Day1
2017年4月
大きなリュックを背負ってスーツケースを持った私は、息を切らしながら桜ヶ丘駅に降り立った。
駅名の通り、桜が美しいことで有名なこの場所には、競い合うかのようにいたるところで桜が花を咲かせている。私はそんな桜に目を向けることもなく、ひたすら大荷物を背負って歩き続けた。
スマホが目的地に着いたことを知らせた時、私はようやく顔を上げた。
顔を上げた瞬間、桜の香りと春の風が吹き抜けてじんわりと熱くなった私の頬を冷やす。
桜ヶ丘駅から徒歩10分。
ここにたどり着くまでに見た建物は、真新しい高校と、そびえたつ立派な総合病院。そして群れを成す住宅の数々。
建物が多いわけでもないのに不思議と田舎な印象も受けないこの場所に建っている建物が、私が今日から住む場所だった。
焦げ茶色の木目のドア。ドアノブは金色だったんだろうな、少し錆びちゃってるけど。
自然のつたが張り巡らされていて、全体的に焦げ茶色だからか落ち着いた雰囲気を感じる。なんだか昔話に出てくる魔法使いの家みたい。
いわゆる店舗兼用住宅というやつなのか、1階は花屋さんになっている。玄関には可愛らしい花のイラストで彩られた黒板が立てられていた。
「フル・・・オブ、ハート」
ぎこちなくお店の名前を呟いた時勢いよくドアが開いて、私をここに呼び寄せた張本人が現れた。
私のいとこで専門学生の
茉莉ちゃんは花柄のスカートを春風に揺らしながら、パーマがかかった、お姫様みたいにふんわりとした髪の毛を耳にかける。そこまでは本当に可愛らしくて、モデルさんみたいだなと思えたんだけど
「何やってんの!
大きく手招きしながら大声で言った瞬間、今までの雰囲気は消え去った。
茉莉ちゃん、容姿は本当にお姫様みたいなのに、中身はまるで八百屋のおばちゃんみたい。そういうところは相変わらずなんだな。
そう思いながら、なんとか重たいスーツケースと一緒に建物の中に入った。
中に入ってまず目に入ったのは色とりどりの花たち。
カラフルな花で彩られた店内には、爽やかな甘い香りが漂っている。そして奥の方にはカウンター席のようなものと一緒に天井にまで届きそうなほどの大きな本棚。
全体的に見ると、アンティーク調で、私達高校生が行くようなキラキラした店とは違う雰囲気だということが一目瞭然。でもどこか、不思議な雰囲気に引きつけられる。
それに私は、こういうアンティーク調のお店の方が好き。
「ひーな!なんしてんのよー!あんたの家は2階!」
「はいっ」
威勢のいい茉莉ちゃんの声に急かされて、歯切れの良い返事をすると
「何で敬語?」
と、茉莉ちゃんは苦笑した。
「いや・・・、なんか、会うの久しぶりだから・・・」
「ああ、そうだね。最後に会ったのいつだっけ?」
「・・・5年前」
幼い頃、茉莉ちゃんと遊んだ時のことを思い返しながら言った瞬間、私の頭がぐしゃぐしゃっと撫でられる感覚がした。驚いて思わず身を引いた私に
「おっきくなったねぇ、日菜。かーわい!」
その場の雰囲気まで明るくしてしまうような笑顔を向ける茉莉ちゃん。
ピンクの口紅がよく似合っている。
「まあさ!急であれだったけど・・・、また仲良くしようよ。女2人暮らし、もう毎日パーティーだよ!親いないしさ」
「あ、待って茉莉ちゃん」
先を行ってしまった茉莉ちゃんを慌てて追いかけると、目の前にはあっけにとられるほど長い階段がらせん状に続いていた。
これを・・・、毎日上り下りするのか。
私は意を決して、スーツケースを持ち上げて階段を上り始めた。
私はつい2週間前間で、桜ヶ丘駅からちょっと離れた街の公立高校の教室で、進路希望調査の紙を見ていたはずだった。
4月が来れば2年生。そろそろ進路という現実がやって来る。一足先にその告知を受けた気分になった私は、思わずため息を漏らした。
受験そのものがアレルギー反応を引き起こしそうなくらい嫌なのもそうだけど・・・。
1番私が困っている理由は、特に希望する進路もないということ。
定番だけれど、指定校推薦・・・、まあ、推薦で進学できればいいかな。
そう思いながら終業式を終えて、晴れて春休みを迎えた日の放課後。
駅前のカフェで友人のゆき音とお茶をした。中学以来の友人・ゆき音はワッフルを、私はアップルパイを頼んで2人でデザートを前にしながらたわいもない話を続けていた。
そんないつも通りの放課後を過ごして、私はいつも通り、自分の家であるマンションの4階へ向かう。
