第21話 トラップ
レースを行なっているコースから少し離れた、第二折り返し地点近く。
黄色と黒のハチのような紐で区切られている観客側のスペースで、佐久は満足気な表情をして立っていました。
その視線の先には、再び第一折り返し地点に差し掛かる日向と凛花の姿が。
凛花から作戦の説明を聞き、それが順調に進行していることを知っている佐久は、
「うん、作戦通り行ってるみたいだね」
そう呟き、集団と日向達との差を確認します。
日向達が第一コーナーを抜けた時、集団はスタートラインに差し掛かるところ。とはいえ、大分バラバラになっているので、集団の先頭がその位置にいるだけで、実質それはもう集団と呼んでいいのか分からないただの寄せ集めでした。
集団とは、初めて会った人でも即座に意思疎通をし、お互いにギブアンドテイクで協力する、言わば即席大型チームです。
にも関わらず、二周目でこんなにバラバラになるというのは、お互いの意思が一つになっていない証拠。
力合わせて戦う日向と凛花には到底敵わない。
佐久はそう考えて、正直安堵していました。きっとこのレースは、日向にとって酷いものにはならないだろう、と。
そう、完璧に安心していたのですが……。——少々、そちらに集中し過ぎていて周りに気が回っていなかったようです。
「作戦とは何かね?」
「え?あっと、作戦というのはです……ねぃ⁉」
佐久は声のする方を振り返ると、驚きに目を見開きました。
そこに立っていたのは、先程までパイプ椅子に座り、自分よりも右の後ろ、遠いところにいたはずの玄二でした。
「聞かせてくれないか?……佐久くんとやら」
「え、あ……は、はい?」
佐久はなにやら違和感を感じていました。
初対面ではあんなに殺気を剥き出しにして自分を見ていた男が、今はまるで部下に話しかける上司のような感じで自分に接している。
佐久は態度の急変に驚きますが、
(あんまり怖くない?もしかしたら悪い人ではない……のかな?ま、まあ、そうだよね!浅神さんのお父さんなんだから!)
ここが佐久の良いところ。直ぐに考えを変えて、第一印象では人柄を決めず、普通に接しようと笑顔を作りました。
その様子を、風華と幸は遠くから見ていました。幸は風華の用意されたパイプ椅子に座り、風華はその横に立っています。
「おもむろに立ち上がったと思ったら、佐久のところに行って、どうするつもりなんでしょう?」
「あの人なりに反省してるんですよ。勘違いしてしまっていたことを」
「あー……そういえば、お父様は佐久のことを男の子だと思っていたんですよね?どのタイミングで気がついたんでしょうか?」
「ふふっ、あの人、昔から凄い観察眼を持っているんです。どれくらい筋繊維がボロボロになっているか、体温はどれくらいか、骨格はどうなっているか、なんて。だからきっと、車の中で佐久さんの匂いや肌を見て気づいたんでしょうね」
「は、はあ……」
人間離れした玄二のスキルに、風華は苦笑いしつつ、まるで犬みたいだと思うのでした。
やはり超人から超人は産まれるんだなぁとも。
そんな風華の表情は見ず、ずっと我が子を見ていた幸は不意に、
「それにしても……」
顎に手をやり、探偵のようなポーズで、
「いい場所にいるわね、日向。あのピンクの子と協力してるのかしら?」
誰に尋ねるでもなく呟いた言葉でしたが、事情を知っている風華は答えます。
「あの子が日向ちゃんに協力してって持ちかけてきたんです。今日、日向ちゃんがここにいるのもあの子が誘ったから……。余計なお世話かもしれませんが、きっと、あの子のお陰で日向ちゃんは成長してますよ、今」
「ふふっ、そうですねぇ」
納得したのか、微笑む幸。
その表情には、我が子が自由に成長する喜びと、手の届かない場所に飛び立っていってしまうという、少しの寂しさが混じっていました。
日向自身が、今まで行動を制限されていたことと自身の性質で心の成長が遅れていたこともありますが、娘が立派にやりたいことをしている姿に、幸は普通の親ならばもっと前に体験するであろう感動を今、していました。
そして同時に、日向のことを一番よく知る幸は、
「でも……日向は前進できないかも知れませんね。きっと、このままでは終われませんから」
「え?」
不吉なことを言う幸を一瞥する風華。
その表情から何かを読み取ろうとしますが、その顔に答えなどはなく、ただ真っ直ぐに、ずっと変わらず日向達を観ているだけでした。
なので風華も再び日向達を観ます。そして幸の言葉の意味を理解しようとします。が。
