Day 19

木原さんのひと言に背中を押された彩恵ちゃんは、その日の夕方、一華さんに会うために何日も出なかった病室から出て、広いテーブルに椅子が並べられた、小児科の子供たちが遊んでいる場所から少し離れた部屋にいた。

普段は親御さんがお医者さんたちと話すときに使う部屋なのかな。

付き添いで来た私も、慣れない雰囲気に包まれた部屋を見回した。

シンプルな部屋にある椅子に座った彩恵ちゃんは、緊張した様子で俯いている。

彩恵ちゃんが来ていることは、木原さんが一華先生に伝えておいてくれたらしい。もう少しで一華さんは来るはず・・・。

「一緒に行こうか?」

病室を出ようとした時、不安げな彩恵ちゃんに思わず声を掛けたら、何度も何度も頷いていた。彩恵ちゃんにしては珍しく、ここにたどり着いてからずっと、私の洋服の裾をつかんだまま。

「大丈夫だよ」

頼りない背中をさすりながら言うと、今にも泣き出しそうな彩恵ちゃんが私を見つめた。

「日菜ちゃん・・・。わたし、一華先生にどうやっていえばいい・・・?」

「素直に、彩恵ちゃんが今思っていることを言えば大丈夫。「ごめんなさい」と「ありがとう」さえ言えれば、きっと大丈夫だよ」

彩恵ちゃんにかけてあげるべき言葉はもっとあるんだろうし、もっとたくさんの言葉をかけてあげたいのに、上手く声に乗せられない。まだ子供な私の中にあった言葉はあまりにも少なかった。

歯がゆい思いをする私とは反対に、彩恵ちゃんは頷いていた。

目の前の彩恵ちゃんは、一華さんに嫌われてしまう恐怖と不安でいっぱいになっているんだろうな。

大丈夫だよ。だって、だって。

一華さんが彩恵ちゃんのことを嫌うだなんて、そんなこと絶対にないよ。

その時、遠くからバタバタと足音が響いてきた。

「彩恵!」

突然すぎる一華さんの登場に、私も彩恵ちゃんも思わず肩を震わせる。

勢いよくドアを開けてきた一華さんは、

「・・・一華先生・・・」

ちょっと高い椅子からぎこちなく降りた彩恵ちゃんを抱きしめた。

優しく、でもしっかりと抱きしめる一華さんの姿から、今までどれほど彩恵ちゃんのことを心配していたかが伝わる。

なんだか私まで一華さんに抱きしめてもらっているような、そんな温かさが私を包んだ。

彩恵ちゃんは真っ白な白衣の中で、すっかり身動きが取れなくなっている。

「ごめん・・・、ごめんね・・・彩恵。私・・・、自分があんなに辛い思いしたはずなのに、彩恵の気持ち全然分かってあげられてなかった・・・。たくさん、今まで1人で・・・、ずっと1人で抱え込ませてたんだね」

「・・・苦しい、離して・・・」

「ごめん・・・」

そう言いながら彩恵ちゃんから離れた一華さんは、ハッと我に返ったような表情で、彩恵ちゃんを見つめた。

「・・・彩恵・・・?」

目の前の彩恵ちゃんは、ぽろぽろと涙をこぼしている。

どんな時もにこにしていて、一華さんと言い合ってしまったあの日も、彩恵ちゃんは泣かなかったのに。

一華さんにしては珍しく、目の前の彩恵ちゃんに驚きすぎて、言葉を失っている。そんな一華さんに彩恵ちゃんは涙を流したまま尋ねた。

「一華先生・・・、酷いよ・・・。なんで隠し事してたの?」

「え・・・?」

「病気のこと・・・、なんで隠してたの・・・?」

「・・・なんで・・・、なんで知ってるの・・・?」

彩恵ちゃんは一華さんの問いには答えず、一華さんの白衣を引っ張って、泣きながら一華さんを責めたてた。

「ひどい・・・、ひどいひどい!隠し事は無しって言ったの一華先生じゃん!一華先生が、初めて私の診察してくれた時、「私と彩恵は一緒に病気と闘うから親友。だから隠し事は無しだよ」って一華先生が言ったんだよ!?なんで約束破ったの・・・!」

「・・・っごめん、彩恵、それは」

「一華先生は・・・!・・・一華先生は、私のこと、いっぱい助けてくれるのに・・・、私は一華先生のこと助けられなかった・・・」

最後は消え入りそうなくらい小さな声で、彩恵ちゃんは言った。

大好きな人に助けてもらえるのはうれしい。安心できる。でもそれ以上に、その人に何かがあったら助けたいって思う。

小さな彩恵ちゃんに秘められた温かい優しさが、一華さんに言った言葉に、全て詰め込まれている。

一華さんから離れていた間、彩恵ちゃんの中で「一華先生が大好き」という想いから「一華さんを助けたかった」という想いが生まれていたんだ。

そう思っていたら、自分がいつの間にか泣いていることに気づいた。私は慌てて涙をぬぐう。

私が泣くところじゃないのに。

ゆがんでしまった私の視界の中で、一華さんが涙で濡れた彩恵ちゃんの頬を両手で包んだ。

「彩恵。彩恵は、何回も私のこと助けてるよ」

「ううん、助けてない・・・」

「助けてるよ。私がまだ本当のお医者さんじゃなかった時、私、上手く笑えなくて「何でもっと笑えないんだ」って色んなに人に言われてたでしょ?あの時、患者さんで唯一、彩恵だけが笑顔で私のこと「一華先生」って呼んでくれてたの。それが嬉しくって仕方がなかった・・・。彩恵に「一華先生」って呼ばれるたびに、「絶対お医者さんになろう」って思えて、頑張れたんだよ」

そこまで言った一華さんは、もう一度彩恵ちゃんを抱きしめて愛おしそうに彩恵ちゃんの頭をなでる。

彩恵ちゃんは、安心しきった表情で一華さんの白衣に顔をうずめた。

「一華先生・・・」

「うん?」

「・・・絵本、投げてごめんなさい・・・、病気になればいいって言って、ごめんなさい・・・。本当は・・・、一華先生が、大好き」

「うん」

そして彩恵ちゃんは細くて頼りない腕で、一華さんをまっすぐに抱きしめながら魔法を唱えるように言う。

「一華先生、大丈夫だよ。絶対大丈夫だよ」

いつも彩恵ちゃんに言い聞かせていた言葉をプレゼントされた一華さんは、新しい涙をキラキラと輝かせながらとびきり優しい声で言った。

「ありがとう、彩恵。彩恵がいてくれて、ほんっとうに・・・よかった」

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