両親は海外へ共働きだったから、高校入学と同時に1人暮らしをしている。
最初は戸惑うことも多かったけど、今ではすっかり慣れちゃった。
家の玄関を開けて部屋に鞄を置いて夕飯の準備をして・・・。
本当に普段と何も変わらない時間を過ごしていた。
けれども、お風呂上りに髪の毛を乾かしていた時、両親からの国際電話で、私の「いつも」が変わった。
「日菜、茉莉ちゃん覚えてる?」
お母さんからの少し聞きづらい電話を取りながら、私は片手にドライヤーを持って話す。
「うん、覚えてるけど・・・、え、なに?お母さん。どうして茉莉ちゃん?」
「茉莉ちゃんがね、今お店やってるんだって。せっかくだから日菜も手伝ってほしいって連絡があってね」
「へえ・・・、え?それってバイトってこと??」
「うん、住み込みで」
「・・・ん?」
住み込み?住み込みってあの住み込み?どういうこと?つまり、ここを出るってこと?
「まあ、あなたももう2年生だし、進路あるじゃない?いい機会だと思うから、お願いしておいたの」
待って・・・、私の許可なくOK出したの!?!?
そう思った瞬間、私は危うくドライヤーを落とすところだった。
あっぶない、私が高校の入学祝いでおばあちゃんにねだった、「そこそこいい値段」のドライヤーが・・・!
まさかマンガじゃあるまいしとは思ったが、人間本気で驚いた時は、体の全神経が頭に集中して手の感覚がおかしくなるのだと知った瞬間だった。
「え、お母さん・・・ちょっと待って」
ツッコミどころが山ほどある。まず、どこからツッコめばいいんだろう?
「あのさ、私まだ高2なんだよ。 ・・・今はまだ高1だけど。あと約2年間高校生活があるの。茉莉ちゃんって確か、桜が丘に住んでるんだよね。学校から結構距離あるじゃん!通学大変だよ」
「なに言ってるの!乗り換えないわよ」
「乗り換えの問題じゃないよ!え、いや・・・、っていうか、なんでそんな急に?」
「さっき言った理由もあるけど、いい勉強になると思って。日菜にはもっとたくさんのことを見てほしいというか・・・」
「・・・見てるよ、一応。まさかお母さん、私が引きこもってると思ってる?」
「まさか。そういう意味じゃないわよ」
「・・・分かってるよ」
「日菜はちょっと引っ込み思案で臆病なところあるから、少し心配なの!そりゃあ、友達と遊びに行くことはたくさんあるんだろうけど。そういうのもいいんだけど・・・」
「心配しすぎだよ」
「1人でここで生活してるだけじゃなくて、もっと色んなことを知ってほしいのよ。来年、もしかしたら社会人になるかもしれないでしょ?あれ?進学に決めたんだっけ?」
お母さんの素朴な疑問に、思わず心臓が飛び跳ねる。途端に嫌な気持ちが広がった。
「え・・・ま、まあ・・・」
ハッキリとした答えが出せない自分。
ダメだなぁ・・・、自分のことなのに。
そんな気分を振りきれずに、私は電話を切った。
「そんなにここに来るのが嫌だった?」
私がこれから住む部屋に通されてまずしたことは、私より先に到着していた私の荷物が包まれた段ボールをすべて開けて、片づけることだった。
茉莉ちゃんと2人で黙々と作業を続けている間、ここに来るまでの経緯を思い返していた私は、不意に尋ねられて思わず手を止めてしまう。
嫌、というわけではないけれども・・・。
何年も会っていない茉莉ちゃんといきなり2人暮らしをするのは少し気まずく感じる。違う場所で暮らしていく不安もあるのかもしれない。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃんか、もー!ここも結構住みやすいよ??」
「い、いや・・・」
「2人でシェアハウスだよ!シェアハウス!」
「え、茉莉ちゃん、私も下のお店で働くんだよね・・・?」
「うん。お店の人でも足りないから。日菜だってお小遣い欲しいでしょ?」
ずっこけそうになる。
茉莉ちゃん、それはシェアハウスって言わない。「住み込みで働く」って言うんだよ。
心の中でツッコんだが、ふと自然な疑問が浮かび上がった。
「そういえば、なんでこんなお店やってるの?」
「あー、元々私もバイトで雇われてたんだけど、店長のお母さんが倒れちゃったのよ。そのままお店畳もうかなー、って店長が言ってたから、私がそのまま2代目引き受けちゃった!」
開いた口が塞がらないとはこういうこと。
行動力の塊と親戚一同口をそろえて評価している茉莉ちゃんだけど、まさかここまでやるとは思っていなかった。
