蛍光色のチカ先輩
「色々と、ご迷惑をおかけしました。それで……あの、チカ様」
「うん?」
あれから小一時間ほど。そろそろ帰る時間となった頃、エリカはようやく元の世界へ帰る決心をしたようだ。ここは居心地がいいからもう少しいたかった、という冗談も言えるくらいには元気になったようで、安心したよ。……本音かもしれないけど。
「……いつか、必ず」
「ああ……きっと出来るよ、君ならね」
国のことかな? よくはわからないけど、きっと二人でいる間になにか話したのだろう。エリカは先輩の返事を聞いて納得したように頷くと、教室の中央に一人立つ。いよいよ、帰るんだな。
先輩が呪文を唱えて両手をパンと合わせる。
「契約成立。帰還せよ」
いつものように足元に魔法陣が現れ、淡く発光しながらエリカを包み込んで行く。
「本当に、ありがとうございました! あの、エージ様」
「何?」
消えていきながら、迷ったようにエリカは僕に声をかけた。少し恥ずかしそうにしているが、意を決したように口を開く。
「あの、お兄様と、呼んでもいいでしょうか? 血の繋がった、素敵な兄がいる思うだけで、心強いのです」
そんな予想外な可愛らしい発言に思わず目を瞠る。それから頰を綻ばせて僕も答えた。
「……うん、もちろんいいよ。君に会えてよかった。ほんと、兄よりしっかりした妹で嬉しいよ」
いや、ほんと。マジで。僕にはもったいないくらい出来た妹だと思うよ。むしろ妹と呼ぶのが烏滸がましいくらいだ。
「お兄様は素敵な方ですわ。自分にもっと自信を持たれればよろしいのに……もったいないですわよ!」
だというのに、なぜかエリカは僕のことを素敵だという。うーん、どの辺が? とは思うけど、褒めてくれているのだから素直に喜ぼうと思う。でももったいないか。まぁそれは、ね。
「こればっかりは、性格だからな」
たぶん一生、僕はこんなだ。自分に自信を持てる日がくる未来が予想できないし。もし来たとしても、そうなったら満足してだらけきった生活をする自信がある。だから僕はこれでいいのだ。
「それでは、御機嫌よう。私、絶対に女王になって、今よりもっと素敵な国にしてみせますわ!」
「頼もしいね。その国を見てみたいよ」
エリカの決意表明に、チカ先輩が微笑みながらそう告げる。うん、僕も見てみたい。まぁ、無理な話だけどさ。
「お任せを!」
エリカは嬉しそうにそう言い放ち、そしてとうとう消えていった。来た時とは別人のように晴れやかな笑顔が印象に残った。
「せ、先輩!?」
エリカが無事に帰ったことで安心していたところ、斗真の焦ったような声に僕も振り向く。するとそこには……魔法陣もないのに足元から消えていきかけている先輩の姿があった。
「ああ、時間みたいだね」
「時間って……」
だというのに、先輩はいたって冷静だった。こうなることはわかっていた、とでもいうように。……というか、今気付いたけど、この教室もやたら片付いてないか? てっきり、お世話になったからとエリカが片付けたのだとばかり思っていたから、疑問にも思わなかった。
「エリカが帰ったことで、君はあの世界との縁が切れたんだ。つまり……死の運命が完全に断ち切れたってことだよ」
「それじゃあ、先輩は……消えてしまうんすか……!?」
「そんな急に……!」
いや、考えてみればそうだ。僕がどちらを選ぼうと、先輩はここからはいなくなる。もし僕が向こうに行くことを選んだとしても、一緒に世界を渡っていただろうから。わかってはいたんだ。けど、まさかこんなにすぐだなんて。
「急じゃないさ。わかってたことだよ。今から世界の狭間に飛んで、互いの世界の穴を埋める。なかなかの大仕事だから気合いを入れないとね」
そう言いながら肩を軽く回す先輩は、どこまでいってもいつも通りだ。ちょっとそこまで行ってくる、みたいなノリで、僕らの方が困惑してしまう。
「君の記憶は消さないでおこう。約束だからね」
