第17話 放たれた車輪のごとく

 佐久と風華による朝の一悶着が終わり、朝食を済ませると、日向達は各々の準備に向かいました。

 風華は会場までの車の準備を、佐久は風華と共に行動して、車の上に自転車を載せる準備をし始めました。

 日向は着替えです。会場や車の中で着替えをするのは周りの目が気になる……というか結構アウトですし、ここで着替えていくのが正確……得策です。

 日向はサイクルウェアに着替え終わると、運動してないと少し寒いかもしれないから、と風華に渡されたジャージを更に上から着て、

「よしっ!」

 準備を完了させました。

 かなり早く自分の事が終わり、静まり返った部屋で一人ポツンと立ち尽くす日向。

 誰もいないのに気まずいという思いと、こんなところでボーッとしてていいのかという、ネガティブ特有の焦りが、日向の足を外へと進めます。

 日向が大垂水家の玄関口に出ると、そこには誰もいませんでした。首を傾げ、ショップの方まで歩を進めてみると、そこには日向のロードバイクを車の上に乗って何かの器具に繋ぐ佐久の姿が。

「あ!大垂水さん!」

「ん?ああ、浅神さん。着替え終わったんだね」

「はい、それで……何か手伝えることはないかと思いまして、来ちゃいました。今は……何をされてるんですか?」

 日向はロードバイクを繋ぐ器具を不思議そうに眺め、それがどういう仕組みかを思考します。

 何やら自動車にガッチリと固定するための脚が生えていますが、見ただけで分かるというものでもありません。

 ですがご安心を、直ぐに答えは出ます。

 佐久がロードバイクを手に、実演的講義を始めます。

「これはサイクルキャリアって言うんだけど、えっとまずはルーフに専用器具を取り付けて車とサイクルキャリアを繋げるようにするんだ」

 佐久が既に取り付けられている器具を指差しました。

「そんで……繋げたら後は簡単!前輪を外したロードバイクをサイクルキャリアに固定して、」

 手際よく、フロントフォークをサイクルキャリアに固定し、ロックをかける佐久。慣れというものが日向にも感じられます。

「ホイールを結んだら完成だよ!まあ、最初は難しいから今回は私がやったけど、今度試しにやってみようか?」

 完璧な技でサイクルキャリアとロードバイクを固定し、佐久はそう問うと、自動車の上からスタッと降りました。

 その様子がどうやら日向にはピンポイントで格好良かったらしく、

「は、はい!是非っ!是非っ!」

 と目を輝かせるのでした。

「はははっ、なんか食いつきいいね。それじゃあ……まあ今はやることも特に無いし、車に乗って姉ちゃんを待ちますか」

 佐久がそう言うと、日向はコクリと頷き、なにかを思い出したようにハッとしました。

「そういえば、ヘルメットとかって何処ですか⁉私、分からないんですが!」

「ん?あー、大丈夫大丈夫。もう車に積んであるよ。あ、そうだ。コレだけは渡しとくね」

 佐久はそう言うとポケットの中から丸みを帯びた長細いケースを取り出し、開けて日向に中身を差し出しました。

「あ、っと?アイウェア……ですか?」

「うん。まあ会場着いてからでもいいんだけど。……会場には人いっぱいいるし、この間凛花といる時もかけてたから、必要かなぁっと思って」

「い、いや!私、人が多いだけで緊張するほどの人見知りでは無い……………わけではないですが……」

 想像したら結構キツかったので直ぐに意見の転換。柔軟な対応、咄嗟の逃げこそが日向のスキルでありました。

 今回もそれは自動的に発動し、

「ま、まあ何にせよ受け取っておきます。はい……」

 そう言って、佐久の手からアイウェアを受け取ると、直ぐにポケットに入れるのでした。

 そんな日向の反応が可愛かったのか、微笑む佐久。

 日向は図星を突かれた恥ずかしさに顔を赤くして、

「じゃ、じゃあ車に乗りましょう……!」

 と言って逃げようとした、

 その瞬間でした。

 ——悪寒。

