第30話 戦闘訓練

「待った、アーウィンさん」

 アレックスは、レオに絡んできた生徒たちの様子に眉をひそめる。それでも、すでにそのような噂は耳にしていたらしく、驚きの表情は見られない。

 彼は駆け寄ろうとしたステラの前に立ちふさがり、静かに首を横に振る。


「あいつらは貴族のご子息ってやつだ。下手に手を出して、目を付けられない方がいい」

「で、でも……」

「こういうときは、力のある奴に頼るんだ」

 そしてアレックスは、助けを求めて辺りを見回す。


 彼がまず頼ろうとしたリチャードは……別の女生徒に絡まれているようだった。


    ◇


「久しぶりに、勝負といかないかい?」

 リチャードは、貴族の子息たちに絡まれているレオの様子には気付いたものの、自身も顔見知りの少女に纏わり付かれて動けずにいた。


「さすがに国が違うと、なかなか会えないからなあ。やっぱり留学生に立候補してよかったよそれに、最近は許嫁いいなずけのボクを差し置いて、他の子の相手をしているそうじゃないかい?」

「……! 声が大きいですよ!」

 リチャードの制止も間に合わず、北の国・エルミナ王国からの留学生であるジャンヌ・ドラクロワはそんなことを口にする。

 周りの生徒たちの間で、どよめきが広がった。


「……ちょっと待って下さい、ドラクロワさん。今は他になすべきことが……」

「冷たいなあ。ボクの事はジャンヌと呼んでおくれよ。」

 健康的に日焼けした身体を見せる半袖半ズボンの装束に、戦闘用の籠手こて脛当すねあてを身に着けていた。


 もちろん、学院には指定の制服が存在する。

 兵士や冒険者、傭兵などの職業訓練施設でもあるこの学院では、制服もある程度の戦闘服としての機能を備えていた。

 レオも今は、制服のまま訓練に参加している。戦闘訓練の際には、多くの生徒は制服か、女生徒は訓練用のパンツルックに着替えている者も多い。


 一方、ジャンヌ以外にも、個人で用意した戦闘用装備を身に着けた者も散見された。リチャードも今は、彼の戦闘服であり、ほとんど私服と化している深紫の装束をまとっている。


