第9話 開拓者の末裔

 食料は現地調達。そんな教授の言葉とともに、川の近くに竜車を停めて探索が始まった。


「それじャ、行ってまいりやス」

「うむ。そちらは任せたぞ」

 御者のシャカルは、竜たちを車から放し、一頭の背にまたがると、共に餌を探しに行った。


「馬と違い、あの地走竜ジオドロメウスは肉食寄りの雑食性じゃ。それゆえに、餌の確保が面倒なんじゃが……まあ、あのシャカルに任せておけば大丈夫じゃろう」


「……さて、僕たちは魚でも捕るとしましょうか」

「待て待て、リチャード。お主はどうやって捕るつもりじゃ?」

 槍を持ち川へと向かうリチャードを、教授は慌てた口調で呼び止める。


「……槍で突きます」

「風情というものがないのう」

「……父にもよく言われました。しかし、釣りよりもこちらの方が効率的と考えられますが……」

 やれやれ、と教授はつぶやき、何かを探すかのように周囲を見回す。


「その辺りの草むらに新しいウサギの糞が転がっておる。この辺りもウサギは多そうじゃな。魚はわしらに任せて、ウサギと木の実でも取ってきてくれ」

「……御意」

 心なしか落ち込んだような表情を見せ、リチャードはとぼとぼと竜車から離れてゆく。


「で、おれたちは何をとればいいんだ?」

「レオ、お主にはこれを貸してやろう」

 教授は馬車に戻ると、三本の釣竿とバケツを抱えて戻ってきた。そのうちの一本の竿をレオに差し出す。

大赤柳おおあかやなぎの枝と、鎖蜘蛛カテナラネアの糸で作った特製の釣り具じゃ。餌はその辺の川岸から、ミミズか川虫でも探すがいい」

「わかった」


 レオにとっては、釣りも初めての経験だったが、あとは隣のジュリアの真似をして、軽い重りのついた仕掛けを流れへと放り込む。


 すぐに竿を持つ手に、何かが暴れ回る感触が伝わってきた。竿を上げ、糸を手繰り寄せれば、ちょうど指を伸ばした掌に載るぐらいの、大きなひれを持つ青黒い魚が上がってくる。


「待てい!!」

「な、何だ!?」

 糸の先でもがく魚に手を伸ばし、それに触れる直前、教授の大声に止められた。


「魚に触れる前に、よく観察してみろ。」

「お、おう」

「こ奴の胸鰭むなびれは大きいだけでなく、硬くて鋭いぞ。武器にというわけにはいかんが、即席のナイフ程度なら、実際に使われることがあるくらいじゃ」

「危ねー奴がいたもんだな」

「この鋭刃魚プロトシカはまだ手がざっくり切れるだけで済むのじゃが……」

「いや、だけじゃねえだろ」

「毒を持った魚もいるから、気をつけねばならんぞ」


「ま、毒持ちなんて、そうそう釣れるもんでもねえだろ……お、またなんか釣れた」

「で、今お主の釣ったのが、その毒針を持つ魚の一種じゃ。名を刺痛鯰ポノシルルスという。ほれ、この胸鰭に隠れて大きなトゲがあるじゃろう。うっかり掴んだりすると、これに手を貫かれるわけじゃ。そして腕が倍近くまで膨れ上がり、数日痛みが続くぞ」


「はー、こええな」

「よしわかった。これからは触る前にわしを呼べ。って言ったそばからまた妙なものを釣りおった。こ奴は冥河魚ドデコドン。触っても問題はないが、食えば猛毒じゃぞ」


「おお、ウナギが釣れたぞ」

「ウナギではない。これは紫鱗蛇ヴィオラコフィス、毒蛇じゃ! 噛まれたらただじゃあ済まんぞ。とはいえ、普通は釣りで掛かるようなもんじゃないんだがのう」


「なんでこんなに、変なもんばっかり釣れんだよ……」

「類は友?」

「何ぃ!?」

 唐突に返ってきたジュリアの答えに、レオは気色ばむ。


「やむを得んな。魚はジュリアに任せたほうがよさそうだのう」

 教授のほうは、レオの面倒を見るので手一杯だ。


「そっちはちゃんと釣れてるのか?」

 お返しとばかりに声を上げるが、ジュリアにはバケツに数匹入った魚を見せられた。


「これは香玲魚アロマボティス。独特の香りがあるけど、塩焼きが美味」

「ぬぅ……、ちゃんとした魚もいるのかよ」

「そりゃあおるじゃろうよ」

「ええい、このままで終われるか。おれも食える魚を釣ってやる!」

 きっぱりと宣言し、レオは場所を変えて釣ることにした。


 しかし、その場所が悪かったのか、急に何も釣れなくなった。


 十分ほどして、レオが釣りに飽きてきた頃、竿に衝撃が走った。

 まるで盗賊に竿をひったくられたような、そう思わせるほどの力強さで、川の中に竿が引きずり込まれかける。負けじと竿を立て、川岸から後退するように、獲物を引き寄せてゆく。

