第5話 兎たちの生存戦略
『博物館』を出て、午後の賑わいを見せる通りを歩くことしばし。そして二人は、学院の門をくぐる。
「給仕や店番は、今のお主には難しかろうて。確か、ウサギ狩りの依頼が出ていたと思ったんじゃが……」
教授の向かった先は学生課。そこには各種の学生向けの「依頼」が書かれた掲示板がある。
それは、学生たちの貴重な収入源となっていた。
「確かに、なあ……」
教授の言葉を否定もせず、レオは難しい顔で張り紙を眺めていた。
依頼と言っても様々だが、主として近隣の食堂の給仕、商店の手伝いの他、落し物の捜索、食材や薬品の材料となる植物の採取、といったものが多い。
教授の言うとおり、客商売では相手を怒らせる予感しかしない。
そんなレオを掲示板の前に残し、教授は受付にいた女性と挨拶を交わしたのち、本題の質問に入る。
「ウサギ狩りの依頼を知らぬかのう。人気のない依頼ゆえに、まだ残っておるかと思ったんじゃが」
狩猟・討伐など戦いを伴う仕事は、通常国軍や傭兵隊の仕事であり、学院に回ってくるのは比較的安全なネズミ、ウサギや鳥といった小型害獣の駆除の仕事が多い。
それは大人たちにとっては実入りの少ない不人気な仕事であるが、学生たちにとっても他の仕事に比べれば報酬は多いものの、手間と時間がかかる、危険を伴うなどの理由により敬遠されがちな依頼であった。
「それならば、受けてくれる人がなかなか見つからなかったので、無理を言って一年のガイア君にお願いしました」
「そうか。すまないな」
「いえ。彼ならまだ、そちらに」
名を呼ばれたことに気付いたか、室内のテーブルについて書類を眺めていた一人の学院生が立ち上がり、近付いてきた。
受付の女性と黙礼を交わしたのち、教授も彼の方に歩み寄る。
「おお、リチャードか。久しぶりじゃのう」
「……これはローレンス教授。ご無沙汰をしております」
「お主も新入生じゃったな」
「……はい。このたび学院入学のため、父との修行の旅を終え戻って参りました。今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」
「相変わらず堅苦しいのう……お主は」
彼はレオにとって、数少ない顔と名前の一致する同級生だった。
とはいっても、親しく言葉を交わすような仲ではない。まだ入学から一週間ほどしか経っていないのに、彼はすでに学院内で有名人となっていたのだ。
名はリチャード・ガイア。
線の細い、男のレオの目から見ても美少年といえる顔立ちをしている。色の薄い金髪や
だが、その外見に似合わず、槍に関してはかなりの使い手であると、入学直後から噂されていた。
「ところで、お主に折り入って頼みがあるんじゃが」
「……はい。何なりとお申し付け下さい」
「そのウサギ狩りの仕事に、こいつも加えて貰えんかのう」
「……必要でしたら、丸ごとお譲りしてもかまいませんが」
先ほどまで掲示板に張ってあった依頼書を、リチャードは差し出してきた。
「いや、お主と共に狩りをするのも、勉強になるかと思ってな」
「……そうですか。それでは――」
そしてリチャードは、レオの方に向き直る。
「……はじめまして。一年三組のリチャード・ガイアと申します」
「いや、同じクラスなんだが……レオナルド・オーウェンだ。レオと呼んでくれ」
もっとも、レオの方も覚えていないクラスメイトが大半という状況であったが。
「忘れておった。レオ、お主、ウサギ狩りの経験はあるか?」
「え……? いや、そんなのあるわけがないだろ」
あの悲劇のあと、レオはずっと孤児院で暮らしてきたのだ。さすがに狩猟など経験する機会はなかった。
「そうか……まあ、こいつはわしも援護するから、リチャードは気にせずに狩りを進めてくれ」
「えっ? じいさ……教授もついて来るのか?」
「そりゃあ、ウサギ狩りの時間は夕方から夜になるんじゃが……新入生の夜間外出許可などそう簡単に出るものではないぞ」
「そうなのか……。でも、いいのか? おれの世話なんかしてて」
「うむ。問題ない。まあ気になるのなら、その借りは追々返してもらえばよい」
その言葉に、何やら嫌な予感を感じながらも、頷くしかないレオであった。
◆
「静かに。そろそろウサギたちが来る頃じゃな」
その後、今日早速ウサギ狩りに行くというリチャードに、特に用のなかった二人も異論はなく、外出手続きを済ませて同行することになった。
学院のあるリーフ公国の首都ヴェルリーフを囲む城壁を離れて北へ向かう。そこには、農耕地帯が広がっていた。
ここが今回の依頼による、ウサギの狩り場となるのだ。
