第39話 自然界を記する

「おい、何かくさくねえか?」

 戦闘訓練から数日後。教授から仕事があると呼び出されたレオは、町を出て二人で近くの森を訪れていた。


 そこにあったのは、おりに閉じ込められた大型の魚のようなしかばね。屍は体長が1メートル半ほどあり、それを収めた檻はレオも横になれば楽に入れそうなほどの大きさであった。

 そしてその横には、それが半分近く埋まりそうな掘りかけの穴が開けられている。


「今日の仕事は、これを土に埋めることじゃ」

 そう言いつつ教授は、檻のそばに置いてあった2本のシャベルを拾い上げ、1本をレオに手渡した。


「途中までは掘ってもらったがのう。頼んでいた者に別の用件ができて来られなくなったんじゃ」

「っていうか、この死体、どっかで見たような気がするんだけど……」

「いや、こいつはお主が釣った電魚竜ケラブニクチスじゃぞ。もう忘れたのか?」

 言われてみれば、確かににそれは見覚えのある『魚』のものであった。


「あれ? でもこれ、もう捨てるっていうか埋葬しちまうのか」

 せっかく持って帰ったのに、というレオの小さなつぶやきを聞き逃すことなく、教授はレオに答える。

「いや、これから骨格標本を作るんじゃ」

「ヒョーホン? ってまさか、あの腐った肉を全部剥がしていくのか⁉」

 離れたところにまで漂ってくる腐臭に、レオは顔をしかめる。


「小さな獣ならともかく、あのサイズでそれをやると大変なことになるぞ。じゃから、あとは虫たちに任せる」

「虫?」

「そうじゃ。土に埋めておけば、虫やその他小さな生き物たちが、少しずつ肉や脂肪を食べ、分解してくれるんじゃ。一年ほども待てば、きれいに骨だけになるぞ」

「へえぇ、そんなやり方もあるのか」

「さて、腕力強化の魔法もかけてやる故、今日中には埋めてしまうぞ。本格的に腐り始めると面倒じゃからな」


 それからしばらく、無言で穴掘りに集中していた二人だが、飽きてきたのかレオが声を上げた。

「なあ、教授」

「何じゃ、レオ」

 レオも教授も、シャベルを動かす手を止めずに会話を続ける。


「あいつ……ステラに危ないことを教えないでくれよ」

「危ないこと? わしもこの国から教授を任されておる身。誓って生徒におかしな真似をするつもりはないぞ」

「いや、また色々と魔法を教えたりしてただろ……この強くなる魔法だって、まだ実験中の奴じゃねえのか」

「それは大丈夫じゃ。ちゃんとわしの体で試しておる」

「おぉい⁉」

「技術にせよ魔法にせよ、安心して使うにはある程度の試験が必要となる。もちろん、犠牲はなるべく減らすようにするがのう」

「そうやって怪しいことばかり言うから……」

 言葉を選ぼうとしてか、レオは一旦口をつぐむ。


 先日の戦闘訓練の一件で、ローレンス教授の評判は少し上がった。

 かつての大きな戦いで英雄とされていたものの、それは生徒たちの生まれる前の話。突如として学院に現れた老人のことを、胡散臭く思う者たちも少なくなかった。

 確かに良い評判は増えたにせよ、教授の噂には彼の行動を揶揄するものがつきまとう。


「あの博物館だって、『英雄の道楽』なんて言われているみたいじゃねえか」

「何じゃ、お主までそんな誰が言い出したかもわからんうわさに惑わされておるのか」

「いや、惑わされるっていうか、実際話している奴もいたぞ。何か悪い影響とか出る前に何とかした方がいいんじゃねえか」

「そもそも、英雄の道楽とやらの何が問題なんじゃ?」

