第23話 擬態するもの

「それは、食肉兎カルノラゴスじゃのう」

 翌日、博物館(予定)の館長室でレオとステラの話を聞いて、教授はあっさりと答えを返した。


「あれ、ひょっとしてこの前のアンケートとかに書いてあった奴なのか?」

「おお、覚えておったか」

「ただのウサギと思ってたら、いきなり口が裂けたからびっくりしたぜ」

 用意された茶を口にしつつ、レオは遠い目で先日の事を思い出す。


「口が裂けたというか……そのように見えたのは、草食獣と肉食獣では口の大きさ、言い換えれば頬の広さが違うのが原因じゃな」

「へえ……肉食のウサギなんてものもいるのか」

「いや、姿形はウサギに似ておるが、イヌやオオカミの仲間に近いぞ」

「えっ……?」

 レオは、教授が何を言っているのか、わからないという顔をした。


「あっ、もしかして……擬態ぎたいっていうのですか?」

「その通り。レオ、お主の幼馴染はなかなか優秀そうじゃな」

「ふん。どうせ俺は優秀じゃねえよ。最初からステラが来てた方がよかったんじゃねえか」

 レオは再び茶の入ったコップに手を伸ばし、一気に飲み干した。


「レオ!」

「そうねるな。お主にもこちらでやるべき事が出来たんじゃろう」

「……まあ、な」

 落ち込んでいたレオだが、すぐに顔を上げ教授に向き直る。


「それで、そのカル……何とか言う奴だが……」

「相変わらず名前を覚えんのう。まあ、馴染みのない古代語じゃから仕方ないかもしれんが……」

「古代語?」

「今から約五千年前まで、このソール大陸で栄えていた国で生み出された言語じゃ。長くなるゆえ詳細は省くが、現代では一部の研究者の間でしか使われておらんな」

「今の言葉じゃダメなのかよ」

「駄目という訳でもないが……例えばじゃな、ウサギの仲間はこの大陸に二十種以上が生息しておる」

「そんなに!?」

「うむ。じゃが、一般人にとってはほとんどが『ウサギ』としてしか認識されておらん。せいぜい、『野ウサギ』、『穴ウサギ』、『角ウサギ』、『雪ウサギ』など簡単に区別されておる程度じゃな。じゃが、研究の際にはそうもいってはおられん。それゆえに、かつて種ごとに与えられた古代語の名……『学術名』が慣習的に使われておる」

「がくじゅつ……めい?」

 またしても出てきた不可解な言葉に、レオは顔をしかめる。


「まあ、そんな顔をするな」

 教授はレオをなだめるように、ポットから彼のコップにお代わりを注ぐ。


「学術名とは、一つ一つの種に与えられた唯一無二の『真の名』というべきものじゃ。外見が似ておっても、生態はまったく別物、という例は少なくないからな。それらを区別するためにも、その名が必要なんじゃ」

「それが、カルノラゴスという言葉なんですか?」

「それは古代語で、『肉食のウサギ』という意味を持っておる」

「でも、ウサギではないんですよね?」

「そのとおりじゃがな。学術名には色々と複雑なルールがあり、一度決まったものはよほどの事がない限り変えることはできん」

 そう言う教授も、少し苦々しい表情をしている。


「とは言え、現代では古代語はほとんど死語となっておるからのう。通称として、『ウサギモドキ』とか『牙ウサギ』などという名が広く知られておる。一般人の目に触れる機会の多い種は、地方によって色々な名が付けられるからのう。それゆえ、種を確定できる統一された名が必要となるんじゃ」

「あ、その名前なら図鑑に載ってた気がします」

「えっ、知ってたのかよ」

「知ってたっていうか、小さい子達と一緒に図鑑を読んでた時に見た記憶があるけど、さすがに全部は覚えきれないかな。あ、でも、外で見かける危ない生き物……とか言うのに入ってたような」

