第31話 表彰

 攣っていた脚も大分楽になり、ようやくロードバイクから降りられるようになると、日向は足首をひねって、ビンディングシューズをペダルから外していきました。

 そして、地面につき、ようやく降りることができた、その瞬間。

「……あ」

 日向は脚から崩れ落ちました。

 どうやら身体を支えることすらできなくなっている状態のようです。重量と疲労に逆らえずに落ちていく身体。そんな日向の身体をガシッと支えたのは、

 ——父である、玄二でした。

「お父……さん」

「無理をするな。アドレナリンが切れて、疲れは増していくばかりだろう。とりあえず座れ」

 そう言うと、玄二は自分用に用意されていたパイプ椅子に日向を座らせます。なんだかいつもより優しい父に驚きつつ、日向は着席。

 ガクガクと震える脚に、自分の疲労度を改めて感じさせられました。

「出し切った、って感じね」

「凄かったよ浅神さん!まさかあんなに速くなってたなんて……驚きだよ‼︎」

「ふふふ、立派に育ったものですねぇ」

 風華、佐久、幸の順番で、日向に称賛の言葉が送られています。

 そして次は、と視線が自然に一人の方へ集まります。

「ぐ、っ……」

 全員に見られて、困りたじろぐ玄二。

 そもそも、誰かを褒める言葉とは程遠い性格にある玄二。ましてや、娘を褒めるのなんていつぶりか。

 きっと、日向が覚えてないくらい前。

(というかそもそも私は日向を止めに……いや、だが……しかし、)

 玄二は、とあることを昔から心の内に秘めていました。今明かすべき、その秘め事。

 玄二は息を吐きます。

 緊張を解し、筋肉を解すために一度空気を吐き、吸い込みました。

 日向の顔を、玄二が真っ直ぐに見据えます。

 目が合い、逸らしたくなる日向ですが、ここは堪えて、拳を握ります。なんだか、今は目を合わせなければならない……目を合わすべきだと、日向自身感じていたのです。

 どんな褒め言葉が出るのか。日向は怖いもの見たさの感覚で、唾を飲み込みました。

 そして遂に、玄二が口を開き、その口から出たのは、

「私は、スポーツ関係の仕事をしている」

「……………………………………へ?」

 全く褒めの言葉でもなんでもない、職業についてのカミングアウト。

 ストレートが来ると思ったらまさかのボール球という不意を突いてきた言葉に、日向はポカンと口を開けます。他の三人も予想外の言葉に「ん?」と首を傾げます。

 でも、ある意味初めての言葉でした。

 玄二が職業の話を、しかも自ら進んでするのは、これが初めてのことでした。

 昔、日向は玄二に一度だけ職業を聞いたことがありましたが、その時はお茶を濁され、再び聞くのも怖かったので、踏み込まなかったこの話題。それがまさか、こんなところで解禁されるなんて。

 しかも、まさかのスポーツ関係の仕事。日向は頭を整理し、整理するたびに驚きました。

「ど、どういうことですか?スポーツ関係って……スポーツ製品の販売とか……」

「いや、違う。私は様々なスポーツのトレーナーをしているんだ。主に必要な筋肉をつけるためのトレーニングのアドバイスをするのが仕事だ」

「ああ、だからトレーニング器具……か」

 風華が手を叩いて納得します。

「自分の身体を常に鍛え、証明しなければ説得力は皆無だ。だから私は常に家でトレーニングをしている。そして無論、日向がそれを使用していたのも知っている」

「え、えっ⁉」

 まさかのバレていた自主トレに、日向は動揺を隠せません。汗はタオルで拭き、器具の位置も変えてはいないはずなのに、何故バレたのか。

 日向はもしや隠しカメラでもあったのか、と思考を飛躍させます。しかし、別にそんなわけではなかったようで。

「あんなにトレーニング器具を使っていたら熱気が残って仕方ない。私の匂いとは全く違うモノも感じたしな」

「え…………」

 そんな判別の仕方?ちょっと変態っぽい……と、考えて日向はちょっと引き気味に。

 そして風華は、やっぱり犬だわ!と思うのでした。

「別にそれは構わなかった。そもそも、運動するのは反対ではない。健康的だし、自分を追い込むのは人生に役立つ一つの経験だ」

「え?ならなんで……」

 スポーツを禁止したのか。

 外で遊ぶのを禁止したのか、日向は疑問に思いました。それは玄二にも分かったようで、

「だが、それは一人でする分には、という話だ。私はお前に、他者とスポーツをさせるのを止めたかった」

「なっ!どうして!」

 日向が思わず立ち上がります。どうやら、少しは脚も回復している様子です。

 玄二はそんな日向の勢いに怯むことなく、

「お前には運動神経があるからだ」

 そう言い切りました。

 これに頭に疑問符を浮かべる日向。だって、今までスポーツをさせてもらえなかったのに、運動神経の有無なんて分かるわけない。そう考えていたから、玄二の言ったことが分からなかったのです。