「……えっ?」

 教授に関する悪い噂は気になっていたが、予想外にあっさりと返されてレオは言葉を失う。


「そもそもこの博物館なるもの、歴史を紐解けば、王侯貴族や金満家きんまんかが金にあかせて芸術品や珍種の生き物などを世界中から収集したのが始まりと言われておる」

 そこで教授は初めてシャベルを持つ手を止め、レオに向き直った。腰に手をあて、胸を張る。


「いわば博物館の起源とは、『金持ちの道楽』である!」

「…………そう……なの……か?」

 どう反応すればいいのかよくわからなくて、レオは生返事とともに穴掘りを続ける。


「別にわしは、博物館がやりたくて英雄になったわけではないがのう」

「いや、そんなことを言われても……そもそも英雄じゃなかったら、博物館なんて作れなかったんじゃねえのかよ」

「作れなんだとは言わんが、今よりもっと怪しまれておったかもしれんのう」

「だめじゃねえか、それ」

「ま、昔から学者になるのが夢だったからな。英雄になったのは巻き込まれたのもあるが、それがきっかけで博物館作りなんてものができるようになったんじゃから、人生わからんのう」

「夢といえば、そういやステラの話をしてたんだった!」

「おお、そうじゃったのう」

 教授の話を聞きながらシャベルを動かしていたレオが、はっと気づいて声を上げる。


「あいつの夢は、料理の腕を磨いてレストランを開くことなんだよ」

「レストラン……のう。その話は、初耳じゃな」

「だから、大きな町の中で平和に料理人をやってれば、危ねえことなんて、する必要ねえだろ」

 町中まちなかに危険がないわけじゃないぞ、とは思っても教授は口には出さない。レオが考えているのはおそらく、かつて彼の家族を襲った悲劇。さすがにこのヴェルリーフほどの大都市になれば、そう簡単には悲劇も起こるまい。

 そこまでではないとしても、レオの進む道にステラがついて行くならば、危険に巻き込む可能性が高いだろう。


 だが、ステラの気持ちも考えれば、レオの言葉をあっさり受け入れるわけにもいかない。

「それをわしに言ってどうする。そういうことは本人に伝えるもんじゃ。さもなくば、いざという時にとんでもないすれ違いを招くことになるぞ」

 教授の言葉を聞き、そのままレオは押し黙る。それでも何か思うところがあるのか、シャベルをふるう手に前より力がこもったかのように見えた。


 しばらくして、何とか魚竜の亡骸を収めたおりを埋められる穴が出来上がった。教授はレオからシャベルを受け取り、少し離れた地面に突き立てた。


「あれ? これ、檻ごと埋めるのか?」

「うむ。こいつは結構重いから、わしの魔法で動かすことにするぞ」

「いや、そういうことじゃなくて、檻まで埋める必要があるのかと……」

「この前にみた野盗獣エレモヒエナを覚えとるか?」

「ええと、なんか臭いのを吐いてくる汚い犬」

「また妙な覚え方を……まあ、きれいさっぱり忘れておるよりはましか」

 レオの発言に少し呆れた表情を見せつつ、教授は話を続ける。


「重要なのは腐食液を吐くことではない。彼らの自然界における役割とはすなわち、動物の死骸を食べ、土にかえる手助けをすること」

「あ、そうか! そのまま埋めたら、掘り返されたりするんだな」

「あ奴ら以外にも屍肉食者スカベンジャー、つまり掃除屋のような役目を持つ生き物は多い。そんな奴らに貴重な標本を奪われんように、こうやって重くて頑丈な檻で囲っておくというわけじゃ」


