生まれたてのゴーストを保護します
雨の日の遭逢
その日は雨だった。
本格的に梅雨の時期に入ったのだろう。雨の日が続いていたそんなある日、今月初めからまたしばらく休んでいたチカ先輩が久し振りに登校してきた。それがなぜすぐにわかるのか、と言えば……まぁ、説明しなくてもわかるだろう。彼女はとにかく目立つからである。
だいぶ暑くなってきたために、半袖シャツに身を包む生徒が多くなってきた。きっと先輩も衣替えだろう、と踏んではいたんだけど、さすがだ。彼女は期待を裏切らない。
ボタン付きの半袖シャツは蛍光ピンク地に蛍光黄緑のドット柄である。冬に愛用していたブレザーの方が目に優しかった。そして、ピカピカと点滅して光るビニール傘。だから、それどこで手に入れてるの? 薄暗い通学路において、一目でそこにいるとわかるから、運転手には優しい仕様ではある。弊害は、誰もが彼女を見て見ぬ振りをしていることくらいだ。
ま、それでも僕は姿を見かけたから挨拶しに向かうんだけどね。はぁ、行きたくない。また目立ってしまう。けど、朝のこの時間にサッと放課後の部活について聞き出しておかないと、先輩が教室にやってきてさらに目立ってしまうのだ。
僕は学んだんんだよ。逃げ場のない教室で居た堪れない空気の中で話をするより、横に並んで歩きながらちょっと話した方が被害が少ないってことを。なんの被害かって、そりゃ僕の精神面に決まっている。
「おはようございます、チカ先輩。……久し振りですね」
「ああ、おはよう私の王子くん。撮影が長引いたからね……ま、その分しっかり貰ったから当分は仕事しないよ」
「エイジです。あと、その手はやめましょうね」
ニヤリと笑いながら手でお金を表すチカ先輩は、とても国民的女優とは思えない。全国のファンの皆さんがこの姿を見たら、どう思うのだろうか。
「というか、先輩ってなんて言って学校休んでるんですか? 女優業のこと、学校は知ってるんですかね」
「理事長にしか話は伝わっていないはずだよ。他の教師やクラスメイトなんかは、私が病気がちってことになってる」
「病気がち……」
思わず片手でフェンリルを持ち上げた時の映像が脳内に流れた。魔法の力もあっただろうけど、それにしても病弱とは程遠い絵面だ。
「何か?」
「……何でもナイデス」
斗真と違って僕は空気が読めるんだ。思ってても言っちゃいけないことっていうのは世の中にたくさんあるのだ。
「おかしいな……昨今、魔法少女は物理的に強いらしいのに」
ブツブツと呟く先輩の言葉が耳に入ってくる。あれかな、アニメの魔法少女を参考にしているのかもしれない。これで案外、勉強熱心なんだよな、先輩って。方向性がややアレだけど。
「まぁ、いい。今日は仕事があるぞ、王子くん。いつも通り頼むよ」
「エイジですってば。迷子ですか。これも久し振りですね」
チカ先輩復帰の初日から仕事らしい。というか、スノードームは部室に置きっぱなしなのにいつもなんでわかるんだろう。気にしたら負けだけどさ。僕がわかったと頷きながら返事をすると、チカ先輩は不敵に、笑った。嫌な予感しかしない。
「ふっ、迷子、ね。うん。なかなか面白い者が迷い込んでいたよ。楽しみにしてるといい」
「それ絶対ヤバイやつじゃないですか」
先輩がこの顔をしている時は大体ロクな目に合わない。これは心してかからないと。僕は盛大なため息を細く長く静かに吐き出しながら、颯爽と歩き去る先輩の背を見送った。……一人イルミネーションかパレードだなありゃ。
「蒸すぅ……まぁじ暑い。見ろ王子。気温はそこまで高くないのにオレ、汗かいてる!」
「エイジだ。あとダラダラすんなよ、余計暑く感じる。あと近寄るな」
ダラリと人の机に突っ伏して文句を言うチャラ男こと斗真は、休み時間になる度に僕の席にやってくる。正直鬱陶しい。まだまだ夏は本番前だというのに、この調子じゃ真夏になった時が思いやられる。
冷房入れねーのかな、とボヤく斗真だけど、まだ冷房いれるほど暑くはないと思う。僕、冷房苦手だし。
「でも、今日は仕事の日なんだっけか。チカ先輩に会えるー! やる気出てきた」
「お前は……まぁいいや。面倒くさい」
ダラけていたのはなんだったのか、先輩と仕事ということを思い出した斗真は一瞬でやる気を取り戻した。たまにその単純さが羨ましく思えるよ。こうなりたいとは思わないけど。
「でも今回は、気をつけた方が良さそうだぞ」
「ん? 迷子の正体聞いたのかー?」
「いや、先輩が含み笑いを浮かべて、面白い者って言ってた」
「……あ、やばそう」
「だろ?」
そこで、朝の先輩との会話を教えてやったら、斗真は正確にその危険さを察知してくれた。能天気だけど、そこのところの察しは良いやつなのだ。
「い、いや、それでもオレはチカ先輩との逢瀬から逃げるわけにはいかない!」
「逢瀬ね。じゃ、僕は今日は先に帰」
「一緒に行こうな、逃がさないからな絶対だぞ」
なんだよ、斗真が先輩と二人きりになりたそうだったから僕はそのまま帰ろうと思ってたのに。食い気味に遮ってきた上、腕にガシッとしがみつかれた。やめろ、離せ。僕は男に抱きつかれて喜ぶ趣味はないんだ。
「はぁ、そもそもあの先輩から逃げられる気がしないよ」
「……それもそうだなー」
あの人なら僕らが今、どこにいるのか、ってことを簡単に見破りそうだし、なんかよくわからない魔法で、帰ろうとしてたはずなのに部室に来てる、なんて神隠しさえ起こしそうだ。というか前に一度あったのだ、そういう神隠しが。
結局は逃げられないんだし、なんだかんだで危険な目には逢ってないからいいんだけどね。素直に行きますよ。役に立てるかはわからないけど。
「ふわぁぁぁ、あーあ。早く授業終わんねーかなー」
「もう自分の席行けよ。ほら、時間になったぞ」
再び僕の机に突っ伏しそうな斗真の頭をノートでペシッと叩きながら、僕もほんの少しだけ放課後についてあれこれ想像を巡らせた。や、だって心構えって大事じゃん?