私の記憶が正しければ、茉莉ちゃんは確か花と関わる仕事がしたいと言って、今は花関係のことを学べる専門学校に通う専門学生。将来の職業と直結しているとは言えど、専門学生をやりながらこのお店の店長をするのは、容易ではないはずだ。
それをあっさり自ら引き受けてしまうなんて・・・。
「でも正直、1人でお店回すの結構きつくて!あ、今まで私が学校行ってる間は、店長の知り合いさんが来てくれてたんだけど・・・。その人も忙しいからさ!」
茉莉ちゃんはそこまで言うと立ち上がり、ようやく片づき始めた様子を見せる私の部屋を見回す。
そして、ぱん、と手を合わせると
「よし!そろそろお仕事の内容説明しようかな。下来てもらっていい?」
明るく快活な声で言った。
私は頷くと茉莉ちゃんに連れられて、重いスーツケースを持ち上げながら上がってきたらせん階段を下りる。
そして花と本が入り混じった不思議な空間に立った。
「このお店は、手前が花屋さん。奥の方にあるカウンターでお店に置いてある本も読めるの」
「花屋さん兼休憩所・・・?」
「うーん、まあ近い表現だとそうなるのかな。常連さんの憩いの場って感じ。あ、クリスマスとバレンタインデーは死ぬ思いするから覚悟してね」
「はあ・・・」
「日菜には私と一緒に販売や、来てくれたお客さんの接客をしてもらいます」
そこから茉莉ちゃんは、すっかりプロの顔になっていろいろなことを私に教えた。
朝はまずお店の掃除をしてから、学校に向かうこと。
お店の奥にあるキッチンは絶対に綺麗にしておくこと。
売られている花の種類、毎日の手入れの仕方・・・。
一通り説明を終えたころには日が沈んでいた。
外に出てみると春の夜風に乗って桜の香りが漂う。新しい場所での生活の不安を掻きたてるように過ぎ去っていくそれは、本当に桜のいい香りがする。
切なくて優しい香り。
そう思ったとき強い春風が吹き抜けて、私のもとに、どこかに咲いている桜の花びらを運んできた。
私が初めてお店に立って接客をしたのは翌日。春にしては随分と気温が低くなった日の夜。
私が初めて会う「お客さん」は夜遅くに現れた。
20代くらいの若い男性。
ジーンズに白シャツというシンプルな格好だったけれども、決して地味な印象は受けない。オレンジ色の照明に照らされている男性の横顔は、優しそうな雰囲気を放っている。
そんな男性は私に気づくと
「あれ?新しいバイトの子??」
優しい声で尋ねた。
「そうですよ〰。従妹の日菜です」
茉莉ちゃんが私の肩をつかんで満面の笑みで言うと、男性は「従妹!?」と驚いた顔をしたが、すぐに優しい笑顔に戻る。
「そうなんだ!」
「日菜、こちら、
常連さん。
その言葉に私は若干緊張しながら「土田日菜です」と短く挨拶をして、慌ててお辞儀をする。
「いいよいいよ、そんな緊張しなくて。日菜ちゃんか、よろしくね」
「和彦さん、コーヒー飲みますか?」
茉莉ちゃんのそのひと言に反応したのは、和彦さんではなく私だった。「え?」と声をあげた私に、茉莉ちゃんは奥の小さなキッチンに立って、やかんに水を入れてコンロにセットしながら言う。
「あ、言ってなかったっけ?ここのお店ね、ときどきお客さんにコーヒー振る舞ってるの。日菜も作れるようになってね」
茉莉ちゃんは簡単そうに言うけれど、ちょっと見てみたらかなり本格的な作業だった。
コーヒー豆を挽いているところを生で見たのは初めてかもしれない。
豆を挽くだけではなく、コーヒーがマグカップに注がれるまでに茉莉ちゃんはいくつもの作業をこなしていた。
私は茉莉ちゃんがコーヒーを淹れるのを待ちながら、なんとなく本棚の整理をする。
「日菜ちゃんは、お店に立ったのは今日が初めて?」
「あ、はい。昨日・・・ここに来ました」
ドキドキしながら答える私に、和彦さんは笑顔で言う。
「そうなの?それまではどこにいたの?」
「高月です。海外で働く両親から「来年は受験生だし心配だから、茉莉ちゃんのお店を手伝いがてら一緒に住んだら」って言われて」
「そっか〰。じゃあ、高校通うの大変だね。そこの高校じゃないよね」
「はい」
「あ、ごめん。仕事中に邪魔か」
「いえ!そんな」
コーヒーが来るまでの間、滝本さんは私の緊張をほぐそうとしてくれているのか、簡単な質問を自然に、いくつも投げかけてくれた。こうしていると「お客さん」ではなく「近所の人」のように思えてくる。
茉莉ちゃん、これでいいの?
