黄色の眼鏡
「み、見てません!」
「バッチリ目があったよね」
「見てません! 本当です!」
「ほう、なら本当に忘れさせてやろうかな。物理的に」
「嘘です見てましたぁぁぁぁ!!」
隣で斗真が必死に彼女と話している。こいつ、わかってはいたけど馬鹿なのかな? この状況で見てないとか、無理がありすぎるだろ。ま、言いたくなる気持ちは良くわかるけど。
仕方ない。もはや言い逃れはよそう。けど、まずは気になる事から言わせてもらう。
「あの、その犬……離してあげませんか? すっかり、その……怯えてますし」
「犬? ああ、こいつのことか」
僕が恐る恐るそう言うと、彼女は今気付いたというように持ち上げていた犬をチラと見た。いや、貴女がずっとそうして持ってたでしょうに!
「でも、逃げられると困るんだよねー」
「その犬、貴女の犬なんですか?」
飼い主なのだとしたら、その態度もまあわからなくもない。理解に苦しむけど。これって動物虐待とかにならないのかな? そう思って僕は気が気ではないんだけど。
「違うけど、元いた場所へ帰してあげなきゃいけないから、逃げられると困るんだよ」
「元いた場所へ……? 保護してるってわけですか?」
僕がそう聞くと、キョトンとした顔で彼女がこちらを向いた。あ、ちょっと、いやかなりこの人、可愛いな。外見の派手さに目を奪われて気付かなかったけど……というか、どこかで見た覚えがある気がする。
「保護……うん、それいいね。そうだよ、保護してる」
彼女は嬉しそうに笑うと僕の質問に肯定するよう首を縦に振った。あ、この笑った顔……!
「
唐突に斗真がそう叫んだ。そう、そうだ、女優の光色蛍で間違いない。髪の色が金髪だけど、最近注目され始めた大型新人女優、その人で間違いない。でも何だってこんなところに、こんな格好で……? とそこまで瞬時に疑問に思ったところで、光色蛍が空いている方の手でガバッと斗真の口を覆い、ひっくい声で僕らに告げたのだ。
「君たちは……知りすぎたようだね……?」
この時ほど、思ったことがすぐに口をついて出る斗真の性格を恨んだことはない。
一緒に来てくれるよね? と笑顔で聞いてくる彼女の言葉を拒否できるはずもなく、僕らは首を何度も縦に振り、すごすごと彼女の後について行く羽目になったのだった。あ、でも、君のでしょ? と差し出されたカバンが思ったほどヨダレが付いてなかったので、そこだけちょっと安心した。
「魔導部……なんすかこの謎の部室。こえーんすけど?」
「はい、黙って入る」
連れてこられたのは、校舎の五階、西日の当たる端の空き教室だった。いや、ドアに手書きで「魔導部」と書かれてあるから部室なのだろう。でも、こんなところに教室があったんだ……音楽の授業の時に来る以外、五階には来ないから気付かなかった。
「あの、その犬、校舎内に連れてきて良かったんですか……?」
部室内に入ってドアを閉めると早速、僕は気になって仕方なかったことを問う。女優、光色蛍がなぜここいいるのかとか、本当に光色蛍なのかとか、他にもあったけどまずはこれだ。ビビリというなかれ。僕は校則違反などとは無縁で生きてきた真面目な人間なのだ。
「ほ、本当に光色蛍なんすか!? めっちゃかわいい、めっちゃかわいい!!」
しかし斗真はこうである。知ってた。お前がそっちに食いつくって僕は知ってた。でも僕の質問に被せてくるのはいただけない。思わず横目で斗真を睨む。
「まぁまぁ、急ぐんじゃない。順序よく説明してやろう」
けれど、僕らのそんな様子を気にすることなく彼女は空いている席に座った。手で僕らにも座れと合図を出されたので、その通り僕らも適当な椅子に座る。
「まずは自己紹介だね。私は光野チカ。君たちの先輩だよ」
「光野……」
「チカ……?」
こうして聞かされた名前に、僕らはぽかんとした間抜け面を晒していたと思う。クスッと先輩が笑った。
「光色蛍でもある。でもあれは、芸名ってやつだよ。本名だと色々と面倒だからね」
「や、やっぱりそうだったんすね! うわー、うわー、本物!」
なるほど、芸名か。そうだよな、と一人で納得する僕の横では、斗真が興奮している。正直鬱陶しいが、有名人が目の前にいたらそうなる人は多いだろうし、黙っておく。
「学校では、隠してるんですか? その、女優ってこと……」
「まぁね」