 記憶が曖昧なのか、ステラの言葉も歯切れが悪い。


「危ない!?」

「危ないというか、作物を食べるウサギを追い払おうとした農家の人間が、噛まれてけがを負ったという話はよく聞くな。とは言っても、体の大きさがウサギ大で、毒を持っているわけでもなし。大人の人間ならば、武術の心得はなくとも追い払うのはそれほど難しくはなかろう」

 驚きの声を上げたレオを鎮めるかのように、教授は穏やかな口調で話す。


「なんだ。じゃあ、逃げ帰って損したんじゃねえか」

「いや、誰かを守るためなら、早期撤退も決して間違いではないぞ。まあ、知識があれば何とかなっていたのも事実じゃが」

「うっ……」

 教授の言葉に顔をしかめるレオ。


「それに、人間の子供にとっては十分な脅威となりうるからのう。街や農地の周りに現れたときは駆除依頼が出ることもある。今回は、わしから国の方へ連絡しておこう」


 話が一段落したところで、ステラが教授に向けて手を上げる。

「あの、わたしからも質問していいですか?」

「おお。何でも聞いてくれ」

「ウサギがオオカミの姿を借りて身を守るっていうのならわかるんですけど、オオカミの方が弱いウサギを真似しているのは、何かわけがあるのですか?」

「ふむ……それにはまず、擬態というものについて説明が必要じゃろうな」

 教授が右手を上げると、レオと初めて会った時のように忽然と宝珠が現れる。使い手の記憶を幻影として映し出す魔道具、映想珠だ。


「動物学の世界では、自分たちの本来の姿とは異なる、別の何かの姿をとる事を言うんじゃ。その目的はいくつかある。まず一つ目は捕食者の目からのがれる事」

 暴食竜レマルゴサウルスとの戦いを見せたときのように、視界全体が書き変えられるのではなく、部屋の中、教授の背後に一つの幻影が付け加えられた。


 無数の枯葉に覆われた一本の木。そのように見えたそれは、一瞬の時を挟んでその正体をあらわす。

 強い風にあおられたかのように、枯れ葉が一斉にめくれ、褐色だけだった景色が、瑞々しい若葉の色へと変わった。そして風に吹かれた『葉』たちは、地面へと落ちるのではなく、羽ばたきながら空へ舞い上がる。


「うおっ!?」

「わあっ」

 レオの驚きの声と、ステラの歓声が重なる。


 部屋の中が、枯葉と若葉の色で覆い尽くされていた。


「このちょうは、枯葉に擬態して敵の目をあざむく」

 枯葉に見えたのは、はねを閉じたときの裏の色。そして若葉の色は、羽ばたくたびに閃く表の色だ。


「植物の葉や枝、花、もしくは岩や砂などに擬態する例は多い。そうしてじっと自然の風景の中にその身を溶け込ませるんじゃ」


 数百の蝶の羽ばたく音が、部屋の中を支配する。

 そして……


 ブゥウウウウン――


 ただ一匹の羽音が 、それをかき乱した。

 無数の蝶が、弾かれたようにある点から逃げ出す。親指ほどもあるはちが一匹、褐色と若葉色の世界を切り開いて飛び出して来た。


「うわ、っ!?」

「きゃっ!」

 反射的に斬竜刀に手をやりかけたレオを、教授が手で制する。


「これは蜂ではない。毒針を持たぬあぶの一種じゃ。驚くべきことに、他の動物に擬態する種は、姿かたちだけではなく、行動までも真似る事がある。この虻の場合、羽音や飛び方まで、擬態元モデルであるハチにそっくりなんじゃ」


 レオたちの知る『蜂』にしか見えない姿と仕草で、その『虻』は彼らの目前のテーブルの上を飛び回る。

「蜂の毒針の恐ろしさを知っているものは、むやみに蜂を襲うことはない。その結果、武器も毒も持たぬこの虻まで、襲われなくなる。これも擬態により捕食者から身を守る例じゃ」


