第24話 闇に浮かぶ仮面

「なあ、俺はその話、聞かねえ方がいいんじゃねえか?」

 真剣な表情で教授に相談を持ちかけたステラに対し、レオはそんな事を言い出した。


 それにステラは、ううん、と首を横に振る。

「レオも……もしよかったら、一緒に聞いてもらえないかな」

「いや、ステラがそう言うなら俺はかまわねえけど……」

 レオは何やら不安げな表情で、再び椅子に腰かける。


「まあ、俺も少しは聞いた事があるんだけどよ。乗合馬車の事故の話と、そこで見たオバケの話」

「お化け、とな。まあ、動植物以外でも、魔獣や魔法の知識もあるが……それは一体、どのようなものなんじゃ?」

「それは……」

 そしてステラは、幼い日々の事を思い出すかのように遠い目をして、話し始めた。ただ、本人も記憶がはっきりしていないのか、話はとぎれとぎれとなる。


 それは、十二年前、ステラがまだ六歳の頃の出来事。

 ある夜、両親と共に馬車に乗っていたステラは、事故にあって両親を失った。

 奇跡的に軽いけがだけであったステラがそこで見たものは、仮面をかぶった『お化け』と思われる何か。


「心当たりはまったくない、とは言わんが……」

 それを聞き終えた教授は、小さなため息をついた。


「えっ、それだけで何かわかるのか?」

 その話を聞いて、考え込んでいたレオが顔を上げる。


「さすがに、今の話だけでは情報が足りん。それこそ、恐怖が生んだ幻の可能性すら否定できんぞ」

「確かに、助けていただいた兵士の方々にも話したんですが、それらしき手がかりもなく、幻かもしれないと……」

 でも、とステラはさらに言いつのる。

「今さら知ったところで、過去が変わるわけじゃない。でも、あのとき何が起こったか。せめてそれだけでも知りたいんです」


 そうか、と一言だけ発し、教授はその能力を測るかのようにステラを見つめた。

「見たところ、魔法の素質はかなりあるようじゃの」

 教授の眼は魔力の光が宿していたが、魔法の素質のないレオはもちろん、過去の事に気を取られていたステラも気付く事はなかった。


「ならば、この映想珠えいそうじゅは使えるかのう」

 そう言うと教授は、テーブルの上の宝珠を拾い上げ、ステラの方に差し出す。


「あ、でも……もう十年以上前の事ですし、記憶もあいまいなんですが……」

「忘れてしまった、もしくは思い出せないといっても、記憶自体が消えてしまったとも限らん。ただ、何らかの理由で記憶を呼び出せなくなっているだけ、ということは珍しくないんじゃ。そんな記憶も、この映想珠で鮮明に呼び起こすことができる……やもしれぬ」

 それでは、と手を伸ばしたステラに映想珠を手渡し、教授はさらに付け加える。


「これを使う前に、一つ忠告をしておかねばなるまい」

「は、はい」

「呼び起された記憶とともに、お主の心の傷が再び開くことになることになるやもしれん。その覚悟はあるか?」


 しばし目を閉じ考えて、ステラは口を開く。

「多分、だけど……大丈夫だと思います。もう、あれからずいぶん時間も経ったし……それに、今は一人じゃないから」

 その手元に、ぼんやりとレオの顔が浮かんだ。


「ああ、その映想珠じゃが、慣れぬうちは取り扱いに注意が必要じゃな。時折、自身の意図せぬものを映すこともあるぞ」

「わぁあああ!?」

 それに慌てたステラは、映想珠をテーブルの上に放り出す。

 レオの幻影は消え、宝珠はテーブルの上を弾みながら転がって、木の床に落ちて固い音を響かせる。


「ああっ、ご、ごめんなさい!」

「心配いらんよ。魔道具というものは強化の魔法も掛けられておるからの。そう簡単には壊れんぞ」


 教授は映想珠を拾い上げ、再びステラに渡す。

「まあ、使える事はこれでわかった。あとは、映し出したいものを思い出し、その光景を宝珠の中に流し込む、といった感じじゃな」

「はい。やってみます」

 そう言うとステラは、映想珠を両手で包み込むように持ち、目を閉じる。


 以前教授が使った時のように、すぐに劇的な変化は起こらなかった。それでも十秒ほどで、水にミルクを混ぜたかのように透明だった宝珠が白く濁り始める。


「あっ」

 思わず声をあげてしまったレオに反応したか、ステラが目を開いた。

 だがすぐにその姿は、すぐに映想珠から噴き出した白い霧のようなものに隠れる。


 霧は部屋中に広がって視界を白で塗りつぶし、一瞬の後に暗転する。

 そして部屋の中は、夜の「黒」に支配された。


    ◆


 星明かりだけが、森を貫く街道を照らしていた。


 ただその景色は、雨降る日の窓ガラスの外の景色のように、奇妙にゆがんでいる。

 静かな夜の森で意外なほどに響くすすり泣きの声が、そのゆがみが涙によるものと教えてくれた。 


 風の止まった森の中で、動くものは見当たらない。

 街道脇の木にぶつかり横倒しとなった馬車も、二頭の馬と御者も、客であった数人の男女も……もう、動いてはいなかった。

 世界が小刻みに震えているように見えるのは、泣き声の主である少女の震えのため。今、少女の小さな体を蝕んでいるのは、悲しみか、恐怖か、それとも絶望か。

 なぜそんな闇夜に馬車を走らせなければならなかったのか。それはすでに、彼女の記憶には残っていない。


 そして、かすかに動くものが、もうひとつだけ――

 ゆっくりと顔を上げた少女の視界に、あるものが入ってきた。


 夜の森に、奇妙な何かが浮かんでいる。


 それは一見、白く細長い仮面に見えた。

 人の被る仮面と違っているのは、その大きさ。

 夜の森の中、距離感が掴めないが、それでも子供ならば顔どころか全身がすっぽりと隠れてしまえそうな、そんな大きさだ。


 そして――仮面と、

 ただの仮面だけではなかった。その向こうに確かに何者かが存在し、その視線は少女を捉えていた。

 だが、その体は見えない。衣服か、もしくは皮か鱗か……その体表には、星もない闇夜で染め上げたような漆黒の何かを纏っているように思える。


「「あ……」」

 幼い日の少女の声が、『現在いま』の彼女のそれと重なる。


『あれは……っ!』

 そして、そこにいなかったはずの男の声が、少女を現在へと引き戻した。


 映想珠が、少女の手のひらからこぼれ落ちる。幻の夜は消え、世界に光が戻ってきた。


 そして……いつの間にか椅子から立ち上がっていた教授は、その仮面のあったあたりに視線を向けたまま、呆然とつぶやく。

 

「まさか……あれが白面竜アルボテスタ……なのか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る