第31話 天導の星

「待ってくれっ!」

 ラルフ・ファーレンハイトと名乗った留学生の言葉に、レオは思わず声を上げていた。

「いや、待って下さい」

 直後、相手が従騎士でもある事を思い出し、レオは言葉づかいを改める。


「留学生とはいえ、俺も一年の立場でここにいる。敬語など不要だ」

 横から割り込んできたレオを一瞥することもなく、それでもラルフは答える。 


「英雄とか、そんなことはよく知らねえけど、この人が伊達に教授なんて名乗っていないのは分かるぜ」

「そういう問題ではない」

 教授をかばおうとしたレオの言葉を、忌々いまいまに顔をしかめつつ従騎士の少年は切り捨てた。


「その通りじゃ。もしわしが偽者なら、本物のアイザック・ローレンスはどうなったか、という話になるぞ」

 自分が詰問していたはずの教授からそんな言葉が返ってきて、ラルフは一瞬口をつぐむ。それでも、一瞬の沈黙の後に気を取り直すかのように表情を消して言葉を続けた。


「自分はまだ生まれていなかったが、今より二十年ほど前、アイザック・ローレンスなる人物は……」

 記憶を辿たどるかのように目を閉じ、従騎士の青年は言葉を紡ぐ。教授は少し困ったかのような表情で、彼の言葉に耳を傾けていた。

「他の英雄たちとともに世界を救う戦いに身を投じたと、ドレイク連邦に伝わる記録には残されている。そして、その時の年齢は……十九歳」


「あ……」

 レオの口から、かすかな声がこぼれた。その脳裏には、少し前に聞いたいくつかの言葉が浮かぶ。


『こう見えても、実の親子』『うちにも、いろいろと事情がある』

 これは先月、初めて言葉を交わした日のジュリアの科白せりふ


『もっと若かったような気がするんだよ』『そこからあんなに一気に老け込むもんなのか?』

 そしてこれは、先日アレックスから聞いた言葉。


「とはいえ、どうやって証明したものかのう。言葉で語れどもにわかに信じられるものでもあるまいし。ここで戦ってお主らに勝ったところで、本物の証明にはならんじゃろうて」

 その教授の言葉には、さすがにラルフも気色ばむ。

「それほど自信があるのならば、お相手願おうか」

 腰に差した剣の柄に手をやるラルフ。


「お待ちなさい!」

 そこに再び、ディアナが割って入る。

「なぜ止める?」

「もし、この方が本気になったら、ここはあっという間に血の海ですわ!」

「お主、わしをいったい何だと思っておる!?」

 教授の抗議の声には耳を貸さず、ディアナはラルフに、そしてほかの生徒たちにも向けて高らかに宣言する。

「シェリング公爵家が長女、ディアナ・シェリングが保証いたしますわ。このお方こそ、わがリーフ公国救国の英雄が一人。『天導星てんどうせい』の異名をとる軍師、アイザック・ローレンスその人であります」

 無論、このリーフ公国の住人ならば、英雄たちの存在は知っているだろう。ただ、噂に尾鰭が大量に付いたせいで、彼らの本当の姿を知るものは少ない。

 特に、その姿を変えてしまった教授については、あまり良くない噂があったのも事実である。


「すまんのう。公爵閣下にもお主にも、色々と迷惑をかけたようじゃ」

「礼には及びませんわ。いわばこれは、恩返し」

「恩返し?」

「いえ、恩返しというよりも、罪滅ぼしと言った方がよいかもしれません」

 思わず口にしたレオだけにではなく、居並ぶ生徒たちを見回しつつディアナはさらに言葉を続ける。

「皆さんは子供の頃に、英雄たちの物語を聞いた事はありますか? そこでは、ある者は新たな国の王となり、ある者は姫君と結ばれ、またあるものは莫大な富を手に入れ……そして最後は、末永く幸せに暮らしました、の一言で結ばれています」

 その辺りは、うろ覚えではあるがレオも孤児院で聞いた記憶がある。


「でも、それは文字通りの絵空事。もしくは、脚色された物語にすぎません。現実には……私たちの国を救った英雄たちは――」

 そこでディアナは言葉を止める。


 レオもかつてこの国で起こった戦いのことは、孤児院で聞いたことがあった。国の歴史なんてものに興味を持てなかったため、彼の記録はあいまいだが。

 それでも、断片的に残っている記憶が正しければ……。


「この国とわたくしたちを、そして世界を救った代償に、深い傷を負った方々がいます」

 ある者は癒えることなき傷を負い、ある者は再び戦いの日々に身を投じ、ある者はいつ終わるとも知れぬ旅に出た。戦いの結末を見ることもなく命を落とした者もいた……はずだ。


