第25話 才原凛花のオリジン3

 これもそのまんまの意味。ママチャリで100km走ろうという、常人からしたらアホな企画。

 しかし、凛花にとってこれはアホでも無茶でもない、乗り越えなくてはいけない、ロードバイクを手に入れるための一つの壁でした。

 事前にルートを決め、食事処、獲得標高などを計算した凛花は、もちろん準備万端。

 私、これが成功したらお父さんに実力を見せつけてドヤ顔でロードバイク買ってって交渉をするんだ。

 と、意気揚々とママチャリに乗り、駆け出していきました。

 が——

 フラグもフラグ。そんな上手く行かず、休日の8時から出発した凛花は、夜の22時になっても、家に帰ることはできませんでした。

 お腹が空いて動けないから?疲れちゃったから?まさかまさかの不幸のパンク?

 否、どれでもありません。

 もっと、単純な理由。単純で、自転車初心者が一番陥りやすいと言ってもいいもの。

 答えは———道に迷う、でした。

 加えてケータイ忘れ。凛花はどこか分からない土手で、明るくなるのを待とうと、ボーっと星を見ていました。

 やっちゃった……と、後悔する気力もなく、完全に、心も身体も脱力して。

 きっと親が心配してるだろうなぁっと、思いながら。

 ええ、正解です。

 バリバリに才原家は大騒ぎでした。

 母親が、

「なんで電話にも出ないの⁉何かあったんじゃ……警察を呼ぶべきかしら!」

 それに対し麟太郎が、

「いや、ママチャリで出かけて行ったんだから遠くには行ってないはず。もしかしたら友達と遊んでるのかもしれない」

 そこへやってきた志信は、手にピンク色の可愛いケータイを持って、

「凛花、ケータイ忘れてるよ。それに、多分友達と遊んでるんじゃない……。僕、ちょっと走って見てくるから!」

 志信はそう言い、玄関に立てかけてあるロードバイクに乗って、凛花を探しに走りました。

 凛花のケータイのロック画面を抜けた先、ホーム画面にそのまんまつけっ放しだった、峠までのルートを思い出し、

「あの馬鹿——‼︎」

 誰もいない街灯照らす夜の道、静かな国道で、一人声を荒げながら。


 そうして、しばらく凛花が調べたマップのルートを走っていた志信でしたが、遂に限界を感じ始めました。

 このルートにいないということ、そしてこの時間に帰っていないということは道に迷ったということ。志信はそう推理し、手がかりを得るために、自分のケータイで電話をしました。

 かけた先は、

『ふぁい、風華だけど。どうかしたの?』

 ケータイから風華の少し眠そうな声が聞こえます。

 志信は少し悪いなと思いつつも、一分一秒を争うと、風華に今の状況を説明しました。

 しかし風華も凛花のことに関しては知らなかったようで、

『特に凛花ちゃんはウチに来てないし、見かけてないわね。力になれなくてごめんなさい』

「いや、いいんだ。ありがとう。もし、風華のところに行ったら、そこを動くなって言っといて。じゃあ——」

『あ!ちょっと待った!』

 ケータイを切ろうとする志信を引き止め、風華が、電話の奥、ちょうど寝室にやってきた人物に問いかけます。


「佐久、アンタ今日店番で色んな客と話してたわよね?」

「え?うん話してたけど。ちゃんと働いてたよ?」

「いや、それは別にいいんだけど。ねぇ、凛花ちゃんについての情報ない?まだ家に帰ってないみたいで」

「凛花ちゃん?あぁ、あのよく来てた髪ピンクの子ね。そういや一番最後に来たお客さんがなんか言ってたなぁ。サイクリングロード走ってたって、ショップとは真逆の方に向かってたらしいけど——っ⁈」

 思い出しながら話す佐久の肩を左手でガシッと掴み、右手に持っているケータイで、

「多分逆走してるのに気づかないで走っちゃったパターンよ。今からウチに近い方のサイクリングロードを佐久に探させるから、アンタは反対側を探しなさい!」

 指示を出して、了解の返事が来るとケータイを切り、佐久にGOサインを出しました。

「い、いや!なんで私が⁉姉ちゃんが行けばいいだろっ⁉」

「いやいや、もし凛花ちゃんがウチに来た時に誰もいないのはダメだし、それに、アンタ平地得意でしょ?役に立ちなさい」

「うぅむ……」

 若干の不満はあるものの、風華の言っていることは正しい。

 姉の彼氏さんの妹を探すというのは、妹同士、というかサイクリストとしてやらなければならないものと感じる。

 佐久は「分かったよ!」と準備を始めました。夜、暗い道を走るのは危険なので、ライトをいたるところに付けて、いちいち着替えるのも面倒なので、ジャージで駆け出しました。

 夏の夜は、寒いというよりはちょっと涼しいといった感じで、走るのには最適でした。

 風が体を包み込むのが、昼間は暑くてネットリして気持ち悪くも感じるのに対し、夜は優しく肌を撫でるようで、綺麗な星空も相重なって特別な気分がしてきます。

 その感覚は夏の夜を走るサイクリスト全てに共通し、土手で転がる凛花も、同じ気分でした。

「はぁぁあ……なんか、このまま帰らなくても大丈夫な気がしてくるのよねぇ。全然大丈夫じゃないだろうけど」

 凛花は自分が走って来たサイクリングロードを眺め、思いに耽ります。

 もし自分がこの道をロードバイクで走っていたら、サイクルコンピュータなど、速度を計測できたり、道を案内してくれる専門機械があったら。

 サイクルジャージを着ていたら。

 そのサイクルジャージに、補給食を入れていたら。

 ああ、お腹空いた。

 凛花は一番の問題に気づきました。そして叫びます。心の内を。

「おーなーかーすーいーたー‼︎」

 転がります、駄々をこねる子供のように。

「お腹空いた!お腹空いた!お腹空いたー!」

 無駄なカロリーを消費し、空白に拍車をかける凛花。その行為が無駄であると気づくのはいつなのでしょうか。

 と、そこへ。

 なにやら眩く、思わず目を細めるような、丸っこい光の塊が、もの凄い勢いでやってくるのが、凛花のめに映りました。

 思わず立ち上がり、

「人魂っ⁈」

 発光する物体にビビる凛花。

 それかもしかしたら後光で、天使が空腹で死亡した自分を迎えに来たのかもしれない。そうも思いましたが、

 いやいや、そこまでの空腹ではない、と考えを改め、自分にツッコミます。

 とすればやはり人魂か?

 凛花は細めた目で、ジーっと、それを眺めていると、それが横に来た瞬間、

「—————‼︎」

 もの凄い速度と風圧。そして風切り音に、凛花は一瞬でその正体に気がつき、驚きました。

「ロードバイク!」

 その速度は、サイクリングロードでそんなに出していいのかと思ってしまうほどのもので、練習にしては追い込み過ぎと思うほどに本格的な音がしていました。

 なにより凛花が驚いたのが、

 横に来た時に見えた乗り手の身体のライン、あれは女性のものでした。

 凛花は鳥肌が立つのを感じました。

 自分と同性で、ロードバイクに乗ってるとはいえあんなにスピードを出せる人間がいる。

 ロードバイクに乗っていて速くても、凄さが一瞬で分かる者がいる。

 凛花はこの人に一瞬で憧れを抱き、そして、追いつける筈もないのに、ママチャリに乗って、後を追いかけようとしました。

 すると、

「あれ?コッチに来る?」

 先程自分を通り過ぎていったロードバイクは、何故か折り返して自分の方へ。シャトルラン的な練習かなぁと思いもしますが、速度が先程より大分ゆっくりのため、それは無いと凛花は冷静に分析をします。

 と、凛花の横、眩いロードバイクが速度をさらに緩め、停止します。

 凛花が首を傾げ、乗り手の顔を覗き込むと、その人物は、かけていたクリアなアイウェアを外して、

「才原さん、だよね?姉ちゃん……大垂水風華に言われて君を探しに来たんだ。いやぁ見つかって良かったよ」

「んん?あ……っ!」

 凛花はこの顔に見覚えがありました。

 風華とお喋りをしている時、いつも自転車の修理に没頭し、手際良く作業を行なっていた凄腕。風華に一度紹介してもらった風華の妹。名前は……そう、

「そうだわ!佐久よ!佐久!あなた凄いのね!」

「…………へ?」

「さっきの走り見たわ!あの速度、フォーム、眩い光!」

 最後のは普通にライトによるものです。

「おまけにイケメンって!リスペクトよリスペクト!私、アナタのこと気に入ったわ!というか好きよ!」

「え……?えええええええ⁈」

 いきなりの告白に驚き、ロードバイクから落ちそうになる佐久。なんとか体勢を立て直し、凛花に尋ねます。

「な、なんでいきなりそうなるの?私は別に普通に才原さんを探しに来ただけなんだけど……」

「それがカッコイイのよ!颯爽と登場して、私を助けてくれた王子様!更には私が超が付くほど憧れる速度の持ち主!あんなの一目で惚れるに決まってるじゃ無い!あ、あと私のことは凛花でいいから」

「うぉぅ……」

 かなりのインパクト。凄まじい温度差ですが、とりあえず嫌われるよりも好かれる方が良いです。

 ですが、なんだかムズムズする。

 佐久はあまりのべた褒めにこそばゆくなり、この状況から早く抜けようと、

「ま、まあとりあえず帰ろう。皆んなが待ってるから。ゆっくり行くから、私の後ろについて来て」

「ええ!後ろで舐めるように佐久の走りを見るわ!」

 凛花はそう言うと、親指を立て、マジでリスペクトですという風にウィンクします。

 佐久は苦笑いをしながら、再びゆっくりと漕ぎ出します。凛花はピッタリとくっつき、そして有言実行、佐久の背中が視線で痒くなるくらいに、〈路流風〉に着くまで佐久を見つめていました。

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