エルフの子どもを保護します

ポスター


「王子、王子! 来てみろよ! ほらほら、早くっ」


 夏休みも間近。今年の夏もとにかく暑い。照りつける太陽の熱に負けそうになりながら、やっとのことで学校に辿り着いたというのに、斗真のせいでさらに暑苦しさが増した朝。靴を履き替えたところで引きずられるように斗真に引っ張られ、無理やり歩かされた。軽く殺意を抱いた僕は悪くない。これで大した用事じゃなかったら油性ペンでおでこを刺してやる。


「ほら! あれだよあれ。信じられねーよな?」

「なんだってんだよ、いい加減離せ。ただでさえ暑いんだか、ら……」


 こうして連れてこられたのは職員室横の廊下だった。すでに人集りになっていて、その時点でうんざり度がマックスだったんだけど、斗真が示した場所をみて思わず言葉を飲み込んだ。


「光色、蛍……」

「な? まさか光色蛍のポスターが学校に張り出されるなんてよー。思い切ったよなー、学校も、あの人も」


 そう、そこには光色蛍のポスターが貼られていたのだ。『私は、いじめを──許さない。』というキャッチコピーとともに、眼光鋭く立ち尽くしているカッコいいバージョンの光色蛍。サラサラの黒髪を靡かせてただ立っているだけなのにさすがの存在感。腕は脱力しているのに、拳だけが力強く握りしめられており、それだけで迫力が感じられる一枚だった。


「いじめ抑止のポスターか。ただのポスターならみんな見向きもしないのに、光色蛍の力はすごいな」

「だよなー! ってかさ」


 僕が感心して思ったことを呟くと、斗真が声を潜めて耳打ちしてくる。暑いから離れてほしい。そんな気持ちを隠す気もないので思い切り顔を顰めてやった。


「よく許したよな。チカ先輩」


 ただし、斗真の言うことには僕も同感だ。お金を稼ぐのにちょうど良いから、という理由で女優業をこなすチカ先輩が、わざわざこんな目立つことをするとは思えないのだ。一応、彼女は学校では正体を隠しているわけだし。その隠し方が斬新極まりないんだけど。


「お、噂をすれば、だな!」


 ちょうどその時、靴を履き替えて校内に入ってきたチカ先輩が遠目に見えた。人集りなのになぜすぐにわかったのか、は言わずもがな、だ。


 金髪のポニーテールは本日、ひまわりを模した大きなヘアゴムで結っており、ピンクのタンクトップの上に明るい青の半袖シャツを羽織っている。ギンガムチェックが一層目をチカチカさせてくる。


 もちろん、蛍光色である。あ、目が痛い。


 そんなチカ先輩は僕らをチラッと見ただけで足を止めずにズンズン歩き、すれ違いざまに一言だけ言葉を残した。


「放課後は仕事だよ」


 思わず僕ら二人は顔を見合わせ、そして同時にチカ先輩の歩き去っていく背中を見た。ポスター? そんなものはない、とでも言わんばかりの早歩きである。


「……気にしてるってか」

「そうみたいだな」


 先輩もポスターのことは知っており、そして何やら思うところがあるのだと察した。


「ほらお前らー、そろそろ教室に行かないと授業が始まるぞー」


 職員室から出てきた年配の男性教諭が手を打ち鳴らして人集りを散らす。僕らもそれに合わせて教室へと向かった。

 背後から先生の、「変わらないねぇ。美人だわ、こりゃ」というポスターの感想が聞こえてきて、先生でもそんな風に思うのかと意外に思う。……恐るべし光色蛍。




「くっそ、汗で腕にノートが貼り付いてきやがるぅ」


 教室内は冷房が効いているとはいえ、近頃の夏の暑さは尋常ではない。板書しようとすると斗真の言うように汗で張り付くのが厄介だ。


「王子は涼しげな顔してんなぁ……」

「エイジだ。僕だって暑いよ」

「やっぱ暑さに強い国からきたからかな……」

「僕は日本人だからな?」


 斗真がダラダラと机に突っ伏しながらいちいち突っかかってくるのがうざい。というか、日本の夏の暑さはもはや世界トップレベルだろ? 湿度が高い分、不快指数も半端ではない。