「……許嫁と言っても、あなたの父君ちちぎみが勝手に決めた事じゃないですか。貴女あなたもそれに唯々諾々いいだくだくと従う必要は……」

「でも、ボクを傷物にした責任は取ってもらいたいなあ」

「妙な言い方はやめて下さい! あれは試合の結果です!」

 挑発するようなジャンヌの言葉に、普段の彼にしては珍しくリチャードは声を荒げた。


「お静かに!!」

 そんな彼らの様子を見かねたか、ディアナが声を張り上げる。


「ジャンヌ、今は授業中ですわ。個人的な訓練は放課後にでもなさいまし」

「ああ、すまないね」

「リチャードも、嫌なことは嫌とはっきり言ってもいいんですのよ」

「……いえ、決して嫌というわけでは。ただ、時と場所はわきまえていただきたいです」

 そうしてジャンヌたちを軽くたしなめた後、彼女はレオたちの方に向かった。


    ◇


「あの教授が、俺の父さん……?」

 予想外の言葉に、レオは思わず眉をひそめる。


「そんなんじゃねえよ。もう……会えないけど、俺の父さんは一人しかいねえ。教授には世話になってるけど、この前会ったのが初めてだぞ」

「ほお……親子でもないのに、あれだけえこひいきしてもらえるってのか?」

「えこひいきって、別にそんなことは……」

 レオの言葉は、途中で途切れる。最近、教授のところに入り浸るようになっているが、あくまで仇打ちのための勉強と修行が目的だった。

 それでも、他人からはえこひいきのように見えるのだろうか。


「ダリウスさん。こいつ、俺たちが誰なのかわかってないみたいですぜ」

「あくまでとぼけるようなら、立場の違いってやつを教えてやらないと」

 取り巻きと思われる二人の少年も、口々にたきつけるようなことを言う。


 それにどう対応すればいいのかレオが考えるうちに、横から少女の声が掛かる。

「ダリウス・スペンサーさん」


 ダリウスと呼ばれた彼はスペンサー伯爵家の三男であり、彼の取り巻きとも言える二人もやはり貴族の子息である。


「こ、これは、ディアナお嬢様……」

 これまでの威勢はどこへやら、ダリウスもその取り巻きも目を泳がせ始める。


「俺たちはただ、こいつに立場の違いというものを教えてやろうとしただけだ。別にやましいことなどしていないぞ」

「この学院に入った時から、わたくしたちはみな同じ生徒ですわ」

 そんな彼らにはっきりとものが言える数少ない例外が、公爵令嬢でもあるこのディアナ・シェリングなのだ。


「それに、立場の違いとおっしゃるのでしたら、まずは貴族が率先して市民の皆様に模範を示さねばなりませんわね」

「くっ……」

 

 三人は顔を見合わせ、他人に聞こえぬ声で何やらぶつぶつと言い合っていたが、やがて舌打ちをしながらその場を離れていった。


「ええと……」

 残されたレオは、少しの間かける言葉に迷った後、まずは素直に礼をすることにした。

「お嬢様……この度はお口添えをいただき、誠にありがとうございました」

貴方あなた……」


 レオの顔を驚いたように見つめた後、ディアナは棘の感じられる態度で答える。

「別にお礼を言われるような事をした覚えはありませんわ。それに、敬語も不要です。さきほども申し上げましたように、貴族とか公女以前に、私もこの学院では一人の生徒ですから」

「……でも、そっちだって敬語を使ってるじゃないか」

 少し悩んだが、レオは同級生に接する態度で話してみた。


「私のこれは貴族のたしなみですので、お気になさらず」

 そっけなくレオに答えると、それよりも……とディアナは言葉を続ける。


「敬語が使えるのでしたら、あのローレンス教授への態度は何なのです!」

「え?」

 思わぬ方向からのに、レオは戸惑い、出会いから一月足らずのことを思い出す。


「いや、最初に会った時から、何となく……」

 正確には、仇の姿を見せられ頭に血が上った状態での初対面から、特に態度を改めようと思っていなかっただけの話だ。教授の方も特に気にする様子もなかったもので、改めて接するのは何だかよそよそしく感じた、というのもある。


