第19話 時の彼方に消えた竜

「こんなところにいたか……って、何だこりゃ!? でけえな!」

 雷電竜ヴォルトサウルス雷星鳥メテオルニスに出会った『特別授業』も終り、学院に帰ってきたレオたち。

 『普通』の学院生活の日々が流れ、春の月も終わりが近づいてきたある日の事。


 教授を探して博物館を訪れたレオは、ある部屋で彼の姿を見つけ、そしてその背後にあった物に驚きの声を上げた。

 レオの視線の先にあるそれは、巨大な竜の頭骨。

 頭骨だけで体は繋がっていないのだが、それでも、あの暴食竜レマルゴサウルスの骨格標本の頭と変わらない大きさに見える。


「この竜の名は巨神竜パンメガサウルス。先日見た雷電竜ヴォルトサウルスに近縁の種であり……そして、今から数千万年前、この大陸に生きていた巨大な爬虫類レプタイル、つまり『古竜』と呼ばれたものたちの一種の化石じゃ」

「カセキ?」

「化石を知らんのか? 遥かな古代の生き物たちの残した痕跡の事じゃ。通常は骨や歯、貝殻などの硬い部分しか残らんがの。足跡や糞の化石の例もあるぞ」

「それじゃあこいつも、大昔の生き物なのか?」

「うむ。数億年前から数千万年前、世界は彼ら、古竜たちにまさに支配されていた。じゃが、それから数百万年の時間を掛けて、我ら人と同じ、哺乳類マンマリアと呼ばれる者たちが徐々に生息域を拡げて行った。この巨神竜パンメガサウルスも、数千万年前に絶滅したと考えられておる。そして今では、暴食竜レマルゴサウルス雷電竜ヴォルトサウルスなどの古竜の生き残りたちは、このソール大陸南部や、南西に位置するゼムゼリア大陸の一部で、細々と暮らしておるだけじゃ」

「それが、教授の言ってた闘いってやつなのか?」

「おお、そのとおりじゃ。よく覚えておったな」

 そう言うと教授は、レオの頭に手を伸ばし、褐色の髪をくしゃくしゃと掻き回す。


「やめろよ……もうガキじゃねぇんだから」

 抗議の声も、教授の手を振り払う腕も、どこか弱々しかった。

 幼い頃、両親に撫でてもらった記憶が甦る。

 五、六才になって、少年は恥ずかしいからとそれを嫌がるようになった。そして、彼が頭を撫でられることはなくなった。

 かといって、両親の彼に対する気持ちが薄れたわけではない。そのあたりをちゃんと意識したのは、レオがもっと大きくなってからのことだったが。


 レオの家族は、もういない。

 だから……もう二度と、そんな機会はないと思っていた。


「まあ、わしらのおるソール大陸南部は激戦区なんじゃ。じゃから、草食でおとなしいはずのウサギが角を生やすようになったり、腐肉食の獣が腐食液を吐いたりするようになるんじゃな」

 そんなレオの内心を慮る様子もなく、教授の解説は続く。


「いや、それより、わしに何か用があったんじゃないか?」

 ひとしきり語りたい事を語り終えたのか、教授の視線はレオの持つ本へと移った。

 『特別授業』の後、十日間ほど、レオは足繁く博物館予定地に向かい、そこにある本に熱心に目を通していた。

 その変化は、教授ですら驚くほどであった。勧誘はしたものの、そこまで熱中するとは思ってもみなかったのだ。


「なあ……」

 その一言のみ発した後、レオはしばらく何も言わずにただ立ちすくんでいた。

 教授は彼の言葉を促すようなことはせず、ただ静かに見守っていた。


「レマルゴサウルスだって、生きていくためには食わねばならねえ」

「……」

 レオの視線は教授でも手にした本でもなく、自身の足元近くに向けられている。

「腹が減って、獲物が見つからなくて、ずっと探し回って、それでも見つからなくて、やっと……やっとたどり着いたところに俺の村が」

「レオ」

 教授の静かな言葉が、彼の言葉をさえぎった。

「それで、俺の村は……」

 しかし、少年はそれが聞こえなかったかのように、悲痛な表情で話し続ける。その顔色は青白く、弱々しい光を宿すのみの両目からいつ涙があふれだしてもおかしくないような状況だ。


