第二章 学び舎の友
第20話 授業再開
気が付いた時には、すでに体が動かなかった。
巨大な何かに上からのし掛かられたかのように、倒れ付したまま起き上がることができない。
周囲はほぼ完全な暗闇、光さえも
(これは、まさか……!)
心の中を、かつてその身に降りかかった忘れられない悲劇の記憶がよぎる。
だがそれは、すでに何年も昔の出来事のはず。
そんな思考の合間に、低い音が割り込んできた。
いや、これは、『足音』だ。巨大な何物かが、少年とその家族が住むの家の周りを、我が物顔で歩き回っている。
なぜか、彼の位置からは見えないはずの巨竜の姿が、はっきりと見えた。
あれは、
彼の家族と、村の仇だ。
「うあああああああああ!!」
喉も張り裂けよとばかりに、少年は絶叫する。
「お、おい!? どうしたんだ!?」
不意に、そこに別の若い男の声が割って入った。
少年は渾身の力で、上に乗っていたがれきをはね飛ばして起き上がり――
その体が、宙に浮いた。そしてそのまま、彼は自由落下を開始する。
「うおおおおおっ!?」
「うわっ!?」
男二人の悲鳴に続いて、大きなものが床に叩き付けられる音が男子寮の狭い部屋に響いた。
「
「お、おい、レオ……大丈夫か」
「あ……アレックス?」
快活な雰囲気を持つ黒髪の少年が、今は心配そうにレオの顔を覗き込んでいる。寮の二人部屋を共有するルームメイト、アレックス・マンテル。数少ないレオの友人である。
「ここは……?」
「何だ、まだ寝ぼけてるのか?」
「いやあ、最近いろいろあったせいか、またいやな夢を見ちまってな」
二段ベッドの上段から落ちて強打した左肩をさすりながら、レオは起き上がる。痛みはまだ残っているが、幸いにもけがはないようだ。
いまだぼんやりとした目つきで、レオはあたりを見回す。
ここは、かつてレオの住んでいた村ではなかった。
リーフ公国の公都ヴェルリーフにあるリーフ国立学院、その男子寮である。
夢の中の暗闇とは打って変わり、窓からは柔らかな朝の光が差し込んでいた。
アレックスもすでに、パジャマから制服に着替えている。
「大丈夫なら、そろそろ出かけるぞ。急がないと、朝飯抜きだぜ」
「おお、そりゃまずいな」
その言葉にレオは慌てて制服に着替え、アレックスと共に部屋を飛び出した。
そしてまた、いつもの学園生活が始まる。
◆
「さて、授業を始める前に……この紙に書かれたいくつかの動物について、知っていることを書いてもらいたい。これは
アイザック・ローレンス教授による博物学の授業は、教授の都合により休講が続いたせいもあり、今回が二回目だ。
その始まりに、レオたち数十人の生徒を前にした教授は、カバンの中から紙の束を取り出した。
配布されてレオの手元にも回ってきたそれに描かれていたのは、精緻に描かれた五体の獣の姿。
(これは……この前ジュリアが書いてたやつじゃねえか)
そしてその一つには、先月レオたちが遭遇した巨竜をジュリアがスケッチしたものがほぼそのまま使われていた。
レオは最後列から、教壇近くに座っているジュリアの後姿を見る。その表情はうかがいしれなかったが、何か思うところがあるのか持ち上げた用紙を微動だにせず眺めていた。
なお、クラスは決められているが、受ける授業は科目ごとに自分で選択できるようになっている。教室も科目により変わるため、決まった席というものはない。
とはいえ、レオやアレックスはたいてい後方に座っていたが。
(ん? こいつ、なんて名前だっけ……ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ……ヴォ……ヴォ……なんかそんな感じの名前だったよな……)
結局、名前が思い出せなかったので、レオは教授から聞いた話……細部はすでにうろ覚えであったが、それでもある程度思い出せた事を書きこんでみた。
(次は……なんだこりゃ? ウサギ、じゃねえよな、これ……)
