Day 16
看護師さんの声に急かされて、一華さんは彩恵ちゃんの病室へと走る。私も慌てて一華さんの後を追った。
彩恵ちゃんの病室の様子は一変していた。
あんなに嫌になるほど白かった病室が、今は本やぬいぐるみや、散らばった千羽鶴でカラフルになっている。ひたすら病室にあるものを投げて、壊してぐちゃぐちゃにしていく彩恵ちゃんの姿が、カラフルな病室の中でやけに目立っていた。
普段、優しくて可愛らしい彩恵ちゃんのすることとはとても思えない。
あまりの出来事に何も出来ない私を置いて、一華さんは彩恵ちゃんに駆け寄った。
「彩恵、やめな」
我を忘れて部屋を荒らしている彩恵ちゃんの手を、一華さんは力強くつかむ。
「やめよう、彩恵。物投げたらダメでしょ」
冷静な声で言う一華さんとは対照的に、彩恵ちゃんはまるで鳥かごの中に閉じ込められて外に出ようとする小鳥のように、一華さんの手をふりほどこうとしていた。
けれども一華さんも負けじと言う。
「彩恵!やめな!」
「離して・・・!一華先生、離して!離してよ!!」
「いい加減にしなさい!!」
2人の怒鳴り合う声に、いつのまにか私の周りには青い顔で駆け付けた看護師さんたちで溢れていた。そんな私たちに気づくこともないまま、一華さんと彩恵ちゃんはお互いを押さえつけようと必死になっている。
「彩恵!!!!」
「離して!!!」
ついに、彩恵ちゃんが一華さんの手を振り払った。
その反動で勢いよくしりもちをついた彩恵ちゃんと、大きくよろけた一華さん。
2人とも髪を乱して息を切らしている。
すると彩恵ちゃんは、今まで自分の手首をつかんで押さえようとしていた一華さんに向かって、近くにあった絵本を力いっぱい投げつけた。
小さい頃、お父さんに買ってもらったと言っていた絵本だ。
とっさのことで一華さんはよけられず、一華さんの綺麗な横顔に絵本が音を立てて当たる。
「一華先生!」
看護師さんの1人が悲鳴に近い声をあげる中、一華さんは思わず閉じた目をゆっくりと開けて、目の前にいる彩恵ちゃんを見つめる。その刹那、看護師さんが彩恵ちゃんを止めようと病室に駆け込んだが
「待って。私は大丈夫だから、待って」
一華さんの冷静な声で動きを止めた。
そんな一華さんの言葉にさらに納得がいかなくて怒りを覚えたような表情で彩恵ちゃんは怒鳴る。
「なにが大丈夫なの・・・・?!」
「彩恵」
「何にも大丈夫じゃない、なのに何で今まで「彩恵は大丈夫」なんて言い続けてたの!」
「お願いだから私の話を聞いて」
「一華先生の嘘つき!わたしはなにも大丈夫じゃない。病気だって治らない、迎えに来てくれるお父さんもお母さんもいない!みんなわたしのことなんてどうでもいいって思ってた!!ずっとずっとずっと一華先生は私のこと騙してた!!」
「彩恵は大丈夫なんだよ。大丈夫なの!」
「どこが?病気がもし治っても私には帰る家がない!待ってる家族もいない!こんなんだったらもう病気なんて治らなくていいよ、病気のままでいい!」
「彩恵は病気を治すの!治さなきゃダメ!病気を治して、学校に行って、友達と遊んで、普通に暮らすんだよ!」
「なにもわたしの気持ち知らないくせに偉そうに言わないで!!!そんなに病気治しなさいって言うなら、一華先生が病気になればいい!!一華先生が病気になっちゃえばいいんだ!!!」
背筋が凍りつくのを感じた。
今まで小さな彩恵ちゃんが必死になって抑え込んでいた大きな不安や怒りが、すべて言葉になって目に見えた瞬間。
この状況に、その場にいた全員が何も出来ずにいた。
彩恵ちゃんはそこまで言うと、バスルームに駆け込み、大きな音を立てて扉を閉めてしまう。
鍵をかける音がした。まるで、彩恵ちゃんの心にも鍵がかかってしまった瞬間のような音。病室をもう一度よく見てみたら、彩恵ちゃんの寂しさや不安で溢れていたことに、今さら気が付いた。
そんな部屋に取り残された一華さんは、そっとバスルームの扉に触れる。
「・・・彩恵」
「一華先生が出ていくまで、わたしも出ないから。もう会いたくない」
「私、彩恵のこと怒れなかった」
「・・・」
「周りの大人は「頑張って病気治そうね」なんて言うけど、病気を治すための薬だって検査だって手術だって、もう正直やりたくない。痛いし辛い。なのに誰も代わってくれない。誰かが私の代わりに病気になればいいって・・・、私も、思ってたから・・・」
「・・・」
「彩恵。あのね、私も・・・、病気だったの」
私は衝撃のあまり「え・・・」と声をあげてしまう。私の周りにいた看護師さんたちも、無言で顔を見合わせては驚きでいっぱいの顔で、一華さん横顔を見つめていた。
「日菜ちゃんと・・・、同い年くらいの時にね。手術もしたの」
「・・・」
「私も病気になったとき「こんな状態になったんだからもう治らない、いっそのこと、治らなくていい」って思った。たくさんの人のこと怒って、恨んだ。どうしたらいいか分からなくて、1人じゃどうしようもなくて、怖くて。それでも、「苦しい」って言えなかった・・・。けど、私は病気も治って生きることが出来て、だから彩恵に出逢えたんだ。あの時、病気を治して生きることを選んで、よかった。だってそうじゃなきゃ・・・、私、彩恵に逢えなかったでしょう?」
一華さんは彩恵ちゃんの前に膝をついて言うように、そっと白い扉の前にしゃがんで言った。
「彩恵は絶対に大丈夫。大丈夫だよ。何があっても彩恵は強く生きる。それに、私が大人になった彩恵に会いたいの。私は彩恵に生きてほしい・・・。彩恵は、「みんなわたしのことなんてどうでもいいって思ってた」って言ってたけど、私は、彩恵のことどうでもいいだなんて思ったこと1度もないよ」
そう言って一華さんは扉からそっと離れると、木原さんに「すみません、部屋、よろしくお願いします」と言って病室を出ていった。
私は一華さんの言葉に胸が締め付けられる思いに駆られた。けれどもすぐに、彩恵ちゃんになにが起こっていたのかが引っ掛かる。
それに・・・、一華さんも病気だった、って・・・。
まさか、今でも病気を抱えながら働いてるの?今は・・・、大丈夫なの?
「一華さん・・・」
私は一華さんの後ろ姿を追いかけた。子供たちが多くいる病棟の廊下を思わず走って一華さんを探していると、不意に誰かと大きくぶつかった。
「ごめんなさい・・・」
「いや、こちらこそ・・・って、日菜ちゃん?」
ハッ、と我に返った。和彦さんが、目の前で目を丸くしてる。
「どうしたの・・・!?え、っていうか、泣いてる?」
「・・・一華さん・・・」
私はその先を言ったら声をあげて泣いてしまいそうで、和彦さんを困らすことしかできなかった。
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