第28話 秘めた力
(勝てる!——勝てる!———勝てる‼︎)
凛花は勝利を確信し、自由への道をひた走っていました。
誰が見ても圧倒的に有利な立場、勝利は間違いないと、自負するどころか観客全員が思っていました。
凛花の強み、それはママチャリ時代からロードバイクを得てもずっと行ってきた、インターバルトレーニングです。スプリントをして速度を出してはゆっくり走り、また速度をだしては休み……と、脚と肺に負荷をかけ続け、凛花は止まった状態でもスプリントを繰り出せるほどの脚力——〈ゼロスタートスプリント〉を会得しました。
これがあるからこそ凛花はこのレースで今この位置におり、自他共に認める必殺技になっていました。
ですが、そんな技にも限界はあります。
爆発的な力は、一気に体力を消耗し、脚を売り切れにさせる。故に、トップスピードで走り続けることは不可能。凛花は今、先程日向を牽いていたのと同じ速度で、巡航を続けています。
とはいえ、それでも十分な速度。凛花の勝ちは揺るぎません。
一番の脅威と言える、凛花に最も近い場所に位置する日向も、今はうな垂れて前すら見れない始末。これは凛花の一人勝ち——。そう、誰もが思っていたのですが。
日向はたしかに下を向き、その表情は見えなくとも、体力と精神共に消耗しているのを誰もが感じていました。
しかし速度はというと、
「——一定。一定のケイデンスで速度を上げていってる。日向ちゃんの走りが変わったわね」
風華が冷静な分析で、日向の現状を呟きます。
すると佐久は、
「でも、下向いて苦しそうだよ!あれじゃあ息は上手く吸えないし、惰性で走ってるだけで、きっと……」
暗い表情で、ネガティブな言葉を吐きます。まるで日向が乗り移ったかのようです。
しかし、風華は知っていました。日向は終わっていないことを。今、起こっている現実を。
「日向ちゃんはショックでとか、疲れて下を向いてるわけじゃないわよ?」
「……え?じゃあどうして……」
「日向ちゃんは見てるのよ。ステムに付けられたサイクルコンピュータに映る〝速度〟と〝ケイデンス〟を」
そう。風華の言う通り、日向はサイクルコンピュータを見ていました。
サイクルコンピューターには、自転車の速度を表示する機能を始め、温度や勾配、時間を見る機能など、様々な機能が付いています。その中で日向が見ていたのは、一分間のペダリングの回数を示す〝ケイデンス〟と、基本の〝速度〟でした。
(風華さんのアドバイス……。ケイデンスは一定にしないと直ぐに体力を奪われるからこまめなギアチェンジをして、徐々に速度を上げていく……)
日向はギアを一段、重くしました。
脚には先程よりも負荷が若干かかりますが、ケイデンスのリズムは変わらないので、直ぐに安定。体力は消耗することなく、速度だけが上がっていきます。
「浅神さんの速度が……上がってる?」
「ええ。どうやらアタシと一緒にサイクリングしてた時のアドバイスを守ってるみたいね。ケイデンスと速度、この二つを抑えていれば態勢は立て直せる。更に下を見ていれば、」
日向は決して、チラリとも前を向きませんでした。その理由は、
(下を向いてれば凛花さんを見なくて済む。距離が分からなければ、精神的にはキツくない!)
日向は、いつの間にか凛花と共に走るのではなく、凛花に追いつくために走っていました。それは、善人な日向が、今からでも追いついて、凛花を手伝おうとか、一言文句を言ってやろうとか、そんな理由ではなく、もっと単純な感情的理由。
そう、つまりは。
(絶対に……!絶対に追いついて……今度は私が、——置いていく‼︎)
悔しかったのです。一瞬でも、レースの途中であっても。置いてかれた、〝負けた〟ということが。
日向はまたギアを上げます。
速度も比例して上がり、日向はその勢いでコーナーに突入します。
もう後ろには誰もいない。
日向は、日向だけの技、〈ドリフト〉で速度を殺すことなく、コーナーを駆け抜けました。
本日、初めて日向の本気ドリフトを見た観客一同は、
「な、なんだあの子!今ドリフトしたぞ!」
「あの横滑りって…一周目にやったコーナリングはまさか……」
「もしかして……もしかしてだけど、自分の意思でドリフト出来るのか⁉ロードバイクで!アスファルトの上で!」
日向にとっては当たり前になりつつある技、〈ドリフト〉。ですが、それは常人からしたら驚くべきことで、目を見開いて驚かざるを得ない神業でした。
そんな神業に、当たり前の奥義に、日向はほんの少し、ほんの少しですが、違和感を覚えました。
(なんだか……ドリフトがしやすい?ような……)
襲い来る、良い意味の違和感。その原因である部分はどこか?などと考えますが、日向にそんな分析をしている時間はありません。
コーナーを抜けると直ぐにやってくる直線。
日向は再び、風華直伝の安定走法で徐々に徐々に速度を上げていきます。
前を見ない日向には分からないでしょうが、凛花と日向の差は徐々に縮まり、お互いがコーナーをそれぞれ抜けた後の差は更に縮まって、スプリントをかければ、日向が追いつけるまでの距離になっていました。
まるで、凛花はコーナーが二つあるレース通りのコースを、日向はずっと減速をせずに、直線を走っているようです。
ジワジワと迫り来る敵。
それに気づかないほど、凛花も鈍くはありませんでした。
(日向……流石だわ。私がいなくなった途端にコーナリングがドンドン速くなっていってる。平地も安定性で負けてるし、このままじゃ……)
焦る凛花。しかし、ここで無理に加速しても、コーナーで減速し、無駄に体力を消耗するだけ。
凛花は、今出せる安定を保てる最大限の速度で、走りました。今までのゼロスタートスプリントのツケが回ってきたのか、脚が酸素を欲するような奇妙な感覚に陥りますが、ゴールまでは保てそうです。
しかし、容赦のない日向は、
(もう一段ギアを、——上げる!)
