怖がり
「王子くん、トーマくんを頼む、よ!」
「え、あ、はいっ……!」
まだ慣れない目で僕らを守るように立つ先輩の後ろ姿を見た。反射的に返事をしたけど、今、一体どんな状況なのかわからない。とりあえず、ドラゴンは先輩がなんとかしてくれるだろうと信じて、僕は足元で蹲っているようすの斗真の様子を見るべく膝をつく。
「トーマ、だいじょ……う、わ」
「は、はは……くっそ痛ぇ」
ようやく見えるようになってきた僕の目に飛び込んできたのは血の色だった。斗真は右腕を切り裂かれていて、そこから止めどなく血が流れているようだったのだ。すぐには理解できなくて、なんとも情けない声を出してしまった僕だけど、すぐに頭をブンブン振って斗真に話しかける。
「ちょっと見せて。爪で引っ掻かれたのかな。……うん、血は出てるけど傷口はそんなに深くはないからきっと大丈夫」
自分でも驚くほど冷静に傷口を見ることができた。心臓はバクバクと大きな音を立てているけど、こういうのはちゃんと見ることが大事なんだ。血を見るとつい焦ってしまうし、ドラゴンという未知の生き物に襲われたのだからパニックにもなりやすい。ライオンとかの猛獣に襲われた心境に近いのかもしれないな。そんな経験ないからわかんないけど。
「やべぇ……俺、めっちゃ震えてんじゃん」
見れば斗真は見てわかるほど全身をガタガタと震わせていた。無理もない。
「ゴーストの時と一緒じゃん」
「は、はは、俺、震えてばっかだな」
少しでも落ち着いてもらうために、僕はいつも通り軽口を叩いた。斗真はあまりうまく笑えてはいなかったけど、気を逸らすことは出来たと思う。
「そんなに深い傷じゃなさそうだね? よかった」
そうして二人で会話をしていたら、ホッとしたようなチカ先輩の声が聞こえてきた。思わず振り返ってみると、さらに顔が引き攣るような光景が広がっていた。
「……ドラゴンが」
「……組み敷かれている」
体長二メートルは超えているだろうドラゴンの首から体全体に蛍光黄色の鎖を巻きつけ、ドラゴンをひっくり返し、鎖を自身の手にも巻き付けつつ右足でドラゴンを踏みつけている蛍光色の女生徒がそこにはいたのだ。理解が追いつかない。ドラゴンはグギュゥゥ、と力なく唸っている。
「軍手はちゃんと着用していたんでしょ? それなら、問題ない。ほら、傷口が塞がってきていない?」
「「えっ!?」」
しかし、次に続く先輩の言葉に、僕らは驚いて斗真の傷口に目を向けた。すると……し、信じられないことに、さっきまで血が流れていた傷口が少しずつ治っていってるのがわかった。ど、どういう原理!?
「自己治癒力を高めて急速に治しているだけだよ。傷が浅いから、二日間くらいやたら眠いかもしれないけど、その程度で済むはずだから」
「そ、それも魔法なんですか……」
まぁね、となんてことはないといった様子で言いつつ、チカ先輩はドラゴンの方に向き直った。
「でも、今は倦怠感が襲ってきてるはず。あとで少し楽になる薬を出すから、しばらく我慢していてくれる?」
「い、言われてみれば、なんかフルマラソン走った後みたいにしんどいぃぃぃ」
「いや、お前フルマラソンとか走ったことねぇじゃん」
その場にくったりと倒れ伏した斗真。かなり疲弊はしているみたいだけど、大事に至らなくてよかった、と胸を撫で下ろした。まぁ、服がちょいちょい血で汚れてるけどな。
「さぁ、ドラゴンちゃん? 私の親友に怪我させたこと、どうしてくれようかねぇ……?」
ゴゴゴ、という効果音が聞こえそうなほど恐ろしいオーラを纏った先輩が、ひっくり返って哀れな姿になっているドラゴンを威圧し始めた。背後で「私の親友?」と先輩の台詞にときめいている馬鹿がいるけど今は無視だ。だって、今の先輩は今までで一番怖いんだから。
今までで一番だぞ? フェンリルを片腕で持ち上げてたり、底知れない不気味さを感じた時なんか比べ物にならないほどの恐ろしさだ。
「こ、ここは、どこなの……? あなたは? 人間が三人もいる、怖い、怖い……!」
なんだか可愛らしい声が聞こえてきた。あ、れ? 今の声って、もしかしてこのドラゴン? 翻訳眼鏡が翻訳してくれた声っぽい。先輩も今の声を聞いて軽く片眉を上げて様子を窺っている。
「こわい、こわいよぅ……ボク、何もしないよう……」
すると、ドラゴンはしくしくと泣き始めてしまった。ドラゴンだから表情はよくわからないけど、大きな金色の瞳からは涙が滲んでいるのが見て取れた。
「ふむ。なるほどね」
「え、先輩、何かわかったんですか?」
その様子を見た先輩が、腕を組んで小さく何度も頷いていたので聞いてみると、苦笑を浮かべてまぁね、と答えてくれた。
「この子は、本当にただの子ども。悪意なんかまったくない。魔力はかなり持っているけどね。元々、人間が怖いみたいだ。だから近付かないでーって暴れたに過ぎないんだよ」
いやだいやだ、って病院とかで泣き叫ぶ子どもがいるでしょ? と先輩は付け加える。たしかに、診察室に行きたがらずに泣き叫ぶ子を見たことがあるぞ。母親の腕からなんとか逃れようと暴れている子もいたっけ。あれはお母さん大変だろうなぁって思った覚えがある。
それのドラゴンバージョンってわけか。なるほど、納得。でも被害が大きすぎるだろ、ドラゴンだと!
「……話してみても大丈夫ですかね?」
「ん。頼むよ。もう暴れさせないから」
でも、子どもが怯えてるだけだってわかったら、どことなく可愛く見えてくるから不思議だ。縛られてひっくり返って身動きできずにグズグズ泣くドラゴンの絵面は酷いけど。ともあれ、相手が子どもなら、まずは落ち着かせてあげないといけない。僕はそっとドラゴンの顔の前に近付いた。
「ひぃっ! 人間! こっち来ないでぇぇぇ!」
だけど、相当嫌な思いでもしたのだろう。ドラゴンは僕が一歩近寄っただけで泣き始めてしまった。うーん、根深い。
「ごめんごめん。嫌ならもう近付かないから。少し、話がしたいだけなんだ」
「え……」
嫌がることをしても逆効果だからな。声は届くし、少し遠いけど仕方ない。先輩に踏みつけられてるから今更大丈夫だよー、なんて言っても説得力はないだろうけど。
「君がここで暴れると危険なんだよ。僕らはもちろん、君だって怪我をするかもしれない。だから、こうして縛ってるのはそれを防ぐためなんだ。君を捕まえて意地悪しようだとか、そんなつもりはないんだよ」
まぁ実際、危険な目にあうのは僕らだけっぽいけどね。この教室にはチカ先輩がしっかり魔法をかけているし、暴れても学校が崩壊するようなことはないだろう。たぶん。あらかじめドラゴンだってわかっていたわけだし、以前フェンリルに逃げられているから対策はされているはずだ。
「危ない……? ボク、危なくないよ……?」
一応はこちらの話を聞いてくれているみたいだ。けど、その答える様子はどこか腑に落ちていないように見える。
「ドラゴンだからって、みんなして危険だって。ボク、何もしないのに。ボク、戦うのは好きじゃないのに……!」
ふーむ。なるほど、少しだけこの子の置かれた状況が見えた気がするな。まだはっきりとはわからないけど、そこは対価の支払いでわかるだろう。
「そっか。君は優しいんだね」
「え、え……そう、思ってくれるの?」
「もちろん。戦うのが嫌いっていうのは、痛い思いをするのが嫌なんでしょ? 他の者に痛い思いをさせるのも嫌なんじゃないの?」
「うん……うん、嫌だ。だけど、みんなはボクが臆病者だって……」
この世界のドラゴンが温厚なのかな、とも思ったけど、やっぱり大抵は好戦的なのかもしれないってのがこの子の言葉からわかった。このドラゴンが、特殊な性格なのかもしれない。
「物は言いようなんだよ。臆病者とも言えるし、優しいとも言える。全ての物事は、良い面と悪い面があるのが普通だ。僕は君を優しいと思うよ」
僕の話を聞いて、ドラゴンはわずかに大人しくなったように見えた。涙は止まり、ちゃんと僕の話を聞こうとじっとこちらを見てくれている。
「でもね、君は僕らに比べて体が大きい。僕らには鱗もないから、君が少し暴れただけですぐに怪我をしてしまう。攻撃するつもりがなくても、僕らは簡単に傷付いてしまうんだよ。だから、暴れるのはやめてほしい。それだけなんだ」
「あ……ぼ、ボク、さっきあの人を押したから……」
「うん、怪我をしてしまった」
斗真を押した、という自覚はあったのか。パニックになっていてもそこはちゃんと理解していたみたいだな。ドラゴンはまたしても瞳に涙を滲ませていく。
「ご、ごめんなさいおにーさん……! ボクのせいでぇぇぇ」
「え? あー、いーっていーって! わざとじゃないんだろぉ? だとしたらこれは事故だ! あんまり気にすんなって。次、気をつけてくれよな!」
泣きながらでもきちんと謝れるんだから、やっぱり優しい子だ。うん、きっと大丈夫。
「ちゃんと謝れて偉いな。じゃあ、もう暴れたり騒いだりしないって、そこのお姉さんに約束できる?」
「ひっ、お、おねーさん、魔女でしょ……? だ、大丈夫なの?」
「魔法少女だ」
この流れで最初の契約を、と思ったのに、やっぱりそこが引っかかるんだな、チカ先輩。ひと睨みする様子が怖くて怯えてるから。
「この人は、たしかに魔……法少女だけど、優しいから。君を家族のいる場所へ帰してくれるから」
危うく魔女と言いそうになったところをギリギリのところで耐えた。偉いぞ、僕。
「仲間のところに……?」
ドラゴンは目をまん丸にしてチカ先輩を見た。ドラゴンが目をまん丸にするとちょっと怖い。
「暴れたり騒いだりしない約束をきちんとして、対価を支払ってくれればね」
「あ、対価って言っても、君のことを話してくれるだけでいいから。元いた場所でどんなことがあったか、とかね」
いつもここでみんなが聞き返してくるので、今回は先に説明してしまう。ドラゴンはそれだけでいいの? と言いはしたけど、それ以上聞き返してはこなかった。
「約束、する。だから、ボクを元の場所に帰してくださいっ!」
ドラゴンは礼儀正しく、わずかに頭を下げてチカ先輩にお願いした。仰向けだからやや苦しそうだけど、その誠意はたしかに僕らに伝わったのだった。
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