「運動神経とは、筋肉の量、質、肺活量などを示すことではない。運動神経とは、己が肉体をその人間がどれほど上手く使いこなせるか、その能力を言う。そして日向、お前は日常的にその能力がとても高かった」

「日常的に?」

「うむ。歩く時の身体の揺れや効率。呼吸の仕方にバランスの取り方。お前はきっと、どんなスポーツをしたとしてもある程度の成果を残せていただろう」

「え……」

 そんな風に考えていたなんて。

 日向は驚き、そして尚更疑問に思いました。

「じゃあなんで浅神さんにスポーツをさせてあげなかったんですか?普通、才能があると分かったら親ならそれを勧めるものだと思いますが」

 日向と同じ疑問を持っていた佐久が尋ねて、日向はウンウンと頷きます。

 まあでも、そんな質問、玄二も当然の如くされると思っていたようで。

「何をやっても成果が出る可能性。それはつまり、多くの逃げ道があることになる。だから私は。私……は……」

 と、ここで玄二の言葉が急に詰まります。

 すると、今まで黙って聞いていた幸がふふふと笑い、玄二の背中をさすりながら、

「それが言いたかったんですね。随分と回り道した褒め言葉ですこと」

 全てを察した幸が、微笑みながら、玄二の意思を代弁します。昔から知っていた、玄二の秘め事を。

「玄二さんはですね、日向には全力で取り組める、絶対に勝ちを譲りたくないと思えるスポーツをして欲しかったんです。誰かにスカウトされたり、誘われたりしないで、自分の意志で始めたいと思えるスポーツを」

「そんなことを……」

 日向が玄二を見ると、玄二は目を瞑って、そっぽを向いています。この恥ずかしがりようは、どうやら真実のようです。

 初めて知った父の心の内。

 日向はそんな父の望みに、一つだけ引っかかるもの感じていました。

「けど私、誘われて自転車を始めたんです。……今日のレースに出れて、勝てたのも、その人達のおかげ。だから、私は……」

「自分の意志で始めたわけではない、と?」

 幸の問いに、日向はコクリと頷きます。

 その様子を見た佐久は直ぐに、

「それは違……」

 と否定の言葉を口にしようとしますが、その途中で。

「それは違うぞ日向」

 玄二の方が先にその言葉を言い切りました。

「う」と「よ」を言い損ねた佐久は、言葉にならなかった言葉をどうしようと、冷や汗をかき、そして隣の風華にポンッと肩を叩かれました。ドンマイ……そう聞こえたような気がします。

 そしてセリフを奪った玄二は続けて、

「お前は私がスポーツをすることを否定し、その能力を外で使うことも禁止すると、他人の意見に流されやすくなった。だが、それと同時にお前は他人の行動と言動を予測し、嫌なことや興味のないことからは逃げる術も手に入れた。そんなお前が………流され、逃げ続けた〝漂流者〟のお前が、私に歯向かってまで守ろうとしたスポーツは、それはお前の意志があると十分に言える」

 玄二は偉そうに、腕を組んでずっと話していましたが、日向はその言葉が、父が人生で自分に語ったことの中で、一番温かいものだと感じました。

 自分を認め、自分の大切なものを認めてくれた、初めての瞬間でした。

 そして遂に玄二は、少し恥ずかしそうに、ツンデレオヤジ独特な表情、言葉で、

「ま、まあ…レースを見る限りお前は、まあ……頑張っていた……と、思うぞ?うむ」

「相変わらず不器用ですね」

「なぬっ⁉……う、うるさいぞ幸!私はお前達が褒めろという雰囲気を出すから仕方なくだな……」

「はいはい、言い訳お疲れ様です。それより、もっと確信的な言葉を言ってあげないと、ちゃんとは伝わりませんよ?」

「うっ、……うむ……」

 玄二は一度咳払いをします。襟を整えて、まるで新入社員が挨拶をする時のように。

 でも、姿勢は高慢で、いつも通りに威圧感ある厳つい表情で、顔を若干赤らめながら、

「日向、お前にロードレースをすることを許可する。で、でも勘違いするなよ⁉別に、全てのスポーツを行うことを許したり、怪我をして良いと言ったわけじゃないからなっ‼︎」

 そう言いました。

 まさにツンデレ。遂に呪縛から解放された感慨深くなるような瞬間なのに、そのセリフのせいで、風華を筆頭に、

「ぷっ!ぷははははははははははははははははははははははは‼︎」

 佐久も、

「くふっ、くふふふふふ……ふふっ……」

 幸も、

「ふふふ、ふふふふふふふふ……」

 そして日向ですら、

「ふふっ……あははははは!あはははははははっ——!」

 一斉に吹き出し、笑い出しました。

 そんな四人を見て、玄二は更に顔を赤らめ、

「な!何がおかしいんだ‼︎なにがっ!」

 と怒鳴りますが。

 登場時の威圧感は何処へやら。そんなセリフすらも笑いを加速させる要因に過ぎず、どんどん笑いは大きく、止まらなくなっていきました。

 歯を食いしばり、もやもやと悔しそうにする玄二ですが、お腹を抱え、涙を出しながら笑う日向を見て、

(明るくなったな日向。これが娘の成長を喜ぶ親の気持ち……というやつか。でも…だが!)