コーナーを、コーンを軸に紐でも付いているんじゃないかと思うくらい見事にまわる日向。その後、殺さないスピードを活かして加速する凛花。
この二人のコンビネーションに、風華は違和感を感じることはできませんでした。
(きっと、何かを勘違いしてるんだわ。二人ならきっと、このまま先行し続けて、最後には胸踊るゴールスプリントを見せてくれるはずだわ)
風華は二人を見守ります。その表情はよく見えなくても、きっとレースを楽しんでいることを信じて。
——自分が導いた少女の初レースが、良いものとなることを願って。
風華が真っ直ぐに少女を見据える時、集団との差は遂に半周に広がっていました。
——運命の、半周差に。
◇
何度コーナーを回ったことか。日向は若干、今が何周目か分からなくなっていました。
凛花に聞いたら、不真面目だと怒られるかもしれない。いや、けど、そんな人でないのは知っているんだけど……などと考えている時。
日向と凛花はちょうど何度目かのスタートライン兼フィニッシュラインを通過しました。既に集団との差は半周まで広がっていましたが、これ以上の差は広がりません。
日向と凛花の逃げを追いかけようとした集団は、もちろん速度を上げて追いかけるために全力で走りました。しかし、いくら速度を上げても、一周毎にやってくる速度を落とさざるを得ない二つのコーナー。
全力と、全員がコーナリングを済ますまでの休みを繰り返す、インターバルトレーニングのような状況になってしまった集団は、体力の激しい消耗により、既にボロボロ。
八人という少数の集団は、六人、五人、三人、とドンドン少なくなっていき、今は今回のレースの中で、まだ実力のある二人が平地で飛ばして日向達を追っているという状況。
力の差は五分五分。故にこれ以上引き離すのは無理。というより、無理をしたら日向達がバテるだけなので、ペースは変動させないのが得策なのです。
と、対する敵がちょうど自分の真横に来た時のことでした。
中央に設置されている柱の上から、少し雑音混じりで、
『さあ、先頭は六周目に突入。後続との差はおよそ半周です。このまま先行して逃げ切るのか、それとも後続がここから見事に先頭に追いつき逆転となるのか⁉』
定期のアナウンスが流れます。
正直、日向はその内容はほとんど聞いていませんでしたが、何周目かは把握。既にレースは半分終わったという事実に、少し安心をしていました。
(このままいったらきっと勝てる。うん、あと半分ならきっと!)
ここまでくると自然と口元が緩みます。最初は勝ち負けなど正直どうでも良く、走ることに意味がある、なんて弱小クラブの顧問のようなことを考えていた日向も、目の前の栄光には心揺さぶられるものがありました。
ここからも頑張ろう。そう思って、突入するコーナーのために凛花の前に出ようとしますが、
「あ、大丈夫よ日向。もう十分な差だから。コーナーは私が先頭で入るわ」
「え……っ?…は、はい……」
急なプラン変更に、日向は動揺し、目を丸くしますが、直ぐに凛花の言葉に従おうと、力を入れていた脚を緩めます。
(ずっとコーナーを任せてて悪いと思ったのかな?別にいいのに、真っ直ぐの時は牽いてもらってるんだから……)
なんだか申し訳ない気持ちになる日向。コーナーの時は日向が前ですが、それ以外はほぼ凛花が前。
自分が楽しているようで悪いと思ってしまうのも無理はありません。
と、同時に。
(そういえば、風華さんの秘密兵器、結局よく分からなかったなぁ。これ、何がいいんだろ?)
なんて、ビンディングシューズを見て全く関係ないことを考えていたりと、なんやかんや余裕はありました。
それは、凛花が先頭でコーナリングしても、余裕で勝てると、心のどこかで思っているからです。
(まあ、私のことは置いといて。凛花さんは最終的に勝てれば文句はないでしょうし、凛花さんもコーナーはきっと遅くない……だから私は、ただ、凛花さんに従えばいいだけ!)
日向がめちゃくちゃに他力本願にそう考えていた、
その瞬間。
「!っと、……とと……」
コーナー前、急に速度を緩める凛花に、日向も慌ててブレーキをかけます。
前言撤回、日向がそう思ってしまうほどに、落ちるスピード。こんなにブレーキングをしていたら、後ろに追いつかれかねない、そのくらい遅いです。
なので日向は、
(つ、次のコーナーからはちゃんと私が先頭になろう……)
そう思い、とりあえずこのコーナーは凛花に合わせようと、ゆっくりクランクを回し、凛花に付いていこうとした、———その時。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます