第26話 才原凛花のオリジン4
それから志信と合流し、家に帰った凛花は、親にこっ酷く叱られました。
しかし、夜のサイクリングロードで見た輝き、科学的な光ではなく、あのスピードから出るオーラにすっかり魅了された凛花は、そんなの右耳から左耳でした。
ロードバイクに乗りたいという熱は佐久によって更に高まっていき、これから更に練習の日々だ!と意気込んでいた……のですが。
あまりに凛花を心配し、説教の途中で泣き出してしまった母を見て、麟太郎によってママチャリすらも没収、凛花は遂に、自転車に乗ることすら出来なくなってしまったのでした。
そして自転車に乗れないまま時は流れ、家から距離があり、歩いて行くのはちょっと大変な〈路流風〉にすら通えなく、佐久には会えず、鍛えたものがなくなって空になってしまいそうだ、と凛花が考え落ち込む、事件から約半年後のある日。
いつも通り歩いて学校に行き、そして歩いて学校から帰ると、いつもはいない時間にいる兄と、父が居間でなにやら話し合っていました。
帰宅した凛花には気づいていない様子です。
重苦しい雰囲気を不思議に思い、凛花はドアの隙間から二人を眺め、聞き耳を立てます。
「本当にいいのか?」
「はい。自分で決めたことだから……それに、このチャンスを逃したくないから。僕は行きます、プロの世界へ」
「ぇ……」
真っ直ぐな瞳で宣言する志信に、凛花は思わず声を漏らします。
「大学を途中でやめるのは、ちょっと残念だけど、後悔したくないから。きっと、僕に与えられた人生最大のチャンスだから!」
「……そうか」
志信の固まった決意に、麟太郎は少し嬉しそうに頷きます。
納得し、分かり合う、親から子が独り立ちする瞬間。感動的ともとれるこのシーンですが、納得してない人が一人。
ドアをバタンと開けて叫びました。
「お兄ちゃんばっかりずるい‼︎私なんかロードバイクにすら乗ったことないのに‼︎」
「なっ⁉凛花!」
「え、今の……聞いてたの?」
コクリと頷き、怒りを露わに、顔をしかめる凛花。二人が座る食卓をバンっと叩いて、志信の方を向きます。
「いつから?」
「……一ヶ月くらい前に誘われたんだ。日本人選手のチームで世界を目指すから、君も加わらないかって」
「んで、オッケーしたと?」
「ん……まあこれから」
志信の返事に、凛花は身体をワナワナと震わせます。そして、
「お兄ちゃんばっかり自転車人生を歩んで‼︎私もロードレースがしたい‼︎」
「ああ、したらいいよ」
「でしょ⁉お兄ちゃんもそう思う……で?えぇ⁉」
いきなりの兄の肯定に、激しく動揺する凛花。それは麟太郎も同じだったようで。
「な!何言ってんだお前!これまであれほど凛花にはロードレースとは別世界で生きていかせようと……お前も凛花はロードレースをするべきじゃないって、言ってたじゃないか!」
「でも誰にでもチャンスはあるべきだと思う」
志信が迷いなく、即座に言います。
今までしてくれなかった自分の味方を、昼行灯やら唐変木やらと罵っていた兄がしてくれるのに驚き、文字通り凛花は開いた口が塞がらず、ポカーンとしています。
「僕はある人に…大切な人にチャンスをもらったんだ。そしてその人がいてくれたから、今回の誘いもあって、更に大きなチャンスを呼び込めた!」
「お前はそもそも才能があったから、でも凛花は……」
「凛花の方が僕よりも才能がある‼︎」
「…えっ?」
志信が凛花の方に視線を向け、なにかを思い出すように続けます。
「僕は自分の人生で、何度も自転車が嫌になった。苦しくて、練習が嫌になって、合宿では完全に一度心が折れた」
薄々感じてはいたものの、人生で初めて聞く、自転車に対する兄の弱音。苦しそうに語る兄に、凛花はどんな顔をすればいいか分かりませんでした。
そんな困った凛花の心を察したのか、志信は微笑みます。そして、
「でも、凛花は違う。生まれてからずっと自転車のことばっか考えてて。乗ったことないのにロードバイクが大好きで。ママチャリで選手と同じ強度の練習をしてた大アホ」
「むっ?」
disられてる?もしかして。
凛花は兄の言葉に微妙に、声に出した通りムッとします。
麟太郎はただ、志信の言葉を黙って聞きます。まだ終わっていないと知っているから、言い分を全部聞くまでは、決して口を開きません。
志信は一呼吸置き、続けます。
「なのに凛花は未だに夢を叶えられてない。誰にだってチャンスは平等にあるべきだと僕は思う。才能があるなら尚更だよ」
「お兄ちゃん……」
「ロードバイクは僕が購入するし、乗り方も教える。父さんには迷惑かけないし、心配もさせないから。どうか兄として、家を出る最後に……妹にチャンスをあげるチャンスを下さい——」
頭を下げ、父に頼む志信。
その声は決して大きいものではなく、普段する会話と同じ声量で、大人しい子供のような声。
でも凛花は、兄の声がとても頼もしく、力強い、誰にでも誇れる兄であると、初めてそう思いました。
凛花はこの日、初めて兄を尊敬し、自分のためでなく、妹のために父親に頭を下げる姿を格好いいと思いました。
兄の覚悟、決意、義務感と、意志を繋ぎたいと思う気持ち。それを感じ取ったのは凛花だけではなかったようで、
「……お前が立派に成長して、そこまで言うなら、俺はお前に、凛花の人生を任せよう」
麟太郎はこの日、初めて折れました。
凛花がロードバイクに乗ることを許し、兄の威厳を示すことを志信に許しました。
ただ、
約十年、凛花に言い続けてきた、自分への誓いは、そう易々と無くすことは出来ないようで、
「だが、俺が凛花にロードバイクを許すのは、お前が凛花に才能を見出したからだ。才能がなく、やるだけ無駄だと俺が判断したら、凛花からはロードバイクを直ぐに取り上げる。それでも——」
「それでもいい!」
凛花は勢いよく答えました。
「それでもいいから私は……チャンスが欲しい!お兄ちゃんがくれた、チャンスが!」
この時、凛花には志信の意志が確かに託されていました。
兄が掴んだチャンス、その兄が凛花に与えたチャンス、元を辿れば、父が兄に託した遺旨。
繋がり、巡った、運命とも呼べる結果と返事に、麟太郎は一瞬微笑み、直ぐに真剣な顔つきに戻ると、
「なら、条件がある——」
凛花が戦う理由は、こうして生まれたのでした。
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