第26話 大河の闖入者(ちんにゅうしゃ)

 翌日、ステラの編入のあいさつも無事に終わった、その日の放課後。


「ちょっとよろしいかしら」

 レオに話し掛けようとしたステラを、一人の女生徒が呼び止める。


 金色の巻き毛を胸のあたりまで垂らした、気の強い印象のある少女だ。

 少女の名は、ディアナ・シェリング。

 彼女がこの国の貴族の令嬢である、というような事を聞いた記憶がレオにはあった。


「学院へようこそ。学級委員長として、この学院を案内いたしますわ」

「あ、ありがとうございます。でも、今日は先約が……」

 そう言うとステラは、助けを求めるかのようにレオの方を振り向く。

 

「おれはまた教授のところに行くから、ステラは女子だけで仲良くやってこいよ。これまでも、友達はいなかったんだろ?」

 そういってレオは、ステラをディアナと、その友人らしき数名の少女たちの方へと差し出す。


「な、何よ。別に友達がいないってわけじゃ……」

「ま、頑張れよ」

 ステラに気を使っているつもりで、レオはひらひらと手を振って彼女たちに背を向けた。


 だから、気付いていなかった。

 ディアナの、海にも似たコバルトブルーの眼差しが、その背中に嫌悪にも似た感情を突き刺していた事を。


    ◆


 その週のうちに、教授の言った毒針鼠ウィレキヌスのほか、野盗獣エレモヒエナ食肉兎カルノラゴスにも邪魔されることなく、レオのウサギ狩りは無事終了する。


 そして週末、学院が休みの日に、話を聞いて一緒に行きたいというアレックスとともにレオは釣りに出かけることにした。


「じゃあ、アーウィンさんは女子寮の歓迎会に行ったんだな」

「おう。孤児院じゃあ友達を作る機会もほとんどなかったからな。俺たちと釣りなんかしてるより、そっちの方がいいんじやねえか」

「そうなのかなあ……お、川が見えたぞ」

「教授が言ってたのはこの辺か?」

「いや、もっと上流のほうだな」

 教授からもらった手書きの地図を片手に、アレックスは北を指差す。


 ここヴェルリーフの街を南北に貫くように、一本の川が流れている。いや、正確には地方最大のこの川の周りに町が発達したのだ。


 博物館準備室に立ち寄り、釣りの道具を借りたレオとアレックスが向かったのは、北側の町はずれに近い川原だった。ここは人家も少なく、町から流れ出す汚水の影響もほとんどない。

 先月に近くを通った時は、まだ冬の名残りの枯れ草が目立っていた。だがさすがに晩春の月も上旬の終わり近くとなれば、萌え出ずる草が河原のあちこちを若草色に染め上げている。


「このへんまで来ると、あんまり人もいないみたいだな」

 アレックスの言うとおり、周囲にいるのは一人の釣り人だけ。暗い藍色のコートを纏ったその男は、中州の岩に腰を下ろして釣り糸を垂れていた。

「あれ? あの人、どっかで見たことあるような……」

 右手を目の上にかざして日差しを避けながら、アレックスはその男に視線を向ける。

「そうか?」

 橋も船もない中洲にいるその男のことがまったく気にならないわけではなかったが、レオは餌の川虫探しを優先した。


「んー……まあいいや。それより、何を釣ればいいんだっけ?」

「ひとまず、釣りの腕をみるから、ある程度の大きさがあれば何でもいいらしいぞ。標本になりそうなものが釣れたら、博物館で買い取ってくれるとも言ってたな」

「そうなのか。じゃあ、頑張って釣らないとな」

「お、おう。まあ頑張れよ」

 先月の釣りの実績から、教授におかしな物を釣る才能があるなどと言われたレオ。さすがにそれはほめ言葉とも思えず、釈然としないまま仕掛けを流れに投入する。


 そしてしばらくの間、魚を逃がさないように二人は、無言で眼前を流れゆく川を眺めていた。

 川の流れは濃い青緑色。先日降った雨のせいかやや濁りが混じっていて、魚の姿はほとんど見えない。ただ、時々足下を横切っていく素早い影が、魚の存在を二人に知らしめていた。


「なあ、レオ」

「ん?」

 退屈に耐えかねたか、アレックスが話し掛けてきた。


「ローレンス教授のことだが……お前、あの人のことを昔から知ってたのか?」

「いや……おれが初めて会ったのは先月だぞ」

「そうなのか。じゃあ、昔の教授のことなんかは?」

「全然知らねえな」

「そうか……」

 そう言ってレオの方から視線を外すアレックスの横顔は、何だか落胆しているかのように見えた。


「教授がどうかしたのか?」 

「おれ、子供のころにあの教授にあったことがあるはずなんだがな……その時はもっと若かったような気がするんだよ」

「そりゃあ、あの教授じいさんにだって若い頃はあるだろうよ」

「いや、そうじゃないんだ。おれが子供の時って十年くらい前だぞ。そこからあんなに一気に老け込むもんなのか?」

「よく知らねえけど、別にあの教授じいさんが偽物とかってわけじゃないだろ。他の教授きょうじゅにだって、知り合いもいるだろうし。あの人になりすましても、なんかいい事があるってわけでもないだろうに」

