第14話 青天の霹靂 

 風にあおられる草むらの音。時おり遠くから聞こえてくる獣の遠吠え。テントの外を飛び回る虫たちの羽音。

 草原の夜は、意外に騒がしい。

 おまけに、間近で眠っている教授のいびきまで流れて来る。


 慣れない野宿のせいもあって、なかなか寝付くことができなかったレオは、テントの中で毛布にくるまったまま、これからのことを考えて悶々としていた。

 つい先日まで仇討ちのことしか考えていなかったのに、まるで霧が晴れたかのように頭の中に色々の事が思い浮かぶ。


 まずは同年代の友達を作りなさい。孤児院の院長は、そう言って彼を送り出してくれた。

 そして、同い年の少女。他人と距離を置いていたレオを、それでもただ一人友達と呼んでくれた彼女は、学院で学ぶ機会を彼のために譲ってくれた。


 彼女たちの期待に、自分はこれから応えてゆくことができるのだろうか。そのためには、何をすればいいのだろうか。


 やがて、旅の疲れもあってか、彼の意識はいつしか暗闇に溶けるように薄れてゆく。


 そして…………


「レオ君! 起きて下さい! 緊急事態です!」


 浅い眠りの中を漂い続けていたレオを引き戻したのは、リチャードのこれまでになく焦った声。

 いつの間にか夜は空けており、テントの生地越しにも外が明るくなっていることが分かる。


『ピィッ! ピィッ! ピィイーーーー!』

『ブオオオオオォォォーーーーーン!!』

『ギュアアアアアーーーーー!』

「うわ!? な、何だ何だ!?」

 テントの中にまで響き渡る竜や鳥の声に急かされるように、レオは慌てて飛び起き、身支度もそこそこに飛び出す。

 しかし、寝ぼけたレオの頭では、周りの状況を理解するのにしばらく時間がかかった。


 昨日雷電竜ヴォルトサウルスがいた、森と草原の境目。その地表で、赤く輝く何かが踊っているのが見える。空は青く晴れ渡っているというのに、森だけが黒雲の向こう側にかすんで見えた。

 もともと寝起きのいいほうでないレオだったが、眠気が一気に吹き飛ぶ。

 赤い何かは、炎。黒雲に見えたのは、燃え盛る草原から立ち上る煙だ。


 巨竜の棲みかである森と草原が、炎に包まれていた。


「な、何だ!? 山火事か!?」

「……山火事というより、野火というか、原野火災というべきでしょうか。それよりも原因は……」

『ギュワアァァーーーーー!』

 リチャードの言葉を、聞き慣れない鳴き声がさえぎる。ある種の鳥のような濁った声。それでいて、何やら奇妙な力強さを感じさせる響きだ。

 咆哮にも似た音の出所を探れば、上空に一つの『点』が見えた。それは高度が下がるとともに一瞬で大きくなり、彼らの視界にその姿形をあらわにする。


 金色こんじき猛禽もうきんが一羽、流星のごとく空を両断してヴォルトサウルス目がけ急降下した。


 その姿が一瞬、稲妻にも似た白い輝きを放ち――輝く軌跡が巨竜の体をかすめると、雷光がそこから飛び散る。

 猛禽の大きさは、推定で人間より少し大きいかと思われる程度。レオが見慣れた、街中にすむ鳥たちよりもはるかに大きい。だがそれも、最大で全長25メートルにも達するという巨竜――眼前の個体を実際に計測した訳ではないが――に比べるとまるで羽虫のように見える。


 ヴォルトサウルスの方も、まるで攻撃をものともしないかのように、ゆっくりと首を動かし――

 