 車のドアに手を触れようとした瞬間の横からかかる猛烈な圧!——圧‼︎———威圧感‼

 日向は恐る恐る横を向き、

「———‼︎」

 そして直ぐに顔を下に向けました。

 見えてしまった。見てはいけないもの……否、見えるはずのないもの、いるはずのない者が。

 佐久は日向の様子の変化に、直ぐに反応。横に立って日向の肩を揺すり話しかけます。

「ど、どうしたの?具合でも悪くなったの?……え、えっと……」

 どうしようどうしようと、あたふたする佐久。すると、日向が小声で呟きました。

「どうして……ここに……」

「…え?なにが……………——!」

 佐久はその時、ビビッと何かに気がつきました。人生で何度か経験したことのある、理屈ではない感覚。

 肌を針で突かれるようなこの感覚は、自分の道理を絶対に譲らないような強い精神。人が人に最も向けてはいけないもの、つまりは、

 ——殺意!

「———⁉」

 佐久は自分の身体が震えていることに気がつきました。

 佐久は怯えていました。

 そして。

 ライオンでもいるんじゃないか、サバンナにでも放り出されたような緊張感だ。そんなことを考えもしました。

 しかし、怯えて考えていてもなにも前には進みません。佐久はおもむろに目線を、殺気が流れてくる方向へと向けていきます。

 ゆっくりと、ゆっくりと顔も向け、そして遂にその目と目が合った瞬間。

「———っ!」

 佐久は思いました。

 ライオンなんて生易しいもんじゃない、これは……———鬼だ、と。

 同時に直感で感じ取りました。鬼の横にいる清楚で上品な女性。この雰囲気……彼女はきっと日向の母親だろう、そして、この鬼はきっと日向の……父親なんだろう、と。


(あのクソ野郎が日向を……)

 こちらを向いた佐久に対して、更に湧き上がる玄二の怒り。溜めに溜めた憤りが身体からマグマのように吹き出し、その身体が熱を帯び始めます。

 何故、玄二はこんなに怒りを溜め込んでしまったのか?それには幸が母親として玄二に強くブレーキをかけていたためでした。



 日向を何処の馬の骨か知らん男から連れ返そうとしていた昨日の夕方。

 準備を完了した玄二が、

「さあ!案内するんだ!」

 と言ってくるのに対して、幸はそれを知らんぷり。

 時間が経てば怒りも収まるだろうと、内心意地悪してほくそ笑みながら、頼まれども頼まれども無視をして本を読み続けました。

 しかし、幸の思惑は外れ。

 結局朝まで玄二は「案内してくれ‼︎」と、頭下げてきて、一睡もせず同じ本を読み続けていた幸は流石に参ってしまいました。

 ——このままではマズイ、眠い。

 そう考えた幸は、眠い、ボーっとした頭で思ったのです。

 別に、案内するくらいならいいか、と。

「いいですよ。案内します」

「おお!すまない!」

 ブレーキから解放され、自由になった玄二は、その摩擦で得た熱を糧に、幸を抱えて案内させ、大垂水家へと急いだのでした。

 幸がもう少し粘れば先に日向達が出発できていたでしょうが、玄二の根気勝ちです。

 玄二は佐久に鬼と思われるような殺気と形相と熱で彼女達の前に立っていました。

 そう、ブレーキをかけられた後のホイールはとても熱いのです。

 怯える佐久と日向。威圧放つ玄二。

 眠そうにアクビをしながらも、見世物を楽しむ幸。

 玄二は内心の怒りを表に出さぬよう気をつけながら⦅かなり漏れてはいる⦆自分なりには精一杯、静かな⦅怒りを込めた⦆声で言いました。

「——少年。君が私の娘に手を出した不埒者かね?」


 この時、玄二は不埒物から日向を連れ戻そうと、日向はロードバイクをしていることがバレて止められると考えていました。これがまず大きなすれ違い……

 そして、偶然、勘違い、恐怖。相反する不一致な要素達が一つにぶつかり合い、弾けた時。その音をゴング代わりに、

 ——日向の初めての反抗は幕を開けたでした。

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