第24話 才原凛花のオリジン2


 その後直ぐに、支度をする間も無く、志信は彼女のいる店まで凛花を案内しました。

 着いたのはサイクリングロード沿いの自転車ショップ。

 そこで働く彼女と凛花を会わせると、一目見た瞬間、

「な、な、な、なんでぇ⁉」

 紹介するや否や、凛花はあり得ないといった風に驚き、腰を抜かしました。

 兄のような人を好きになる変な人に、凛花は容姿的な期待はしていませんでした。性格が、良かったらいいなぁ、とくらいに考えていたのですが。

 期待はかなり裏切られ、紹介されたのは凛花が一目で憧れるほどの美人であり、気弱な兄とは釣り合わなそうな堂々とした女性でした。

 驚き、口をパクパクとさせる凛花、そんな凛花に、志信の彼女は手を差し出します。

「アナタが志信の言っていた妹の凛花ちゃんね?アタシの名前は大垂水風華。ヨロシク、ね?」

 容姿端麗、挙動堂々、声まで綺麗。

 凛花の中で驚きは、別の感情へと変わりました。

 差し出された手を勢いよくバッと掴み、そして、

「ええ!妹の凛花よ!アナタみたいな人が兄のお嫁さんになってくれたら遺伝子的に大成功……風華お姉ちゃんと呼ばせてもらうわ!」

「い、遺伝子⁉」

 嫁というワードよりも、飛躍した遺伝子という言葉に動揺する志信ですが、凛花はそんなの御構い無しです。

 ここでこの人を逃したら終わる。

 凛花はそう思い、先程抱いた使命感を胸に、目を光らせて風華を見ます。

「フフフフっ、面白い子ね。イイわよ、風華お姉ちゃんで。嫁は確定事項じゃないけれど、まあ今のところはアタシは志信のこと、将来有望だと思ってるから、アナタが妹になる確率は高いわね」

 そう言い、風華が志信にウィンク。

 照れた志信は、頭をかきながら頬を赤らめて目を泳がせます。

 これはお兄ちゃんの方が立場弱いなぁと思いながら、凛花は策を講じ、直ぐに頭の上に電球を光らせます。

「風華お姉ちゃん!」

「ん〜?なにかしらっ?」

 凛花の勢いある呼びかけに、風華はお姉さんっぽく、落ち着いた口調で応えます。ちょっと芝居のようです。

「私、これからもこの店に度々来たいんだけどいいかしら?自転車は好きだし、お兄ちゃんの彼女さんのこと、もっと知りたいから!」

「ちょっ、凛花、なに勝手に——」

「ええ、勿論大歓迎よ。ドンドン来てちょうだい。若い女の子が店にいた方が、繁盛もするし、宣伝効果にもなるから」

「え?なっ、風華まで、そんな勝手に——」

「やったー!ありがとう風華お姉ちゃんっ!」

「え……えぇ…………」

 完璧蚊帳の外の志信。

 ですが、そんな志信の良いところを風華にすり込み、嫁になる確率を上げるため、そして風華にも言った通り、数多くの自転車を眺めるために、凛花はこの店に入り浸る決意をしました。

 何という天職。色々とありがとう、ナイスお兄ちゃん。と、先程とは完全に逆の感情の凛花は、困り顔の志信に向かい、ビシッと親指を立てるのでした。



 そして決意通り、凛花の自転車ショップ通い生活が始まりました。

 風華がいるのを見計らっては、積極的に話しかけ、兄についてや、自転車について、果ては全く関係ないことについて言葉を交わし、それこそ志信よりも確実に長い時間を凛花は風華と過ごしました。

 楽しい時間、学校から終わって行く部活のような感覚。関われない自転車と関わるために、いつか手に入れる自転車を眺めるために、凛花は通い続けました。

 と、最初は志信のために動いていた凛花でしたが、途中から目的は何処へやら。ただただ自転車ショップに行く楽しみと、風華という気兼ねなく自転車について話せる仲間を得たことにより、凛花は志信のことを話題に出すのを忘れ、すっかりただの常連になってしまいました。