心の中で思わずそう問いかけたが、そんな疑問を吹き飛ばす勢いで茉莉ちゃんは言った。
「和彦さんの奥さんね、超美人さんなんだよ!」
コーヒーを小さなカウンターテーブルに置いた瞬間放った第一声。私は思わぬ話題に呆然としてしまった。
いきなりお客さんの奥さんの話?!いや、そりゃあ、滝本さん常連さんだけど・・・。
「茉莉ちゃん。日菜ちゃんと俺、出逢ってまだ数分しか経ってないんけど・・・、一華の話振る?」
滝本さんはそう言うけど、実際はそんなに嫌そうな表情ではない。なんだか嬉しそうにも見える。
「いやー、だってすごい美人さんじゃないですか!女子2人としては、恋バナが1番ありがたいんですよ」
茉莉ちゃんの言葉に「恋バナなんてそんな」と言いつつも、滝本さんはまるで結婚記者会見に臨んだ芸能人のように左手を見せた。そこには確かに、銀色に輝く指輪が薬指にある。「きゃー!」と茉莉ちゃんは黄色い歓声を上げた。そして記者になりきって質問攻めを始める。
「奥様のお名前は!」
「
「普段、奥様のことはなんて呼ばれてますかっ!」
「一華」
「奥様のご職業は!」
「医者です。 ・・・っていうか、茉莉ちゃん全部知ってるでしょ」
「日菜は知りませんよー」
「ねえ?」という表情を向けられた時、ようやく茉莉ちゃんのスピードに追い付くことが出来た。私は
「奥さん、お医者さんなんですか!?」
驚きのあまり、いつもよりもだいぶ大きい声で尋ねる。すると、和彦さんは少し照れくさそうにしながらも誇らしげに答えてくれた。
「うん。ほら、桜が丘病院ってすぐそこの。あそこで小児外科の医者やってるんだ」
そう言われて、リュックを背負い、スーツケースを引っ張って歩いた道のりを思い出す。確かに、まだ白い壁が綺麗な新しい大きな病院があった。
お医者さんだなんて、カッコイイな。
純粋にそう思った私は、自然と自分が笑顔になっていくのを感じた。
「かっこいいですね」
「ありがとう。でも、やっぱ大変そうだよ。俺達も医療ドラマとかでお医者さんの様子は見るけど、その何倍も大変だって言ってた。こないだ医療ドラマに対して怒ってたよ」
「患者さんの命を預かる仕事ですからね。そりゃあ大変だ!でもいいなぁ〰〰。美人で仕事もバリバリできて、女性として完璧ですよね。それと、優しくてイケメンな旦那さん」
「俺のことなんていいよ、そんな。俺なんかより一華の方が何倍も働いてるし、優秀だからね」
茉莉ちゃんと滝本さんの間で交わされる会話は何気ないけれど、その短い会話の中でも、滝本さんの優しくて謙虚な性格や、奥さんのことを尊敬している気持ちが十分に伝わって来た。それに滝本さんと話していると、なんだか緊張のようなものが全て溶けてしまう。
親しみやすい、って言うのかな。
私は柔らかい雰囲気に背中押されるように、滝本さんに問うてみた。
「滝本さんは、どんなお仕事されてるんですか?」
「あ、いいよいいよ。下の名前で!俺は図書館司書です。だからこのお店、超タイプでさ」
「へえ〰〰」
「はいっ!奥さんとのなれそめは!!!」
「恋バナ方面、今日はガンガン来るね、茉莉ちゃん」
「せっかくの機会なので!今後の参考にさせて頂く為にも!コーヒー、おかわり淹れますね!」
いそいそとコーヒーのおかわりを淹れにキッチンに向かう茉莉ちゃんを見ながら、和彦さんは笑って私に言う。
「いいね。茉莉ちゃんのキャラ、すごくいいと思う。シェアハウスが楽しくなりそうだね」
和彦さんと和彦さんの奥さんが出会ったのは、和彦さんの奥さんが医大を卒業して「研修医」をしていた時。出逢ったのは、和彦さんの勤める図書館。