二体目は、一見するとその体型はウサギのように見えた。しかし、その口は大きく開かれており、そこにはまるでオオカミのような鋭い牙が並んでいた。
(ウサギって……どんなんだったっけ)
とはいえ、ならば本物のウサギはといわれても、レオにはうまく思い出せない。
ただ、孤児院で飼っていたウサギは、野菜くずなどを食べていた。たぶん、こんな鋭い歯は必要ないだろう。
(しょうがない。今度ウサギ狩りに行ったとき、ちゃんと見とこう)
用紙には、「ウサギみたいな何か」と書き込む。
そして後の三体は、レオにとって全く見覚えのないものだった。
一体目は、ほぼ全身から長いトゲを生やした、まるでイガ栗のような生き物。その端からわずかにネズミに似た頭をのぞかせており、かろうじてそれが動物であるとわかる。
二体目は、牛のようなずんぐりとした体をした、トカゲらしき動物。その頭からは多くの角が前方に向けて伸びている。
そして三体目は、犬だか鹿だか牛だか虎だか、何だかよくわからない動物。
仕方がないので、正直に「知らない」と書いておく。
「さて、そろそろ時間じゃ。後ろの席の者から順に、前に用紙を送ってくれ」
最後列に座っていたレオも一応は五問の答えを書き終え、前の生徒に紙を渡す。
集められた紙束を、教授はパラパラとめくる。レオにしてみれば、そんな一瞬でちゃんと読めているのかと気になるほどの速さだが、ちゃんと内容は理解できているらしい。何か気に障る事でも書かれていたのか、教授の表情が曇っていくのがわかった。
そしてすべての紙に目を通し終えたると、気持ちを切り替えるかのように一瞬目を閉じる。そして、紙の束を再びカバンにしまい込んだ教授は授業を再開する。
「さて、今回はまず、先月この国で発生した、
「ああっ! そうだ!!」
授業中にもかかわらず、思わず大声を上げてしまったレオ。
「なんじゃ、レオ」
教授だけでなく、教室中の視線が少年に集中する。
「質問があるなら後で答えてやるから、今は静かに聞いておれ」
「おう、すまねえ」
教授に向けて軽く頭を下げてから、レオは小さくつぶやく。
「そうだ、ヴォルトサウルス、だったな」
そのままレオは、教授の授業を聞く態勢に入った。
彼なりに集中していたせいか、周りの様子には気づいていなかった。
ただ、隣に座っていたアレックスは、周りから向けられる厳しい視線に気付き、居心地が悪そうにしている。
しかもそれはどうやら、ただ単に授業を邪魔されたから、というだけではなさそうだった。
◆
「まったく、嘆かわしいことじゃ」
ここは学院の学院長室。部屋の中には応接用に設置された机とソファーがあり、ローレンス教授が机の対面に座った男に向けて不満を口にしていた。
その男は、年のころは四十台半ばだろうか。物静かな雰囲気を持つ、細身の男だ。
胸のあたりまで伸ばされた長髪は、白に近い銀色。若いころは闇夜のような黒髪であったが、かつての大きな戦いで限界を超えて魔法を使った結果、このようになったと噂されている。
彼こそが、このリーフ国立学院の学院長。名をケアリー・ライアンという。
「この国で最大の生き物の事を知っているものが、この学院にさえここまで少ないとはのう」
「まあ、これまであまり機会がなかったということでしょう。私だって、実際に見たのは数えるほどしかありませんよ」
学院長と一教授、という立場を考えると、そのやりとりに違和感を覚える者もいるだろう。しかし、ライアン学院長の丁寧語については、たとえ親子ほど年の離れた学院生に対しても同じ、敵対する相手でもない限り変わる事はない。一方教授の方の態度は、かつてのとある大きな戦いの名残りとでも言うべきものだ。
「そもそも、この前の
「お言葉ですが、その場合、報告にあった
「むう……」
学院長の言葉に、教授は腕を組んでうつむき、考え込む。
そしてため息とともに、言葉を吐き出した。
「問題の根は、思いのほか深いようじゃな」
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