第33話 異大陸の獣

 リチャードの攻撃を受けた雷星鳥メテオルニスは、わずかにバランスを崩したものの、すぐに何事もなかったかのように旋回飛行を再開した。


「……教授」

 それを見たリチャードは、彼にしては珍しく不満げな声を漏らす。

「おお、リチャード。あれからひと月足らずであの技を習得するとは、なかなかやるではないか」

「……おめに預かり、恐悦至極きょうえつしごくです。しかしながら、初見であの技をいきなりかわすほどの知能が、あの龍にあるものでしょうか」

「む!?」

 思わぬ方向からのリチャードの反撃に、教授は低くうめく。


「ええと……おお、そうじゃ」

 教授はしばし言いよどんだ後、はたと手を打つ。

「この前言ったはずじゃ。電波による探査を行う、と。大気の乱れがあれば、回避くらいするじゃろう」

「……教授も今思い出したようですね。先ほどのはとっさの行動ですか」

「う、うむ。まあ、結果は同じ、ということになるのう……」

「……ええ、まあ。中身が教授、というのはいささか……いえ、非常に厄介ですが、だからといって手心を加えられても困ります……」

 わずかに不満を含んだ声でそう言った後、リチャードは再び風迅槍の構えを取る。


「……では、今しばらく僕の修行に付きあっていただきますよ。ローレンス教授」


    ◇


「さて、次はお主らじゃが……」

「いや、教授……リチャードの相手をするんじゃねえのか」

 レオは放置されたかたちのリチャードの方を気にする。彼は上空の龍を睨み続け、龍は機をうかがうかのように旋回を続けていた。


「あちらは自律行動に切り替えたから、とくに問題はないぞ。お主らも、待つ間は手持ち無沙汰じゃろう」

「何言ってるかよくわからねえんだが……」

「ええっと……教授が全部見ていなくても、魔法で作った鳥が勝手に戦ってくれる、ってことかな?」

「ステラ嬢のいう通りじゃが、勝手にというのは少し違うぞ。その原理は魔動兵ゴーレムと同じじゃが、条件によりいくつかの行動が切り替えられるようになっておる」

「まあ……すごいってことはわかった」

「貴方もすごいしか言っていないではありませんか」

「いや、実際すごい事なんだよ。うまく説明できないけど」

 レオのことをフォローするかのように、ステラがディアナに言う。

「ローレンス教授のすごさなど、物心つく前からよく存じております」

「なんであんたが自慢げなんだよ……」


 そんなレオたちの話には加わらず、ジャンヌは教授に向けて手を挙げ、飛び跳ねてその気を引こうとする。

「はい! はい! ボクは、白帝虎びゃくていこと戦いたいです!」

「無茶を言いおるのう。白帝虎カタレフコスなんぞ、わしも生きたものを見たことはないぞ」

 そう言いつつ教授は、値踏みするかのように空からジャンヌの姿を眺める。


 白帝虎カタレフコスとは、『虎を狩る虎』の異名を持つ最強のトラの名だ。

 ここリーフ公国から見て、大山脈をはさんで北に位置する国々に生息する大型ネコ科肉食獣の一種。暴食竜レマルゴサウルスなどと並び、この大陸で五指に入るとされる危険な獣の一種である。

 それと同時に白帝虎びゃくていこは、エルミナ王国の五虎将ごこしょうの一人である彼女の父の持つ称号でもあった。


「ふむ。獣神拳か……ならば、こいつはどうじゃ?」

 教授の持つ幻闘珠から産み落とされ、一羽の鳥が大地へと降り立つ。空を自由に舞う鳥とは思えない、激しい地響きを伴って。


 それもそのはず、それはいわゆる『飛べない鳥』と呼ばれるものであった。


 卵型の胴体から上下に伸びる首と足は、獣たちのそれに比べれば細いとはいえよく目立つ。ほぼ全身が若草にも似た青緑の羽毛で覆われているが、翼に当たる部分の羽毛は発達が悪く、飛行のための機能は失われている事が一目で見てとれた。