 それならば、教授は――。

「そして貴方あなたは、のろいのせいでそのようなお姿に……!」

「人聞きが悪いのう……」

 悲痛な表情で悲痛な声を上げるディアナに、教授は苦笑いで応えた。


「そのようなと言われても、これは別に恥ずべきものでも、恐れるべきものでもないぞ。老いとは、人が生きておればいつかは辿たどり着く道。お主らとて、いつの日にか……のう」

 そのような、姿……?


 レオを含め、言葉を発することもままならぬ生徒たちの様子は気にも止めず、さて、と教授は一つ手を打つ。

「今日は貴重な戦闘訓練の日じゃろう。わしの事など、気にしている暇もあるまい」

 そして、教授の差し出した掌に、半透明の宝珠が現れる。


「わざわざこれの使用許可も取ってきたんじゃ」

「それは……前に使った映想珠えいそうじゅとか言うやつじゃねえか。訓練にも使えるのか?」

「違うわ、レオ。この前のとは何て言うか……魔力の、色が違う感じ?」

 ステラが首をかしげつつ、レオの疑問に答える。とはいえ彼女にも、正解は分かっていないようであったが。


「それはまさか、幻闘珠げんとうじゅではありませんか? アゼリア辺りの闘技場で使われているそうですが」

「ディアナ嬢の言う通りじゃ。これはもともと、命の危険を冒すことなく戦闘訓練を行うために作られた物らしいんじゃが、いまでは闘技場で戦いを見て楽しむためのものとなっておる」

 さて、と教授はその幻闘珠を自身の目の高さまで差し上げる。


「い、いえ、あの……教授の御手おてわずらわせるわけには……」

「軍師が前線に立つとか、もはや末期症状」

 先ほどからやけに弱気となっているディアナに続け、ジュリアまでもが何やら教授を押し留めるかのような言葉を発する。


「なあに、心配はいらん。年老いたとはいえ、魔力までは衰えてはおらん」

 答えになっていないそんな言葉とともに、教授のかかげる幻闘珠の中に、蛍火のような弱々しい光が灯った。その直後、生徒たちの間にうめき声と激しい動揺が広がった。


「な、何だ?」

 他の生徒たちがうろたえる理由が、レオにはわからなかった。訓練のためと言っていたが、あの宝珠がそんなに恐ろしいものとは彼には思えない。

 ただ漠然とした不安を抱えつつ、辺りを見回すレオに、誰かが身を寄せてきた。

 そちらに目をやれば、思いのほか近くに、蒼白になったステラの顔が見えた。

「な、何だよっ!?」

「だって、あれ、すごい魔力だよっ! すごい人って聞いてたけど、いやすごい人って知ってたけど、思ったよりもずっとすごかった!」

「落ち着け! さっきからすごいしか言ってねえぞ」

 事態を理解していないのは、レオのように魔法の素質のない、魔力を感じ取れないものだけ。ステラの反応を見ても、やはりレオにはその『凄さ』はよくわからない。


「あれは本来、十人近い魔道士たちが交代で維持するもの。自慢じゃないけど、あれを一人で使えるのは、普通の人間には無理」

 自慢じゃないと言いながらも、ジュリアの声にはどこか誇るような響きが感じられた。だが同時に、その口調は何かを恐れるかのように、これまでよりも弱々しい。

「普通の人間にはと言われましても、そんなことができるのはこの国でも五人といませんわ!」

「それが自慢じゃなければ、何だって言うんだよ」


「まだ訓練は始まってもおらんぞ。今から弱腰になってどうするんじゃ」

 小さかった幻闘珠の光はいつしか宝珠全体に広がり、励ましとも挑発ともとれる言葉を放つ教授の顔をあやしく照らす。


「さて、この幻闘珠、強力な代わりにいくつか制約がある。その一つが、抵抗するものには効果を及ぼせぬことじゃ。訓練を望むものは、力を抜き効果を受け入れてくれ。望まぬならば、ただ心の中で拒否するだけでよい。それでは、ゆくぞ!」