こうして残りの授業をやっつけた僕らは、ラスボス戦に挑む気持ちで放課後の部室前へとやってきた。けど、どうも嫌な予感がするため、なかなか中に入れない。珍しく斗真も尻込みしているのだ。僕らはどちらが先に入るかを押し付けあっていた。
「お前行けよ。ほら、会いたかったんだろ? チカ先輩に」
「うおぉ、やめろ王子てめぇ! 先輩には会いたいが、妙に嫌な予感がすんだよ! オレ、こういう予感は当たるんだ!」
「エイジだ! トーマが行くって最初に張り切ってたんじゃねぇか!」
こんなに嫌がる斗真は久しぶりに見た。でも、僕はこうなる理由になんとなく見当がついている。……こいつは昔から。
「絶対いるって! おわぁ、ゾワゾワするぅ……!」
そう、この世の者ではない何かが視える体質なのだ。いわゆる、霊感ってやつだ。なんとなくあっちには行きたくない、だとかあっちに足のないおっさんがいるだとか、子どもの頃からよく言っていた。そしてそれはあながちウソとも言えない。事実、斗真が怯えた場所は数ヶ月前に事故があった場所だったりとか、被害者の特徴なんかもピタリと言い当てるからな。あの時は、マジで怖かった。
つまり、そんな斗真が怖がるってことは……今、この部室にはそういう系統の者がいる可能性が高いのである。そうとわかっている場所に入れ、と言われてもなかなか踏ん切りがつかないのはある意味仕方ないのだ。
『ゴチャゴチャうるさい。さっさと入ってくる!』
入口の前で二人騒いでいると、脳内に直接チカ先輩の声が響いてきた。そう、脳内に、だ。僕らがテレパシーと呼ぶそれは、先輩曰く念話というらしいんだけど、これを最初にやられた時並みに僕らはビビった。
「う、わっ……!」
「おわぁぁぁ!?」
だって、その念話とともに、突然ドアが開いてグイッと中に引き込まれたのだから。
そのまま僕らは転がりこむように部屋に入り、背後でピシャンとドアが閉まる音を聞いた。周囲には誰もいない。先輩すら近くにいないので、やはり魔法の力で僕らは室内に引き込まれたのだろう。先輩、やることが雑! お陰で盛大に転んでしまったじゃないか!
「ってか、なんで部屋の電気点いてないの……」
「ひっ……む、無理無理無理無理無理ぃぃぃ……!」
室内に入ったことで、斗真はさらに全身をガタガタと震わせている。あ、これガチのやつだ。え、待って。本当に大丈夫なの? 今回の仕事。
「大丈夫だよ。ほら、早くこっちに来なさい。ちゃんと説明するから」
僕らが床に座り込んだまま動かないでいると、先輩がため息交じりでそう言うのが聞こえた。先輩の声色からすると、本当に何も問題はなさそうだ。けど、この先輩は色々とアレでソレな人なので信用はできない。
「あ、眼鏡はかけといてねー。じゃなきゃどうなっても……知らないよ?」
続く先輩の声に、僕らは脊髄反射で眼鏡を装着した。斗真なんか光の速さだったんじゃなかろうか。というか先輩のそのおどろおどろしい言い方……なんか面白がってないか?
とりあえず、衝立の向こうに行かなきゃ何も始まらない。僕らはようやく立ち上がって意を決する。保護兼翻訳眼鏡をかけたことで、安心感が増したからな。
でも何が出てきても平気なように、ゆっくりと、恐る恐る前へ進む。見たいような見たくないような。そして僕らは衝立の向こう側へとやってきた。そこには、腕を組んで立つ、蛍光色なチカ先輩と、その前に立つ黒い影。
「あ、あの……」
僕がそう声をかけた時、黒い影がゆっくりとこちらに振り向いた。その瞬間、タイミングよく外で稲光が走る。そのおかげで、いや、そのせいで、僕らはその黒い影の全貌を見てしまったのだ。その影は──
──頭から血を流し、ニヤリと笑った。そして……足が、ない。
「あ、どうも、こんにち……」
「「ぎゃあああああああああ!!!!」」
何かを言われた気がしたけれど、その影の言葉は僕らの叫び声にかき消され、そして僕らの叫び声は外で鳴り響く雷の轟音でかき消されてしまったのだった。
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