第20話 作戦開始

 それと同時に一斉に左のビンディングを済ませる選手達。日向と凛花も例に漏れず、直ぐに行い、凛花は一回で、日向は一度失敗するも、意外と冷静に対処し、二回目でバッチリ決めました。

 これが運動会のかけっこならば、皆一様に全力で走りますが、このレースはそんな短距離走ではありません。

 〝クリテリウムレース〟は同じコースを何度も周って競われるレース。今回の舞台は一周1㎞、それを十周の計10㎞のレースです。

 ロードレースと呼ばれるものの中では短い方ですが、それでも10㎞あるのですから、最初から全力を出すわけにはいきません。

 更に、自転車競技の天敵、〝風〟。それに対抗するために、選手達は誰を犠牲に、どこのポジションに行くかを見極め、様々な場所に目を光らせるのです。

 一番前に出てしまえば、そいつは第一の、風を避けるための盾になります。

 ペーサーと呼ばれる、途中まで速度を調整する係がいないということもあり、是非とも選手達は自分以外の選手に一秒でも長く脚を削ってもらいたい。

 そう、考えて様子を見ていた、—————その時。

 スタートするや否や、一人の選手が、まるで当たり前かのように一番先頭に躍り出ました。誰も前行かないなら私行くねー、といった軽いノリすら感じる余裕ある雰囲気で。

 碧空色のロードバイクに乗り、軽快なペダリングで進むその選手に、他の選手も続こうとしますが、既に先客が。

 桜の模様が入り混じる派手なロードバイクに、ピンクの可愛いウェアをきたその選手が、碧空色に侵食するんじゃないかくらいにピタリとくっついた位置で続きます。

 ポジションが確定しているこの選手を見て、他の選手は、まあ風除けが増えるだけだしわざわざ二番手取る必要もないか、と考えていたのですが……。

(よしっ作戦通りね!)

 これは先頭を走る日向、そして日向の真後ろで自分より後ろにいる選手に目をやる、凛花の〝作戦第一〟だったのです。

 後ろの選手が、ほぼ縦一列に集団が纏まったのを見て、凛花がニヤリと笑います。

 そして前を向くと、日向にしか聞こえない声で、

「作戦成功、次に移行するわ」

 日向はこれにコクリと頷きます。そして後ろを振り返ることなく、スタートから100m地点で徐々に加速を始めました。

 その加速に他の選手は、ペースが上がり、遂にレースが始まる、と思ったことでしょう。

 誰かが飛び出すこともなく、集団のままで振り落としが行われ、最終的にゴールで勝負が決まる。そう思う選手もいたでしょう。

 しかしその考えは、スタートから200m地点で覆されました。

 日向によって。

「「—————‼︎」」

 凛花、そして当事者の日向以外の全ての選手がザワつきました。

 集団が纏まり、風を凌ぐ為、第一の犠牲となった日向。その日向が、折り返し地点まで50mでまさかの———加速‼︎

 集団を引っ張り、コントロールするために前に行ったと、日向と凛花以外の全ての選手が思っていたのにも関わらず、まさかの加速‼︎

 逃げるタイミングなのか⁉そう、誰もが思った時、追いかけるか否か迷う時、集団は日向を先頭に、折り返し地点に突入しました。

 折り返しを示すコーンを目安にUターンして、今走った反対側のコースを走るこのルート。急な百八十度カーブに皆が徐々にブレーキをかけるその時。

 一人だけ全くブレーキをかけない選手がいました。

「いける……いける……ドリフトせずに、凛花さんと合流できるくらいのペースで……」

 そう、ドリフト少女と噂され、持ち前の圧倒的体幹によって、どんなコーナーでも適切なバイクコントロールで最短を駆ける天才ルーキー、日向です。

 日向のロードバイクの前輪がコーンを通過します。

 と、そこで日向は前輪を思い切り傾け、コース反対側に無理矢理ねじ込みます。突然の進路変更に挙動が安定しなくなるロードバイクですが、日向にとってはそんなのなんのその。

 四肢と、それを支える体幹でロードバイクを押さえつけると、直ぐにフレームもコース反対側に入っていき、超がつくほど僅かな時間でコーナリングを完了しました。

 これには観客も驚愕。

「な、なんだあの娘!コーナリングめちゃくちゃ危なかったぞ!」

「ハンドルの操作ミスしたのか?一歩間違えたら転けてただろ絶対!」

「けど、めちゃくちゃ速かったぞ、今のコーナリング……勢いが死んでねぇ……」

 日向の超スピードコーナリングに、観客達は驚きはするも、偶然だと思っている様子。運良く転けなかったから良かったものの、今のハンドル使いは確実にアウトだ、と冷や汗を流します。

 しかし日向はちゃんと身体で計算して行なっていること。そして、そんな終わったコーナリングになんて気をとられてる暇はありません。

 未だに最初の直線にいる凛花を横目で見ると、その差を確認。再びペースを上げようとペダルを踏み込みました。

 そんな、堂々と逃げを決めようとする日向を見て他の選手は、

「ヤバイ逃げられる!追うよっ!」

 と、焦ったり、

「いや、まだ集団の方が追いつける確率は高い……」

 と、残ったり、

「ふんふふんふふ〜ん♪」

 と鼻歌交じりで……ん?

