Day 18

翌週。

私が桜が丘病院でボランティアをしながら、彩恵ちゃんの様子を看護師さんたちに問うと

「うーん、元気がなくてね・・・」

「一華先生には会いたくない、って聞かないし・・・」

看護師さんたちは皆困り顔。特に、「彩恵ちゃんが一華先生に会いたくない」と言ってきかないのは、あまりにも彩恵ちゃんらしくない。

「え、じゃあ・・・、彩恵ちゃんと一華さん、1週間ずっと会ってないんですか?!」

「一華先生が、ドア越しに話しかけたりはしてるんだけどね。返事もないし・・・、何も話してないみたい」

皆が彩恵ちゃんと一華さんの様子を心配するようなことを口々に言っていた。

「一華さんは、なんて・・・?」

一華さんは彩恵ちゃんの担当医なんでしょう・・・?

今だけ特別に、別の先生に診てもらっている、と私に説明した木原さんは続けて言う。

「一華先生も「彩恵の気持ちを尊重したい」って言っててね・・・。でも、ほとんど誰とも、口をきいてくれないから・・・」

「・・・」

「日菜ちゃんは、彩恵ちゃんとあれからお話しした?」

「え、いえ・・・」

「そう・・・。もし、もしね。日菜ちゃんが良ければ、日菜ちゃんも声を掛けてあげてくれないかしら?声を掛けるだけでいいから」

病院の人たちでさえ、口をきいてくれない状態なのに・・・。

自信はなかったけれど、私も彩恵ちゃんが心配だったし、できることなら一華さんとも仲直りしてほしい。

私は勇気を振り絞って、彩恵ちゃんの病室のドアをノックした。

ノックし慣れたはずなのに、緊張で体が固まっていくのが分かる。

「彩恵ちゃん? ・・・入るよ?」

恐る恐るドアを開けると、緑色のカーテンが彩恵ちゃんのベットをかこっていることにまず気が付く。

いつもなら絶対にない風景だ。

一枚の布のはずなのに、今はそのカーテンが厚い壁に思える。

「私。日菜だよ、彩恵ちゃん」

「・・・日菜ちゃん・・・?」

1週間ぶりに聞く声だった。可愛らしい声だけど、どこがいつもより、弱々しく聞こえる。

「うん・・・」

私が答えてしばらくすると、ゆっくりとカーテンが引かれた。

ようやく私に顔を見せてくれた彩恵ちゃんは、第一声で、私に問う。

「日菜ちゃん・・・、一華先生、赤ちゃん産めないって、本当・・・?」

なんで。

一瞬だけそう思ったが、すぐに彩恵ちゃんが私と和彦さんの話を聞いていたんだと分かった。

あの時、もしかしたら、彩恵ちゃんはお気に入りの場所に行こうとしていたのかもしれない。

もしかして、そこで・・・?

「彩恵ちゃん、もしかして・・・、先週の話、聞いてた?」

するとやっぱり、彩恵ちゃんは小さくうなずいた。

心の中では動揺していた。だけど、ここでごまかすのは彩恵ちゃんの為にも一華先生の為でもないと思った。

きっと質問されたのが、私じゃなくて一華さんだったら、一華さんはしっかりと答えるだろう。

私は心の中で一華さんに謝ってから、静かに本当のことを告げた。

「うん・・・」

刹那、彩恵ちゃんの目から涙が落ちる。

彩恵ちゃんは小さな手の甲で涙を拭きながら泣きじゃくり始めた。

私が初めて見る彩恵ちゃんの涙だった。

何があっても、にこにこしていた彩恵ちゃん。何があっても泣くことはなかったのに。

一華さんの話を聞いた日から、今までずっと1人で考え込んでいたのかな・・・。

胸を締め付けられる想いに駆られる私の前で、彩恵ちゃんは泣きながら呟く。

「わたし・・・、前に、一華先生に・・・、聞いちゃった・・・」

「・・・え・・・?」

「ちっちゃい子が・・・、お母さんに抱っこされてるのを、一華先生と見た時ね。わたし・・・、一華先生に・・・っ、一華先生に「一華先生もお母さんになりたい?」って・・・。そしたら、そしたら・・・「うん」って・・・」