パッと見ただけでは絶対に気付かないもんな。なんせドギツイ蛍光色だし。でも、目立ちすぎじゃないか? 有名人であることを隠すなら、もっとこう……控えめにするもんなんじゃ? 僕がそう疑問に思っていると、先輩が僕の目を見つめてきた。あまりにも真っ直ぐな視線に思わず胸がドキリと音を立てる。
「ここまで派手にしておけば、みんなあまり関わろうとしてこない。よく観察されることもないから、逆に誰も気付かないんだよ」
そして、欲しかった答えを言われてしまったもんだから、音を立てた心臓が今度は飛び出る思いだった。言い知れぬ不気味さを感じるっていうのかな。こう、ゾクッとしたんだ。
「……僕、声に出してましたか?」
「いいや?」
目の前でにこやかに笑うこの人は、なんなんだろう。
よくわからないものと対峙して、僕は冷や汗を流す。締まりのない顔で先輩を見つめ続ける斗真は、この事に気付かないのだろうか。能天気さを分けて欲しい。
「キャウン、キュウゥン……!」
「ああ、そうだった。忘れていたよ。もう逃げないと約束するなら、離してやる」
と、相変わらず首根っこを掴まれたままの犬が、何かを訴えるように鳴くと、思い出したかのように先輩が犬に話しかけ始めた。なんだか、話が通じているかのような扱いに目を瞠る。
「キュウ、キャウン! キャウゥ!」
「いーや、信用できない。そう言ってさっきも窓から飛び出しただろう。ま、もう全部閉め切ったけど。私の落ち度でもあったからね」
「キャウ!? キュウウン!」
「うるさいな。だから帰してやると言ってるのに。まったく人の話を聞かないんだから」
……なんか、本当に、会話してるように見えるな。でも正直、僕らには先輩が痛々しい人にしか見えない。ほら、斗真ですら引きつった笑みを浮かべてる。
「あ、そうか。君たちには言葉がわからないんだった」
「えっと、あの……?」
「お、オレら、邪魔しちゃ悪いんで……」
なんだか見ちゃいけないものを見た気がして、僕と斗真はアイコンタクトを取ると、そっと席を立ち……
「逃がさないよ?」
……去ろうと思ったけど、先輩が許してくれなかった。ですよねー。帰りたい。教室に。
「これを」
大人しく座り直した僕らの前に、先輩が何やら派手な眼鏡を差し出した。蛍光黄色の太いフレームだ。目に優しくない。
「これ、は……?」
「いいからかけなさい。そうすればわかるから」
有無を言わせず僕らにこの眼鏡をかけろと言う先輩に、当然僕は戸惑った。だってこんな派手な眼鏡かけて、宴会芸でも始めろとでも言うのだろうか。地味に、目立たず生きたい僕にとって、これをかけるのはかなりの勇気が必要なのだ。
「これでいいんすか?」
だと言うのに、斗真のやつはなんの躊躇いもなく眼鏡を装着した。いいよな、能天気なヤツは。それにかけてても違和感がない。なんかズルい。
「キャウン!」
「うお!? え、ま、マジ?」
「キャウゥ」
と、犬が鳴き声をあげ、斗真が驚いたように犬を見た。なんだ? 何が起きてる……?
「マジだ! うわ、マジだよ! あ、でも犬、お前それは無理!」
「グルルルゥ……!」
「だ、だって犬じゃん!? わ、やめ、怖い怖い!!」
斗真は犬に向かって話しかけ、それに合わせて犬が今にも飛びかからんばかりの姿勢になっている。まぁ、先輩が首を押さえたままだから飛び掛かれないみたいだけど。
もしかして、もしかしてだけど。ほんと、にわかには信じられないんけどさ。
斗真のヤツ、犬と会話してる? これをかける事で? いや、そんなまさか……そんな魔法みたいなこと、起こるはずがない。
「そう思うなら、君もかけてみればいい」
「っ!」
そんな僕に、全てを見透かしたかのような言葉をかけてくる先輩。口角を上げ、意味ありげに微笑む彼女は美しくもあって、なんだか僕は、また心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。
気になる。確かにすごく気になるけど……
「こ、これをかけるのか……」
「似合うと思うよ? 君、イケメンだし」
「嬉しいのかどうか微妙ですそれ……」
ほら、そろそろ腕が疲れたから、と急かす先輩。僕は眼鏡と、犬と話す斗真を交互に見やり、それから決意を固めて先輩の手からメガネを受け取った。好奇心の勝利である。
それからそっと、眼鏡を装着した。うっ、恥ずかしい!
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