第13話 噂の正体

 下りの最終地点、つまりは登りのスタートラインまでやってきた日向と凛花は、信号待ちに、ホッと一息吐いていました。

 少し喉が渇いたと、水分補給のためにボトルを手に取る日向。そんな日向に、凛花は地面を足で蹴り、少しだけ近づきます。

 ゴクリと唾を飲み、言葉を口に出そうとする凛花。期待と少しの緊張を抑え込み、口を開き、そして頭の中の言葉を口に出した、

「ねえ、もしかして日向って……ド———」

 その時でした。

「——あっ!」

 日向は手に持っていたボトルをボトルケージに戻し、慌てた様子でバックポケットからケータイを取り出しました。

 どうやら、圏外を抜けたことにより大量のバイブレーションが日向の背中をノックしたようです。

 日向がホームボタンを押し、画面を開くと、

「いっちゃんから沢山きてます!」

「いっちゃん?……ああ、友達の」

「はい。……えっと」

 日向が縦スクロールでメッセージの内容を古い順に目で追います。

『麓の自転車屋、今日は休みだった!もうちょい戻って探す!』

『ヤバイ!道間違えた!ここ何処⁉』

『なんかサイクリングロード出たなう。走ってみる』

『この道知ってる。風が気持ちいでござる〜』

『もう佐久ん家が一番近い気がするからそこまで行くわ……じゃっ!』

 ——途中からほぼ実況だ。

 日向はあまりに自由な現状報告に、思わず汗を垂らします。下りで冷えたはずなのに、汗って出るんですね。

「それで?友達はなんだって?」

「……いやぁ…ですね。どうやら地元のサイクルショップまで戻って行っちゃったらしくて……多分私が向かった方が手っ取り早い気がします……」

「ん?ここら辺サイクルショップは多いはずなんだけど……」

 でしょうね。と日向は少々呆れた笑顔を浮かべます。

 日向も行きにサイクルショップを幾つか確認したので、そのどこかで生加奈はチューブを買ってきてくれる……そう思っていたのですが、まさか迷うなんて。日向の問題であるにしても少々呆れるのは無理ないでしょう。

「とりあえずそちらに向かうと連絡入れます。それで……えっと……」

「ああ私ね。……そうねぇ、家の方角が同じならご一緒させて頂こうかしら?そのサイクルショップ、名前はなんていうの?」

「は、はい!えっと、ロードバイクショップ〈路流風〉といって、実は漢字で書かれたお店なんですが……」

 日向がそこまで言い、更に追加の情報を言おうとした時でした。

 凛花が大きく目を見開き、何やら驚いた様子で、

「そこって……お姉ちゃんの?」

「……え?お姉ちゃんって……」

 日向が首を傾げると、凛花は驚きながらも、何かに納得したような表情で、

「そっか、やっぱり日向だったんだね。風華お姉ちゃんが言ってた娘って」

 やっと見つけた、と唇を歪めるのでした。

 

  ◇

 

「お〜い!日向〜!」

「いっちゃん……」

 サイクルショップ〈路流風〉横、〈風華の気まぐれcafé〉店内で日向に向かって手を振りながらも優雅にくつろぐ生加奈に、日向は少々呆れた顔をします。

 手に持っているオシャレなカップに注がれた良い香りの紅茶に、美味しそうなクッキーの数々。日向が生加奈を待たせないようにペダルを回していた時、どうやら生加奈はそんなこと、気にも考えもせず、午後のお茶会を始めていたようです。