 生徒たちの声を無視して、幻闘珠が一瞬、ひときわ強い光を放つ。

 その瞬間、魔力を感じ取ることのできないレオにも、何か熱いものが体の中を通り過ぎていったような感覚があった。だが、レオが自身の体を見下ろしても、辺りを見回しても、特に変わった様子は見られない。


「これで、準備完了じゃ。今お主らが見ておるのは、幻闘珠の生みだした幻の世界。その力の影響下では、たとえ致命傷を負っても命を落とすことはない。何の遠慮もなく、戦闘訓練が楽しめるぞ」

「楽しむもんなのか、それ?」

「そりゃあ、苦行よりは楽しみながら強くなれる方が、理想的じゃろう?」

 そんなもんなのかと考え込むレオに代わり、ラルフが教授に向け声を張り上げる。

「それならば、貴公から一手御指南頂けるのか」

 いやいや、と教授は首を横に振る。


「そもそも、わしが戦うならばこんなものはいらん。戦いの相手は、ちゃんと用意するぞ」

 その言葉に続けて、教授を守るように五十頭余りの小型の竜の群れが彼の周りに現れた。

「兵士や傭兵とはいえ、人間と戦うばかりではないぞ。じゃが、獣たちとの訓練の機会などほとんどあるまい。いい機会じゃから、とくと経験を積んでおくがよい」


 次々に出現する竜たちは、すべて同じ種のように見えた。

賊蜥蜴サウロラプトルじゃ。まずは、一人につき一頭用意したぞ」


 サウロラプトルと呼ばれた竜は、体型は暴食竜レマルゴサウルス地走竜ジオドロメウスに似た二足歩行の爬虫類レプタイルだった。

 だが、黒い縞模様を持つ土色のその体は、レオの見た事のある他の竜に比べてかなり細身、というより華奢きゃしゃな印象さえ受ける。

 ただし、大きく裂けた口の中には小さいが尖った牙が並んでいるし、前足だけでなく、後足にも鋭い爪を備えている。

 特に注目すべきは、後足の指のうちの一本。そこの爪だけは、他のと比べて異常といっても過言ではないほど、草刈り鎌にも似た形状に大きく発達していた。

 その大きさは、頭の高さはレオの胸辺り、鋭い爪を持つ前足の高さが腰のあたりまで。後方に長く伸びる尻尾を含めた全長は、3メートル弱といったところか。


「ステラ、少し俺から離れてた方がいいぞ」

「わ、わかった。レオも、気を付けてね」

「おう」

 いずれにせよ、油断の出来る相手ではなさそうだ。レオは背後のステラに気を配りつつ、背中の鞘から斬竜刀を引き抜く。

 

「さて、わしは高みの見物といくかのう」

 その言葉に合わせるかのように、幻闘珠が再び強い輝きを放つ。

 続けて、光の中で教授の足元から巨大な影がせり上がってくるのが見えた。


 光が薄れ、影の正体が明らかになると、再び生徒たちの間に先ほどよりも大きなざわめきが広がる。今度は、レオにもその理由がすぐに分かった。


 皆の眼前に鎮座するのは、翡翠ひすいにも似た淡い青緑の鱗を持つ爬虫類レプタイルではなく、四本の強靭な足と一対の翼を持つ、正真正銘の真龍類ドラゴンだ。


「エメラルド・ドラゴン!? 正気か!?」

 その姿を見て、龍騎士団の所属であるラルフが叫ぶ。

「高みの見物と言ったろう。そちらから手を出さぬ限り、攻撃はせん」

 まるで本物の龍騎士のように、教授はドラゴンの背にまたがり、その首に触れて指示を送る。


『ピイイィィィーーーーーーーー!!』

 どこか鳥を思わせる姿と同様に、その声もある種の鳥のように甲高い。

 そして、扇にも似た翼を大きく広げた龍は、風を巻き起こし垂直に空へと舞い上がった。


 さて、と教授は、この訓練の本来の指導者であった若い教官に目をやる。

「それでは、ここはわしが仕切らせてもらうぞ」

「仕方がありませんな……自分は外から見させてもらいますよ」

 何やらもの言いたげなその返事を聞いて、教授は大きくうなずく。教官の姿が、その場から消えたのを確認すると教授は、空の上、ドラゴンの背から一同を見下ろして宣言した。


「これより、戦闘訓練を開始する!」

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