更に加速。安定したリズムのペダリングと、初心者とは思えない綺麗なフォームで、凛花をさらに追撃します。
日向がここまで速度を上げられる理由は三つ。
一つ目は、筋肉トレーニングで培った、常人離れした圧倒的な体幹による安定したペダリング。
二つ目は、風華がそういう走らせ方、教育をしたから。ダウンヒルでのスーパーコーナリングを活かすために、風華は日向に、ある脚質になるための種を埋め込んだのです。その脚質は——
「日向ちゃんは
「浅神さんがルーラー?でも、ペースは一定じゃないし、それになんでルーラーだとこの状況で有利なのさ?」
「別に、ルーラーだから有利なわけじゃないわ。日向ちゃんだから有利なのよ。アタシが日向ちゃんに教え込んだのは、一定スピードで走ることじゃなくて、一定のパワーで走ること。普通はコーナーでそれが一旦崩れて、選手は立て直すのに最低一秒は時間がかかるのだけれど、日向ちゃんのドリフトではその崩れがない。つまりずっと同じリズムで走り続けられる。体力を残すのにはもってこいの、日向ちゃんのみに許された脚質よ!」
風華が自信満々に述べた日向の強み、それが三つ目の理由です。
日向はコーナリングで、余計な体力を消耗しない。故に速度は継続され、加速も直ぐに簡単にできる。
一人になったから、一人だからこそ行える、日向の走法。更には、徐々に使いこなせるようになってきている風華の〝布石〟により、レース中であるにも関わらず、ドンドンと強くなる日向に、凛花はますます焦りを感じていました。
二人の差は、既に5mほど。
スタート兼ゴールラインを抜けて、ちょうど九周目に入ったところでのこの距離は、もう追いつかれることを覚悟するしかありませんでした。
ですが、
(まだ……まだよ!まだ弾は残ってる!)
凛花はハンドルを強く握ると、ギアを一段上げ、再び、
「お、おいあの子!また加速したぞ!あの子のスプリントに底はないのか⁉」
渾身の〈ゼロスタートスプリント〉———‼︎
残り二周でまたも勝負に出ました。
ここは是が非でも追いつきたいのが選手としての当然の思考回路。でも、日向は違いました。
未だに顔は下を向いて、表示通り、一定のペースでリズムに合わせてペダリング。
コーンが見えたらドリフトと、作業を繰り返していました。
「日向は一体何を考えているんだ。あのままではまたも置いてかれてしまうぞ‼︎」
熱が入り、身を乗り出す玄二。そんな玄二を横で眺める幸は、
「あらあら、必死になっちゃって。止めるんじゃなかったんですか?」
と可笑しそうに微笑みます。
「う、うむぅ……い、いや別に。事実を口にしただけだ!応援などしてはいない!」
強がり、ふいっとそっぽを向く玄二に、女性陣が思わずプッと吹き出します。
一番笑ったのは風華。
「あはははははは!ツンデレお父さん、ツンデレお父さんよ‼︎フフフフフフフっ!」
「なっ、笑いすぎだぞ君!」
「あはははははははははははははははは‼︎」
腹を抱えて、その場にしゃがみ込む風華。レアリティ高いツンデレおやじという存在が面白くて堪らない様子です。
そんな姉を見て、初めは少し笑ってしまった佐久も流石に注意します。
「ね、姉ちゃん流石に笑いすぎ……」
「ひいっ…ひいっ…!あー面白い、面白い……ははっ…そうね、フッ…ごめんなさい、笑い過ぎたわ……ふふっ!でも、まあ大丈夫ですよ。心配しなくても」
風華は再び立ち上がり、笑い過ぎて出た涙を拭いながら玄二に、
「日向ちゃん、めちゃくちゃ計算能力高いですから。きっと、凛花ちゃんはもうあの娘の手の平の上です」
黒い笑顔を浮かべてそう言いました。
どうやら、日向の力はまだあるようです。
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