「あなたの友達、本当にチューブ買いに走ったの?汗ひとつ無くお茶を楽しんでるけど……」

「……いやぁ、どうなんでしょうか……」

 と、二人で苦笑いを浮かべていると、店の奥から赤のエプロンを着用した風華が姿を現し、

「あぁ、日向ちゃん、おかえりなさい。あら?凛花ちゃんも一緒じゃない?もしかして、日向ちゃんのこと助けたのって……」

「はい!凛花さんにパンクしたところを助けてもらったんです……って、やっぱり知り合いなんですね、おふたり」

 そう言うと、日向は風華と凛花を交互に見て顔の印象を比べますが、似てはいません。

 凛花がお姉ちゃんと呼んでいたため、もしかしたらと思っていたのですが、風華の凛花に対する呼び方も、ちゃん付けですし、とても姉妹とは思えません。

「ま、そうね。私と風華お姉ちゃんは……義理の姉妹?というか、そうなるかもしれない関係と言ったところね」

「?どういうことですか?」

「なに、別に難しいことじゃないわよ。アタシが凛花の兄貴とお付き合いをしてるってだけの話。ま、今は遠距離になってるけど……」

「へぇ…………え!って、風華さんって彼氏さんいたんですか⁉」

 驚き、目をまんまるにする日向に、風華はちょっと傷ついた様子で、

「い、いるわよ。これでも大学生なんだし、彼氏の一人や二人……いや一人ですけれども」

「へぇ……はぁ……ぁ……」

 驚き、言葉を失う日向ですが、よくよく考えたら誰もが憧れるような風貌に、人当たりの良さそうな性格。言われてみれば彼氏がいるのも納得です。

「そんなこと、どうでもいいのよ!それより、日向ちゃんと凛花ちゃんは偶然出会ったってことなのね?ってことはつまり……」

 風華が凛花に視線をやると、凛花はニヤリと笑って、首を横に振ります。

「いや、知ってるわよ。日向なんでしょう?噂のドリフト少女ってのは」

 そう言って、日向の方を向く凛花。

 その全てを把握した瞳は、圧倒的な自信と共に期待感と底知れない野望でギラギラと輝いていました。

 そんな凛花の熱い視線に、日向は唖然とし、

「…………へ?」

 と、一言だけ。

 風華と凛花の間では話が成立しているようですが、巻き込まれているだけの日向には何のことだか全く分かりません。

 どうやらそれを察した凛花は、

「あなた、噂になっているのよ?最近ここらの峠に現れてはもの凄い勢いでダウンヒルをする少女って。しかも、そのコーナリングはシクロクロス選手もビックリの〝ドリフト〟だって。……ダウンヒルを見た時はまさかと思ったけど、〈路流風〉に行くって聞いた時確信したわ。あなたがその〝ドリフト少女〟だって」

