契約


「おう! 今度はそこのお前! この魔女からオイラを解放してくれよぉう!」


 喋った。僕はあまりの出来事にしばし放心してしまった。


「おう、おうおうおう! 聞いてんのかー兄ちゃぁぁぁん!」


 でもやっぱり喋ってる。犬が。この、でかい犬が気さくに僕に話しかけている。チカ先輩の手から逃れようと必死になって前足を浮かせて、ジタバタしながら僕に訴えかけてきている。

 僕はそっと、黄色い眼鏡を外した。


「キャウン!? キャウゥ……グルルゥ」


 すると、やはり犬は犬らしく鳴いている。……これは、もしかして、もしかしなくてもこの眼鏡が原因なのだろうか。僕は無言でチカ先輩に目を向ける。


「それは送還するまでかけていた方がいい。翻訳してくれる以外にも、多少の衝撃を吸収してくれる優れものだからね。つまり、君を守ってくれる。コイツを離した後、飛びかかられても耐えられるって事だよ。それをかけてなかったら、軽く吹っ飛ぶよ?」


 それを聞いた僕は、再び眼鏡を装着した。その言葉を完全に信じたわけではないけれど、事実、翻訳の効果らしきものはあったわけだし、ここは言うことを聞いた方がいいと思ったから。別に、信じたわけじゃないぞ。


「おい! 助けてくれないのかよぉう! オイラ、このまま魔女に喰われちまうんだぁぁぁ!」

「おだまり、フェンリル。黙って首を縦に振りなさい。私の言うことを聞けば、元いた場所に帰してあげるって言ってるでしょう」

「喰われるんだぁぁぁぁ!!」

「ああ、もう!」


 なんだか、話が不穏だ。フェンリルと呼ばれた犬はこの世の終わりだと言わんばかりに泣き喚いているし、この犬がそう言うなら、実際先輩が喰ってしまうのだろうか、と思ってしまうほど先輩の行動は不審だし。


「喰うんすか?」

「……喧嘩売ってる?」

「喰いませんよねぇぇぇ! しっつれいしやしたぁ!」


 そして僕の疑問をその身を犠牲にして聞いてくれた斗真に少し感謝する。結局は疑問のままだけど。それに……もう一つ、気になるワードがあったし。


「……あの、魔女って」

「魔法少女」


 僕が、魔女とはどういうことか、と聞こうとしたら、食い気味に先輩が訂正を入れてきた。い、今、なんと……?


「魔じょ……」

「魔法少女」

「魔法……」

「少女。何か?」


 有無を言わせないオーラを放つ先輩を前にしたら、もういえ別に、しか答えられないよな。僕は悪くない。

 でも魔法少女ってもっとこう、キラキラしながら変身したり、えいっと杖かなんかを振って魔法をかけたりするイメージなんだけど……でも僕は何も言わない。空気の読める男なのだ。


「魔法が、使えるんですか……」


 そう。問題は呼び方ではない。最も気になるのは魔法が使えるのか、という部分なのだから。魔導部って、名前だけじゃなかったのかって話である。にわかには信じられないけれど。


「まぁね。はぁぁ、もう本当に腕が疲れてきた。ほんと、いい加減にしてよフェンリルぅ」


 そんな僕の質問に軽く答えながら、先輩は首を回し始めた。色々と、もう色々と突っ込みたい事ばかりだけど、確かにあの大きな犬を掴んだままでは腕も疲れる事だろう。そもそも片手でひょいと持ち上げられるのがおかしい事については置いておく。

 僕はそっと犬に近付いて、話しかけてみることにした。


「あの、こんにちは。僕の言葉、わかる、んだよね?」

「おう! おうおうおう! わかるぞ! 助けてくれんのかぁ!?」


 いちいち威勢のいい犬である。話し方とか声が子どものそれっぽい。ひょっとして、この犬まだ子犬だったりするのかな。こんなにデカいのに。まあ、今はそれはいい。


「うん、助けてあげるよ。でもそのかわり、ちゃんと話を聞いてくれない?」

「おう! おうおう! 聞くぞ! んー、兄ちゃんいい匂いすんなー。オイラ、兄ちゃん好きだ!」


 本当に聞いてんのかな? 犬はブンブン尻尾を振りながら僕の匂いをスンスン嗅いでくる。気に入られたらしい。よくはわからないけど。


「ありがと。じゃあ聞いて。この人は、悪い人じゃないよ。ちゃんと君を帰してくれる。だから、とりあえず今はこの人の言うことを聞いて、首を縦に振るんだ」

「えー、本当? 本当に魔女、いい人?」

「本当だよ」


 たぶん。知らないけど。でも、僕らにもなんだかんだで配慮してくれてるっぽいし、すっごい悪い人ってわけではないと思うんだよね。女優の光色蛍だし。そこはまぁ、関係ないけど。