「そんなことですから、貴方あなたが教授の隠し子なんて、根も葉もないうわさが広がるのですわ!」

「ちょっと待て! 別におれが教授に似てるってわけでもねえだろ?」

「顔が問題なのではありません」


 そこでディアナは、まじまじとレオの顔を見つめる。

「な、何だよ……?」

「本当に貴方、あの方の子供ではないのですか!?」

「いや、だから疑うならば教授に聞けば……」

「いえ、ローレンス教授ではなく……」

 そこでディアナは、何かに迷ったかのように口ごもる。


「ただの他人の空似」

 口を挟んできたのは、ローレンス教授の実の娘であるジュリアだ。


「そもそも、私たちがこの学院に来ることが決まったこと自体最近のこと。もし子供だったとしても、それを隠す理由も必要もない」

「ああ……まあ、そういうことだな」

 レオも彼女の言葉に同意したのち、それよりも……とディアナに向き直る。


「それより、貴族の人たちに逆らうような事になったみてえだけど、大丈夫か、これ?」

「あの方たちも、お父様方はちゃんとした方なのですが……今後何かあるようでしたら、遠慮なく教授の方々や私にご相談下さい」

「いや、俺じゃなく、教授の方なんだが。俺の方は、まあ、しょうがねえけど……教授はやめるわけにもいかねえだろ」

「あの方は……」

「辞めても構わない」

 ディアナの言葉に被せるように、ジュリアの言葉が響いた。


「私も、ローレンスの娘。父がここから出ていくというのなら、どこまでもついて行くだけ」

「出て行くって、それは貴女あなたが決める事でもないでしょう」

「これはわたし……というか、私たち家族の問題」

 詰め寄るディアナから視線をそらしつつも、ジュリアはきっぱりと言い放つ。


「こんなところに留まっているより、世界を旅したほうが多くのことを学べる」

「こんな、ところ……?」

 歯に衣着せぬジュリアの言葉に、ディアナは顔色を変える。


「レオも、私たちと一緒に旅に出る?」

「え? いや……でも、まだ入学したばかりじゃねえか」

「別にここで学ぶ必要はない」


「ここで学べることの半分は、これまでの旅で学んできた。残り半分は、これからの旅で学べばいい」

 その反応に気付かず、いや、おそらくは彼女のことを無視して、ジュリアは淡々と言葉を紡ぐ。


「ならば……っ!」

 怒りで顔を紅潮させたディアナは、制服の胸ポケットから手袋を引き抜いた。

「お、おい! 今戦闘はしないって言ったばかりじゃ……」

「その言葉、今ここで証明して見せなさい!!」

 レオの制止にも耳を貸すことなく、彼女の投じた手袋は緩やかな曲線を描いてジュリアの元へと飛び……。


「いやあ、すまんすまん。すっかり遅くなってしもうた。ん?」

 そして少女の手前で、唐突に出現した人影にぶつかる。


 顔に被さった手袋を取り上げたその人物は、それを眺めつつしみじみとつぶやく。

「おお、決闘の申し込みとは……何年ぶりかのう」


「あ……ローレンス、教授……?」

 それまでの強い怒りを含んだ態度から一変して、ディアナは血相を変えて教授に呼び掛ける。

「お、お待ち下さい! わたくしは決して、貴方あなた様に盾突くつもりなど……!」


「何やら妙なことになっておるようじゃが……」

 そのディアナの様子を見て、説明を求めるかのように教授はジュリアを見る。


「ちょうど、レオの出生について話題になっていたところ」

「何か、俺がえこひいきされてるって話なんだが」

「えこひいき……のう」

 そう言うと教授は、ばつが悪そうに頭を掻く。


「えこひいきというよりむしろ、初対面の時に荒療治が過ぎたとは思わんでもないが」

「ええっ!? 一体何事です!?」

「ちょっとレオ! 何があったの!?」

 ディアナだけではなく、ステラまでもがレオに食ってかかる。


「荒療治というほどでも、なかったと思うがなあ」

 ただ、当のレオはあまり気にしていない様子で頭を掻いた。


「熱心に教えを請うものを邪険に扱うわけにもいかんじゃろう。うちの教室所属となれば、ちゃんと指導を行わねばなるまい」

「ローレンス研究室所属!? いつの間にそのようなことになったんですの!?」

「ええと……最近、かな」

 実はまだ申し込みもまだしていないのだが、ここは所属ということにしておいた方がよさそうだ。レオはそう判断してうなずく。実際に部屋に入り浸って本を読んでいたのは確かだし、最近も釣り士の件などで世話になっている。


 さて、と教授は胸の前で組んでいた腕をほどく。

「言いたいことは色々あるじゃろうが、それに関してはまた放課後にでも話してくれんかのう。他に急ぎの質問がないのなら、そろそろ戦闘訓練に移りたいんじゃが」


「それならば、こちらからもお聞きしたい」

 教授の言葉に、少し離れたところから返事があった。


 進み出てきたのは、短く借り上げられた黒髪の青年。彼は学院の制服ではなく、白を基調とした衣服に短いマントを羽織っていた。

「ドレイク連邦は白龍騎士団所属の従騎士、ラルフ・ファーレンハイトと申す者」

 彼はジャンヌやフローラと並び、今年度に周辺諸国から受け入れられた三人の留学生の一人である。


「アイザック・ローレンス殿にお尋ねする」

「お待ち……」

「ふむ。わしに分かる限りお答えしよう」

 彼の態度に気色ばむディアナを制し、教授はラルフの前に進み出た。


 それに対し、鋭いというよりも敵意すら感じさせる眼差しでラルフは問い掛ける。


貴公きこうは本当に、かの戦いにおける英雄なのか?」

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