 その言葉を聞いた日向はビックリ。目を真ん丸にして言葉を失います。

 普段から人の視線には敏感なつもりなのに、まさかドリフトを見られるどころか噂をされるなんて、想像もしていませんでした。

 そんな日向の驚き顔から目線をスライドさせ、凛花は風華に目線をやると、

「——まあ、噂を流してる元凶は風華お姉ちゃんなんだけどねぇ〜」

「⁉風華さんが!」

「いやぁ面白いかと思ったのよ!噂を聞きつけた人が更に詳しい情報を求めてウチに来たら利益になるじゃない?企業戦略ってやつよ!」

 無許可に人を使った企業戦略に、日向は訴えようと口を開けますが、それは直ぐにため息に消えました。だって無駄ですから。

 一度発信された情報は取り返すことはできない。日向はそう割り切って、ただがくりと肩を落とすのでした。

「おおーい、大丈夫か日向〜?」

 すっかりとお茶を飲み干し、満足気にお腹をさする生加奈が日向に声をかけます。よく見たら先程まで結構あったクッキーがありません。

「……呑気ですね、いっちゃんは……」

「まあな!それが私のポリシーってもんよ!」

「……はぁ……」

 どこに行っても皆んなのんきで、日向はため息の連続です。一体日向にどれだけ幸せを逃させれば気が済むのでしょうか。

「……いっちゃんに走りを見てもらう予定が、パンクはするし、当の本人のいっちゃんはお茶してるし、何故か変な噂は広まってるし、不幸ばかりですよ……ホントに……」

 うなだれる日向。

 そんな日向に、真っ先に声をかけたのは、第一の不幸から日向を救った、凛花でした。

「そうかしら?私はそのおかげで日向と知り合えたわけだし、友達が増えてラッキーよ。日向はそうは思えない?」

「凛花さん……。そ、そうですね!悪いことばかりでは無かったかも——」

「それに、私の目標は半分達成されたんだし」

 日向の言葉を遮り、凛花は日向の手を取ってニコリと笑います。

「へ?」

 いきなりのタッチに少し顔を赤らめる日向。

 凛花はそんな日向の目をアイウェア越しに見つめて、

「明日のレース、出るんでしょう?だったら私と組まない?」

「…………え?」

 真剣な目で日向に訴えかける凛花。

 日向は頭の中を一度整理するために、目を瞑ります。

 何故か凛花は日向がレースに出ると思っている。組まない?というのはおそらく協力体制のこと。つまり凛花は明日のレースに出ようとしている。

 そして、レースについて知っている人物は、日向と佐久と風華。しかし佐久は今朝レースのことを始めて知った様子、……となると。

 日向はジロリと目線を風華に向けます。

 アイウェア越しにもその鋭い視線は届いたようで、ギクリと肩をビクつかせる風華。やはり、風華が凛花に対して何か言ったようです。

 日向は呆れ顔でため息を吐き、凛花の方を向き直して言いました。

「ごめんなさい、レースは出ないんです。まだ始めたばかりですし、それに誰かと競うのはちょっと苦手かなぁ……って、だから……」

「え?」

 意外な言葉に、凛花は風華の方を見て、目で「話が違う」と訴えかけます。

 そんな目に風華は渋い表情で、

「アタシが勝手にやっただけで日向ちゃんの意思でエントリーはしてないのよ。悪いけど、諦めてちょうだい」

「ななっ⁉」

 思っていたのとは違う現実を叩きつけられ、凛花は日向から手を放し、わなわなと震えます。

「そ、そんな……コーナーが得意な選手をマーク……いや、もう知り合ったのだから協力すれば優勝できると踏んでたのに、そもそも参加しないなんて……」

 地面に手をつき、がくりと落ち込む凛花。

「だ、大丈夫ですか?」

 あまりの落ち込みっぷりに、慰めにいく日向。肩に手をあてて落ち着かせようとしたその瞬間でした。

「きゃっ⁉」

 凛花はその手を再び握ると、勢いよく、

「ロードバイクは別名、ロードレーサーとも言うのよ‼︎」

「へ?は、はい……?」

「レーサーっていうのはつまりレースをするために作られたってことよ‼︎分かる⁉」

「は、はい!」

「じゃあロードレーサーに乗っている人がレースに出るのは義務?権利?」

「け、権……」

「義務よ‼︎」

「は、はいぃぃぃぃ……!」

 あまりの勢いに、本来押しに弱い日向はドンドンと形勢が不利になっていきます。

 そして凛花、トドメの一撃。

「いい?日向!誰だって何だって初めては初めてなのよ!私だってレースは今回が初めて。一人が怖いっていうなら私が支えてあげる!だから私と一緒に、レースに出なさい——‼︎」

「————っ‼︎」

 力強い言葉、説得力のある瞳、決して揺らがないであろう信念。

 日向が求め、理想にしてきたものが今、目の前にありました。

 日向の顔つきが、何かに気づかされたようにハッと変わります。

 押されてしまったから、という理由もあるかもしれませんし、元々の性格の弱さもあるかもしれません。しかし、日向はこの時、確実に自分の意思で、

「はい……出ま……す……」

 出場の決意をしたのでした。

 その言葉にパァァッと表情が明るくなる凛花は、思わず日向の手をほどき、その細い身体に狙いを変更……ギュッと抱きしめました。

「ありがとー‼︎日向がいれば百人力よ!二人で一緒に頑張りましょう!」

「は……はい!」

 そう言って、少し照れながらも微笑む日向。

 踏み込むことを躊躇する日向にとって、背中を押して共に歩んでくれる凛花の存在は、とても嬉しいものでした。

 今までには経験したことのない、誰かと何かを一緒に取り組むという体験。日向の奥底で眠っていた憧れを、凛花は見事にキャッチしたわけです。

 結果的に見れば良かったと言えるかもしれない日向の決断ですが、微妙な表情をする人物が一人。

「アタシの時は否定的だったのに、一体何が違うのかしら⁉︎」

 と、呟き頬を膨らませる風華。

 そんな風華に後ろから、

「人柄だろうねぇ。姉ちゃんは邪の気満々だから」

 disり発言に、キッと怒りの表情で「何を!」と風華が振り向くと、

 そこにはTシャツをオイルで真っ黒にした佐久の姿が。

「お、佐久じゃん!ヤッホー!」

「おっす、生加奈」

 手を挙げて挨拶する生加奈に、佐久は同じく手を挙げて微笑みます。

 そんな佐久を風華は不機嫌そうに眉をひそめながら見つつ、問いかけました。

「……佐久、アンタいつからいたの?盗み聞きとはいい根性ねぇ」

「つい、さっきからだよ。別に盗み聞きじゃなくて姉ちゃんの休憩時間が終わったことを伝えに来ただけだったんだけど……」

 佐久は未だに日向に抱きついて離れない凛花を見て、呆れ笑いをしながら、

「なんか色々決まっちゃったみたいだなぁっ……ま、浅神さんがちゃんと自分の意思で決めたなら私はそれを尊重するけど」

「ふっ……全く、都合が良いことで。あと、アタシ休憩にカフェ来たら、ちょーっど生加奈ちゃんが来たこともあって休憩してないから、もうちょい延長ね」

「……そしたら私の休憩はいつになるんだよ。人数少ないんだから、早く戻ってくれよ」

 呆れ顔で訴える佐久の発言をよそに、風華は黒い笑顔を浮かべながら、

「大丈夫よ。新入社員として入った子、中々に使えるんだし、アンタが休んでてもなんとかなるわよ」

「そういうわけには……ったく、しゃーないなぁ。もうちょい休みあげるから、そしたら来てくれよな?」

 佐久がそう言い、風華に背を向けカフェから出ようとした、その時。佐久は背中に悪寒を感じました。

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