新人女優


「では、帰還の儀を行う。……いいな?」

「はい! お願いします」


 リアスの明るい返事を聞いて、わずかに頰を緩めたチカ先輩は、そのまま呪文を唱えていく。足元に魔法陣が浮かび上がり、淡く光り始めた。


「契約成立。帰還せよ」


 先輩がパンと手を打つと、リアスは足元から消え始めていく。毎度この瞬間は少しだけ寂しさが残るな。


「がんばれよ、リアスー! お前にできることはきっと、いっぱいあるんだかんな!」

「はい! えーと」

「名乗ってなかった! 俺はトーマだ」

「はい、トーマ様。そして、チカ様と、王子様!」

「僕は王子じゃないから。エイジだから」


 ちゃんと名乗ってはいなかったから余計にそう覚えられてしまっていたらしい。まったく、マジで迷惑だな。でも言ったところでこの二人は特に呼び方変えてくれなさそうだからため息が出る。はぁ。


「王子じゃないんですかぁ?」

「当たり前だろ!」


 違うといっているのに、心底不思議そうに首を傾げるリアス。そして、何かに気付いたようにポン、と手を打った。


「ああ、王子様、えっとエイジ様は、私の国の王女様に似ているんですね! だから、王子と言われても違和感がなかったんだと思います」

「え……」


 そんななんとも微妙な発言を残して、リアスはそれではお世話になりました、と言ってその姿を消した。教室内に沈黙が落ちる。


「……ぶっ、ぶわはははは! お、王子、異国の王女に似てるとかっ! 確かに王子は濃い顔立ちの割に女顔だもんなぁっ!! イケメン乙!!」

「るせぇ、黙れ、ほんと、このバカ」


 お腹を抱えてヒィヒィ笑う斗真の脛を蹴り飛ばす。痛ぇとのたうち回っているが知るか。自業自得だ。そもそも、顔の造形については自分ではどうしようもないんだから、そこに触れて笑うのは人としてどうかと思うぞ。


「……まぁ、整った顔立ちなんだから、あまり気にするな」

「先輩まで……そんなに言うほど整ってないですけどねぇ」


 暫しの間を置いて、チカ先輩も苦笑しながらそんなことを言う。たぶんフォローのつもりなんだけど、自分ではそこまで整ってるとは思ってないから微妙な心境だ。崩れてもいないとは思うけど、どうなんだろう。


「それにしても、異世界はなんだか今、大変な状況みたいですね」

「……そうだね」


 話を変えようと僕がそう言えば、先輩がはっきりしない様子で一言答える。なんだか珍しいな?


「また、問題を抱えた人物が迷い込みそうですよね」

「王子くん。それはフラグっていうんだよ」

「うっ、やめてくださいよ! 今はまだなんとかなってますけど、話がさらに立て込んできたらお手上げですからね!?」


 今でさえ、想像以上の重い状況に辟易としているのに。平和ボケしたただの高校生男子には、荷が重いことこの上ない。


「……まぁ、なるようにしかならないさ。世の中ってのは、ね」


 そう言って茶器を片付け始めた先輩は、仕事も終わったことだしそろそろ帰りなさいと僕らに声をかけた。やっぱり、何かしら悩んでいるというか、考えているというか……先輩からはそんな雰囲気を感じたけど、何も聞いてくれるなというオーラを同時に感じるので何も言えない。

 気にはなるけど……もう少し、様子を見ようと思う。しばらくまだこんな様子が続くなら、その時始めて聞いてみようと思った。


 先輩と絡むのはちょっと、だいぶ、アレだけど。でもお世話になっているのは変わらない。少しでも力になれるなら、なってやりたいな、なんて思ったのだ。ただ、それだけ。




 先輩はまだ後始末が少しあるというので、僕と斗真は先に教室を出た。時刻は午後六時くらい。外はまだ明るく、そして暑い。日中の照りつける陽の光もそうだけど、僕はこの時間の明るさや暑さに夏を感じる。


「あ、先輩のポスターだ。見ろよ王子。先生も立ち止まって見てんぜ?」

「エイジだ。……先生も、最近の女優に興味があるんだな。結構年配なのに」

「そりゃ、光色蛍だもんよ。老若男女みんなを虜にすんじゃねぇの?」


 斗真は軽い調子でそう答える。「光色蛍だから」という理由が、理由になってないのにものすごい説得力がある。こういうのをカリスマ性っていうんだろうな。学校ではあんなに目立つ格好をしているが割といつも一人なのに。


 ん? 一人? いや、流石に友達くらいいるよな? 先輩だって、なんだかんだで女子高生なんだから。でも、はたと気付いたのだ。先輩が、僕ら以外の人たちと会話しているのを見たことがない、って。

 いや、会話はしてると思うけどな? でもそれは必要最低限の会話みたいな感じで……誰かと一緒に何かをしている、というのを見たことがないんだよな。仕事で学校を休みがちだから、他の生徒と距離を置かれているのかもしれない。表向きは病弱だからっていうことになってるみたいだし、なにしろあんな格好だし。


 自分からそう仕向けている部分はあると思う。でも、さ。それって、寂しくないのだろうか。先輩はいつもキラキラしていて、堂々としているから、そんなこと考えたこともなかったけど、学校で一人でいるのは寂しくないのだろうか?

