第27話 攻防一体の毒針
時は少し
リチャードが、レオたちが釣りをしていた川原にやって来る前のことだ。
ある獣の討伐依頼を受けた槍使いの少年は、ヴェルリーフ市街より北の街道沿いを訪れていた。
「……目標を確認。討伐を開始します」
対象を視界に入れるや否や、リチャードは相手が威嚇を始めるより早く飛び出し、間合いを詰める。
そこにいたのは、小型犬ほどの大きさの一頭の獣。その全身は、本来の体型がわからなくなるほど、くすんだ黄色と黒で染め分けられた太く固い毛で覆い尽くされている。
その獣の名は、
体こそ小さいが、特にこのような街道沿いでは最優先で討伐依頼が出されるほど、人間……そして彼らと共に生きる馬や竜たちにとって危険な存在であった。
「……
白銀の槍はリチャードの右手を中心に半回転し、その石突きは獣の腹の下に滑り込む。
廻天槍と名付けられたこの技は、本来は槍を使った投げ技とでも形容すべきものだ。槍はさらに半回転、ウィレキヌスは掬い上げられて宙を舞った。
ザアッ!
激しい雨が石畳を打つような音とともに、獣の背に生えた針が直立する。雨具または防寒具として用いられる
だが、時すでに遅し。
ウィレキヌスは空中で、無防備な腹を槍使いの目前に
そして……戦いというほどでもない討伐の仕事は、一突きで終了した。槍の柄から伝わる感触で任務完了を悟ったリチャードは、近くにいる仲間を呼ぶための笛を
だが、それを吹く直前、その笛と同じ音が少し離れた所からリチャードの元に届く。しかも、どうやらそれは助けを求める音色のようだった。
「……おや? これは……他にも何か出ましたか」
リチャードは取り急ぎ、たった今槍で貫いたばかりのウィレキヌスを、街道から少し離れたところに移動させる。
「……これでよし」
その名の通り毒を持つこの生き物は、死骸とはいえ下手に街道に放置すれば大きな被害をもたらす事もある。特に、整地された街道を走る馬の場合、転倒は文字通り命取りとなるのだ。
しばらく後、急いで笛の音の出所にたどり着いたリチャードが見たものは……震えながら剣を構える女性の後ろ姿だった。
「……エイミーさ……ん」
その名を呼びかけて、思わずリチャードは口ごもる。
「あ……リチャードくぅん」
振り返った彼女の顔は真っ黒な仮面で覆われ、表情も顔立ちもわからない状態となっていた。
ジャァアアアアア…………。
ガリガリガリガリ…………。
彼女の向こう側から、風に吹かれる木々のざわめきにも似た音が聞こえてくる。それは自然の音と異なり、人の心を荒立たせるような不協和音を含んでいた。
「……これは……二頭目ですか?」
エイミーが視線を送る先には、草むらの向こうから姿を現した二頭目のウィレキヌス。彼女が刺激したせいか、獣は背面を覆う針を逆立てて臨戦態勢を整えていた。
「え、二頭目?」
仮面の女性が、
「……その話は、また後ほど」
リチャードは短く答えると、彼女と獣との間に素早く割って入る。
獣が警戒するように体を揺すると、その背から伸びた無数の棘がぶつかり、こすれ合う。それが人間にとって不快な響きを発生させるのだ。
要するにそれは、自分に手を出すならばただではすまないという警告である。
また、黒と黄色という自然のなかでは目立つ色彩も、自身の持つ危険性を周りに伝えることにより外敵を近寄らせないという効果を持っていた。
いわゆる保護色――先日レオたちが教授に聞かされた、擬態の一つの形――とはまったく異なるこのような色使いを『
とはいえ、討伐依頼を受けたリチャードは引くわけにはいかない。
不利を悟ったか、ウィレキヌスは弱点の一つである頭を隠すかのように体を反転させ、さらに激しく体を揺する。くすんだ色をしていた針が、少しずつ根元側からぬめるような光沢を帯び始めた。
その光沢の正体は、背中にある
その毒は、相手に激しい痛みをもたらす即効性のもの。
それだけで命に係わるわけではないが、一度その身に受ければ、しばらくは戦うどころか立つことすら困難となる。
さらにこの針は、攻撃……というより反撃のためだけのものではなく、防具の役割も果たす。
散髪をした経験のある者ならば、束ねた髪を
ウィレキヌスの毒針も、それに近い性質を持つ。たとえ剣で斬り付けたとしても、無数に折り重なる針によってその軌道はずらされ、威力は軽減される。狙ったはずの急所に命中させるのも一苦労だ。
それに対し、リチャードは……。
一頭目に対するものとは異なり、およそ敵に対するものとは思えない、ゆっくりとした足取りで獣に近づいてゆく。
そして、緩慢にも見える動きでウィレキヌスに向けて槍を近付けた。
槍の穂先はそのまま、ゆっくりと毒針と毒針の間を縫うように隙間へと潜り込む。最後は体重を乗せた一撃が、獣の心臓へと到達した。
「……討伐完了、です」
その声に、背後にいた仮面の女性も安堵の息を漏らし、リチャードに拍手を送った。
「お見事ですぅ!」
「……ありがとうございます」
獣の絶命を確認したリチャードは、彼にしては珍しく、呆れたような表情と共に振り返る。
「……ところでエイミーさん。その
「え、えええっ!?」
「……まあ、付けていてもさほど邪魔になるわけでもありませんが……」
「あ、あれっ?」
しばらく仮面に手を掛けて何やらもぞもぞしていた彼女であったが、上ずった声と共に不意に動きが止まる。
「あ、あの~、これ、外れないんですけど」
「……えっ」
ウィレキヌスの死骸を片付けようとしていたリチャードも、予想外の事態に硬直する。
「横から毒ガスが入らないように、顔に密着させるような魔法が掛かっているんですが……」
「……何か外すための手順が必要なのでは?」
「えーと、そうでしたっけ?」
しばらくの間、仮面を引っ張ったり叩いたりしていたエイミーだったが、やがて疲れたように肩を落とす。
「他に何か方法を知りませんかぁ?」
「……僕は
「えーーーっ!?」
顔を両手で守るようにしながら、後ずさるエイミー。
「本当に、絶対に、顔は大丈夫ですか!?」
「……父ならともかく、僕の腕では絶対にとは……」
自身なさげなリチャードの声に、エイミーは再びびくっとその身を大きく振るわせる。
「い、いま思い出しましたが、これっ、傭兵隊から借り物なんですよぉ。勝手に斬ったりしたら、起こられちゃいますぅ」
「……いや、無理に斬ったりはしませんが……普通に呼吸するだけなら問題はありませんし、帰ってローレンス教授にでも相談しましょう」
「そうですね! 早く帰りましょう! すぐ帰りましょう!」
「……討伐は終わりましたが、その前にあちらにもう一頭……」
そうして、
リチャードが父の姿を見かけ、釣りの最中に倒れたレオを発見するのは、町にたどり着く直前のことであった。
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