第22話 身近に潜む牙

「なあ、ステラ」

「ん?」

 ここはヴェルリーフの北側に位置する農耕地帯。

 ウサギ狩りならまだ安全だろうということで、レオはステラを連れて日が傾き始めた農道を歩いていた。


「今さらだけど、ウサギがかわいそう、とか言ったりしないよな」

「いや、ここまで来といてそんなこと言わないよ。いつも私たちが食べてるお肉だって、誰かが私たちの代わりに用意してくれてるんだから」

「ああ、そうだな……」

 その言葉にレオは安堵する。さすがに嫌がる相手にウサギ狩りやその後の処理の様子は見せられない。


「それよりもレオ、いつもの斬竜刀しか持ってないみたいだけど、それでウサギを狩る気?」

「うっ……」

 ステラの指摘に、思わず口ごもるレオ。

 彼の得物である斬竜刀は、自分より大きな敵――具体的には、暴食竜レマルゴサウルス――と戦うためのものであり、ウサギのような小さく動きの速い相手と戦うには向いていないのだ。


「いや……やっぱりこれがないと、なんだか落ち着かないんだよな」

 まだ飛び道具を買う資金が、レオには用意できていない。それ以前に、ステラが孤児院からこちらに来た以上、余分に学費を稼がないといけないのではないだろうか。


「今日はステラもいるし、あまり無理しないで早めに帰るとするぞ」

「うん。わかった」

 前は教授やリチャードがいてくれたから規定の十頭を簡単に狩ることができたが、今回は実質レオ一人。二、三匹がやっとではないだろうか。


「で……教授はまず、ウサギの『痕跡』を探せっていってたんだけど……」

 完全に日が暮れてしまう前に、ウサギのいそうな場所を見つけておくことにする。


「足跡なら、結構残っているみたいだね」

 レオと一緒に辺りを見回していたステラが先に声をあげた。

「えっ? どこに?」

「ほら、その畑のところ」

 ステラが指差す先を見ると、畑の土の上に小さな足跡がいくつか刻まれている。


「あれ? ウサギの足跡ってこんなのだったか? 二種類あるみてえだけど」

「もう……孤児院で飼ってたの、忘れちゃったの?」

「忘れてたっていうか、よく覚えてねえ」

「しょうがないなあ。この小さくて丸っこいほうが前足で、大きめで細長いほうが後ろ足だよ」

「あ、そうか……」

 そのまま足跡を追跡できればよかったのだが、足跡があるのは比較的柔らかな畑の中だけで、踏み固められた農道のほうには足跡は残らないらしい。

 そしてレオたちは、畑から少し離れ、先日多くのウサギがいた辺りに移動する。


「いたぞ」

 日は少しずつ傾き続け、辺りが薄暗くなり初めた頃、二人は三頭のウサギが草むらの向こうに集まっているのを見つけた。


「ちょっと離れててくれ」

「うん、がんばってね」

「おう」

 ステラの応援に振り向かずに手を振り返したレオは、彼女から十分に離れたことを確認して背中の斬竜刀を抜く。間髪を入れず、眼前の草むらを突っ切って駆け出した。

 二頭のウサギが、文字通り脱兎の如く逃げ出す。


 しかし――


『グルルル……』

 一頭だけ、レオから逃げないウサギがいた。


 刃渡1メートルを越える斬竜刀がなくとも、人間が近づいただけで普通、野生のウサギは逃げる。

 それに、追い詰められたウサギが鼻先の角で反撃してきたことはこれまでもあった。

 だがそいつは、初めから逃げることもなくレオをまっすぐに睨みつけ、牙をむき出して威嚇してくる。まるで犬の唸り声のような音が、その喉から漏れ出していた。

 その姿に違和感を感じたレオは、斬り付ける前、斬竜刀がまだ届かない間合いで足を止める。


「なあステラ、ウサギってこんな風に鳴くんだっけ」

「ううん……『ぷう』とか『ぶう』とか、小さな声で鳴くことはたまにあるけど、こんな犬みたいな声じゃないよ」

 ウサギらしき生き物から視線を離さぬままの言葉に、後ろからステラの返事が返ってきた。


「ねえレオ、なんか変じゃない?」

「わかってるけど、だからって逃げるわけにもいかねえだろ」