すでに日は、西の山々に近づき、麦や野菜の葉が大きく伸び始めた畑と、それを囲む草原は赤く染まり始めていた。
「……いました」
畑の近く、人の膝ほどの高さの草むらを見つめ、リチャードがぽつりとつぶやく。
「えっ、どこだ?」
しかし、レオの目はウサギの姿を捕えることはまだできていない。
「……まずは見ていて下さい。行って参ります」
「おう。一番槍は任せたぞ」
教授の声を受け、リチャードはゆっくりと、しかし足音を立てずに歩を進める。
リチャードは狩りに出る前に一度寮に戻り、彼の家に伝わる流派の出で立ちに着替えていた。ローブに似た、奇妙な深紫の装束をその身に纏い、右手には白銀の槍を携えている。
一方、レオは制服の、教授は白衣のままだ。
先ほど初めて見た時、レオはどこかで見覚えがあるような気がした。しばし考え、
もっとも、あれは十年以上前の映像。まだ学生であるリチャード本人であるはずがない。
ここまでの道すがら、かの槍使いは彼の父であるとレオは聞いていた。
「なあ、教授」
「なんじゃ、レオ」
まるで街中を散歩しているかのようなリチャードの後姿を眺めながら、レオは教授に質問を投げかける。
「レマルゴサウルスの時は、下手に殺すわけにいかないようなことを言ってたけど、ウサギはいいのか?」
「そりゃあ、あいつらとは立ち位置が違う。まず言っておくぞ。生き物の世界には食う食われるという種の間のつながりが存在する。食われるものがいるからこそ、それを食うものが命を繋ぐことができるのじゃ」
これまでにない真剣な表情で、教授はレオを諭すように言葉を紡ぐ。
「例えば、草をウサギが食う。そのウサギをオオカミが食う。そして、オオカミをレマルゴサウルスが食う。このような生き物同士のつながりを食物連鎖と呼ぶ」
その言葉は、レオもどこかで聞いたような気がしていた。ただこれまで、ほとんど考えないようにしていた。獣の犠牲となった家族のことを思い出してしまうから。
「だが、ウサギたちもただ食われているだけではないぞ。奴らの最大の武器は、その繁殖力」
「はんしょくりょく?」
「そうじゃ。ウサギたちは一度に六頭から八頭、最大で十頭程度の子を産む。しかも、妊娠期間は短く、決まった繁殖期もない。それゆえに一年に何度も出産が可能となる」
「…………」
長くなりそうな話を、あくびを噛み殺しながらレオは聞いていた。
孤児院でも基本的な勉強はしていたが、本格的な学校は初めてなのである。
とはいえ、これも仇討ちにつながる話なら、慣れておかなければならないのだろうか。
「もちろんウサギたちは、食われるために子を産んでおるわけではない。しかし、自分たちを襲う肉食獣がいるから、生き残るために食われた以上に数を増やそうとするのじゃ。それが、子孫を残すために奴らが選んだ道であり、手にした武器でもある」
しかし、こういう話になると、眠気は吹き飛ぶ。彼にも思うところはあるが、うまく言葉にまとめられない。
「ここは街の近くだから、中・大型の肉食獣はあまり寄りつくことはない。おまけに、畑があるから餌は食べ放題。ウサギたちにとっては楽園のようなところじゃ。放っておけば、あっという間にウサギだらけになるぞ」
講義を受ける生徒のように、レオは黙って教授の話を聞き続けた。
ウサギに自分たちの家族を重ねても仕方がない。
それに、レオだってこれまで肉を食べて生きてきたのだ。
「農家からみれば作物を食い荒らす害獣以外の何物でもないが、肉は食用に、毛皮は衣類の材料となる。それゆえにウサギ狩りは、学生の仕事としてはかなり割りのいい方じゃな」
そこまで語ると、教授はリチャードの方を指し示す。
「ほれ、始まるぞ」
教授の声とほぼ同時、草むらに近づいていた深紫の影が、ぶれて見えた。
徐々に加速するのではなく、一気に最高速へと達する。そんな動きに、レオの目がついていかなかったのだ。
その勢いのまま、眼前の深い草むらに向け、リチャードは白銀の槍を突き刺す。槍はそのまま振り上げられ、一頭のウサギが高々と宙を舞った。
草むらから二頭のウサギが、文字通り脱兎のごとく駆け出す。
振り向きざま、槍使いは腰の後ろに差していた手槍を抜き、目にもとまらぬ速さで投げ放った。手槍は吸い寄せられるように、先を走っていたウサギを捕える。
その後ろを走っていたもう一頭のウサギは、異変に気付き、慌てて方向転換を試みた。
その隙をついて、紫電の槍使いが飛び込んだ。
沈みかけた夕日を映し、槍の穂先が
輝く軌跡が首筋を軽く撫でると、ウサギは疾走の速さのまま地面を転がり、そして眠るように動きを止めた。
「すげぇ……」
