第21話 新しい仲間
「問題の、根ですか?」
戸惑ったように瞬きを繰り返しつつ、ケアリー・ライアン学院長はローレンス教授に問い掛ける。
「うむ、当然知っておくべき、このリーフ公国南部の危険な動物についても、知名度は思いのほかに低かったんじゃ」
そう言うと教授は、手元にあった紙を一枚、ライアン学院長の方へ向けテーブルの上を滑らせる。
「これは
そこで学院長は、言葉を止め、額に手を当ててしばし考え込む。
「ああ、
「お主が間違えたらどうしてやろうかと思ったぞ。もうひとつは駄目元で書いておいたんじゃが、まあ、知らんのも無理はないな」
「そう言われましても、私は別に生物学者というわけでは……」
学院長はもともと下がり気味の眉尻をさらに下げ、右手の人差指で頬を掻く。
「何を言うておる。今回のような事件でいちいち学者を駆り出しておってはきりがないぞ。生物学が講義の一つでしかないように、兵士や傭兵にとっても、生物の知識は教養の一つに過ぎん」
「そういえば、国の調査員の方々も例の事件には係わっていなかったようですね」
「今回は緊急ゆえにわしのところに話が来たが……生態調査員も人手不足、後継者不足が深刻のようじゃな」
「たしかに。最近ではやはり、この手の教養系の技能より、戦闘用に直接役立つ武器や魔法の訓練や知識の方が人気のようですねえ」
「それをなんとかするのが、お主らの役目じゃろうに」
やれやれ……と、教授は少々の呆れを含んだ表情で首を横に振った。
「ところでお主、この国に何種類の動物が生息しているか、知っておるか」
「いえ、まあおよそ……三、四百といったところでしょうか」
突然の話題転換に戸惑いながらも、学院長は再び額に手をやりつつ推測を述べる。
「わしもちゃんと調べたわけではないがな、脊椎動物だけで三千種を超えるじゃろう」
「三千!?」
「いや、領海の魚も含めた推定値じゃから、陸上生物では千に届かぬ程度かのう」
「はあ……」
学院長は先ほどから、教授の言葉を否定するような言動をしていたが、決して彼と敵対しているわけではない。問題を解決に導くために、わざと疑問点を明らかにする、そういう会話法である。
ただ、その数字に関してだけは、本気で驚いている様子であった。
「それだけではないぞ。ちゃんと研究調査をしている者も少ないが、昆虫類だけでおそらく三万種以上。他も合わせると、五万種前後かのう」
「それをすべて調べる必要があるのですか」
「この国にどれほどの生き物たちが生息しておるのか。それはいずれ時間を掛けて調べねばならぬ事じゃ。じゃが今は、さしあたって人の生活に影響するものだけでも取りまとめておくべきじゃろうな」
「と、
「それだけではない。毒を持つもの、病を媒介するもの、家畜や作物に被害を与えるもの。それに害だけではないぞ。狩猟や採集、漁業などの対象になるもの、そしてそれらと似て非なるものとの区別点も、知っておく必要がある。何らかの形で人に影響を与えうるものだけでも、軽く千は超えるだろうな」
「それほど大量の知識を授業で教えるのは、難しいのではありませんか?」
「そんなもの、すべて教えるなど無理に決まっておろう。興味を持った者が、自ら学び、経験を積み、そして覚えてゆくしかない。わしらにできるのは、ただそのきっかけを与えることだけじゃ」
「……はい」
その言葉に、学院長も神妙な顔つきでうなずいた。
◇
その後もしばらく、二人は授業の予定やそれに関する問題点などを話し合っていた。
「そうそう、もう一つ言っておかねば」
それも終り、ソファーから立ち上がった教授を、思い出したように学院長が呼び止める。先ほどは教授が学院長室に入るなり愚痴をこぼし始めたので、すっかり伝えそびれていたのだ。
「先日伺いました孤児院の件、教授が出かけている間に、私もタリアさんから話を聞いて手続きを済ませました。あちらで編入試験も実施済みです」
「おお、すまなんだの。それでは……」
教授の言葉に、学院長は大きくうなずく。
「ええ、すぐにでも編入が可能です」