「レオナルド・オーウェン!」

 これまでとは異なる強い口調で投げ掛けられた言葉に、レオはその身を強張らせる。


「動物たちの生きざまに、人の感情を持ち込むな」

 それは、いつもの老人然とした口調ではなかった。

「あの事件は、不幸な条件が重なって起こったもの。しかし、人ならざるものの行いを正当化したとて、ただの気休めでしかないぞ」

「う……」

 レオの食いしばった歯の間からは、弱々しいうめきが漏れるのみ。


「身内を失ったばかりなら、心が壊れるのを防ぐため、やむを得ないことかもしれない。だが君は、いつまでそうしているつもりだ?」

「お……おれは……」

「レオ……君に宿題を与えよう」

 そこでまた、教授の口調が変わる。普段通りのものに戻ったのではなく、どこか優しさを含んだものに。

「しゅくだい?」

 教授は無言でうなずき、そして言葉を続ける。


「命とは時に残酷であり、また人から見れば卑怯にも、悪辣にも見えることがある」


「だが、それらはすべて、何千年、何万年もの時をかけて、彼らが命を繋ぐために掴み取った道。それは決して正しい道、いや生きるために有利な道とは限らん。選択を誤り、滅びゆく種もあるだろう。それでもそれは、彼ら自身の選んだ道なのだ」


人間ヒトには、それを否定することはできない。ただ、自らの道を探し、それを貫くだけだ」


「ならば、人間ヒトはどんな道を見いだした? そして君は、どんな道を行く?」


 そこでようやく、レオは顔を上げ、教授の方に視線を向ける。

「俺は……」

「今すぐに答えを出す必要はない。宿題と言っただろう」


 そして教授はレオの肩に右手を乗せ、最後の言葉を発する。

「三年後、卒業の日にここで答えを待っているぞ」


   ◇


「やれやれ……」

 再びパンメガサウルスの化石を振り返り、教授は独りごちる。


「思いのほか観察力はあると思うたが、これを見て何とも思わなんだかのう。とはいえ、さすがにあの様子では無理じゃったか」

 その言葉は、いつもの老人風の口調に戻っていた。


 そして教授は、化石を眺めつつ、思索にふける。


 巨神竜パンメガサウルス。最大で全長約40メートル、体高約25メートル。そして推定体重は約55トン。

 計算上限界のサイズと、先日教授が言っていた雷電竜ヴォルトサウルスよりもはるかに大きいのだ。

 それは決して、教授の記憶や計算のデータが間違っていたわけではない。


 今から数千万年前、生き物たちのり方を変えてしまうような何かが、この惑星せかいの上で起こった。そして、限界を超えた巨竜たちは、そこで生きてゆくことすら許されなくなってしまったのだ。


 それが何だったのか。現在では知る由もない。突然の変化だったのか。長い年月を掛けて、少しずつ変わっていたのかも。

 そして、そんな変化はまた、いつの日か人間ヒトの上にも降り注ぐかもしれないのだ。


 ひとつひとつの命に寿命があるように、人間ヒトという種にもまた、いつの日か終わりが巡り来る。


 その時、人間ヒトは――

 古竜の一部が鳥へと進化したように、姿を変えて命を繋げてゆくのだろうか。

 それとも、変わり続ける世界の中で力尽き、滅びの日を迎えるのだろうか。


 同じ世界を生きてきた先達の姿は、人間ヒトの行く末を照らしてくれる……かもしれない。


 いずれ訪れるその時のために、資料を集め、知識を蓄え、未来への道を模索する。

 遥かな未来を生きる、我らの子孫に届けるために。


 それは、人間ヒトが見出だした道の一つであり――

 そしてまた、学者に課せられた使命の一つなのだから。

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