第15話 無音の咆哮
金色の猛禽は、
餌としてはあまりにも大きすぎる相手に、さらに追い打ちを掛けようとする。
それに対し、ヴォルトサウルスの動きは鈍い。正確に言うならば、大きくなりすぎた体が災いして、素早い敵に反応するのが困難なのである。
草食である彼らには、獲物を狩るための武器はない。しかしそれでも、その身を守るための武装ぐらいは持ち合わせている。ヴォルトサウルスは、その唯一の得物とも言える、全長の半分以上を占める細く長い尾に力を込めた。
根元側ではゆっくりとした動きが、先へ力が伝わるにつれ、徐々に速度を増す。
これまでの巨竜の様子からは想像のつかぬ速さで鞭のごとく振るわれた尾を、しかし金色の猛禽はやすやすと回避する。
◆
「……教授?」
あんな鳥は見たことがない。
燃え上がる森に向け走り出そうとしたレオたち三人は、そんな予想外の教授の言葉に思わず足を止めた。
しかし当の教授は、ただじっと悩んでいることはせず、両手を振り上げて叫ぶ。
「
その呼び掛けに応えるかのように、教授の眼前に輝く壁が出現する。
いや、それは学院で使われる黒板を小さくしたもの、そう表現した方がイメージとしては近いだろうか。その表面には、光の濃淡で描かれた文字が浮かんでは消える。
「検索条件、『生息域:ソール大陸南西部』、『分類:鳥綱』、『大きさ:開長約2メートル』……わしの視覚情報から、映像を取り込み……おかしい、該当なし……じゃと!?」
「行こう」
そんな教授の様子を横目に、ジュリアは短い声と共に、
「お、おい、教授は!?」
「あっちは放っておいて大丈夫。情報が足りないなら、こちらで集める」
レオとリチャードも、彼女のあとを追う。
そして、一番先に猛禽を射程圏に捕えたのは、弓を持ったジュリアだった。
ピュイイイィィィーーーー!
ジュリアの弓から放たれた矢は、ある種の鳥の声にも似た甲高い音を響かせながら飛ぶ。
いわゆる『
猛禽は、羽ばたき一つで軌道を変え、易々とそれをかわす。それでも、まったく何の影響も与えなかったわけではないようだ。耳障りな音とともに至近距離を通過する矢に気を取られたか、一瞬猛禽の動きが鈍る。
その隙に、リチャードが投げ槍の間合いに飛び込んだ。放たれた手槍が風を裂き猛禽に迫る。
そして、槍が命中する前に、金色の猛禽の翼が裂けた。
二枚に見えていた翼が、左右対称にそれぞれ前後に分かれる。
分裂した翼は、それぞれ意思を持っているかのように別々に蠢いた。それとともに、猛禽の体は空中で反転、さらに加速して槍の軌道から逃れる。
それは、普通の鳥では不可能なはずの、複雑な動き。
「ああっ!」
離れた所から、教授の驚愕の声が聞こえてくる。
皆の眼前で、『金色の猛禽』はその正体をあらわにしていた。
四枚の翼に加え、体の下には鳥に似た二本の脚を備えている。つまりこの生き物は
「あ奴、まさか
教授は驚きを隠さぬままにそう叫ぶと、再び魔力の板に手を伸ばす。
「検索条件再設定! 生息域の条件を削除! 『分類:真龍綱鳥龍目』……」
その声に応じて、光る板の上に、掲示板に張られたメモのように小さな画像がいくつも現れた。
「これは違う、これでもない!」
そのメモを破り捨てるかのように、次々と小さな画像を払いのけ、消し去ってゆく。
やがて教授の指が、一つの映像に触れた。
「あったぞ。これじゃ!」
そして教授は、その名を口にする。
「
◆
二億年前とも、三億年前ともいわれる太古の昔のことだ。
魚たちの一部が両生類へと進化を遂げ、海から川を経て陸上への進出を果たしていた時代。
時をほぼ同じくして、海から空へとその住み処を移した生き物がいた。
現代においても、短時間ながら空を飛ぶことのできる魚は存在する。だがそれは、捕食者から逃れるための一時的な行動に過ぎない。
いや、後に人間たちによって
だが彼らは、悠久の時を経て空を新たな住み処として選んだ。
まだ鳥も、翼竜も、飛竜も現れていなかった頃。競争相手はおらず、高みから魚を狩ることができる。空はそんな理想の新天地だった。
後にゼムゼリア大陸に移り住み、他の動物たちとは一線を画する独自の進化を遂げたオリゴドラキアの子孫たちを、人は
そしてこの
◆
長い尾がしなり、闖入者を追い立てるべくその身の周りをなぎ払う。
命中さえすれば、かなり大型の肉食獣さえ打ち倒すことのできるその攻撃は、しかし自分よりはるかに小さい敵をかすめることさえできない。
ヴォルトサウルスが追うことのできない高速飛行と、その身を害する攻撃力。その二つを兼ね備えたものなど、ドラゴンのいないこの大陸にはほとんど存在しない。
この
『ブオオオオオオオオオオオ――――』
痛みに耐えかねたか、ヴォルトサウルスは咆哮を放つ。
「うああっ!?」
間近で放たれた叫びに、レオたちは思わず足を止め、両手で耳を押さえる。
『オオオオオオオオオオオ――――』
長く、長く続くその咆哮は、地の底へと落ちていくかのように、あるいは無限に続く楽器の音階のごとく音を下げてゆき――
『オオォォ――――……………………』
そして不意に、静寂が訪れた。
「な、何だ、これ……!?」
そしてレオは、これまで感じたことのない感覚に戸惑っていた。
耳をふさいでいた両手を離す。
竜の咆哮は、確かに止んでいた。
それなのに、ヴォルトサウルスは天を仰ぎ、大きくその口を開いたまま。竜の喉が、かすかに震えているのも見えた。
胸が締め付けられるような不安感が、再びレオの中で大きくなり始める。
いや、それだけではない。何の音も聞こえないはずなのに、耳が違和感を訴える。流れ込んでくる何かが、レオの頭の中で暴れまわっているような、そんな奇妙な感覚。
「いかん!!」
後方に残してきたはずの、教授の声が聞こえた。
「耳をふさげ!!」
「!!」
慌てて、両手で耳を押さえる。そして、レオの耳が炎で炙られたかのような熱を帯びた。
『わしとしたことが……忘れておったな。お主にはすでに、聴覚防御の魔法をかけておった』
いつの間にか近くまで来ていた教授が、レオの肩に手をやる。耳をふさいでいるのに、これも魔法の力なのだろうか、安堵の声は伝わってきた。
「これは……おれ達には聞こえない音ってやつか?」
おそるおそる耳から手を離すレオ。
昨日掛けられた防御魔法が再び効果を発揮し始めたらしい。魔法に縁のないレオには詳しいことは分からなかったが、先ほどまでの不安感や違和感はきれいに消え去っていた。
「うむ。低周波音の方じゃな。じゃが、音の高さと大きさは別物じゃ。これがどういうことか、わかるか?」
「まさか……聞こえなくても大きな音ならば……」
「その通りじゃ。例え音として認識することはできなくとも、振動はある。大音量の低周波を至近距離で浴び続ければ、鼓膜をやられるぞ」
「うえぇ……」
思わず、レオの口から情けない声がこぼれた。
「それより、あの
いまだ上空を飛び回る『龍』を、これまでにない厳しい目つきで見据えながら、教授はきっぱりと宣言した。
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