一瞬のうちに三頭のウサギを仕留めたリチャードの手並みに、レオは素直に感嘆の声を上げる。
「戦いだけならば、今の一年生ではおそらく一番。全生徒の中でも五指に入る使い手じゃろうな」
「おれも、行ってくる」
「おう、気を付けてな」
リチャードの時と言い方が違うのが少しだけ気になったが、レオはすぐに逃げる兎を追うのに気を取られ、すぐに忘れてしまった。
「ま、待ちやがれっ!」
斬竜刀を肩に担ぎ、逃げるウサギの後を追いかける。当然、そう簡単に追い付けるようなものではない。
「あれを担いで走り回れるのは大したものじゃが……ただ追うだけでは狩りにならんぞ」
そんな教授の言葉は、すでにレオには届いていなかった。
◇
しばらく走り回った後、なんとか一頭のウサギを射程圏に捕えることに成功した。
といっても、考えて追い詰めたわけではない。
たまたま草むらから飛び出してきて、状況が理解できなかった運の悪いウサギがいただけだ。
「おらあっ!」
気合の声と共に、レオは斬竜刀を地面に叩き付けるように振り下ろす。一跳びでそれをかわし、ウサギは彼の足下へと滑りこんだ。
その瞬間、レオはウサギの鼻の上に、角のような短い突起があるのに気が付いた。
そのまま、ウサギは頭からレオの脛にぶつかって来た。硬い角の感触が、痛みとなって全身を駆け巡る。
「いてぇ!」
それは制服のズボンを貫くほどの鋭さはないが、鈍器としての強度ならば十二分に持ち合わせていた。
ウサギの脚力を生かした体当たりにバランスを崩したレオは、斬竜刀を支えにしてかろうじて倒れずにすんでいる状態だった。
「なんだこいつら!? 孤児院で飼ってたウサギと違う!?」
「言い忘れておったが、この地方のウサギは一味違うぞ」
レオは特に誰かに問うでもなく叫んだだけだったが、答えはすぐに教授から帰ってきた。
「先に言えよ! そういうのは!!」
「ウサギといっても色々いるぞ。人に飼われているウサギは、大陸北部の草原に住む
そんなレオの叫びを無視して、教授の解説が続く。
「学術名を
レオが足の痛みで動けない間に、ウサギたちは周りから姿を消していた。
ようやく歩けるようになったときには、太陽はそびえる西の山々の向こうに隠れ、色彩を失いつつある景色と冷たさを帯び始めた風が、夜の訪れを告げていた。
「あ、そう言やあ、ランプも何も持ってこなかったな」
「何を言っておる。そんなものを点けておっては、ウサギが警戒して出て来んではないか」
「何!? ウサギが見えねえのに、どうやって狩るんだよ?」
「獲物の気配を読む力は、訓練するうちに鍛えられるもんじゃが……」
そう言うと教授は、右手の人差指と中指だけを立て、レオの顔に近づけてきた。
「仕方がないのう。今回は特別サービスじゃぞ」
「ごべっ!?」
伸ばされた指が、レオの両の眼をかすめる。
「てめェ、いきなり何しやがる!?」
「すまん、加減を仕損じた」
左手で目を押さえて悶絶するレオに、教授は軽い調子で謝罪する。
「じゃがこれで、視界は開けたはずじゃ」
「んんっ? ……な、なんだこりゃあ!?」
教授の言葉に一瞬首を傾げたレオであったが、すぐに異変に気づいた。
夜闇に沈み、黒と灰色に染まりかけた世界に、色が戻っていた。
「これは……?」
「それはわしの魔法じゃ。一時的に視神経を強化し、わずかな光を強く感じることができる」
「これが魔法……すげえな」
驚きに満ちた表情で、レオはあたりを見回す。
「それより、急いだ方がよいぞ。ウサギの来る時間は限られておる」
「なんだ、爺さん……もう眠くなったのか?」
「わしじゃない、ウサギの方じゃ」
「ウサギ? あいつらに門限でもあるって言うのか?」
「肉食獣の多くは、主として昼に活動する昼行性と、夜に活動する夜行性に分けられる。そして、ウサギなどの一部の種は、その隙間を縫うように朝夕に活動するのじゃ。あまり遅くなると、奴らはねぐらに隠れてしまうぞ」
「そうなのか……じゃあ、急がねえとな」
「ところで、お主、飛び道具は持っておらんのか?」
再びウサギを追おうとしたレオを、教授は呼びとめる。
「いや。
「仕方がないのう……」
「飛び道具って、ないといけないものなのかよ」
「普通、逃げるウサギに追い付くのは至難の業だからな」
「あ……」
「じゃが、思い出せ。ここのウサギは、捕食者に
「……っ! そうか!」
今度こそウサギを狩ってやる。決意を胸に歩き出したその時――
「……依頼のウサギ十頭、確保しました」
槍使いの少年が、戻ってきた。
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