『ブガァッ!!』

 猛禽の攻撃から遅れることしばし。ヴォルトサウルスはようやく痛みに気付いたかのように、小さな頭を震わせ普段よりもやや高く短い叫びを発した。


 当然ながら、レオの同行者たちもそれを黙って見ていたわけではない。


「……行きましょう」

 リチャードは普段使っている槍を左手に持ち替え、腰の後ろに差していた手槍を右手で引き抜く。

「ん」

 ジュリアはすでに弓を携え、矢筒を背負っていた。

「お、おう」

 それを見てレオも、斬竜刀は背中の鞘に収めたまま、足下から拳大の石を一つ二つと、飛び道具代わりに拾い上げる。


「それジャ、あっしも……」

 御者のシャカルも、御者台の後ろにしまいこまれていた一挺いっちょうの戦斧を取り出した。

 いや、むしろそれは斧というよりも、まさかりと言った方がいいかもしれない。片刃の斧頭は一抱えほどもあり、その全長は大柄な御者の身長よりもやや短い程度。

 いずれにせよ、御者という職業のイメージとはかけ離れた武器であることは間違いない。


「待って。あなたは地走竜ジオドロメウスたちと竜車を守る役目がある。それから、いざという時には、火に包まれる前にここから離れて」

 そんな御者の動きを止めたのはジュリアだった。

「了解でス」

 そして彼は、特に異論をはさむこともなくその指示に従う。


「あれ、教授は?」

 何か様子がおかしいと思ったら、こういう場面で真っ先に動いているであろう教授の声が聞こえない。レオは思わずあたりを見回し、そして思いのほか近くに、教授の姿を見付ける。


「お、おい! どうしたんだよ、教授!」

 その顔にはこれまで見たことのない愕然とした表情が浮かんでいた。


「な、何じゃ、あれは!?」

 続いて発せられたその言葉は、レオたちにとっても意外なものであった。

「あんな鳥は、見たことがないぞ!」


    ◆


 時は、それより少しさかのぼる。


 レオたちのいる場所から北西の国境付近。


 明け始めた空を、一頭の『ドラゴン』がく。


 淡い青の鱗に包まれているはずのその体は、朝日に赤く染め上げられていた。

 その翼から流れ出す陽炎かげろうのような大気の揺らぎを置き去りにして、龍は山々の上空を斜面に沿うように上昇する。


 龍の背……翼の前、首の付け根近くには、馬のものと似たくらが据え付けられ、白を基調とした上衣サーコートを纏った一人の男が騎乗していた。

 それは、ここより西、ソール大陸の南西の果てに位置するドレイク連邦に籍を置く、龍騎士りゅうきしと呼ばれる者であった。


 しかし、詳しいものが見れば、彼の姿に違和感を感じることもあるだろう。

 騎士の背には、二本の長剣が背負われている。龍の背の上で振るうには短い印象を受けるであろうが、そこは問題ではない。

 二刀流の龍騎士など、本来は見る機会のないものであった。ただ近年では、ある男の名を思い出す者も少なくない。


 そして、龍の方も同様だろう。

 さすがにこのソール大陸では、実際にドラゴンの姿を見たものはほとんどいない。それでも多くの人々は、像や肖像画、あるいは絵本などで見られる、二翼四足の姿を思い浮かべる。

 だがその龍は、その背から伸びる二枚の翼に加え、本来ならば前足に当たる部分もやや小さめの翼に変えてしまっている。


 上下に重ねた二対の翼を悠然と羽ばたかせ、龍は太陽の昇り始めた方角へ進む。


 そしてついに彼らは、国境に横たわる山脈を飛び越えて、リーフ公国の領土へと侵入した。

 無論、龍騎士といえども、平時には国境を超える際には関所を通過するという決まりがある。

 だが時には、事後報告こそ必要であるものの、国境越えを許されることもある。今回は、それほどの緊急事態なのだ。


 そしてしばしの後……山脈の上空を抜け、平原が眼前に広がり始めた頃。

『キュアァ!』

 不意に、龍が短い声を上げる。それはまるで、その背に乗せた剣士に呼び掛けるかのようだった。


「何か気付いたのか、ミコト?」

 そして、男もそれに答える。


 ただし、龍騎士と龍といえども、さすがに言葉を交わし、状況を説明することはできない。龍にできたのは、大きい方の一対の翼をわずかにひるがえし、その軌道を変えることのみだ。


「よし、行ってみるか」

 騎士は、龍の行動を肯定するかのように、その背を撫でる。


 それはちょうど、レオや教授たちのいる方角。

 そう、彼らはまるで雷電竜ヴォルトサウルスの呼び声に応えるかのように、その針路を変えたのであった。

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