 教授の言う『特製』の釣り具は壊れることなく、レオと魚の力に耐えてくれた。


 激しい動きは最初のうちだけだったが、川の中を深みへと這い進んでいくような、そんな感触が続く。


「でええぇい!」

 気合を込めて、ひときわ強く竿をあおると、川底で魚がこちらを向いたような感じが、糸から伝わってきた。その後、あきらめたかのように抵抗は消える。ただ重たいだけの何かが、糸に引かれて濁った川底から浮かび上がって来た。


「な……なんだこりゃあ?」


 1メートル足らずの結構な大物であった。黒に近い灰色の、妙にのっぺりとした少し平たい体形の魚。その鰭は他の魚と違って肉厚で、何かを掴むような奇妙な動きをしていた。

 レオにとっては、大物釣りの喜びよりも、獲物に対する違和感のほうが大きかった。

 魚であって魚でない。むしろ、魚というよりも、カエルになりかけたオタマジャクシのような、そんな不思議な印象がある。


「ほう。こりゃ珍しいのう。歩脚魚ペゾドロモスではないか!」

「ぺぞ……何?」

 また妙な呪文のような言葉を話し出した教授に、レオは怪訝な顔で聞き返す。


「さきほど、我らの祖先は、爬虫類と共通といったな。だがそれをさらに遡れば、両生類を経て約四億年前、魚へと行き着く。そしてこのペゾドロモスは、海から川へ、そして陸へと住処を変えてゆく、その途中の姿を今に伝える、いわば生きている化石といえる存在なんじゃ」

「なんかまた授業始まったぞ」

「これは私も初めて見る。色々聞いておくべき」

 授業モードに入ってしまったか、またしばらくの間、浅瀬に泳がせた魚を眺めながら、教授は熱弁する。


「こんなものが捕れるとは予想外じゃな。じゃが、標本にするには準備が足りんのう」

 そう言いつつ教授は、魚を川へと戻す。


「ああっ!?」

「そう怒るでない。珍しいものじゃから、今回はじっくりと観察させてもらうとしよう」

「おれの飯は!?」

「現地調達といったが、自分の分は自分でとまでは言っておらんぞ。ジュリアとリチャードに分けてもらえ」

 その後、教授は魚を追いつつ川を下ってゆき、草むらの向こうに見えなくなった。


「ううう……もう少し釣ってみる」

「がんばれ」

 いつもの抑揚のない声で、ジュリアが励ましてくれた。


   ◇


 魚が暴れたせいか、その後はまた何も針に掛からなくなった。


 とはいえ、たまにはこういうのも悪くない。

 長く味わった覚えのない穏やかな気持ちで、レオは川を眺めながら、魚がかかるのを待っていた。


 川面に巻き起こる細波さざなみが日の光を照り返し、その輝きは刻一刻と形を変える。時おり流れてくる花びらが、それに彩りを加える。


 だがやはり、こんなのんびりした時間は、長くは続かないのである。


「なあ、なんか……悲鳴が聞こえなかったか?」

 唐突なレオの言葉に、戻ってきていた教授はジュリアと顔を見合わせた。


「ほら、今、女の人の悲鳴みたいなのが!」

 耳を澄ませていたレオは、川のそばに広がる湿原を指さして叫ぶ。


「あ」

 一方、ジュリアは何かに気付いたかのように、小さく声を上げた。


「助けに行かねえと!」

 釣竿を放り出し、レオは声がしたとおぼしき方向へ駈け出してゆく。

「待って」

 呼び止めかけたジュリアを教授が手で制し、首を横に振った。

「言葉で説明するより、実物を見せたほうがよかろう。それも経験じゃ」

 一瞬動きを止めたのち、ジュリアは静かにうなずく。


「それに、ジュリアにも経験があるじゃろう」

「私は、もう子供じゃない」

 昔のことを思い出したのか、わずかに不機嫌さの混じった声と共に、ジュリアは頬を膨らませた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る