 玄二は頭を抱えてしゃがみ込み、

 こんな馬鹿にされる場面で感じたくはなかったー‼︎と、心で叫ぶのでした。


 酔っ払ったように楽しい気分。まるで日向達のいる場所だけ宴会場のように賑わっていると、

 唐突に、ピンポンパンポーンと、アナウンス開始の音が流れてきました。

『まもなく、クリテリウムレース女子部門の表彰式を行います。上位三名の選手方は、受付横、特設ステージまでお越し下さい』

 再びピンポンパンポーンと鳴り、プツンとスピーカーが、切れます。

 これを聞いた日向は、アナウンスの途中で笑うのをやめ、そして終わると、冷や汗を流し、静かに尋ねました。

「表彰式なんて、あるんです……か?もしかして、表彰台に立ったり……?」

「そりゃあるわよ。勝ったら表彰されるのは、どんなスポーツでも共通でしょう?皆んなにその勇姿を見てもらわなきゃ」

「え…………」

「やったね浅神さん!今回は優勝商品に高級タイヤや替えのチューブがあるらしいよ!」

 キラキラとした笑顔で、このパーツが凄いんだよ!とパンフレットを見せる佐久ですが、日向はそれどころではありません。

 表彰式、皆んないる、見られる……目が合う‼︎

 日向は自分のロードバイクを掴み、そして跨ぎました。

「浅神さん?一体なにを……」

「無理……」

「え?」

「私にはっ!無理ですっ‼︎」

 日向はそう叫ぶと、漕ぎ出して行ってしまいました。まさかの行動に、焦る佐久は、

「ちょっ!浅神さん⁉」

 走って追いかけます。

 成長して、父親とは目を見て話せていた日向ですが……どうやら、根本的な性格は変わっていなかったようです。

 逃げる日向。それを追いかける佐久。

 それを見て風華は、

「やれやれ、なにやってんだか」

 幸は、

「あらあら」

 玄二は、

「うむ……少々育て方を間違っただろうか。まあしかし、」

 呆れ顔ながらも、———それがやっぱり日向らしい。と、笑っていました。


 そんな日向は、走り続けます。

 嫌なことからは逃げ、怖くて他人に流されても、自分が本当に大切にしたいものは手放さないように、全力で走ります。

 この物語は、そんな漂流を繰り返した少女が辿り着いた世界での物語。

 彼女が授かった、特別な才能の話。

 その名は——『ちゃりどりっ!』です!


 どんどん走る日向の耳に、声が聞こえてきます。

「待ってよー!浅神さーん‼︎」

 聞き慣れてきた声。自分をこの世界に誘ってくれたその人物の声に、日向は立ち止まり、そして振り返りました。

「大垂水さん‼︎」

「へぇあ?」

 息も絶え絶え、まともに返事の出来ないくらいに全力で走ってきた佐久。

 太陽に照らされて輝く日向は、そんな佐久に向かって、その光に負けないほどに眩しい笑顔で、

「私、ロードバイクが大好きです‼︎」

 ………それは、佐久がずっと求めていた言葉でした。

 自転車ショップで初めて会った時に、そうなってほしいと望んだ、理想でした。

 そんな言葉に佐久が返す言葉なんて、——たった一つだけです。

 出会った時、日向を一目見た時から想い、ずっと前から用意していた言葉。

 太陽照らし、さざめく波の音が聞こえてくる絶好の場所で、佐久は日向同様……いえ、それよりももっと眩しく、

 まるで名の由来通り、彼女を照らす太陽のように輝かしく笑って、答えるのでした。

「私も……っ!——大好きだよ‼︎」


  ◇


 すれ違いながらも、日向と佐久がお互い言いたいことを言って笑いあっていたその時。

 会場では表彰式が既に始まっており、凛花は、いない日向の代わりに繰り上げで、一位の賞と優勝商品を貰っていました。

 図らずもまさかの一位になり、表彰台の一番トップにいる凛花。その笑顔はめちゃくちゃ引きつります。

(なんでこうなったのかしら。結局優勝扱いだけど……パパとの約束を図らずも達成できたけど、でも……——何この腑に落ちない感じー‼︎)

 凛花はそう思いつつも、パシャパシャと自分を撮るカメラに向かい、優勝者の責務として、その手を挙げるのでした…………。

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