第37話 天空に遊ぶ
『クアアァァッ……!』
教授の持つ
「えっ……鳥……?」
だが、一見すると鳥に見えたその生き物を目の当たりにしたステラは、
晴れわたる春の空よりも濃密な青に染まった翼は、まるで
「
ディアナが左腕に付けた腕輪に触れると、そこにはめ込まれた宝玉が輝いた。
その光の中から抜き出されたのは、一本の羽扇。ひと仰ぎすれば、ディアナの身は輝く霧のようなものに包まれる。
「――――」
近くにいたステラの耳にも届かぬほどの、小さなつぶやき。
それでも、ディアナと共に
その身にまとう制服は、白を基調としたサーコートに。両手で抱え持った羽扇は、二振りの長剣に。波打つ金の長髪は、少し癖のある短い黒髪に。
輝く霧が大気に溶けて消えた後には、龍剣士カイン・ブレードの姿があった。
◆
ジュリアの放った
「許せ、わが
ジュリアは無言で二本目の矢を構え、そんな言葉を放った教授に狙いを付ける。
「まあ待て。それはさておき話し合おうではないか」
「こちらの要求は一つ。また旅を続けること」
そんな娘の言葉に教授は一瞬空を見上げ、それから優しげな表情で語りかける。
「気ままに旅をしていられる時間は、もう終わったんじゃ。わしもそろそろ、後継者を育てねばならん」
「それは違う。あんな事がなければ、まだまだ時間に余裕はあったはず」
「なければ、な。じゃが、そんな仮定の話をしてもしかたあるまい」
そして教授は、わずかに語気を強め、娘へと宣言する。
「じゃからわしは公女様の、いや公爵殿下からの依頼に応えたんじゃ」
そして教授は、そもそも……と話題を変える。
「年老いたものが若返ったなどという話、おとぎ話などではなく実話として、聞いたことがあるか?」
「…………」
その問いには、ジュリアは答えない。
「わしらとの旅では、得られぬものもある。仲間を……いや、友を作れと、わしはそう言ったじゃろう」
「それは、ここではなくても……」
「それはどうかのう? この学院に来て新たに得たもの……いや、ここでなければ見つけられなかったものは、何もなかったか?」
「それは……」
「わしは、見つけたぞ」
ジュリアが言いよどんだ隙を突くかのように、教授はさらにその先を口にする。
「正直、ジュリアを学院に預けたら、わしは一人であやつのもとに行くつもりじゃった。じゃが……な。わしももう少し、この学院に残ってみたくなった」
「……それでも……残り時間が少ないなら、なおさら……」
ジュリアの言葉はそこで途切れる。
そして教授は、視線を娘からその後方へと移す。
直後、駆け付けた同級生の足音がその場に響いた。
「何だ……口ではいろいろ言ってたけど、結局あんた、ご両親のことが大す……」
それは駆け付けたレオの言葉だったが、刺すようなジュリアの視線に最後まで言い切ることを許されなかった。
それでも、ジュリアが口を開かなかったのは、レオが家族を失っていることを知っていたからだろうか。
レオに背を向け、これまでとは違うレオにだけ届く声で、ジュリアはささやく。
「私の母は今、仲間と世界中を旅している」
一瞬、ジュリアが母に見捨てられたのかと思った。
ただ、短い間だったが、ジュリアを見ていればわかる気がした。彼女の母が、娘や夫を放り出して気ままな旅を楽しんでいるような人物ではないことくらいは。
「あの人を、元に戻す方法を探して」
「それは……」
何かを言いかけたレオを手で制し、ジュリアは教授を見つめたまま言葉をつなぐ。
「私は、もう少しあの人と話をする」
そのまま彼女は、未だ青い『鳥』を相手取るディアナたちの方を指さした。
「私は大丈夫だから……。だから、今度はあっちを助けてあげて」
◆
「『
魔法の詠唱にも似た『
そのまま、龍剣士の姿を借りたディアナは、炎の剣で『鳥』に斬りつける。
それに対し、『鳥』はゆったりとした動きで翼を広げ、制動をかけた。
まるで見えない足場を踏みしめて舞うかのように、空中でその身をひねり、紙一重で燃える剣をかわす。
それはまさに空を舞う鳥というよりも、水中を泳ぐ魚に近い動きだ。
「『
続けて、彼女の振り上げた左手の剣が青白い電光を帯びた。
『鳥』を指した剣先から
その『鳥』は翼をまとめて振り下ろし、急加速した。小さな爆発のごとき突風を周囲にまき散らし、それまでの動きから想像もできない勢いでディアナから距離をとる。
「っ⁉」
龍剣士に扮したディアナの唇から、小さなうめきが漏れた。
剣に
「動くなっ!」
そこに、
ラルフの細剣が触れると、雷の青白い光は瞬時に
ラルフの力により、雷がもとの龍気に還元されたのだ。
「はあっ……!」
ディアナが大きく息をつくと、その姿は再び彼女自身のものへと戻る。
「あ、ありがとうございます。助かりましたわ」
消耗のためか、ディアナは一瞬よろめいたものの、すぐに体勢を立て直した。
「今のがうわさに聞く、あの魔法か……だが、雷の龍剣はまさに諸刃の剣。迂闊に使えば自分の身を
「おい、まだ終わってねえぞ。油断するなっ!!」
ラルフがディアナに話し掛けるうちに、距離を開けていたはずの『鳥』が再び加速して彼らへと迫る。そこに、斬竜刀を振り上げたレオが、横から割り込んできた。
いや、『鳥』の速度にレオも、はなから武器を当てることを放棄したようだ。せめて攻撃を防ごうと、盾を掲げるかのように刀身を軌道上に割り込ませる。