『クワッ! クワァッ!!』

 遥かな昔に翼ではなくなった両腕を大きく広げ、その鳥は威嚇を繰り返す。

 それに対しジャンヌは、右足を一歩踏み出し、前に突き出した右手は肩のあたりに、左手は腰にそえるように半身に構える。


「エルミナ王国五虎将の一人、『白帝虎びゃくていこ』が一子、ジャンヌ・ドラクロワ。推して参る!!」

 そして、最強のトラの異名を称号に冠する将軍の娘と、大地に降りた鳥の戦いが始まった。


    ◇


「さて、レオ。お主の相手は、こいつじゃ」

「何だこいつ? 白い……虎?」

 レオの戦闘訓練の相手として教授が用意したその獣は、彼の言葉通り一見すると大型のネコ科動物に見えた。その大きさは、時おり街中で見かける大型犬ほどだ。

 ただ、通常の獣とは違って砂色のその体には毛がなく、ざらざらとした質感に見えた。

 目立った特徴は、上顎うわあごから下に向けて伸びた口の中に収まりきらないほどの一対の牙。それは自身の頭と同じくらいに長く、草刈りがまのような形状をしていた。


「さあて……今、わしは敵じゃからのう。詳しく教えるわけにはいかんぞ。まあ、わからぬ事をいつも誰かが教えてくれるとは限らん。では、ゆくぞ!」

 教授の掛け声に合わせ、はレオへと飛び掛かった。

 一瞬出遅れたものの、振りかざされる鎌のような牙を砕いてやるとばかりに、レオの斬竜刀がそれを迎え撃つ。


 何とか敵の攻撃を受け止めることに成功したレオだったが、その力は予想外に強く、押し倒されそうになるところをかろうじて踏みとどまった。

 とはいえ、そこで動きが止まってしまう。両手で柄を握り締めていては、力が入らない。隙をついて右手を刀身の方へと動かすが、相手を押し返すには至らない。

 獣の口から洩れる生臭い息が、レオの顔へとかかる。

 このまま力比べが続けば、レオの方が先に力尽きてしまいそうだ。


「くそっ!!」

 全身で反動を付けて右足を蹴り上げ、獣の横っ面に叩き込んだ。

『グッ!』

 くぐもったうめき声を漏らし、敵はバランスを崩す。そのまま牙を振り回すかのように頭を振る相手に対し、攻撃を仕掛けかねたレオも二歩ほど後退して距離をとる。


『グウッ! シュウウウゥ……』

 獣の吠え声、というよりも喉から空気が漏れるような音を発しつつ、敵はレオの側面に回り込もうとする。だが、彼の後ろにはステラやディアナもいる。

「ここは、通さねえよ!」

 斬竜刀を盾のように構え、横に移動する獣の前に立ちはだかる。

 だが、それだけでは味方を守ったことにはならない。それを実感したレオは、隙を探すように敵の目を見つめ続けていた。


「あ! そうだ……っ!」

 不安げにレオを見守っていたステラが不意に叫ぶ。

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 その声に応じ、彼女の目前に半透明の魔力の板が浮かんだ。


「その魔法はまさか、ローレンス教授の!?」

 それを見たディアナも驚きの声を上げる。


「ええっと、四足獣、色は白……でいいのかな」

 そうつぶやいたステラが魔力の板に触れると、メモのような小さな映像が少なくとも四、五十枚、一気にその周りに湧いて出た。

「わ! わ! わぁっ!? ちょ、ちょっと待って」

「落ち着きなさい! そんなに慌てては、せっかくの魔法も台無しですわ」

 実戦でこの魔法を使うのが初めて、というより実戦自体が初経験のステラは、予想外の事態に混乱する。それでも、「ちょっと待って」というあいまいな指示に従い、映像の噴出はひとまず停止した。


