常識


 チカ先輩がスノードームに手をかざし始めたので、僕らはすぐさま保護眼鏡を装着した。近頃なんの抵抗もなくつけられるようになってきたのが自分でも嫌だ。でも、安全には変えられないからな。


「狭間に彷徨いし者、我が問いかけに答えよ」

『だ、だれ……っ!?』


 先輩が声をかけると、スノードームの中の子どもはビクッと身体を震わせて声をあげた。どこから聞こえたのかとキョロキョロ辺りを見回している。


「うん、聞こえているな。では問う。君はここから出たいか?」

『う、え……? で、出たいです、けど……あなたはだれ……?』


 質問に答えつつも涙をいっぱいに溜めて宙を見上げるエルフの子ども。うっ、かわいい……!


「私は時空を渡る者。君が約束を守れるのなら、必ず元いた場所へと帰してあげよう」

『もといた、場所へ……?』


 一も二もなく頷くと思っていた。けど、エルフの子どもは予想外の答えを口にしたのだ。


『ここからは、出たいですけど……元いた場所には、戻れなくて、いい……』


 チカ先輩も含めて僕らは三人思わず顔を見合わせた。どう考えても訳ありだ、このエルフ。


「ふむ……では、その理由も含めて私に聞かせてくれないか? それがそこから出す対価としよう」

『出してくれるんですか……? その、あなたの、元に?』

「そう、私の元に。お茶でも飲みながら、話を聞かせてくれないか?」


 ひとまずここに呼び出すことは変わらないみたいだ。まぁ、その事情こそが対価となりそうだもんな。子どもはよくわかっていなさそうな顔をしていたが、わかったと一つ頷いた。


「あと、暴れたり騒いだり逃げようとしたりしないこと。危ないからね。約束できる?」

『は、はい! 約束しますっ』

「よし、契約成立。いざ、解錠!」


 先輩がそう言ってスノードームに翳す手に力を込めると、部屋中に眩い光が立ち込めた。やっぱり眩しい。目を閉じていても眩しい。これ、そのうち視力悪くなってそうで少し心配である。


 そうして、光が収まったころに目を開けると、そこには銀髪の美少年がキョトンとした顔で立っていた。目には涙を浮かべていて、キラキラと輝いて見える。というか全体的に輝くオーラを纏っているように見えて、チカ先輩とはベクトルの違う眩しさを感じた。銀髪とか初めて見たし。


「ここは……私のいた場所とは、確かにちがうみたいですね……」


 エルフの子は最初にそう呟いて、心底ホッとしたように息をついた。それからチカ先輩や僕らに顔を向け、おもむろに片膝を付いて頭を下げた。ものっすごい絵になるなぁ、おい!?


「助けてくださって、ありがとうございました。私はシェイザリアス。エルフは受けた恩を忘れない。私にできることならなんでも言ってください」


 なんというか、ここはただの空き教室なのに、彼の存在だけで一気にファンタジーの世界に迷い込んだかのような錯覚を覚えた。幻覚が見えるようだ。彼の後ろに後光が見える……!


「まぁそう堅くなるな。そこの椅子に座って話を聞かせてよ。私が求めているのは異界の情報。君には、君のいた場所について話してもらいたいだけだよ」

「え、そんなことだけで……? ほ、他にもなにかあるでしょう!?」


 対価が情報、といえば決まってみんなが戸惑うのはわかっていた。けど、この子は他の子に比べてよりそれでは足りないのではないかと慌てているようだ。律儀なのか種族の特性なのかはわからないけど。


「そ、そうだ! 私がいつも身につけている守りの小刀はいかがですか? エルフの細工は貴重で、高く売れると聞いたことがあります。あとは、あとは……この髪くらいしか……」


 エルフの子、シェイザリアスが自分の髪を一房掴み、手にしていた小刀で迷うことなく切り落とそうとしている。えっ。待って、潔すぎる! 気付けば僕は身体が勝手に動いていた。


「待って」

「な、なぜ止めるんですかぁ?」


 小刀を持っている方の手首を思わず掴んで一言だけ告げると、シェイザリアスは目に涙をじわっと浮かべて僕を見た。やめて、その青い瞳の涙目で上目遣いは反則! 斗真は、自分に向けられているわけでもないのにやられたのか、胸を押さえて呻いている。それ、今僕がやりたいアクションだから。しかし、今ここで僕がやられるわけにはいかない。


「話はちゃんと聞いた方がいい。チカ先輩が、君の小刀や髪が欲しいと、一言でも言ったか?」

「うっ、い、言ってませんけどぉ……でも、我らの髪は高価なので、喜んでもらえるかと……もしかして、ぐすっ、お気に召しませんでしたか?」


 この子、少々思い込みが激しいところがあるのかもなぁ。いや、この子の世界の常識なのかもしれないけど。


「ここは、君のいた世界とは違うから、常識も違うんだよ。だから、まずは話を聞いて? ね?」

「せ、世界……? 私、世界を渡ったんですかぁ!?」


 あ、そこからなんだね。僕は思わず先輩にヘルプの視線を送った。


「よくやった、王子くん。助かったよ。シェイザリアスといったね。あー、長いからリアスで」

「リアス? そんな呼び方、初めてです……でも、なんだか、いいかも」


 シェイザリアスあらためリアスは相変わらず目に涙を浮かべていたけれど、どこか嬉しそうに頰を緩めている。いちいち可愛いな。


「リアス、君は世界を渡ったんだ。なにか大きな魔法の発動が近くで起こったとか、戦が起きていたりしなかった? そのせいで時空が歪んで時々、狭間に迷い込む者がいるんだよ。君もその一人」

