第13話 久方の団らん
「てい……し……何だって?」
「
「大きな音がガラスや薄い壁を
さらに教授は、彼らのいる平原から西、南北に横たわる山脈を指差す。
「それだけではない。もう一つ、わかったことがあるぞ。ここの地形も今回の一件に影響しておる」
それは、ここリーフ王国の西の国境線であり、少し前まで彼らの通ってきた街道も、山脈がくぼんだ所にある峠に向かって伸びていた。
「地形?」
「
「ええと……つまり……?」
「あの竜から離れていても、街道を通る旅人たちのところに声だけは弱まることなく届き、そして振動だけが感じられるという状況じゃな」
「……それで、どうするのですか? さすがにあのヴォルトサウルスは、軍でも呼ばない限り討伐するのも困難でしょう」
先ほどから黙って教授の言葉に耳を傾けていたリチャードが、久々に口を開く。
「お主ら……なぜそう討伐したがる……?」
槍使いの少年と、そして彼の言葉にうなずくレオの顔を見回し、教授は不満げな表情を見せた。
「確かにヴォルトサウルスをはじめとする古竜たちは、われわれ
教授は再び、森のそばにいる巨竜へと視線を送る。
ヴォルトサウルスは、離れたところにいる小さな人間たちのことなど忘れてしまったかのように、ゆっくりと長い首を動かしながら平然と木の葉を
「じゃあ、どうするんだよ」
そう教授に尋ねるレオは、不安の表情を隠そうともしていない。
「あのヴォルトサウルスについては、放置でよかろう。特に害を及ぼすようなこともしとらん。通りすがりの人間が、勝手に怯えただけじゃ」
「……しかし、実際恐怖を覚えた人がいるならば、何らかの対策が必要なのではないでしょうか」
一方、リチャードの方は不安というよりも疑問の方が大きいようであった。
「ならば……ひとまず周辺の町において、危害はないと情報の共有と周知を行う必要があるな。それから、ヴォルトサウルスは本来、より北の平原に生息しておったはずじゃ。このあたりの地形の影響もあるようじゃし、国に報告して他の場所への誘導も考えたほうがいいかもしれんのう」
「……了解しました」
かすかに浮かんでいた疑問の表情を消し、リチャードは答える。
「いずれにせよ、そろそろ日も傾いてくる。今日はここに泊まり、もう少し観察を続けるとしよう。リチャード、お主には食料の確保を頼む」
「……はい」
完全に気持ちは切り替わったようで、リチャードは白銀の槍を携えて歩きだす。
「俺は?」
一方、先日と違ってレオには食料調達の役目はまわって来なかった。
「レオ……お主、テントの張り方を知っとるか?」
「え? いや……これまで孤児院から出たこともほとんどなかったし……」
「それなら、これから野宿の機会もあることだろう。ここで覚えておくとよかろう」
「そう言われても、おれ、テント持ってないんだけど」
「獣との闘い、もしくは研究を
「一つって、それじゃあまずいんじゃねえか?」
レオは、まだ絵を書き続けているジュリアを気にしつつ、教授に疑問を投げ掛ける。
「うむ。ジュリアは竜車の中で寝てもらうことになる」
「いいのかそれ? また『過保護』とか言われるんじゃねえか?」
「何を言う。親が娘を大事にすることの、何がおかしいんじゃ」
「その娘が嫌がっていないんならな」
「実はのう……もう一つあったテントは、先日破られてしまっておる」
「……?」
一瞬ジュリアの仕業かとも思ったが、さすがにそれはあるまい。
「あんたら一体、何と戦ってたんだよ」
「その話は長くなるので、またそのうちに、な。それで、新しい特注のテントは、まだできておらん」
「特注って、やっぱり過保護なんじゃねえか」
「いやいや、寝床には気を使わんと。疲れを翌日に残せば仕事に差し支えるでのう」
そんなことを話しつつ、四人ほどが泊まれるテントを二人で組み立てる。
それが終わった頃、ジュリアもヴォルトサウルスのスケッチを終えたのか、レオたちの方に向け歩いてきた。
「なんとか、一段落」
「おお、お疲れ」
ねぎらいの言葉と共に、教授は差し出された紙を受け取る。
「ふむ。また腕を上げたようじゃのう」
「ん…………」
親馬鹿……といってもいいのだろうか。それを見て相好を崩す教授に対し、
「なあ……俺も、見せてもらっていいか?」
その言葉に、ちらりとレオの方に視線を送ったジュリア。そのまま、無言でうなずく。
彼女の許可が下りたので、レオも教授の横からジュリアの書いたスケッチを覗き込む。そこには、線だけで精緻に
ただ、それはレオが予想していたものとは違っていた。
「あれ……これ……は……?」
そこに描かれていたのは、確かにヴォルトサウルスであった。
だが、緩慢ながらも動きのある眼前の獣と違って真横から見た姿で、まるでわざと姿勢を整えたかのように描かれている。
思わず、少し離れた所にいる実物と、何度も見比べてしまう。
「あのな、レオ。論文や図鑑に載っている図は、芸術作品としての絵画とは違うぞ。求められるのは正確さじゃ」
その様子を見て理由を察したのか、教授が口を挟んできた。
「それじゃあこの絵で、図鑑を作ったりするのかよ」
「ううん」
ジュリアが短い返事と共に首を横に振る。
「まだまだ、今の私じゃ、『本物』には遠く及ばない」
「本物?」
「…………」
もともと口数の少ないジュリアであったが、それでも必要なことはちゃんと口に出していた。だが今回は、これまでになく歯切れが悪い。
「で、でも……それなら、上手く描けてるんじゃねえか、これは」
その言葉にジュリアは、レオの方に数歩近づき、その顔をじっと見つめて来る。
「な、何だよ。そりゃあ、おれみたいな素人が何言ったって気休めにもならないだろうけどよ……」