本も借りずに1人で黙々と勉強を続ける美しい女性がいることは、図書館で働く人たちの間で噂になっていた。
その女性は、ただひたすら難しそうな本を広げて勉強し、閉館を告げても愛想もなくその場を立ち去る・・・。その図書館で、「謎の美女」とまで称されていたらしい。
そんな和彦さんの奥さんと和彦さんが始めて会話を交わしたのは、和彦さんが1人で受付をしていた時。
他の仕事仲間は帰ってしまい、今日は和彦さんが、和彦さんの奥さんに閉館を告げる係りだった。
「あの、勉強中すみません。閉館なんです」
「謎の美女」はその日、ジーンズに白のニットを着ていて、決してオシャレとは言い難い装いだった。髪も一つに結ばれただけ。でも、「謎の美女」は、顔を上げて和彦さんを見た瞬間、和彦さんの心を一瞬にして奪ってしまった。
「ああ、そうですか。すみません」
ただそう言って荷物をしまい始める「謎の美女」。和彦さんはやっとの思いで
「待ってください!」
そう呼び止めて、ホッカイロを急いで取りに行って手渡したという。
「こんな夜遅くだし、今日、この冬1番の冷え込みだって言うし・・・、寒いと思うんで、手」
その時の季節は極寒の冬。雪がちらついていた。
「謎の美女」は少し驚いた顔をしたが、白くて綺麗な手でそれを受け取って
「ありがとうございます」
それだけ言うと、図書館を出て行った。
次の日から和彦さんは「謎の美女」に猛アプローチをしたという。
アプローチを続けているうちに、小児外科医を目指す研修医だったこと。いつも広げている難しそうな本は、医療に関するものだったこと。少し離れた場所の病院で働いていること・・・。そんな話から、お互いの好きな食べ物や趣味や、好きな本の話、今度出掛けたい場所など、話題は季節と一緒に移ろい変わり、ついに2年前、「謎の美女」は「滝本一華」さんになった。
「きゃー!やっば!やっば!胸キュン!!私だけ?こんなに体熱いの」
「うん」
ぱたぱたと手で風を送りながら、火照った頬をしている茉莉ちゃんが言う。
茉莉ちゃんはオーバーリアクションだけど、和彦さんから聞いた奥さんとのなれそめは本当に素敵だと思う。映画にしてもいいんじゃないかと思うくらい。
茉莉ちゃんの言う通り、胸キュンとはこのこと!
「いつか奥さんにもお会いしてみたいです」
私が身を乗り出して言うと、なぜか茉莉ちゃんと和彦さんは顔を見合わせて「えへへ〰〰」と笑い合った。
「え?」
2人の不可解な笑みに首をかしげていると、茉莉ちゃんは
「実は、このお店の「もう1つのお仕事」があるんだよね」
そう言ってウインクする。
「え、なに??」
頭の中にはてなマークが浮かび続ける私を置いて、茉莉ちゃんは軽い足取りでお店の奥へ行ってしまった。戻ってくると、なにやら大きな箱を私に手渡す。私はなんとなくそれを開けてみた。
すると、そこには可愛らしい花々でできた押し花の栞があった。栞だけじゃなくて、ドライフラワーでできたワンちゃん。花びらでできた絵なんていうお洒落な作品もある。どれもカラフルで可愛いい。
「可愛い!すごい!」
「実は、このお店で扱ってるお花の一部をこうして押し花の栞にしたり、ドライフラワーにしたりして、桜が丘病院にお届けしてるの。入院中の患者さんに喜んでもらえたらなーって」
私が思わず歓声を上げると、茉莉ちゃんは自慢げに言う。そしてここにきて、茉莉ちゃんと和彦さんの謎の笑みの意味がようやく分かった。
「来週、日菜も一緒に病院に行って、手伝ってもらうからね」
私も、和彦さんの奥さんに会えるかもしれない、ということだ。
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