちゃんぶってて気持ち悪。

なんかさー、こういう馬鹿みたいに真面目な子がいると、クラスの気分落ちるよね?だよね?そうだよね?

先生たちに好かれたくて必死なんだよ。かわいそー。


そんな言葉は一瞬にしてクラス中の共感を呼んだ。言葉は行動へと姿を変えて、奈々美ちゃんを追い詰める。

ボロボロになった教科書とノート。

隠された上履き。

先生達の目を盗んで掛けられた冷たい言葉。

あんなに大好きだった部活にも行けなくなった。そして学校にも行けなくなった。家での会話もほとんどなくなってしまったけれども、夏休みになってここに来るようになってからは、家族との会話が自然と生まれたそうだ。

今日私達と話したことや、お店に来たお客さん達のこと・・・。

その話を聞いている時奈々美ちゃんのお母さんもお父さんは、それがものすごくうれしかった。


だけど、1週間前、奈々美ちゃんは両親が仕事でいない時間帯に薬で自殺を図った。


「もっと早く気づいて、守ってあげられてれば・・・」

そう言って奈々美ちゃんのお母さんは涙をこぼす。

そんな奈々美ちゃんのお母さんの涙に、私達は何も言えなかった。

「退院してあの子がここへ来たら・・・、また仲良くしてあげてください」

奈々美ちゃんのお母さんがお辞儀をしてお店を出ていく後ろ姿に、私達も何も言わずにお辞儀をする。

顔をあげた瞬間、それまで抑えていた悲しさのような寂しさのような、怒りのような呆れのような、苦しさのような切なさのような、言葉に言い表せない気持ちが私を包む。

私はたくさんの友人や先生に恵まれた。奈々美ちゃんがいじめられていた時の孤独や辛さは、想像でしか感じることが出来ない。でも、想像しただけでも、その世界が地獄のような場所だということは分かる。

辛かったんだろう。

寂しかったんだろう。

苦しかったんだろう。

きっと誰も、クラスの中の誰も、奈々美ちゃんを助けようとはしてくれなかった。

あんなにやさしく接してくれていたのにもかかわらず、奈々美ちゃんを誰ひとりとして助けようとしなかった。

想像するだけで、残酷だ。

でも同時に・・・。

奈々美ちゃんのお母さんの涙が私の頭の中から離れない。

奈々美ちゃんのお母さんの涙の次に思い浮かぶ映像は、3人で交わした指切り。

でも同時に、信じられないと思った。

死んじゃうなんて、死んじゃうなんて。

こんなにもあっさりと、人は自分の命を投げ出してしまうものなのか。 

・・・ううん、きっと命さえも投げ出したいと思うくらい奈々美ちゃんは苦しかったのだ。

・・・分かってる、分かってる。でも・・・

「・・・だからって、死んじゃうなんて・・・」

何とも言えない気持ちがグルグルと私の頭の中で渦を巻いて、めまいがしてくる。そんな私の渦を止めたのは、一華さんだった。

「日菜ちゃん」

一華さんに呼ばれた瞬間、一気に視界が鮮明になって色が私の世界に戻って来る。

そうだ、今は桜が丘病院にいたんだ。茉莉ちゃんと一緒に・・・、プレゼントの配達をして・・・。

今の自分の状況を頭の中で思い返しながら、いつものように現れた一華さんに私は慌てて立ち上がる。

ところが挨拶をしようとした矢先、少し困った様子で一華さんは

「彩恵のことなんだけど・・・」

と、問うてきた。

「知らなかったら全然かまわないんだけどね。 ・・・彩恵が、昨日から院内学級に行きたがらないの。なにか・・・理由みたいなもの言ってなかった?」

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