「魔法……戦……」


 先輩の説明を聞いて、リアスは顔を強張らせた。どうやら思い当たることがあるみたいだ。それに気付いているはずだけど、チカ先輩は言葉を続けた。


「だから、ここも君がいた世界とは別の世界になる。そちらでは小刀も髪も高価なものになるかもしれないが、その常識はここでは通用しない。確かに美しいけれど、私はそれを欲しいとは思わない」


 チカ先輩は紅茶のポットにゆっくりとお湯を注いだ。ふわりと紅茶の香りが室内に広がってどこか落ち着く。


「それと同じで、君にとって大したことはないと思われるただの情報も、私にとってはとても貴重なものなんだよ。人の価値観というものは、それぞれ違うものなんだ。覚えておくといい」


 そう言って微笑みながら、先輩はどうぞとリアスに紅茶の入ったカップを渡した。リアスは目をパチクリとさせて、恐る恐る手を出し、カップを受け取る。


「こ、この飲み物に対する対価は……?」

「本当に律儀な種族だよね、エルフって。これは善意。私たちの世界へようこそっていう歓迎の証だよ。対価なんかいらない」


 それでも対価を、と思うのならもう泣かないでくれると助かるね、といいつつ、チカ先輩は自分の紅茶に口をつけた。毒などではないと示す意図もあったかもしれない。

 彼女の言葉を聞いて、リアスはやっぱり驚いていたけど、しばらく黙って好きなようにさせていると、ようやく紅茶に口をつけてくれた。それから、おいしいと呟き、もう一口。


「……ありがとう、ございます。もう、泣きません」

「助かるよ。さ、お菓子もあるんだ。まずはのんびりお茶会としよう」


 まずは、子どもを落ち着かせることから、という第一関門はクリアできたっぽい。それまで黙って様子を見ていた斗真も、しれっとお茶会に参加しつつ、リアスに声をかけている。懐に入るの早いな? リアスが若干引いているけど、悪感情は持たれていないみたいだし、良しとしよう。

 ようやく笑顔が増えてきたお茶会を、僕はチープなミルクティーを飲みつつぼんやりと眺めていることにした。




「さ、落ち着いたところで、対価をもらおうと思うんだけど……でもリアス。君は元の場所に戻りたくない、と言ったね?」

「……はい」


 和やかなムードではあったけど、いつまでもこうしているわけにもいかない。頃合いをみてチカ先輩がそう話を切り出すと、リアスは目に見えてその表情に影を落とした。


「でも、君がこのままこの世界にいることはできないんだよ。この世界では、身元不明の人物の扱いが非常に難しいからね。というか、そもそもエルフという種族がいないから、君という存在がこの世界にいるのはとても危険なんだ」

「そう、ですか……」


 先輩のいうことは至極当然のことだ。もし、このままリアスがこの世界で生活しようものなら、この子の親はー、とか以前に、耳が尖っているとか言葉が通じないとかで下手したら研究材料にもなりかねない。それはさすがに妄想がすぎるかもしれないけど、ニュースになったりとかして、あっという間に全世界に存在を知られ、晒し者にされる恐れは十分にあった。ネット社会、マジで怖いんだぞ。


「話を聞かせてもらえないかな。なぜ戻りたくないのか。それが対価にもなるけど……なにかアドバイスができるかもしれないからね。ま、あんまり期待はしないでもらいたいけど」

「…………」


 リアスは少しの間、黙りこくってしまった。話してみれば、この子は頭がいいし、人の気持ちを汲み取ることに長けている気がする。要するに察しがいいというんだけど。だからきっと、先輩の言うこともきちんと理解して、自分は元の場所に戻るしかないこともわかったはずだ。

 むしろ、だからこそ、という部分はあるかもしれない。未来を思って、気が落ち込んでしまっているのだろう。もしくは、話したくない理由があるのかもな。


「……話します。あの、馬鹿にしたり、しないでくださいね?」


 五分程度だっただろうか。黙って考え込んでいたリアスは、意を決したように顔を上げてそう言った。馬鹿にする? そんなことを気にしていたのか。でも、このくらいの子ならそう思うこともあるか。


「言っただろう。私たちとは常識が違うんだ。案外、君の悩みは私たちにとっては大したことないかもしれないよ?」


 そう言って目を細めた先輩には、すでにリアスの悩みがわかっているように思えた。いや、なんとなくそんな気がしただけなんだけど、この人は、人の考えを読んでいるんじゃないかと思う言動が多いからさ。僕が頭で考えていることに返事をしたりとかね。


「常識が……そっか、そうですよね。ちょっと元気でました。……その、聞いてください」


 こうして、ようやくリアスの対価の支払いが始まったのだ。

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