 そして、いつの間にかテーブルの真ん中に咲いていた一輪の花に近づく。蜜を求めるかのように、虻はその花弁はなびらへと止まり――


 花が弾けるように動き出し、虻に襲い掛かった。

 腕……いや、前足というべきだろうか。それも花弁の一部を模した器官で、花に擬態した何物かは、虻をしっかりと捕えている。


「これは……食虫植物?」

「いや……カマキリ、なのか……こいつは?」

「レオの言うとおり、これは花に擬態したカマキリの仲間じゃ。このように、その身を守るためではなく、獲物から身を隠し、もしくはおびき寄せて捕えるために何かに擬態するものもいる」

 そう言うと教授は、映想珠をテーブルの上に置いた。カマキリと虻、そしてまだ部屋の中を舞っていた蝶たちの幻がすべて消え失せる。


「でも、そのカルノ……ええと、ウサギモドキの場合、それらには当てはまらない気がするんですが……」

「うむ。それでは、その肝心のカルノラゴスがウサギに擬態する理由……お主らは何だと思う?」

 二人の生徒の……正確には、ステラが授業に参加するのは明日からの予定だが……顔を見比べながら、教授は問い掛ける。


 ステラは腕を組んで考え込み…… 

「ウサギを食うため、とか」

 一方、レオはほぼ間髪を入れずにそう答えた。


「ええっ!? それはさすがに考えがなさすぎじゃない?」

「何ぃ!?」

「いや、確かにそういう説もあった」

「そうなんですか!?」

「うむ。ウサギを油断させて捕えるため、獲物であるウサギの姿を真似ている、という説じゃ。実際に子ウサギや、弱ったウサギを捕食した。そんな観察例も報告されておる」

 言葉は発しないものの、二人の生徒の顔には驚きだけではなく、好奇心や興味のような表情も見てとれる。


「とはいえそれは、さらなる観察の結果、他の獲物が捕れずに飢えた時に限られるらしい、という結論になった。ちなみに普段は、ネズミやモグラのような小型の動物を食べておる」

「それはやっぱり、ウサギに擬態して油断させてるってことなのか?」

「それについては、なかなか断言するのは難しいのう。表面的な行動の観察だけでは、確定できぬこともある」

 それよりも、と教授はコップに手を伸ばし一息ついた。


「他に観察によって判明した事がある。子育ての際、ウサギの群れの中に自分たちの子供を紛れ込ませておくんじゃ。そうすれば、大型の捕食者にやられる確率が下がる。ウサギの子供の方が、数が多いからのう」

「あ……そう言えば、ウサギの群れを守っていたようにも見えましたが……」

「ようするに、この前も言ってた共生とか言う奴なのか?」

「生き物同士の関係というのはじゃな、雷電竜ヴォルトサウルス導竜鳥サウロノータのように、わかりやすいものばかりではないぞ」

 この二種についてはステラが知らなかったので、教授が手短に説明する。


「そして、共生とは異なり、一方は利益を得るがもう一方は被害を受けるのみ、という場合は『寄生』と呼ぶ。その寄生にも色々な形があってのう。カルノラゴスの場合、共生に近い労働寄生、という説が有力じゃな」

「ううむ……」

 教授の話が理解しきれなかったのか、レオは顔を少し赤らめてうなっていた。


「まあ、この世界には何百万という生き物がいる。そのすべてどころか、身近な動物さえも、わからない事は多いんじゃ。まあ、謎がまだまだ残っているからこそ面白い、とも言えるがのう」


   ◆


「さて、そろそろ飯でも食いに行くか」

「おお、気を付けてな」

 話が一段落して、気が付けば夕方も近くなっていた。レオは食堂に向かうため立ち上がる。

 しかし、ステラは何やら思いつめたような表情で、椅子に腰を下ろしたままだ。


「ん? ステラ、まだ何かあるのか?」

 レオに向けて一つうなずいた後、ステラは再び教授に顔を向ける。


「ローレンス教授……もう一つ、話を聞いてもらえませんか?」

 先ほどの質問の時とは明らかに異なる真剣な表情。それを見た教授も、何かを感じ取ったのか、椅子の上で姿勢を正す。


「うむ、わしで良ければな」

「それでは、わたしが…………孤児院に入るきっかけとなった事故の話を――」

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