膝のあたりまで消えたところで、先輩がそう言った。その目を見て、ああ本当に消えてしまうんだ、という実感が湧いてくる。……僕の、せいで。
「お、俺も! 覚えてたいっすよぉ!」
「本当に物好きだね君達は。それによって辛い思いをするかもしれないんだよ?」
忘れる方が、辛い思いをするより辛いっす! というよくわからないことを叫ぶ斗真。でも、まあ……同意ではある。先輩がやれやれと言った様子でサッと手を振ると、僕らを淡い光が包み込んで消えた。魔法がかかったのだろう。
「わかった。二人とも消さないでおく。困った子達だ。でも、少し嬉しいかな。それと、体育祭で君たちの勇姿を見られないのが残念だ。あと仕事も入ってたのになぁ。ま、それは別にいいか」
そう言って笑ったその顔は、ちょっと派手なだけの、普通の女子高生のそれだった。
「エージくん、トーマくん。君たちのこと、愛しているよ」
「愛っ……!?」
「もう、先輩は最後まで人をからかって楽しんでるんだから」
あとは肩から上だけ、というところで、チカ先輩が爆弾発言を投下する。まんまと動揺する斗真と僕。でも、僕は慌ててなんかやらないのだ。先輩は、こういう人なんだから。
でも、その言葉が冗談じゃないってことには気付いていた。茶化しながらじゃないと言えない、不器用な先輩なのだ。だから、僕も返してやる。
「僕も、愛してますよ」
「!」
愛だなんて言うの、めちゃくちゃ恥ずかしいなこれ。冷静を装ってるけど、耳まで赤くなってる気がするし。正直、愛とかわかんねーし。でも、なんかこう、負けた気がするっていうかさ。どうしても、言いたかったんだ。最後に。
「えーっ! じゃあ俺も俺も! 先輩愛してるー!!」
何か悔しいとでも思ったのだろう、斗真も慌てて愛を叫ぶ。照れがないように見えるのはさすがかもしれない。
「あははっ、本当に……君たちと過ごした期間は半年ほどだったけど、人生で一番楽しい日々だった」
そんな僕らを見て、先輩は明るく笑った。良かった。先輩に、楽しいひと時を与えられていたんだと知れて。
「ありがとう。……元気で」
「……こちらこそですよ。チカ先輩」
「お世話に、なりました!!」
だから、僕らも笑顔で見送る。ギュッとお守りを握りしめて。涙だけは、流さないと心に決めたんだから────
※ ※ ※ ※ ※
あれから、十年。まさかまたここへやってくることになるとは。
僕は教師になった。けど、この学校に来ることになったのは本当にただの偶然。それまでは別の高校で働いていたんだけど……人手不足だったのと、僕がここの卒業生だったことで誘われてしまったのだ。待遇も良さそうだったし、何より懐かしいのもあって、自分でも来たいって言ったんだけどね。
生徒たちが帰った校舎を、何の気なしに歩いて回る。仕事は明日からだったけど、なんとなく見て回りたかったんだ。貼られていた光色蛍のポスターは、当然そこにはない。というか、光色蛍の存在自体、先輩が消えた瞬間からないものとされていたからね。あれにはビビったし、本当にみんなの記憶からは消えてなくなったんだと実感させられた。
あの日、選択したことで僕の中に後悔はないけど、罪悪感はずっと残っている。結局、面倒ごとを全て実の妹に押し付けることになったわけだし。そのせいで命の恩人とも言うべき先輩を島流しにしてしまったようなものだし。僕って本当に酷いやつだな。
けど実際、僕に国王なんて無理だったと思うしね。やる気もなければ知識もない。王弟にうまいようにやられて最悪な未来を引き寄せてしまうってことさえあったと思う。これ、本当に、冗談ではなく。
にしても、当時あれだけ目に焼き付いて、絶対に忘れないだろうと思われたチカ先輩の姿も、今となってはうっすらとしか思い出せない。人間の記憶力ってやつは……でも、それも仕方ないことだ。思い出だけは、忘れないように今後も斗真と語っていこう。そう思いながら一番の思い出の場所である例の部室の前にやってきた。今ではただの物置となっているらしい。昔も似たようなものだったけど。