「じゃあ、言うこと聞く! 兄ちゃん、好きだ! 兄ちゃんが言うなら信じるぞ!」


 おお、なんかわかんないけど、説得できた。犬は必死で暴れるのをやめ、ついに大人しくその場で座った。先輩が目を丸くして驚いている。


「……驚いた。うん、助かったよ。えっと、君、名前は……」


 そういえば名乗ってなかった。それに気付いた僕が名乗ろうと口を開きかけた時……


「彼は綿篠わたしの央時おうじっすよ、先輩!」

「わたしの、おうじ……?」

「そうっす! こう、書くんすよ」

「ほう、なるほど。確かに綿篠わたしの央時おうじだ」


 斗真のやつが丁寧に紙に書きながら割って入ってきた。こんの野郎!


綿篠めんじょう央時えいじです!」

「めん……? ああ、もう無理だ。綿篠わたしの央時おうじが印象的すぎて修復不可だ。よろしくな、私の王子くん」

「トーマこの野郎!」

「きゃー、王子が怒ったー!」


 斗真の悪ふざけも困ったものだ。もう二度と、宿題は見せてやらないと心に決めたからな。そしてちゃっかり自分はきちんと名乗ってるあたりに殺意がわく。


「ふふ、二人ともよろしく頼むよ。私のことは気軽にチカ先輩と呼ぶといい。よろしく」


 けど、先輩がそうやって微笑むから……つい見惚れて怒りが引っ込んでしまったのは内緒である。斗真の事は許さないけどな!


「さて、仕切り直しだ。フェンリル、私の言うことを聞くと約束しなさい。別に変な事は指示しない。暴れたり騒いだり、逃げたりしないための措置なだけだから」

「おう! 聞く、聞くぞ!!」

「本当にわかってる? はぁ、まあいいや。……よし、契約成立」


 チカ先輩は軽くため息を吐いて手を軽く振ると、驚くべきことに犬とチカ先輩が淡く発光した。え、ええ!? もしかして、今、魔法をかけた!?

 こうして驚いている間に、チカ先輩が掴んでいた犬の首根っこをついに手放した。これで犬は自由だ。……それはそれでちょっとビビる。これだけ大きな犬が放し飼いになってるのは実際ちょっとした恐怖を感じるのも無理はないと思うんだ。しかもこんな教室内にいるなんて学校にバレたらやばいのでは、という焦りを感じる。そろそろみんな登校してきて校内も賑わう頃だし。


 でも、僕の心配は杞憂に終わったようだ。解放されても犬は暴れることはなかった。首をずっと掴まれていたから軽くブルブルと頭を振りはしたけどね。それには思い切りビビったけど。近くにいた斗真もビクッとしてたから、僕だけがビビりなのではない。決してない。


「さ、朝はあんまり時間がないからちゃっちゃと終わらせるよ。君たちも、色々聞きたいだろうけど、今は我慢して。また後日、質問タイムを設けるから」


 僕は斗真と顔を見合わせた。まぁ、今時間がないのも事実だし、ここまで巻き込まれたのだから色んなことを聞きたいのも事実だ。後日設けると言うのなら、答えてくれる気はあるのだろう。僕らは頷いた。


「もちろん、他言は無用。もしバラしたら……」

「い、言わねっすよ!」

「言いませんし、言っても誰も信じないですよ」


 不穏な空気を纏い始めたチカ先輩に、慌てて言わないと口にする僕ら。けれど、そんな僕らに先輩は笑顔でこう言った。


「君たちのことは信じるよ。でもそれとこれとは別。あとで、契約を結ばせてもらうよ」


 それは、僕らには拒否権がないのだと言うことを、暗に示した晴れやかな表情であった。僕らは悟る。ああ、逃げられないのだな、と。


 ガックリ、と肩を落としたところで、先輩は椅子に腰掛け、足を組み、頬杖をついて話し始めたのだ。


「さあ、君を送り返すために、対価をいただこうと思う」

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