フェンリルの子どもを保護します
見てしまった日
部活のない日が二週間ほど続いた。元々、活動日はいわゆる
「そろそろ帰るか」
「ん、そんな時間かー」
とはいえ、週に三日は活動していないと部として認めないと学校に言われているため、仕事がなくても僕と斗真はこの部室に来ている。部長が女優業で学校に来られないからといって、部活ができないわけじゃないだろう、という名ばかりの顧問からの圧力がかかっているというわけ。
だから、この部室の利用権を失わないためにも、部員である僕らがちゃんと活動してますよ、とアピールしているのだ。ってか、顧問が見に来たこと一度もないけどね。ここの鍵を借りに来たかどうかで判断してるだけだし。
でも、そんな色々と緩い高校とはいえ最低ラインは守らないと容赦なく廃部となり、この部屋を追い出されてしまうからな。素直に従っておくのが吉である。
もちろん、
では、何をしているのかといえば、なんてことはない。勉強したり本を読んだり、のんびりお茶を飲みながら過ごしているだけである。斗真にいたっては毎日ゲームだ。家にいてもやる事は同じだし、むしろ勉強が捗るため、僕はこの部室に来る事は全く苦ではない。むしろありがたい。自由に使える静かな教室、最高。
つまり、僕らは毎日入り浸っているのである。
「今日も、迷子は来てないなー。そろそろワクワクしてぇ」
鞄を手に取りつつ、斗真が机に置いたままのスノードームを覗いている。これはこの場に置きっぱなしでいいんだそう。むしろ、下手に移動させると座標がズレて面倒だとかなんとかってチカ先輩が言ってた気がする。ただ、こんな無防備でいいの? って心配性な僕なんかは思うんだけど。……ま、チカ先輩がなんの対策もしてないわけ、ないよね。
「迷子だってそんなに頻繁には来ないって言ってたろ。事故みたいなもんだって」
「そうかぁ? 事故なんて、この世界でさえ毎日、いや毎秒ごとに起きてんだから不思議じゃなくね?」
「事故起きるたびに迷子が出たら、それはそれでこのスノードームが破裂するだろ。つまり、事故の中でももっと稀なんだよ、狭間に迷い込むのってさ」
よくは知らないけど。そんなものだろうと思って適当に口走ってみたが、斗真が納得したように頷いていたから、まあいいや。
そんな事を考えながら立ち上がり、僕は机に置いておいた鞄を掴む。
「っと、王子、なんか落ちたぜ」
「エイジだ! ん、ああ、これか」
どうやら鞄に付けていたお守りが落ちたようだ。紐が切れたんだな。ちょっと不吉だ。
「お守り、か? 随分古いもん持ってんだなー」
「まぁな。物心つく前から持ってるから、かなり古いよ」
信心深いなー、という斗真の声を聞きながら落としたお守りを受け取る。ずっと鞄に付けてたから気にしてなかったけど、改めて見ると本当にヨレヨレだ。色は褪せていて白く、元がどんな色だったのかわからない。それに、覚えてもいない。けど、なんとなく人に見られたくなかった、というのを覚えているので、可愛らしい色合いだったんじゃないかと思う。
「あ」
「ん? なになに、王子?」
ふと、思い出した事があって思わず声を漏らす。なんで紐が切れたのかわかった気がしたのだ。
「これ、フェンリルに咥えられたから、紐が脆くなってたんだ」
「フェンリル! なるほどあの時かー!」
そう、あれはチカ先輩と初めて出会った日。僕らがチカ先輩の仕事を手伝うキッカケとなった出来事だった。
高校入学したての四月。入学式の時はまだ蕾だった桜が、ようやく満開になっているな、と上を見上げながら歩いていた。
ちょうど校門を通り過ぎた時の事だった。突然、背後からドンと背中を押されたのだ。ぼんやりしていたのもあって思わずよろけ、転びまではしなかったものの、持っていた鞄をドサっと落としてしまった。
