決断
やってきた放課後、僕はいつものように斗真と一緒に部室へとやってきた。そこではすでに先輩とエリカがお茶を飲んで待っている。僕らの姿を見た二人は、揃って立ち上がった。
「心は決まったかい?」
「……はい、まあ」
僕の返事に、隣に立つ斗真がピクリと肩を跳ねさせる。大丈夫、今の僕が考え得る一番の最善ってやつを選んだつもりだから。
「私も、今日まででしょうか。ここで暮らすのも……」
「ふふっ、思えば王族ともあろうお方がこんな狭い部屋に閉じこもっているなんてね」
「元より、どんな困難であっても耐えるつもりでしたもの。このくらいなんてことはありませんわ」
そういえばそうだよな。エリカはなんだかんだでずっとこの教室で過ごしてるんだった。食事だってコンビニで調達したものばかり。彼女が言うには、向こうの世界よりよっぽど栄養バランスのとれた食事だそうなのでむしろ嬉しいらしいけど。向こうの食事事情が気になるところだ。
「さて、まずは私と二人で話したいんだったな」
「はい。お願いします」
こうして、僕と斗真で衝立を準備すると、僕と先輩は裏側へ移動した。斗真とエリカにはお茶でもして待っていてもらう。あの二人の会話も気になるが、まぁ重要なのはこっちだ。僕は衝立の裏側にある椅子に座り、先輩が衝立に手を翳して魔法をかけている後ろ姿を眺める。金髪のポニーテールがサラサラと揺れている。今日は蛍光ピンクのティーシャツを着ているため余計に目に痛いが、今だけは目を逸らしてはならない。僕はジッと先輩が椅子に座るのを見つめ続けた。
「……熱い視線だね」
「そりゃあもう」
軽口を叩く先輩に対し、いつもならスルーするところをきちんと返した。割と本音だ。珍しいと思ったのか、先輩も片眉を上げている。器用だな。
「先輩に聞きたいことは一つです」
時間も惜しい。僕は単刀直入に尋ねることにした。
「先輩は、寂しいと思わないんですか?」
なぜこの質問なのか、と思うかもしれない。どうして僕を引き取っただとか、どうしてそこまで僕に良くしてくれたのだろうとか。自分の人生をかけてまで、どうしてそこまでって。そういうのももちろん気になるけど……何となく、先輩の答えがわかったから止めた。
「寂しい、か……これは誰かに話すのは初めてなんだけど」
先輩は特に動揺することもなく答え始めた。一瞬だけ目を見開いたけど、それだけ。僕にこの人の心を揺さぶることは出来ないな、やっぱり。
「私は昔から物事に執着というものをしないんだ。多すぎる魔力は生まれつきでね、その弊害なのかなんなのか……心を動かされることがないんだよ。親に育児放棄されようが、みんなに恐ろしい魔女だと気味悪がられようが、ね」
思わぬところで先輩の過去を知った。何となく察してはいたけど、やはりなかなかヘヴィだ。
「そんなものだから、寂しいと感じることもなかったな。唯一、親友となったエミリアと別れる時は、虚無感に襲われた。だからたぶん、あれが寂しいってことなんだろうな。今はわかるよ」
「それなら……僕がここに残ると決めても、寂しいとは思わないってことですか?」
たった一人で、永遠に空間の狭間にいたとしても……?
「……一人は慣れているからね」
「慣らしてきた、の間違いでしょう」
「ふむ、なかなか鋭いね。そうだとしても、結果的には同じことでしょう。寂しくなんかないよ。大丈夫」
先輩は少し身体を前のめりにして、僕の両肩に手を置いた。
「だから、君のしたいようにすればいい。君の人生は君だけのものだ。誰かのために選ぼうとしたって、うまくいかない。選択によって誰かが悲しんだり苦しんだりしたとしても、それはその人の人生なんだ。君が背負う必要なんてない」
そうは言うけど。そう簡単に割り切れない。
「私だって、私の好きなようにしたから今がある。未来が決まっている。自分で決めたことなんだ、後悔なんて少しもしていないよ」
でも、目の前にいるこの人は、とても晴れやかな表情で僕を見ている。この人に後悔という言葉は存在しないかのように。
「でも、僕は……先輩がいないのは、寂しいです」
「それは嬉しいね。でも忘れてしまうんだから、寂しい思いはさせない。だから安心して……」
先輩の言葉の途中で、僕は肩に乗る細い両手を取り、両手でギュッと握りしめた。気持ちがちゃんと、伝わるように。
「寂しい思いくらい……させてくださいよ……!」
先輩は驚いたように僕を見ている。それから、泣きそうな顔で、小さな声で言ったんだ。
「そうか……君は、私を覚えていてくれるんだね。それは、対価かな?」
「……そうですよ。今まで僕は先輩に守ってもらってきた。僕が支払う対価にしちゃ、全然足りてないくらいですよ」
そんなことはないさ、と先輩はソッと僕の強く握っていた手を解き、ふわりと包み込む。
「私が唯一執着したのは、君なんだよ。人を、物を大事に思う、失いたくないと……そんな気持ちを教えてくれた。愛おしさを教えてくれたんだ。十分すぎる、対価だ」
「恨まないんですか」
「くだらないね」