 そして、そんなある日。

 ロードバイク沢山で、自転車の会話が弾む店内にいたら必然的なことではありますが、凛花の自転車熱を抑えるのに、限界がやってきました。

「私もロードバイク欲しいー‼︎」

 子供の頃と同じ駄々をこねる凛花。

 どうやら精神的な成長はこの何年間で無かった様子。そんか駄々っ子凛花を見て風華は、

「アタシも凛花ちゃんがロードバイク乗ってる姿見てみたいわね」

「えっ!じゃあ風華お姉ちゃんは私がロードレース出るの賛成なの?」

「まあ、そうなるわね。というかアタシ、結構誰にでも自転車競技をしてほしいのよ。その方が店の儲けにもなるし」

 ちゃっかりしてます。さすが風華。

 凛花は乗り気な風華に乗っかろうと、

「なら、このお店のロードバイク貸してちょうだい!いつかは買うから、レンタルをお安く!」

「ええ、ええ。アタシもできればそうしてあげたい。それどころか、分割払いの購入で密かにロードバイクをあげたいくらい。……でも、ね」

 風華がドアの方を向くと、まさにちょうどといったタイミング。カランカランと鐘を鳴らして、新たなお客が入ってくるのを告げました。

 そのお客は凛花を見ると直ぐに、

「あっ、またいたんだ凛花……ほんと、いすぎだよ……」

「むっ、お兄ちゃん。今いいところだったのにぃ!」

 むくれる凛花は、プイッとそっぽを向いて、兄に怒っているアピールをします。

 そんな態度の凛花になにかを思い出したのか、志信は呆れ顔。

 ため息を吐いて、

「どうせ凛花のことだから、ロードバイク乗らせてくれとか言ったんでしょ?」

「なっ、なんでっ」

「僕が来て都合が悪い話、しかも怒りを露わにする場合の理由はそんなものだよ。……まったく……」

「くっ、鋭いお兄ちゃんめ」

 と、苦々しい表情をする凛花ですが、ここで終わるようなヤワな性格はしていなく、

「ええそうよ!私はロードバイクに乗りたい!カッコいい自転車が欲しいのよ!」

 完全に開き直りました。

 また始まったよと呆れる志信。実のところ、凛花は父親にはロードバイクが欲しいとあまり言わないだけで、兄である志信には愚痴としてロードバイクが欲しいと何度も言っていたのでした。

 父という圧力がなく、言いたい放題言える状況の凛花。そんな凛花にブレーキをかけるような言葉を最初に投げかけたのは、志信ではなく、風華でした。

「何言ってるの。凛花ちゃんにはママチャリっていうカッコイイ自転車があるじゃない」

「なっ!風華お姉ちゃんの方こそ何言ってるの!ママチャリだよママチャリ!遅くて有名で全然シャープじゃないママチャリ!それのどこがカッコイイの⁈」

 凛花は店外でスタンドに支えられている自分のママチャリを指差して、アピールします。

 シルバーのフレームに、カゴ付き、泥除け付き。変速は三段と、たしかにシャープではなくカッコイイのか分からない自転車。

 しかし風華は、

「凛花ちゃんの自転車はグレード的にはママチャリの中ではかなり上に位置してるわ。あのママチャリでしか得られない感覚というものもあるし、あの自転車はカッコイイわよ、絶対に」

 カッコイイと言い張ります。ママチャリを。

 どこにでもありそうな買い物用自転車を、風華はべた褒めします。ついでに、と、

「たしかにアレは高かった……」

 フォローをするつもりなのか、志信がそう言いますが、それよりも更に値段のする自転車を持つ志信の言葉など逆効果、凛花はやはり不満気な顔をします。

 余裕ある者の言葉というのは人には響かない。逆に余裕のない者の叫びだから人の心を動かすのです。故にお兄ちゃん無意味。

「要するに使い方次第ってことよ。使い道によっては、あの自転車は凛花ちゃんをロードレースの世界へと導いてくれる。アタシはそう思うわ」

「……あのママチャリが、ロードレース?」

 凛花は想像しました。

 ロードレース大会で、一人ママチャリに乗って走る、なんともピエロな自分の姿を。

 これには想像とはいえ苦笑い。流石にママチャリではロードレースに出たいと思えません。

 凛花の考えていることが分かったのか、風華はクスリと笑い、

「きっと凛花ちゃんが考えてることとはちがうわ。答えはアタシからは言えないけど、よく考えてみて」

「………はぁ…………」

 現時点では全く意味が理解出来ない凛花は、生返事をします。


 とはいえ、ロードレースに繋がるかもしれないお題。凛花はその日からママチャリに乗るたびに、風華の言葉の意味を考えていました。

「ママチャリが、ロードレース……ママチャリで?いや、違うのか……うーん……」

 しかし中々答えは出ず、あの言葉にはそんなに深い意味はなかったんじゃないか?