「はぁ、はやく放課後になんねぇかな。チカ先輩を見て癒されたい……」


 先輩は暑苦しい男なんか見たくないだろうよ、なんて思いながら、僕は持参した扇子で自分を扇ぐ。俺にも風をくれ、という主張は無視だ。


「今回はどんな迷子がくるんだろうな? ゴーストを経験したあとだから、もはや怖いものはないぞ!」

「お前は隠れてただけだろうが!」


 だが言っていることは一理ある。僕もだいぶ慣れてきたからどんな種族がきてもそこまで驚かないだろう。いや、うん、たぶんだけど。


「人には誰だって苦手なものの一つや二つあるもんだろー。オレはそれが幽霊なだけで。だからこの先もゴースト以外ならなんでも大丈夫な自信がある!」


 たしかに物怖じしないタイプではあるけど、フェンリルの時はちょっとビックリしてたじゃないか。幽霊ほどではない、と言いたいのかもしれない。毎度毎度、こいつの前向きな姿勢には感心するよ。残念なぐらいポジティブ。行き過ぎたポジティブ。何事も、ほどほどが一番だよなってつくづく思う。


「ま、どのみち驚きはするだろ。初めて見る種族なら驚くなって方が無理な話だし」

「まーなー。でも、ビビんねぇからな! オレは!」

「はいはい」


 小学生のようにムキになる斗真に、生返事をしておく。僕? 僕は自分でも少々怖がりであると自覚しているから、無理せずちゃんとビビろうと思っているぞ。




 こうしてやってきた放課後。教室以外は冷房が付いていないため、廊下や階段は蒸し暑い。涼しい教室との温度差にやられそうになる。身体が重いしダルいし。ちょっとは運動もしとくべきかとも思うけど……こんな暑さの中、運動するやつの気が知れないね。がんばれ運動部。熱中症には気をつけて。


「さーてさて、今日はどんな迷子が飛び出すかねー?」

「飛び出されたら困る。大人しい子であることを祈るよ……」


 思えば悪魔の子、ルルが一番扱いやすい子だったなぁ。フェンリルは元気過ぎたし、ゴーストは精神的に疲れたし。他にも何度か迷子の相手をしたけど、どの子も怒ったり泣いたりで大変だったし。

 鬼の子は気性が荒かったなぁ。最終的には懐かれたんだけど、スキンシップが激しくて危うく怪我をするとこだったんだよね。九尾の狐の子は最後まで会話が成立しなかったし。泣き続けたせいで。あれはほぼ、無償で送り返したようなものだった。チカ先輩は十分もらった、とげっそりしながら言っていたけど。


 あれこれ思い出しながらも部室の前にたどり着いた僕は、いつも通り軽くノックした。紳士だからね。すぐに中から先輩の声が聞こえてきたので、斗真とともに教室の中へと入っていく。冷房の涼しい風が通り抜けていくのが気持ち良い。


「お待たせしました。……迷子はこれから呼び出すんですか?」


 前回のゴーストの時のような事例もある。すでに教室内に迷子がいないかとキョロキョロ見渡してみるもまだそれらしき姿は見当たらない。斗真、そんなに

ビクビクすんなよ。さっき言ってたことはなんだったんだ。結局ビビってるじゃねーか。


「そうだよ。スノードームの中にいる。見てみるかい?」


 そんな僕らの様子を見てクスリと笑った先輩はそう言いながらスノードームを手で指し示した。早速、覗いてみようと僕が足を踏み出したんだけど、斗真は別のことが気になったようで、直球で先輩に尋ねていた。あーあ、馬鹿な奴。