 僕だって、斗真がいなければたぶん一人ぼっちだ。正直、人間関係は面倒だし、友達というものに必要性を感じない根暗な自覚はあるから。


 だから先輩のことも、そこまで気にすることではないと思うんだけど……なんだろう。モヤモヤする。なんとも言えない違和感を感じる。


「はぁ、しっかし美人だな光色蛍は」


 そんなことを考えながら、先輩のポスター前を通り過ぎた時、それを眺めていた教師たちの会話が耳に飛び込んでくる。


「本当ですねぇ。昔から変わらない。さすがですよね」

「吉川先生もファンですか? 実は私も昔っから大ファンでねぇ」


 …………え?


「ん、どうした王子?」


 あまりのセリフに僕は思わず立ち止まる。今、この人たち、なんて言った?


「おや、どうしたんだい? 今帰るところかね?」


 突然、先生たちの後ろで立ち止まった僕らに気付き、年配の教師が声をかけてくる。僕は、うまく回らない頭で一つ、質問をしてみた。


「あ、あの……光色蛍は、昔から、いるんですか?」

「おや? 君は知らないのかい? こんなに有名な新人女優なのに」

「知らないなら見ておいた方がいいぞ。彼女は私たちが学生の時代から変わらぬ美しさと演技力を持っているんだ。いやぁ、才能だねぇ。君も知ればファンになるかもしれない」


 何を、言っているんだろう。僕の脳内はパニックだった。


「おい、王子? なにボケっとしてんだよ。さては見惚れてるな?」

「はっはっ、そういうことか。見惚れるのは仕方ないことだがね、もう遅くなる。早く帰りなさい」


 はーい、先生さよーなら、という斗真の能天気な声を聞き、斗真に背中を押されながら僕は再び歩き始めた。正直、ちゃんと歩けていたかは自信がない。靴箱に辿り着いてもなお、靴を履き替えようともしない僕に、ついに斗真が僕の顔を心配そうに覗き込んできた。


「おい、本当にどうしたんだよ。具合でも悪いのか?」


 なんでだ?

 斗真は、このおかしな状況を不思議に思わないのか? あまりにも不可解で、不気味なこの事実を目の当たりにしたというのに。


「なんで、って……トーマは気付かないのか?」

「え? なにに?」


 純粋に首を傾げる斗真は、本当になんのことかわかっていないようだった。意を決して、僕ははっきり言ってやる。


「だって、光色蛍は昔から新人女優・・・・として有名なんだ。今も、彼女は新人女優なんだぞ? 最近、メディアに出始めたばかりの……! なのに、なんで年配の先生たちの時代から変わらぬ姿・・・・・でいるんだよ……!?」


 教師陣が学生の時代っていったら、どんなに若く見積もっても軽く二十年近くは経過してる。その時、僕らはまだ生まれていないじゃないか。どう考えてもおかしい。まるで、それじゃあまるで……!


「? それのなにがおかしいんだよ。光色蛍ってのは、そういう人じゃねぇか。昔っから。今更だぞ? それとも、お前、本当に光色蛍のこと知らねぇの?」

「……は、あ?」


 だというのに、斗真の返事は僕の方がおかしいとばかりに呆れたようなものだった。


「だって、それはつまり、チカ先輩も年を……」

「私が、なんだって?」


 突如、背後から聞こえた声に、僕は思わず言葉を飲み込む。斗真はいち早く気付いてチカ先輩ももう帰るんすか? なんて能天気に聞いている。


「後始末も早く終わったからね。で、私が何? 今、私のことを話していなかった?」


 そういって微笑む先輩が、ほんの少し怖く思えた。さっきの僕の言葉、聞いてなかったのか? でもこのチカ先輩のことだ。聞いてなくても、僕の思ってることなんてお見通しなんじゃないのか? でも。


「昔から変わらず、綺麗なんだなって……」


 先輩が、そうやってとぼけるのなら。僕もなかったことにしようと思った。ほんの少しだけ、探りを入れるように。それに対する返事を、ドキドキしながら待っていると、先輩はわずかに目を丸くして、それから柔らかく微笑んだ。


「それは、光栄だね」


 それ以上の感情は、僕には窺う窺えなかった。ま、そりゃそうだよな。先輩を探るなんて、無謀なことだ。


「先輩、一緒に帰りましょーよ! 俺らは二つ先のー……」

「ああ、君たちとは逆方面だね。だけど、駅までなら一緒に行こうか」

「やった! 放課後デートっすね!」

「……お前の脳内はどこまでもお花畑なんだな」


 呆然としながら、斗真と先輩の会話を聞く。僕は二人の後ろをついていくように歩いていた。


 先輩は、否定しなかった。つまり、そういうことなんだろうな。


 ────先輩は、年をとらない。


 その事実は、今は僕の中だけに、とどめておこうと思った。

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