Day 30
彩恵ちゃんの退院の日が迫る、ある日。
「そうだ日菜ちゃん。今日、一華がいつもより早く仕事が終われるみたいなんだ。遅くなるとは思うんだけど、お店に行ってもいいかな?」
「どうぞ!お待ちしてます」
「彩恵ちゃんが退院する時に贈る花束を注文したいって、一華が言ってるんだ」
桜ヶ丘病院で会った和彦さんがそう言っていたことを、早速家に戻って茉莉ちゃんに伝えると、茉莉ちゃんはメイクを直して、コテで巻いていた髪も、もう一度巻き直し、全力でお店の掃除を始めた。
その間、私が全てのお客さんの対応をすることになったんだけど。
そして閉店を迎えた後、私たちが夕飯を食べて・・・しばらくしてから、閉じたお店のドアをノックする音が響く。
茉莉ちゃんが光の速さで螺旋階段を降りてドアを開けると、そこには和彦さんと、仕事終わりの一華さんの姿があった。
私も急いで下へと降りて行く。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
茉莉ちゃんは喜びで垂れてきた鼻血を抑えながら、
「今日は、彩恵ちゃんの花束ですよね」
と、言う。
私はそんな茉莉ちゃんに、一旦鼻血を止めてくるように説得して、2人の花束選びに付き合った。
気がつけば、彩恵ちゃんの手術が成功した2月は過ぎ去り、季節は夏も近い6月。
芍薬や紫陽花、少し早いけどひまわりも店頭に並ぶ時期だ。
「芍薬、すてきだな。華やかで彩恵も喜びそう」
「ピンクなんて可愛いんじゃない?」
しばらく花を選んでいた和彦さんと一華さんだったけど、不意に一華さんがこんなことを呟いた。
「そういえば・・・、なんか、最近彩恵の様子がおかしいんだよね・・・」
「様子がおかしい・・・?病状、またよくないの?」
「あ、違くて・・・。朝の回診で、「髪の毛結んで」って言ったり・・・、「本読んで」って言ってきたりするの。夜に様子見に行くと「ちょっとだけここにいて」って言ったりするんだよね・・・。最近急に。」
その時脳裏に、私が彩恵ちゃんに手紙を渡した時、彩恵ちゃんが独り言のように呟いた言葉が蘇る。
・・・でも、これを私が伝えても・・・。
「どうしたの、って聞いたら「別にいつも通りだよ。それにいいでしょ。もうすぐ退院しちゃうんだから、最後にお母さんみたいなことしてくれても」って・・・」
迷う私の前で言葉を発したのは、和彦さんだった。
「でも、一華も嬉しいんでしょ?」
なんだか普段とは違った空気で言葉を言い放つ和彦さんに、私も、一華さんも、奥にいた茉莉ちゃんも、和彦さんを見た。
「一華も、彩恵ちゃんのお母さんでありたいんじゃない?」
「・・・どうしたの。和彦まで急に・・・」
「一華。俺が気付いていないと思ってたの?」
「何に?」
「一華が、彩恵ちゃんのお母さんになりたいって、思ってることに」
私は思わず目を見開いて、一華さんを見た。
本当に?
もしそうなら・・・、もしそうなら本当に、彩恵ちゃんの願いは・・・。
「そんなこと思ってないよ。確かに彩恵は大切な子だけど、それは患者さんとしての話。それに、彩恵はちゃんと桜ヶ丘を出て、施設で他の子供達と暮らして欲しいの。彩恵のためだし、いいご家族にも巡り逢えるかもしれない」
「ダメだよ、自分の心に嘘ついたら・・・。本当にそう思ってる?」
ついに一華さんが動きを止めた。
私たちのいる空間だけ、時間が止まったように感じる。
一華さんはそんな空間の中で、自分自身に言い聞かせるように
「彩恵のためだから」
噛み締めるように言った。
「そうやって、一華はなんでも彩恵ちゃんのせいにするね。彩恵のため、彩恵のため」
「・・・」
「勝手に彩恵ちゃんの気持ち決めつけるの、やめな。一華は弱いね」
和彦さんは笑顔だけど厳しい言葉を投げかけて・・・、そして優しく微笑む。
「そういう一華が、好きなんだけどさ」
涙を必死に堪える一華さんの肩にそっと手を置いた和彦さんは、寄り添うように言った。
「葛藤も迷いも、不安もあるんだろうけど・・・。でも俺は、一華と彩恵ちゃんが我慢し合ったまま離れるのは嫌なんだ。それにさ、一華も、最後ぐらいわがままを言いなよ。俺は一華のわがままだったら、いくらでも付き合う覚悟だから」
「私も付き合います!!!!」
普段とは違う空気が張り詰める中、ティッシュで鼻を抑えた茉莉ちゃんが、勢いよく右手を挙げた。
「いくらでも付き合います!何十年、いや、何百年でも付き合います!」
そんな茉莉ちゃんに続くように、私も右手を勢いよく挙げる。
「私も・・・!!!」
私は深く息を吸い込んで、一華さんに言った。
「私も嫌です。彩恵ちゃんと一華さんが・・・、私にとっても大切なお二人が、我慢したまま離れるのは」
今までずっと一緒にいた2人が、本当の思いを打ち明けないまま、内緒にしたまま離れるなんて悲しい。
本当は誰よりもお互いを思っているのに。
それに、私個人としても、大好きな彩恵ちゃんと一華さんがこの状況のまま離れてしまうのは嫌だった。
「満場一致!」
私たちを見た和彦さんは嬉しそうに言う。
そして、まだ不安が残る表情のまま、芍薬の花を持った一華さんに言った。
「今度は、一華が頑張る番だよ」
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