「そこに何か用ですか? 先生」
そこへ、背後から誰かに声をかけられたものだから、僕は飛び上がらんばかりに驚いた。人の気配なんかなかったのに。
「あ、ああ、ごめん……すぐに……え?」
そして振り向いた先にいた姿を確認して、僕は……目を逸らした。
仕方ないだろう、目に痛かったんだから。
「……ちょっと。人の顔を見てすぐに目を逸らすなんて、酷くないか? 王子くん」
先輩だ。チカ先輩がここにいる。しっかり確認したい。でも注視するのは目に良くない。よって僕のとった行動は──
「わっ、と……もう。そんなに寂しかったのかい王子くん?」
「エイジですよ。……夢か幻の類ではないかと思って。ただの確認です」
力一杯、その姿を抱きしめることだった。あの頃と、まったく変わっていない姿のチカ先輩。いや、少し小さくなったかな? いや、僕の背が伸びたのか。
「それで? 夢だった?」
クスリ、と笑いながらそういう先輩の耳元で、僕は答えた。
「夢かもしれませんね」
「それは困ったな。お茶を出しても味がわからないかもしれない」
「なら、試してみましょう」
「それはいい。ただ王子くん。この光景、他の人が見たら君、犯罪になるんじゃないか?」
たしかに、もう三十近い男が女子高生を抱きしめている姿は色々と問題だろう。けど、大丈夫だと確信している。
「どうせ魔法で人払いしてるんでしょう?」
「お、鋭さは健在だね」
僕らは顔を見合わせてふふっと笑い合った。もう二度と、会えないと思っていた存在と会えたと言うのに、案外僕は冷静だと思う。すぐに元部室を開け、中に入って語り合う。事情は聞いておきたいからね。
曰く、空間の穴を塞いだ時、目印だけは残しておいたのだそうだ。いつかまた開けるようにと。ちなみにそれはエリカの提案だったらしい。
いつか国が平和になった時、またここに来たいというものだ。僕にも、美しい国を見てもらいたいから、と。そんな話をしてたのか、と驚愕する。ということは、いつか戻ることを知っていて、僕らに黙っていたわけだ。本当に色々とズルいぞ。
「エリカもあれからかなり力をつけてくれたからね。おかげで、二人でゲートを作成出来た。まぁ、かなり時間がかかったけどね。でもおじいちゃんになる前で良かったというべきだろう? とまぁこれで、低コストで世界を渡れる。私は狭間の管理もしなきゃいけないから、ずっとはいられないけど」
向こうの世界も、ようやく少し落ち着いてきたところだそうだ。少しだけ行ってみるかい? という先輩の問いに、一も二もなく頷く。あ、でもその前に……人気ホストやってる斗真のやつにも連絡入れないとな。これで後で文句を言われても、連絡はしたと言い張れる。僕は悪くない。
「あっ、でも……また死の運命ってやつが纏わり付いたり?」
「……もしそうだとしたら、また私が守ってやろう。でもまぁ。今あの国は、平和そのものだってことが答えにはならないかな?」
なるほど、つまりそういうことなのだろう。思わず苦笑を浮かべてしまう。
じゃあ行こう、と差し出す先輩の手を取りながら、なんとも言えない気分を味わう。まさか、こんな日がくるなんてね。
一度振り返って教室を見回してみると、あまりにも普通の教室すぎて全てが夢だったんじゃないかという気がしてくる。でも、たしかにあの時はここで、蛍光色のチカ先輩が異界の迷子を保護していたのだ。
懐かしむように目を細めた僕は、前を向き直す。そして斗真より一足先に、世界の扉に足を踏み入れたのだった。
蛍光色のチカ先輩は異界の迷子を保護しています 阿井 りいあ @airia
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