 他の選手達は自分達のペースがコーナー前にしてもかなり落ちていることに気がつきました。

 遅すぎる……遅すぎる!と思いスピードを落とす原因、つまりは今コーナーに一番近い選手を見てみると、

「ふふふふふ〜ん♪」

 そう、その選手は鼻歌を歌っていました。

 先程まで日向の後ろにいた凛花です。

 凛花はコーナー前でかなりペースを落とし、そしてインコースでもアウトコースでもない、一番真ん中からコーナーを抜けました。

 あまりの遅すぎるペースに、選手達は憤りを覚え、コーナーを抜けると、直ぐに凛花を追い抜きます。

 その中でも勢いが強かったのは、さっき追うことを宣言していた、選手。大柄で、獅子が描かれるジャージを着た獰猛そうなその選手は、コーナーを抜けると直ぐに加速。

 集団を振り切り、誰も寄せ付けない勢いで先頭に出ると、そのまま日向を追って集団を置き去りに、更に加速していきました。

 彼女に付いていけたのはたったの——一人。

 その一人をチラリと見て、猛獣の如き大女は、怪訝そうな顔をしました。

(アタシのアタックに着いてくるなんて……いや、そもそもコイツはさっき下がったはず。何故ここに⁉)

 まるで獅子の瞳のような黄色いアイウェア越しに、自分に張り付く選手を睨む彼女に、

「あら?なんでコイツがここに?って顔してるわね」

 先程まで口笛を吹いていた凛花は、まるでここにいるのが当たり前のように、余裕のある表情で話しかけました。

「別に……ただ、後ろに張り付く奴の顔を見てただけだよ」

 大柄が前を向き背中で言うと、凛花は横からチラリと日向との距離を確認。

 右手中指をシフトレバーでさすると、

「そう……なら、——もう見たからいいわよねっ‼︎」

 カチカチッと二回タップ。

 勢いよくペダルを踏んで加速しました。

「なっ!ここで⁉」

 自分の右から発射され、慌てる大女が、凛花の後ろに付こうと立ち上がり加速しようとしますが、

「——っ‼︎速い!」

 既にその差は10m以上で、更にぐんぐんと広がっていきます。

 ここでの選択肢は二つ。

 無理にでも加速して、凛花の後ろを一か八か取りに行くか。

 先程のペースのままで、先頭に追いつくか。

 短時間で決めなくてはいけない選択肢に、頭をフル回転させます。

 が、

「な、あっ⁉」

 その考える時間が命取り。

 更に速くなる凛花は既に追いつけない距離に。

 強制的に選択肢は一つになるのです、が。

 加速を諦め、前の二人を見ていると、凛花が日向と合流した瞬間。ペースが落ちると思った瞬間。

「え?な、あ、ああああ———‼︎」

 なんと、日向の前に出た凛花は日向の盾になる形で加速。今のペースでは、大女は追いつけないペースに達してしまったのでした。

 どうあがいても詰められない距離、速度。なにより手を組んだことで生まれた人数の差。

 もともとチームだった日向と凛花ですが、それを知らない大女は、彼女達が今、手を組んだと思い、先程凛花と交渉すべきだったと瞬時に後悔。

 どうにもできなくなり、精神的にも後悔というダメージを受けた彼女は、ズルズルと集団に飲み込まれていくのでした。



 その頃、再び合流を果たした日向と凛花はというと。

「上手くいったわね。流石のコーナリングね、日向」

「い、いえいえ!凛花さんの作戦が凄いんです」

 お互いを褒め称えあっていました。

「とりあえず第三作戦まで成功……最後は駄目押しの第四作戦よ!」

「はい!」

 返事をすると、日向が再び凛花の前に。

 先程よりは緩い、二度目の折り返しコーナーに飛び込むと、今度は先程よりもゆっくり……とは言っても十分な速さでコーナリングをして、第一直線に戻ってきました。

 人を引っ張る時用のコーナリング、日向が凛花とのダウンヒルで使った、地形・状況把握能力による技です。

 そしてコーナーを抜けると今度は凛花が前に。再び速度が上がっていきます。

 これが第四作戦。

 〈コーナー日向・ストレート凛花〉です。

 詳しく説明しますと、コーナリングに強い日向が、コーナー前で前に出て凛花を引っ張りつつ、最良ルートでコーナリングをする。コーナーを抜けたら平坦を速く走る力を持つ凛花が日向を引っ張る。というもの。