「? 何だお前、そっちも知らなかったのか」

 

 その時、釣竿を伝って、何かが糸の先でうごめく感触がレオの腕に伝わってきた。

「掛かった! その話は後でな!」

 銀色に輝く20センチほどの魚がその身をひるがえし、流星のように深みへと消えてゆくのが見えた。

 竿を引き上げ、レオはを入れる。柳の仲間の枝で作られたという竿が空に掛かる虹のごとくしなった。さすがに人の力にはあらがえず、魚の姿はすぐに暗い水底から浮かび上がり――


 ――ゆらり、と人ほどの大きさの黒い影がそれを追うように深みから姿を現した。

 青黒い背鰭せびれが水面を割って迫る。それは大きく口を開き、針に掛かった哀れな獲物を一呑みにした。


「な、何だ、こいつっ!?」

 とっさにレオは、さらに竿をあおってその何者かを釣り上げにかかる。

 教授の言っていた『特製』の釣具は壊れることもなくその力に耐えていた。何とかいう蜘蛛くもの糸で作られたという釣糸もまだ切れてはいない。

 それでも、再び深みへと戻ろうとするその『大魚たいぎょ』を釣り上げることは難しそうだ。

 レオは釣糸の方を掴んで引き寄せつつ、腰を下ろしていた岩から飛び下りて川の中に踏み込む。


 そこで異変を感じたか、『大魚』はその身を大きくくねらせ、尾鰭おびれで川底を蹴り付けるようにして空中へと踊り出した。

 飛び散る水飛沫みずしぶきの中、『大魚』はその巨体をあらわにする。

 そのひれは、薄い魚の鰭とは異なり肉厚であった。よく観察することができれば、尾鰭の付き方も魚とは違っていることがわかったかもしれない。全身を覆う鱗は青緑の川の色というよりむしろ、青黒い海の色に似ており、腹側はやや色が薄くなっていた。

 一瞬、レオは『大魚』と目が合った気がした。その眼差しも、どこか焦点のあっていないような魚のそれではなく、強い敵意のようなものを感じさせる。

 そして『大魚』は、レオに河水を浴びせつつ深みへと落ちた。


「が……ッ!?」

 その瞬間、レオは強い不快感と苦痛に襲われた。熱い何かが足から自分の中に潜り込み、筋肉を痺れさせながら体中からだじゅうを掛けずり回る。そんな、いまだかつて経験のない感触。

 そして、彼の意識は暗転し、その体は川の中へと倒れ込む。


「おい! レオ!!」

 慌てたアレックスが竿を放り出し、川に入ろうとした瞬間。


「離れろ!!」

 鋭い男の叫びが、アレックスを制止する。

 その声と不意に聞こえてきた水音に彼が顔を上げると、中洲にいたはずの釣り人がを駆けてこちらに向かっていた。

 よく見れば、その男は大きな石や流木を蹴りながら走っている。だが、その常人とは思えぬ速さと体捌きが、水面を突き進んでいるかのように見せていたのだ。

 先ほどまで手にしていたはずの釣竿はその右手にはなく、代わりに男は一本の槍を振りかざす。


 ビュッ!!

 突き下ろされた槍が風を斬り、穂先からまるで攻撃魔法でも放たれたかのように、川面がぜる。一瞬浅くなった川の中、『大魚』の姿があらわになった。そして着水した男は、返す槍を『大魚』に向けて振り上げる。

 槍で引っ掛けられた『大魚』の体は宙を舞い、川原へと打ち上げられる。一瞬遅れ、その身に大きな切り傷が口を開き、川原を赤く染めた。


 だが男は、息絶えた『大魚』には見向きもせず、岸辺に倒れ込んだレオを抱え上げる。

「う、うっ……」

「む。命に別条はなさそうだな」

 意識は戻っていないが、レオの口からはかすかなうめき声が漏れていた。

「あ、ありがとうございました」

 アレックスは感謝の言葉を述べつつ、レオの体を男から受け取る。


「おいレオ、大丈夫か!?」

「意識を失っているだけだろうが、念のため医者に見せた方がいいかも知れん。あの魚の姿を持つ竜は、いかずちに似た力を振るうと聞いた事がある」

「雷、ですか?」

 アレックスがそう問い返したところで、離れた所から別の少年の声が聞こえた。

「父上!」

 声がした方角に目をやれば、リチャードが石の多い川原を意に介さぬ足取りでこちらに駆けて来るのが見えた。


「アレックス君、それに……レオ君!?」

 そしてやってきた槍使いの少年は、アレックスとレオを見て驚愕の声を上げた。

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