 なんて思考を放棄し始めていたある日。

 凛花の高校で、あるあるな事件が起こりました。

 些細な言い合いからの戯れ合い。しょーもない、——喧嘩です。

 地面にまるでパンダのようにゴロンゴロンと転がり、取っ組み合いをする男子生徒二人。凛花は特に興味無さ気に、バカだなぁと思って見ていました。

 喧嘩は、喧嘩を聞きつけた先生による仲裁で静まり、事無きを得ましたが、一つ問題が。

「おい、なんだお前‼︎このポケットの分度器は!これを何に使うつもりだったんだ‼︎」

 先生が取っ組み合っていた男子生徒に、分度器を眼前に怒鳴ります。緊迫した空気の中の問い。

 ですが、この男子生徒、別にたまたま分度器がポケットに入っていただけで、理由などないので答えられません。

 黙っている男子生徒に、先生が続けます。

「お前なぁ‼︎たかが分度器でも、これは使い方によっては包丁と同じくらい危険な武器になるんだぞ‼︎喧嘩に危険なモノは持ち込むな!素手でやれ素手で‼︎」

「……あのぉ、そもそも喧嘩がダメなんじゃ……」

「……………………」

 横槍を入れる生徒の正論に、先生は汗を垂らします。時代というものを感じるワンシーンです。

 この時、凛花は先生の、分度器でも武器になるという言葉について考えていました。

 あんな丸いのがどう武器になるのか?

(あ、角を目にさしたら痛そう……うわぁ……)

 など、様々なしなくていい想像をしていると、ふと、

「なんでも武器になる……?威力は違くても、強さは違くても……性質は同じ、てことは……」

 凛花は自分の中の奥深くに眠っていた、デッカい電球の光がついたような、今までの考えとは比べ物にならない、圧倒的ヒラメキに思わず、

「と、とにかく喧嘩はダメだ‼︎」

 と有耶無耶にしようと叫ぶ先生を指差して、

「それよっ‼︎」

 目を輝かせ、大声で言いました。

 クラスの全員、そして先生が、いきなりの凛花の発言に首を傾げますが、凛花は自分のナイスアイデアに夢中で周りは見えていませんでした。

 そして。

 その日、この時から凛花の自転車生活序章は幕を開けました。

 題して、《ママチャリで実力をつけて認めさせよう作戦‼︎》

 作戦内容はタイトルのまんま。

 凛花は気づいたのです。今まで、自分がどれだけおこがましいことをしていたかということに。

 実力がない兵士が、上級武器商人に武器を提供してくれと言っても、はじき返されて当然。お前は無理だ、危険だと言われるでしょう。

 ならばまずは土台から。できるという結果を、成果を出してからもう一度話をするべきでしょう。

 銃が欲しいならエアガンで練習、剣が欲しいなら木刀で練習、ロードバイクが欲しいならママチャリで練習すべし!

 凛花はそう考え、ママチャリで駆け出しました。

 毎日の登下校に加えて、近くの坂道やサイクリングロードでの練習。ケイデンス高めのペダリング練習や、トルクギアでの筋力トレーニング。

 更にそれを掛け合わせたインターバルトレーニングなど、ロードバイクを有する選手と同じような強度で練習を重ねました。

 最初は全くと言っていいほどスピードは出ず、サイクリングロードなどではロードバイクに抜かされてばかりだった凛花。

 しかし、慣れてくるとあることに気がつきます。

(このママチャリ、他のママチャリに比べてギア比が大きいし、フレームは軽い……ベルトドライブ式だから多少の無茶にも耐えれるし……これって風華お姉ちゃんの言ってた通り……——カッコイイ‼︎)

 いつしか凛花は、自分のママチャリに愛着が湧き、走ることに喜びを感じていました。

 ママチャリが自分にくれるのはロードバイクに乗るための強さ、つまりこれは自分を鍛えるためのトレーニングマシン。

 凛花はロードバイクへの道が開かれ、いつしかママチャリでスポーツバイクに追いつけるほどの脚力を自分が有していることに気がつきました。

 そして、そのスピードでいることへの優越感、ママチャリでしか味わえない快楽にも。

 ロードバイクで速ければ、速い自転車に乗ってるから当たり前。ロードバイクで遅ければ脚力がないと言われます。

 が、ママチャリで遅くてもそれは当たり前、逆に速ければ脚力があると言われる。

 つまり、自他共に認める速さを、凛花は手に入れていたのです。もう、凛花は強くなることに夢中で、周りなど見えていませんでした。

 風華と会う頻度は激減し、親が家で自分のことを、

「凛花の肌が最近黒くなってる気がするんだが、気のせいだろうか?」

「まあ、夏だからじゃない?」

 と噂しているのも知らないで、ただひたすらに自転車で強くなる自分に、才能があると実感できるほどに勢いある自分に酔って、毎日毎日暑い中、太陽に焼かれても走り続けました。

 そんな、ママチャリ無双中で、勢いに乗っていた凛花は、ある日、ある計画を思いつきます。

 その計画名は——〈ママチャリで100km〉

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