「ううん……今の言葉がお世辞や社交辞令じゃないことは、わかる。だから……それは、ありがとう……」
「お、おう……」
「でも、まだ……修行が足りない」
そう言うとジュリアは、教授やレオのもとを離れて片付けを開始する。
「こればっかりはのう……誰かについて修行するというわけにもいかん。基本さえ覚えれば、あとは近道などない。とにかく数をこなすとしか、言いようがないのう。まあ、気長に見守ってやってくれ」
「ああ……わかった……」
娘を気遣うような教授の言葉に、話がよく見えないながらもレオは頷くしかなかった。
◇
「……東の川にカエルがいたので、夕食用に数匹捕って来ました」
そうこうしているうちに、リチャードが夕食を確保して戻って来た。
カエルと言っていたが、すでに下処理はすませてあるようで、後ろ足だけとなっており、皮も剥かれているようであった。それを
足だけでもかなり大きい。レオにはちょうど、先日見た鳴き真似をするカエルと同じくらいに見えた。
「それは、この前の……うるさい奴じゃないのか?」
「
「こいつ、毒があるとか言ってなかったか?」
「名は忘れても、そういうことは覚えとるんじゃな」
言葉とはうらはらに、教授は少し感心したような表情でレオを見る。
「毒は体表の粘膜だけで、肉には含まれておらん。それに、食べられる部分はほとんど後ろ足じゃからのう。そこには毒腺はないので、粘膜を十分に洗い落とし、皮を
「……毒の処理は済ませて、皮も
「まあ、塩と香辛料でも振って、焼く程度でいいのではないかのう。知っておるじゃろうが、寄生虫がおる可能性がある。火は中まで十分に通すようにな」
「……了解です」
そしてリチャードは、竜車から少し離れたところでたき火の準備を始めた。
「……とはいえ、旅の途中では父も僕も味はほとんど気にしていませんでしたので……味付けは適当になりますよ」
「ふむ……。わしも旅の間は、食事については仲間に任せきりだったからのう」
「ま、適当でいい」
ナイフで適当に切った肉に串を打ちながら、教授とジュリアが答える。
「ちょ、ちょっと待った!」
慌てて止めに入ったのはレオだ。
「この前もそうだったけどさ……それで、本当にそれでいいのか!?」
レオの狼狽ぶりを見て、三人は顔を見合わせる。
「そう言われても」
「シャカルも含め、料理ができる者はここにはおらんじゃろう」
その御者のシャカルは、例によって竜車を引く
「え……いや……」
予想できた事とはいえ、少しばかり……いや、内心はかなり落胆しながらも、レオは自らの顔を指差す。
「おお……?」
「意外」
「……それは……失礼を……」
教授だけでなく、普段は表情を表に出すことの少ないジュリアとリチャードまでも、本当に予想外と言った顔でレオを見ていた。
いや、むしろレオの方が、その変化を見極められるようになったのだろうか。
「孤児院で色々と習ったからな。いずれは一人で暮らせるようにって」
一人でと言っても、孤児院を出て独立した後のことを意味しており、余生を孤独に過ごすという意味ではもちろんない。
「香辛料といっても、今回は
教授から塩と胡椒を受け取ったレオは、無造作にも見える手つきで肉に振り掛けると、たき火の周りに串を突き刺して並べる。
そして、時々肉を刺した枝を回しながら待つうちに、表面が少し焦げ、辺りに香ばしい匂いが漂い始めた。
「うーん……これ位で、いいんじゃねえかな」
そうつぶやくとレオは、串変わりの枝を手に取ると、肉をひとかじりしてみた。
「
その様子をみて、他の三人もおそるおそるといった感じて、肉を差した枝に手を伸ばす。
「意外……でも、美味しい」
「……少しの違いで、随分と変わるものですね」
「ふむ。やるもんじゃのう」
「ま、まあな。調査とやらでは役に立ちそうもないけど、これぐらいならな」
三人の称賛を受け、照れ隠しにレオは大口を開けて肉にかぶりつく。
「しかしこの肉……鶏肉みてえだが、思ったよりも旨いな」
「確かに味はある種の
「だったら、油で揚げちまえばいいんじゃねえか?」
「それはよい考えじゃが、さすがに外では揚げ物は難しいのう。機会があれば学園で作ってみようかの」
「いずれ博物館でも、食堂を作った方がいいと思う」
「食堂なら既に、町中にいくらでもあるんじゃが……」
「……料理は出来ませんが、食材狩りなら僕も協力しますよ」
「その時は、よろしく」
「いや、待て、一体何を出すつもりじゃ!?」
こうして皆とたき火を囲んで、話をしながら食事をとる。
いずれにせよ、こういうのも悪くないな。レオは思う。
つい最近までは、家族の仇討ちのことしか頭になかったのだ。
孤児院には他にも二十人足らずの子供たちがいたが、レオよりもかなり年下の子供がほとんどで、あまり話をすることもなかった。
だから、というわけでもないが、暇さえあれば院長が知り合いから中古を安く譲ってもらったという斬竜刀で素振りをしたり、重い荷物を運ぶ仕事などで体を鍛えたりしたりすることが多かった。
それゆえか、よく小さい子供たちの遊び相手となっていたもう一人の同年代の少女とは違い、みんなレオを怖がって、近づいて来ることすらほとんどなかったのだ。
復讐のために身を焦がす日々の中で、いつの間にか忘れていた。
かつて家族とともに暮らした日々は、これに似た……いや、それ以上の安らぎに満ちていたのではなかったか。
変わってゆく自分の毎日を感じ、戸惑いつつもそれを受け入れ始めたレオであった。
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