そこまで言った彩恵ちゃんは、さらに声を上げて泣きじゃくる。私はそんな彩恵ちゃんにかけてあげる言葉が見つからず、彩恵ちゃんの小さな肩を優しくさすってあげることしかできない。

「わたし、一華先生に1番辛い嘘つかせちゃった・・・」

「そんな・・・」

「一華先生、わたしのこと、もう嫌いかな・・・」

「そんなことないよ!そんなこと、絶対ないよ。一華さんは、彩恵ちゃんのこと大好きだよ」

その時。

病室のドアが遠慮がちにノックされて、彩恵ちゃんのお昼ご飯が乗せられたお盆を持った木原さんが現れた。木原さんは私と彩恵ちゃんを見ると、持っていたお盆をテーブルに置きながら

「どうしたの、2人とも!」

心底驚いた表情をする。

彩恵ちゃんは泣きじゃくりながら木原さんにしがみついた。

「木原さん・・・!一華先生の病気治して・・・!」

「一華先生の病気?」

「一華先生、お母さんになりたい、って・・・言ってたの・・・。言ってたから、だから・・・!」

彩恵ちゃんの訴えを聞いた木原さんは、彩恵ちゃんをベットの上に座らせると、そっと屈んで、優しく諭すように話し始めた。

「そう・・・。彩恵ちゃんも、の病気のこと知ったのね」

・・・一華ちゃん?

驚く私と同じように、涙を止めた彩恵ちゃんは木原さんを見つめる。

「・・・木原さん・・・、一華先生のこと・・・」

「実はね、木原さん、一華先生が病気で手術をしたときは一華先生の看護師さんだったのよ。だから木原さんは一華先生のことよーく知ってる!」

「そうだったんですか・・・!?」

思わず声を上げる私に、木原さんはさりげなくウインクをした。

「手術が決まったとき、一華ちゃんはまだ17歳。これからきっと・・・、素敵な人と出逢ってお付き合いして、結婚したら、赤ちゃんが欲しいって思うでしょう?」

「・・・うん・・・」

「だからたくさんの先生や看護師さんたちが、一生懸命考えたの。「どうしたら一華ちゃんの子宮をとらずに病気を治してあげられるかなー?」って。でもね、まだその方法は誰にも分らなかった」

「・・・」

「一華ちゃん、すごく辛かったと思う。だから今、一華先生として頑張ってるのよ。彩恵ちゃんが、昔の自分と同じように、ずっと辛い気持ちを抱えないように。彩恵ちゃんの病気を治したいってずっと頑張ってる」

「ね」と微笑んだ木原さんは、持っていたハンカチで彩恵ちゃんの涙を優しく拭いて

「でも、一華先生・・・、辛いままだよ・・・?」

震える声で尋ねる彩恵ちゃんの小さな手を握って、こう言った。

「彩恵ちゃん。木原さん思うの。病気を治すのはお医者さんじゃないとできない。でも、辛い気持ちを治してあげるのは、その人が大好きな人なら、誰でもできる」

そう言って「彩恵ちゃんは、一華先生のこと大好き?」と、彩恵ちゃんの顔を覗き込む。

彩恵ちゃんは小さくうなずいた。

「でも、わたし・・・一華先生にたくさん酷いこと言った・・・、だから、一華先生は・・・」

「嫌いなわけないじゃない!彩恵ちゃんのこと、一華先生が嫌いになんて絶対ならない!ここだけの話ねー、もう今、一華先生落ち込んじゃって大変よ!なんかぼんやりしてるし、ため息はつくし」

「ほんと・・・?」

「こないだなんてね!深夜にメール来たわよ!「彩恵が1人で不安がって泣いてないか心配だから、ちょっと見てきてください」って。「私も今家だわ!」って思わず突っ込んじゃったわ〰〰」

木原さんがため息交じりに言うと、彩恵ちゃんはようやくほんの少しだけ笑った。私はそんな彩恵ちゃんを見て、思わず胸をなでおろす。

よかった、ようやく彩恵ちゃんの笑顔が見れた。なんだか病室に色が戻ってきたようだ。

そう思ったのは、木原さんも同じだったようで・・・。

「ようやく笑ってくれたね。 ・・・一華先生も、彩恵ちゃんのその笑顔が大好きなのよ。彩恵ちゃんの笑顔がないと、一華先生も元気が出ない。大丈夫。一華先生、彩恵ちゃんのこと待ってるよ」

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