「先輩、あのポスターは……」

「触れてくれるな……!」


 ほら見ろ。絶対聞かれたくない内容だったに違いない。ま、僕も気になってはいたけどさ。斗真のその性格、ある意味すごいよ。マジで。


「仕方なかったんだ……だって理事長のやつ、出席日数がーとか提出物がーとかうるさくて……光色蛍のあのポスター、評判いいから貼りたいんだよねーとかこれみよがしに……!」


 頭を抱えながらブツブツと独り言を呟いてくれたことで大体察した。なるほど、交換条件を出されたんだな。いいのかそれで。この学校、緩いにも程があるんじゃないか? それ、本当はダメなやつなのでは。……聞かなかったことにしよう。


「いーじゃないっすか。あのポスターマジで評判いいっすよ? オレらの最寄駅のホームにも貼ってあるし。めちゃめちゃカッコいいっす」

「あーあー、うるさい。プライベートな状態で光色蛍の話はしないでくれ。ほんと、頼むから」


 褒めちぎる斗真に、チカ先輩は手で払うようにうんざりと言い捨てた。本当に、女優業は仕事でしかないんだなぁ。むしろ、できればやりたくない、という思いが透けて見える。この姿を人に見られたら、人気者になりたくて頑張っている有名人やそのファンからのヘイトを集めそうだ。先輩のことだから、そんな迂闊なことはしないだろうけど。


「さ、この話はおしまい! さっさと迷子を返さなきゃ」


 チカ先輩はパンパンと手を打って無理やり話題を変えた。斗真もさすがに悪いと思ったのか、それ以上の追求はしないことに決めたようだ。その程度の空気は読めるみたいで安心した。


「う、わ……すっごい綺麗な顔してるな、この子……」


 気を取り直して僕はスノードームの中を覗いてみた。そして驚く。だって本当に綺麗だったから。


「マジだ、スッゲー綺麗。え、でもたぶんこの子、男の子っすよね? 反則級っすよこの容姿」


 そう、僕もこの子は男の子に見える。髪は長くてハーフアップにしているし、服装はローブのような物を着ているし、とにかく整った顔をしているけど、ちゃんと男だってわかる。それもそれで不思議だ。あ、耳が少し、長い……?


「それはそうだろうね。エルフってのはだいたい見目麗しい種族だから」

「エルフ!? キターーー! ファンタジー定番の憧れの種族じゃないっすか!」


 僕もその種族は聞いたことがある。よく物語なんかでも取り上げられているし。でも、実在するんだ……。そのことに驚いた。


「そりゃ実在するさ。物語に登場する人物ってのは、だいたいその種族を見た者がいるんだよ。それをモデルにしているからこそ、君たちが思うファンタジーの種族へのイメージは固定されているんだよ。ま、さすがに全く同じってわけにはいかないけど」


 その情報は目から鱗だった。てっきり、想像の賜物なんだとばかり思っていたからなぁ。そう思ってまじまじとスノードームの中のエルフに再び目を向けた。それにしても。


「……この子、本当に綺麗だけど。かわいそうなくらい泣いてるな」

「そうなんだよ」


 エルフの子どもは、とめどなく溢れる涙を何度もぬぐいながら、えぐえぐと泣き続けているのだ。とても心が痛む。先輩が言うには、このスノードームに移動する前から泣き続けているっぽいのだとか。


「泣き止ませる自信が私にはないからね。王子くんがくるのを待っていたんだよ」

「エイジです。……そんなに期待されても、僕だってうまく出来るかはわかりませんよ?」

「やれるだけやってみてくれたらそれでいいよ。少なくとも、私よりはうまくやるはずだから」


 そうは言ってもなぁ。僕だって本気で自信なんかない。でも、チカ先輩や斗真までもが期待の眼差しでこっちをみてくる。

 はぁ、仕方ない。やれるだけのことはやってみますか!

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