だがそれも、翼を指のように
「な、何だこいつ!? さっきから動きおかしくねえか!?」
それを追うように振り上げたレオの斬竜刀に、押し返すような力が伝わってきた。まだ、『鳥』の体には触れていないというのに。
「下級とはいえ、そいつも
『鳥』の正体を口にするラルフの声を聞き、駆け付けたレオの背に隠れていたステラは
「あった!」
―動物界 脊椎動物門 真龍綱 鳥龍目 カエロプテリクス科
―その学術名は、古代語で『天の翼』を意味する。翼は、四本の指状の骨に沿って枝分かれし、それぞれがほぼ独立した翼を形成する。前脚に由来するもう一組の翼と合わせ、一見すると五対十枚の翼を持っているかのように見える―
―これらの『翼』より、不可視の揚力に変換された龍気を放出し、彼らは空を飛ぶ。この飛行能力自体は、『
「つまり、なんとかして空から落とせば……」
「と言っても、攻撃が当たらなければどうしようもありませんわね」
「俺もなんとか新たな力を手に入れたがな……その揚力とやらを打ち消すには、間近にまで寄らねば」
ステラが漏らした感想に、ディアナとラルフも弱音とも取れる言葉を吐く。
「そう言えば、あの子って何を食べるんだろ」
「お、おい、ステラ! 今そんなことを言ってるばあいじゃ……」
他の三人が戦闘態勢を取っているのに対し、ステラだけはほぼ棒立ちで上空の龍を見上げていた。
―肉食性で、自分より小型の爬虫類や真龍類を捕食する。上空から急降下し、その翼で包み込むようにして獲物を捕らえる―
「あれ? ブレスとかで攻撃するんじゃないんだね」
「小型の龍種はほとんど
「うわあっ!!」
そんなラルフの言葉は、レオが上げた悲鳴にも似た叫びに
見れば、レオは何かにつまづいたかのように地面に倒れ伏していた。
「ええっと……」
ステラの戸惑った声の後は、戦いの場には似つかわしくない沈黙がその場に流れる。彼らの頭上を舞う龍さえも、眼下の妙な雰囲気から目を逸らしているかのように見えた。
数呼吸の間を空け、耐えかねたラルフがようやく口を開く。
「おい、
「あの龍も反応に困っていますわよ」
「レオは小さい頃から、お芝居とかは下手だったもんねぇ」
「お前ら……」
地面に伏していたレオは、予想していた反応が得られず、不承不承起き上がる。
「っていうか、中身があの
「確かにそれは……にわかには否定し
レオがぶつぶつと愚痴をこぼせば、ラルフも苦い顔で答えた。
「仕方がありませんわね……私があの龍を引きずり落としてご覧に入れますわ」
そう言いつつディアナは、再び手にした羽扇を振るう。
光る霧に包まれた彼女は姿を消し、替わって一人の青年がマントをなびかせながらそこに降り立った。
「あっ!?」
その青年の姿には、レオも見覚えがあった。
先月教授に見せられた
『ふん』
魔道士に姿を変えたディアナは両手を天に掲げ、そこに光の魔法円を生み出した。
それは一瞬で光の投網へと変じ、上空の龍へと襲いかかる。
カエロプテリクスも回避に転ずるが、実体を持たぬ光はさらなる速さで追い
『よし』
魔道士の声で、ディアナは小さくつぶやく。
そうして捕えた獲物を地面に落とそうとした瞬間。
『くっ……』
『彼』の口から低い
元の姿に戻ったディアナも、そのままくずおれる。
「ディアナさん!?」
「お、おい、大丈夫か!?」
「
気遣うステラとレオにディアナは叫び返す。
「さすがにあ奴の力は、魔法の多重使用にあたるからのう。長時間の使用は難しかろうて」
「行くぞ、今のうちにあの龍をしとめる!」
「お、おう!」
上空からかけられた教授の言葉には耳を傾けず、ラルフとレオは地に落ちた龍を目指して掛け出した。
「はっ!」
ラルフが細剣をかざすと、その刃の周りに白い霧が生じる。それは切っ先にまとわり付き、握り拳ほどの氷塊へと変わった。
そのまま龍騎士見習いは、背中の後ろ側にまで右手を大きく振りかぶり、上空の龍を睨みながらそれを強く振り下ろす。細剣は弓のように大きくしなった後、氷の
それは放物線を描き、龍の頭を捉える。浮上しかけたその体は、またしても空中でバランスを崩した。
その間に、レオは斬竜刀の届く間合いまで龍に駆け寄っていた。
「でええぇい!!」
力まかせに振り下ろされるレオの刃を、全身から発する揚力――むしろこの場合、
「まだ……だっ!」
だが、一瞬遅れてラルフが斬りかかる。
彼が新たに身に付けた力は、龍が生み出したばかりの揚力を即座に龍気へと還元する。空を飛ぶ力を奪われた龍は、空中でバランスを崩した。
それでも龍は、まるで足で地面を蹴るかのように、枝分かれした翼でラルフの細剣を打ち据える。龍騎士見習いに封じられた能力に頼ることなく、純粋な翼の力のみでその身を上空へと跳ね上げた。
今度こそ、彼らの得物の間合いを離れた。
そう見えた瞬間――。
飛来した一本の矢が、龍の首へと突き刺さる。
「よぉ、話は付いたか?」
レオが矢の主に声を掛けると、彼女は無表情に彼の顔を見返してきた。
「ん……もう少し、ここにいることになった」
そしてジュリアはレオに、微苦笑を返す。
「また、よろしく」
「おう、よろしく」
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