 それがウサギという生き物の行動からかけ離れた出来事なのか、それとも十分にありうる事なのか。経験の浅いレオには判断できなかった。

 よくわからないまま、斬竜刀を振り上げ、そして横薙ぎにそのウサギ目がけて振るう。


『グアッ!』

 それに反応し、ウサギも犬のように吠える。

 そして、ウサギの


「な、なんだ、こいつっ!?」

 そのまま、『ウサギ』はレオの振り回す斬竜刀に飛びついて来た。


『ガアッ!』

 大きく裂けた顎に並ぶ尖った牙を、刀身に突き立てようとする。もちろん、鉄で造られた刀身は、獣の牙が刺さるようなものではない。

 しかし、『ウサギ』のほうも大きな傷は負ってはいなかった。レオがちゃんとした手入れを習っていないので、斬竜刀の切れ味は本来のものよりかなり鈍っているのだ。


「くそぉっ!!」

 『ウサギ』がしがみ付いたままの斬竜刀を、レオはでたらめに振り回す。

 振り飛ばされた『ウサギ』は地面で弾み、転がった。


『ギャウア!!』

 悲鳴と思われる声を残し、『ウサギ』はレオに背を向け、背後の草むらへと逃げ出した。


「あ、待てっ!!」

 数歩駆け出したところで、レオは足を止める。正体のわからない相手がいるのに、ステラを一人にするわけにはいかない。


「本物は初めて見たけど、この前教授が配ってた紙に書いてあった奴みてえだ。ひょっとしたら、危ないやつかも」

「わたしも、さっきのウサギみたいな動物だけど、孤児院にある図鑑に載ってた気がするよ」

「えっ、そうだったっけ?」

「うん、小さい子たちにせがまれて、よく読んであげてたから」

「で、その図鑑だけど、あいつがどのぐらい強いか、書いてなかったか?」

「いやぁ、さすがに強さとかは図鑑には載ってないかな。それに、子供向けの図鑑だからほとんど絵だけで、説明もあんまりなかった気がする」

「ん……」

 斬竜刀を構えたまま、レオは何かを思い悩むかのように小さくうなり声を上げる。

 やがて、意を決して斬竜刀を背中の鞘に納めた。


「仕方ない。帰るぞ!」

「えっ? ウサギ狩りは?」

「今日中にやらなければいけないってわけでもねえからな。教授にあいつについて話を聞いてから、また来る事にしよう」

「で、でも、それでいいの?」

「ああ。俺一人ならどうでもなる。けど、何かあった時におまえまで守れる自信がねえんだ」

「え……あ、うん」

 戸惑うかのように視線をさ迷わせ、頬に手をあてたステラだったが、すぐに我に帰り、少し怒ったような表情になる。


「っていうかレオ! 一人ならどうでもなるなんて言わないの。一緒にいなくたって、心配する人もいるんだからね」

「う、すまん……」

 ステラの言葉に気圧けおされるかのように、レオは一歩後ずさりする。


「ところで、レオ」

「ん?」

「ちょっと挨拶しただけなんだけど、ローレンス教授って、動物とかに詳しいの?」

「ああ、俺もよくは知らないけど、結構詳しいみたいだな。わからないこともあるけど、それを調べる魔法みたいなのもあるみてえだし」

「そっか……」

 そのまま、二人は無言で市街へと続く道を歩く。すでに太陽は遠くの山に沈み、ステラの持つランタンの光が道を照らしていた。

 彼らの向かう先には、ヴェルリーフ市街を囲む城壁が篝火かがりびや魔法による光源により浮かび上がって見える。


 もし、教授の使っていた魔法をレオも覚えていたなら、こんな風に狩りを途中で切り上げる必要もなかっただろう。

 だがしかし、レオには魔法の素質はない。それは、入学直後の検査でわかっていたこと。

 それに、魔法に頼らずとも、知識を得る方法はある。 


「俺も、もっと勉強しねえと」

 そこでレオは、頭の中だけで考えていたはずの言葉を口に出していたことに気づく。

 慌ててステラのほうを伺うが、少し前を道を照らしながら進んでいる彼女のほうも、何か考え事をしているようだった。


 そして逆に、ステラの小さなつぶやきもレオの耳には届かなかった。

「あの時の『お化け』のこと、何かわかるかな……」

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