 単純な作戦かもしれませんが、この作戦だけでなく、この作戦に辿り着くために、日向と凛花は第一から第三までの作戦を立て、それを見事に完遂してきたのです。

 日向達の今行っている行動。それは、〝逃げ〟です。

 ロードレースには二つの勝ち方があり、一つが集団と呼ばれる選手が固まって走るメインのポジションでゴールまで粘って勝つというもの。もう一つは今、日向と凛花が行なっているような、集団から飛び出して先行して勝つという逃げと呼ばれる方法です。

 そして、この逃げを成功させ、集団に捕まらずにゴールすることを〝逃げ切り〟と言います。

 簡単に言ってしまえば、集団が鬼、逃げが子という鬼ごっこ形式で、子は逃げ切れば勝ち、鬼は子を捕まえたら鬼どうしで戦って勝ったものの勝ち。みたいなものです。

 ここで一つ、何も知らない人からすれば疑問が出ると思います。

 どっちが有利なの?と。

 答えは、—————ありません。

 だって何が起こるか分からないんですから。

 集団で事故が起きて逃げが有利になるかもしれないし、逃げてたら自転車が壊れて止まってしまうかもしれない。

 何が起こるか分からないから面白く、奥深い。故にどちらが有利かなんてないのです。

 しかし、圧倒的に集団と逃げで違うものがあります。

 それが、前々からちょくちょく出てきた言葉、〈風除け〉です。

 自転車乗り最大の天敵、風。

 速度を上げれば上げるほど、それは強くなっていき、選手達に牙を剥きます。

 その風を凌ぐ方法、それは丈夫な選手達です。

 風というのは、一人だとその強さに、どんどんと体力を削られていきますが、自分以外の選手を盾として前を走らせた場合、その選手が代わりに風を受けてくれるので、自分へのダメージが減ります。

 それは集団の後ろに行けばどんどんと強固になり、ある一定のところまで行けば、ほぼ無風状態で楽に走ることが出来るのです。

 これを選手は風除け、〈スリップストリーム〉と呼びます。

 最小二人から行えるこの技。今、日向と凛花はこれをその最小二人で交代交代で行なっていました。

 今の話の流れからいけば、人数が多ければ多いほど風を凌ぐことができて、楽にレースを進めることができる……つまり集団の方が勝ちを狙いやすい、と思ったかもしれません。

 が、逃げにも必勝に入る方法があるのです。

 それは、———残りの距離とタイム差。

 レース前、スタートリストを見た時、凛花は思いました。たった十人しか参加者がいないのなら、日向のコーナリングと、自分のスプリントがあれば勝てる、と。

 二人で逃げられれば、集団が絶対に追いつけない距離まで、差を広げられると。

 なので、凛花は作戦を考えました。

 作戦一〈日向先頭・凛花が二番手〉

 この作戦は単純。誰もが嫌がる風除けを進んで買って出て、次の作戦を遂行するための布石とすること。

 作戦二〈日向アタック・凛花トメール〉

 一番先頭の日向がコーナリングを誰よりも速く行えることで可能となるこの作戦。まず、日向がコーナー50m前から勢いをつけて、スーパースピードコーナリング。驚く選手は追おうとしますが、コーナー前なのでブレーキングをします。

 そこで凛花、更にそのブレーキを強く‼︎

 止まりそうなほど速度を緩め、その隙に日向は集団からドンドンと逃げていくのです。

 この作戦の狙いはズバリ日向を先に逃がすことでした。

 作戦三〈凛花もアタック〉

 先に逃げた日向を追って、誰かしら集団から飛び出すだろうと思っていた凛花は、思惑通り飛び出したライオンちゃんに便乗。

 風除けにして少し休むと、得意のスプリントで加速して、日向の逃げに合流するのでした。

 そして現在の作戦四。

 更に集団と距離を開けるために、日向と凛花はお互いの長所を生かし、二人で勝ちに向かって進んでいくのでした。

 ここで、なんで最初から二人で逃げなかったん?という質問が出るかもしれませんが、それは単純に、凛花の加速に日向が付いていけず、多選手も引き連れてしまう可能性があったからです。

 つまり、少し手間を増やしても、大事をとった、ということです。

 それほどに凛花にとって大切なこのレース。

 凛花は後ろで走る日向に振り向かず、

「ねぇ、日向」

「はい?」

「……絶対に、勝ちましょうね」

 顔は見えないものの、優しく微笑みかけるような、仲間だと実感できるその言葉に、顔色をパァァァっと明るくする日向は、

「はい!もちろんです!」

 元気よく答え、その頼れる背中に付いていくのでした。

「…………………………」

 作戦五という、日向も知らない計画を内に秘め、怪しく笑う凛花の背中に———。

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