◆
それから数日後。
教授たちのそんなやり取りがあったことはもちろん知る由もなく、レオは教授のいる博物館準備室にやってきて、そこにある本を眺めていた。
まあ、まだまだ難しい言葉は分からないけれど、図鑑に描かれている見たことのない獣たちの姿を眺めているだけで、なかなか楽しかったのだ。
そしていつの間にかレオは、図鑑の世界にのめり込んでしまっていた。
「レオ」
彼のいる部屋に人が入ってきたことにも、そして、自分に向けられた呼び掛けにさえ気付かないほどに。
「レオ!」
「………………」
明るい栗色のロングヘアーをなびかせてレオの横にやってきた少女は、再び彼の名を呼ぶ。
それでもレオは、本に釘づけになったまま、ほとんど動こうともしない。
彼女のダークブラウンの瞳に、困惑の色が浮かぶ。
そして少女は、少年の背後にまわり、彼の眼を両手で押さえてささやきかけた。
「だぁ~れだ?」
「な、何だ!? ジュリア……か?」
不意打ちに一瞬、びくりとその身を震わせたレオは、恐る恐る一人の少女の名を口にする。ジュリアがこんな事をする、というのも予想外ではあったが、女子の声ということで他に思い浮かぶ生徒はいなかったのだ。
「えええええっ!?」
そして背後の少女からは、悲鳴にも近い驚きの声が返ってくる。
「うおっ!? ステラ!? なんでこんなとこに」
振り向いてレオは、それが一月と少し前まで同じ孤児院にいた少女であるとようやく気付いた。その名が出てこなかったのは、彼女がここに来ているとは思ってもみなかったから。
ステラ・D・アーウィンという少女は、レオにとって女友達というか、孤児院時代には男女を問わず唯一の友人といえる存在であった。他に孤児院には、五歳以上年下の子供たちしかいなかったのだ。
友人といっても、同い年でありながら時には姉のように、時には母のように接してくる彼女が、レオは少し苦手であった。
それでも、苦手ではあったが嫌いではなかった。
自分と同じように、幼いころの悲劇によって家族を失いながら、それでも明るさを失わず、年下の子供たちにも優しく接することのできる彼女のことが。
「っていうか、いつの間に教授の娘さんと仲良くなったの!?」
「え? いやまだ、仲良くってほどでも……」
「まだ!?」
ジュリアのことを友人と呼んでよいのか、レオにとっては迷うところであったが。
「いやだから、何でここに……それにその服は……」
いま彼女が着ているのは、リーフ王立学院の女子生徒の制服だ。
「うん。院長先生たちの計らいで、来週からレオと同じクラスに編入できることになったの。今日は荷物の運びこみも終わって、学院長とローレンス教授に挨拶もすませてきたよ」
「そうか、よかったな」
「うん!」
レオの脳裏に院長先生……孤児院のタリア・グリム院長の顔が浮かんだ。そしてレオはさらに、先月の教授とのやり取りを思い出す。
彼女に学院で学ぶ機会が与えられたのは喜ばしいことだが、その裏では一体何が行われたのだろうか。
レオは再会の裏で不安に駆られ、一方のステラも何やら言いたいことを言い出しづらいような風情でもじもじと辺りを見回す。
互いの様子に気付かないまま、しばらく無言の時が流れる。
それを破ったのは、ステラだった。
「ねえレオ、もしよかったら、これから一緒に晩ご飯でも食べに行かない?」
「ん、ああ……すまん、今日はウサギ狩りに行かなくちゃならねえんだよ」
それを聞いて少し拗ねたような表情を見せたステラだが、やがて意を決したよう小さくうなずくと、レオに近づいてきた。
「な、何?」
普段小さな子供たちを相手にしているせいだろうか。レオには時々彼女の距離感がおかしいと感じられる時があった。あるいは、自分も小さな子供扱いなのか。
息のかかりそうな距離からレオの眼を見上げ、ステラは「お願い」の言葉を口にする。
「じゃあさ……その『ウサギ狩り』、私も一緒に連れて行ってよ」
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