 そして教授は、魚竜の屍が入れられた檻に向けて両手をかざす。

「さて……ちょっと下がっておれ…………ふんっ!!」

 普段とは違う気合のこもった声を上げ、教授が腕を振り上げると、触れてもいないのに檻が小さく震え始めた。

 ほんの数秒後、震えが収まったと思った次の瞬間には、檻は地面を離れレオの膝の高さあたりまで浮かび上がる。


「おおっ⁉」

「これは手を触れずに物体を動かす魔法じゃ」

 呆然と眺めるレオの眼前で、ふらふらと檻は飛び、軽い地響きとともに穴の底へと着地する。


「これでよし。あとは埋めるだけじゃ」

 それからしばらくの間、二人は無言で檻に土をかける作業に没頭していた。


 レオはシャベルを動かしながらも、なにやら思い悩んでいるようだ。教授もあえて声を掛けたりせず、それを暖かく見守っていた。


 だがしばらくして、意を決したかのようにレオは口を開く。

「なあ……ローレンス教授」

「何じゃ、そんな改まって。お主らしくもない」

 茶化すかのように笑いかける教授であったが、レオは真剣な面持ちを崩さない。


「教授の研究室に入るには、何をすればいい?」

「ようこそローレンス研究室へ。歓迎するぞ」

 そこで教授は、シャベルを土に突き立てると、歓迎するかのようにレオに向けて両手を広げた。


「いいのか!? 俺なんかが入って」

「そう自身を卑下するでない。それにお主にはやりたいことがあるんじゃろう。それでも不安と言うなら、これから時間を掛けて鍛えてゆけばよい。学校とはそういうのものじゃ」

「すまねえ……」

 それからしばらくの時間を掛けて、休憩をはさみつつも二人は魚竜を土の中に埋め終えた。


 そして教授は最後に、締めくくるようにレオに告げる。

「それではまた来年……お主が二年生になったら、掘り返しに来るとしよう」


    ◆


「さて、ステラ・D・アーウィン。そしてレオナルド・オーウェン。両名のわが研究室への所属が、正式に決定した」

 そして翌日。入学直後からローレンス教室の所属であったジュリアを加え、三名の生徒が博物館準備室に集まっていた。


「さて、ささやかではあるが二人の研究室への参加を祝して、これを進呈しよう」

 二人の顔を見回しながら教授はそう言うと、手のひらより少し大きな、細長い箱を二つ取り出した。


「わぁ、ありがとうございます! ほら、レオもお礼!」

「お、おう……ありがとう、ございます」

 先日の戦闘訓練での扱いがステラには不満だったようで、二人の間ではしばらくはぎこちないやり取りが続いていた。

 それでも、少しずつ、子供の頃の関係に戻りつつある気がする。


「あの、今、開けてみてもいいですか?」

「おお、構わんぞ。なんならすぐに使ってもよい」

 教授の快諾を受け、ステラは箱にかけられたリボンを解き、慎重に包み紙を開く。

「使う?」

 それを横目にレオは、バリバリと包みを破った。

「もう、レオ!」

「それはもうお主のものゆえ、どう扱うかも勝手じゃがのう……プレゼントの開け方も教授してやろうか?」

「いや、またステラにでも教えてもらうよ。で、これは……ペン、か?」

 そこに入っていたのは、三本のペン。それも、木製の軸と金属のペン先からなる普通のペンではない。

 全体が、黄色から黒へと変化する奇妙な素材でできていた。 


「いや、恩を着せるつもりはないがな。それはただのペンではないぞ。毒針鼠ウィレキヌスの針を削って作られたものじゃ」

「それ、確か、この前リチャードが狩ってきた奴じゃ……」

「あっ、聞いたことがあります。確か高級品で、なかなか手に入らないとか……」

「この間ウィレキヌスが手に入ったことじゃし、何より祝いの品じゃ。細かいことは気にするな。とはいえ、この針が硬いくせにもろくてのう。ペン先への加工がなかなか大変なんじゃ。魔法によって加工する方法もあるんじゃが、高級品が値崩れをおこすとわしが恨まれそうじゃからの。今回は残りはすべて標本にすることにした」

 そこで教授は、改めて二人を見まわす。


「さて、このペンが如何なるものであるか、それは大した問題ではない。どのように使うかは、お主らの自由じゃ」


 そこで教授は咳払いを一つすると、少しだけ口調をあらためる。

「大事なのは、君たちがそれで何を書き残すのか。わたしも教え導く身として、少なくともこの学院にいる間は見届けさせてもらうとしよう」


―― 第二章 完 ――

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