「痛っ、誰だよ……って、い、犬?」
何事かと振り返った先にいたのは、大きな犬だった。こういう犬種、見たことあるようなないような。とにかく、こんなところで放し飼いにされてたら少々、いや、だいぶビビるくらいデカい犬がそこにはいたのだ。犬ごときでビビるな? いや、誰だって突然背後にこれだけ迫力ある犬がいたら、普通にビビると思うんだ。
だから、数秒間なにもできずにそのまま固まってしまったのも仕方のないことだった。うっかり、綺麗な毛並みだな、なんて見惚れてしまうのも仕方がなかったと言えよう。
しかし、それがまずかった。その一瞬の隙に、大きな犬はサッと固まる僕の横を通り過ぎ、あろうことか僕の鞄を加えて颯爽と駆けて行ってしまったのである。
「ちょ、ま、マジか」
当然、僕は犬を追いかけた。だって、さすがに鞄はないと困る。あの犬、弁当の匂いでも嗅いだのだろう。百歩譲って弁当を食われたとしても、勉強道具は取り戻さなければならない。涎でベトベトの教科書を今後使い続けるのは御免被りたい。
「よ、王子。どうした、そんな慌ててー」
そこへ、呑気に声をかけてきたのが斗真だった。こいつ、チャラチャラしてる割に、遅刻とかはしないんだよな。人は見かけで判断しちゃダメだ、という典型かもしれない。いやいや、今はそれどころじゃない。ちょうどいいので手伝ってもらおう、と僕は斗真の腕を引っ張って走り出した。
「だっ、わっ、なんだよー、急にー! 可愛い女の子でもいた?」
「お前と一緒にすんな! あと、王子って呼ぶのやめろ!」
ブーブー文句を言う斗真に、事の次第を走りながら告げると、さすがにそりゃやべぇな、と斗真も真剣に走り始めた。なんだかんだで、友達思いのいい奴……
「飼い主、美人だといいなー! うおぉぉぉ保護するぞ犬ぅぅぅぅ!!」
……と、少しでも思った僕がバカだった。うん、こういうヤツだよ。まあいい、捕まえてくれるなら。
「あっれ、どこ行った……?」
「こっちに曲がったのは、見たんだ。あんな大きな犬、隠れられるとこなんてあんまり……あ、ほら、い、た……?」
息を切らしながら、僕たちはいつのまにか旧校舎の裏側にまでやってきていた。ここは人がほとんど来ない場所で、悪い奴らが溜まりやすい雰囲気満載だ。だから、面倒ごとに巻き込まれないためにも近づかないようにしようと入学式の時に決めていたのに。まさかこんなにも早く来る羽目になるとは。
「へ……?」
犬は、見つけた。裏側にまわった瞬間、すぐにその姿を確認できたから。
だけど、そこにいたのは犬だけではなかったのだ。
「あ、えと、その……」
犬と一緒にいたのは、一人の女生徒。うん、たぶん生徒だ。けど、思わず、斗真や僕が、言葉を失ってしまうほのど存在感を放っていたのだ。主に視覚的に。
彼女は制服のスカート以外が全て蛍光色で。校舎裏という地味な灰色の景色の中、思っても見なかった配色と遭遇して、僕らの目と脳は情報処理をしきれずにいた。
しかも、しかも、だ。その女生徒は、僕らが追いかけていた大きな犬の首根っこを掴んで持ち上げ、宙ぶらりんにさせていた。……もう一度言おう。大きな犬を、片手で、持ちあげていたのである。う、うわぁ、力持ちぃ……
その人はこちらに気付くと、ニッコリとそれは素敵な笑顔を浮かべた。
脳内で警鐘か鳴り響く。正直言って、かなり恐ろしかった。キュウンキュウンと力なく鳴く犬と気分は同じであった。たぶん、それは斗真も。
そして、僕らに近づいてきたの人は、その笑顔を少しも崩す事なくこう言い放ったのだ。
「見たな?」
あの時の恐怖は、筆舌に尽くしがたい。
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