「僕は自分勝手な道を選んだんですよ……? 薄情者だって、思わないんですか」
「愛する者に対して、そんなこと思うものか。バカだな……エイジ」
僕は声を殺して泣いた。先輩の魔法で外に声は漏れていないとはわかっていたけど、どうしても声は漏らしたくなかったんだ。抱きしめてくれる先輩の温もりを、永遠に覚えていたいと思った。
「エリカ。僕は、君と一緒には行けない。それが僕の出した結論だ」
「え……そん、な」
僕が落ち着くのを見計らって、僕は先輩とともに衝立の裏から出てきた。待っていてくれた斗真とエリカは僕の様子を見て少し気遣わしげに様子を窺っていたけど、僕はそれを気にすることなくまっすぐエリカの前へと進み、そう宣言したのだ。エリカの背後でやや安堵した様子の斗真の顔が見える。
「僕たちは、確かに血が繋がっている兄妹みたいだ。ミリエヴル国、だっけ? その国の第一王位継承者だっていうのもわかってる。僕が次期国王として収まるのが一番だってことも」
「それじゃあ……!」
「でも、それだけじゃダメなんだ」
縋るような眼差しで僕を見上げてくるのに心が痛むけど、僕はそれを受け止めて、それでも自分の考えを口にしないといけない。
それは、僕が選んだ道なのだから。
「血の繋がりはあるよ。でも、僕にはそれだけなんだ。そこがどんな国なのか、どんな民が住んでるのか、どうするのが良い国作りに繋がるのか……実は国の名前もうろ覚えだったくらいだ。僕は、国のことを何も知らない」
「そ、それは、これから知っていけば……!」
「そうだね、知ることは出来る。でも……僕にはその国に、何の思い入れもない」
ハッと息を飲む音が聞こえる。残酷な物言いだったと思うけど、これは事実だ。
「無責任だろう? 国に愛情やら野心やら、なんにも思うことのない僕が、王になんかなっちゃいけない。血筋だけで決めていいことじゃないと思うんだ。僕はきっと、真剣には国の問題に向き合えない。国を救うことなんか出来ないし、やろうとも思えないんだ。自分のことしか考えない、自分勝手な人間なんだよ僕は」
ついに、エリカが口を閉ざす。僕は、椅子に座るエリカに目線を合わせるためにその場に膝をついた。それからしっかりエリカの顔を見る。戸惑ったような、そしてやや絶望の色に染まりつつある瞳を見つめる。
「そんな人間に、本当に国を任せてもいいって思えるの?」
「そ、れは……!」
今にも泣き出しそうだった。ああ、僕はチカ先輩だけでなく、実の妹であるエリカも苦しませてしまうのか。でも、もう引き返すことは出来ない。
「国を、本当に大切に思っているエリカこそ、王になるべきなんじゃないか?」
「だ、だって、私は……女で……」
「だから、何?」
僕は自嘲の笑みを浮かべた。そうだ、僕もそうやって考えていたっけなって思ったから。
「言い訳になっていない? こうするべきなんだから、こうしなきゃいけないんだからって言い聞かせてない? 自分の気持ちに嘘ついて出した結論なんて、いい結果は生まないよ。いい未来に導けたとしても、後悔するんじゃないかって僕は思うんだ」
エリカはたぶん、本当は誰よりも国のことを思って、憂いて、行動してきたんだ。それで、自分が女であるからという理由で、何度となく心を折られてきたんじゃないかって気がする。そしてその度に、兄である僕さえいればって思ってきたんだ。憶測だけどさ。
「僕という存在がいたから余計に、エリカは自分が王になるべきじゃないって思ったんじゃないか? 僕の存在は、君が本気で行動するうえで枷になっていたと思う。僕も知らなかったことだけど……ごめん。だから、僕は君の枷を外したい」
膝の上で握りしめていたエリカの手を僕はそっと取った。ハッとしてエリカは僕を見る。
「君が、王位に就いてくれ。君が国を救ってくれ。誰よりも国を思う気持ちがある、行動力だってある。そしてなにより、君に忠誠を誓う頼もしい味方がたくさんいるはずだ。人間じゃない種族も、君を支持するだろう。彼らを導けるのはエリカ、君だけなんだよ」
僕なんかに言われたくないだろうけどね、と少し苦笑を漏らす。だって、僕はただの高校生にすぎないんだから。
「本当は、そうしたかったんだろ? 僕の存在を知る前まで」
「……ぁ、わ、私、は……」
「言ってよ、本音を。聞かせてよ。僕だって言ったろう?」
エリカは目を見開いたままポロポロと涙を流した。
「ぅ、わ、私ぃ……! 国が好き……! みんなの平和を守りたい……女王に、なりたいぃっ!!」
それから、わぁわぁと大きな声を上げて泣き始めた。まるで子どものように。きっと、王女として気を張って生きてきたのだろう。それなら、国の誰も見ていないここでは好きなだけ泣いたらいいと思う。僕は泣き続けるエリカの頭をひたすら撫で続けた。
この子ならやってくれる。根拠なんかまるでないし、ただの押し付けと言われればそれまでだけど、僕はなんだか安心してしまったんだ。
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