「その竜の名は……」

 その様子を見かねたか、手にした細剣でまだ残っていた賊蜥蜴サウロラプトルを斬り捨てたラルフが口を開く。


「おっと、そう簡単にわかってしまっては、面白く……いや、経験になるまい」

 それをさえぎるように、またしても教授の手から光の弾が飛んだ。

 螺旋を描き飛ぶ光弾の軌跡が、ラルフの眼前で青白い鱗を持つ蛇の姿へと変わった。

「これは、ッ!!」

 蛇は幾重にもとぐろを巻いたその体を一気に伸ばし、ラルフに飛び掛かる。同時に首周辺にある肋骨が左右に開き、翼のような突起を形作った。

 それは見かけ以上の浮力を生みだし、蛇の体は弧を描いて龍騎士見習いの頭上へと舞い上がった。


    ◇


「あの人は確か、ドレイク連邦龍騎士団の従騎士って言ってた。それに、あの生き物の事を『竜』と呼んだ……それなら」

 ラルフの言葉は途切れたまま終わったが、ステラはそこから手掛かりを掴んでいた。


「分類:爬虫類レプタイル! 分布域:ゼムゼリア大陸!」

「ほう」

 上空からそれを見ていた教授が、感心したような声を上げた。


「こ、これかな? 双鎌竜ディファルクス!」

 他にもいくつかの情報から絞り込みを行い、ステラは一つの結論を導き出す。その選択に従い、ある竜の情報が光の板に映し出された。


双鎌竜ディファルクス

-動物界 脊椎動物門 爬虫綱 獣竜目 ディファルクス科 双鎌竜ディファルクス

-その学術名は、古代語で『二挺にちょうの鎌』を意味する。それは、口内に収まりきらないほど発達した二本の牙の形状に由来する-


「いや、こんなのはいいから、もっと戦いの役に立つものを……」


-ゼムゼリア大陸北部に生息する、中型の肉食獣。体長は最大で3メートルに達する-


「3メートルで中型!?」

「やはり、ゼムゼリアはこちらの大陸とはかなり違うようですわね……」

 その言葉を耳にしたディアナも、ステラと具現化した竜を交互に見ながらつぶやく。

「とはいえあの竜はおよそ1メートル強……まだ若い個体というわけでしょうね」

「さすがに、育ち切っちゃったら、勝ち目はないのかなあ……でも、若い個体なら何とか……」


-未成熟個体は、発達した二本の牙にやすりに似た突起を多数持つが、成熟した個体では摩耗まもうのため突起は失われている。これは、まだ狩猟が不得意な若い個体において、大型の獲物に止血困難な裂傷れっしょうを与え、失血死を狙う効果があると考えられている-


「し、失血!?」

 その記述を呼んだステラの顔からも血の気が引く。

「レオ!?」

「お待ちなさい! 見たところ丸腰のようですが、あの獣と戦うすべはお持ちですの?」

 血相を変えてレオの方へ向かおうとしたステラの手を掴み、ディアナは無謀な突進を引き止める。

「な、ないけど……ないけど! あなたにとっては……嫌な相手でも私にとっては大事な人なの!」

「だから待ちなさいというのに! 私たちの恩人に向ける態度は気に入りませんが、だからと言って見殺しにするほど私も狭量ではありませんわ!」

「え……っ?」

 その言葉に、ステラの体から力が抜ける。


「それに、暴食竜レマルゴサウルスの骨ならば、私も見た事がありますが……あれと戦いたいというのならば、あの程度の竜など簡単に倒してもらわないと」

「おう!」

 その言葉は、レオに届いていた。


「お嬢様の言うとおりだぜ。俺もまだまだ修行が足りねえ」

 視線は油断なく対峙する竜に向けたまま、レオは力強く叫ぶ。


「俺もまずは、一人で戦ってみる。ま、敵わねえようなら、また力を借りるかもしれねえが、な」

 そう言うとレオは、竜の隙をうかがうかのようにゆっくりと歩を進める。


「獣相手なら、正々堂々一対一などということを考える必要はありませんわ。普通は飛び道具か罠でも使うのが定石……」

 ディアナが呆れと諦めを含んだ声でつぶやく。


「さもなくば、複数でかかるのがいいのでしょうが……」

 それからディアナは、上空に視線を向けた。


「問題は、それをあの教授が黙ってみているか、ですわね」

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