悪魔の子


「狭間に彷徨いし者、我が問いかけに答えよ」


 チカ先輩の眩い発光が収まるころ、彼女はスノードームに両手を翳しながら仰々しく言葉を紡いだ。発光は確かに収まってはいるけど、チカ先輩がまだ淡い光に覆われているから、魔法が発動中なのだということがわかる。厳かな雰囲気を保ちながら言ったその言葉に、スノードームの中にいる悪魔が反応し、顔をハッと上げた。


『だ、だれっ? 誰か、いるのきゃ? どこにいるのきゃ!?』


 きゃ、て! 語尾にきゃ、って言うの初めて聞いたわ! 僕は思わず吹き出しそうになってしまったけど、チカ先輩は平然としている。慣れているのか、動じない強靭な精神力の持ち主なのか、それとも不思議にすら思っていないのか。僕も必死で平静を装う。


「我は、時空を渡す者。約束を守れるのならば、其方をここから出してやろう。ただし、対価を払え」

『や、約束? たいか……? それに、いかいって?』


 涙が今にも溢れそうな悪魔の子の反応など気にもとめず、かつ最初の雰囲気を崩すことなく一方的に語りかける様子を、僕は目を細めて見ていた。言いたいことはあるけど、魔法の発動中は話しかけるなと言われているからね。我慢、我慢。


「我の前で乱暴狼藉らんぼうろうぜきに及ぶこと勿れ。囂々ごうごうたる言動を慎み、我に唯々諾々いいだくだくとして従う事を約束せよ」

『えっ、う、あっ、は、はい……?』


 要するに、暴れるな、騒ぐな、言う事を聞けって言ってるんだけど、有無を言わせないためにわざと難しい言葉を選んでいる。子どもに対してやる事エグい。


「我も、無理難題を押し付けぬ事を約束しよう」

『えっと? わ、わかった……』


 絶対わかってないけど承諾してしまった……! つまりこれで契約はなされてしまったことになる。ふわっと一瞬、悪魔の子どもと先輩が光ったのがその証拠だ。

 もしチカ先輩が極悪人の詐欺師だったらこの子、終わってる。無理難題は押し付けないっていうのも、「やろうと思えば出来るでしょ。死にやしないんだから出来るならしっかり従えよ?」ってことだ。決して救済措置ではないのである。どこの組のものですか。


「対価として、其方は我の質問に全て答える事を命ずる」

『こ、これはわかったきゃ。聞かれたことに、答えればいいのきゃ?』

「いかにも」

『それくらいなら、まぁ……』


 なんかこの子、悪魔っていうからかなり身構えていたけど……きっと純粋なんだなぁ。隠しておきたい秘密とか、そういうのがまだないんだ。真っ白すぎて眩しい。悪魔なのに清いとか、そこはかとない矛盾を感じるけど。

 チカ先輩の方がよっぽど悪魔という単語が似合う。むしろ魔王だ。口が裂けても言わないけど。僕は命が惜しいんだ。


「では、早速我の元へと転移させよう。目を閉じ、暫し待て。約束を、努努ゆめゆめ忘れるでないぞ」

『う、うん……ここから、出してくれるのきゃ……?』

「そうだ。其方が望むのであれば、其方の帰るべき場所にも送ってやろう」

『あ、お、お願いするきゃ!』


 帰れる、と聞いて悪魔の子は瞬時に表情を明るくさせた。尻尾も揺れててなんだか可愛い。それから言われた通り素直に目をギュッと閉じて、じっと待っている。いや、そんなに思い切り目を瞑らなくてもいいんだけど。

 うっ、そんな姿を見ていたら、なぜか僕の良心が痛んだ。いや、悪い事なんかしないし、言った通りに帰してあげるんだけど、何となく騙している気分になる。全部チカ先輩の言動のせいなんだけどさ! そして当の先輩はなぜ平気なのか! 解せない。


「いざ、解錠!」


 チカ先輩がスノードームにかざした手に力を込めてそう告げると、再び室内に眩い光が満ち溢れた。さっきより眩しいから、その分強い魔法である証拠だ。毎回の事とはいえ、本当に目が痛い。目を閉じていても痛いほどだ。


 そして、この光が収まった時、僕らの目の前には……


「ん、きゃ……?」

「ようこそ、悪魔の子よ。我が城へ」


 スノードームから出てきた迷子が目の前に現れている、って寸法だ。ってか城って何。ただの夕方に眩しくなる空き教室だっての。


「あなたが、さっきの声の人? ここがお城……確かに見たことがない雰囲気の部屋だきゃ。はっ、あなた様はもしや、王女様きゃ? ど、どうりで見つめると眩しいのきゃ!」


 し、城だという話を信じてしまった。あと眩しいのは十中八九、蛍光色のせいだぞ。


「きゃっ、お、お前は誰きゃ!?」


 悪魔の子が部屋をぐるりと見回したことで、視界に僕が入り、驚いたようだ。ま、そりゃそうだよな。僕が自己紹介でもしようと口を開きかけた時。


「私の王子だ」

「王子様なのきゃ!? し、しししし失礼しましたなのきゃ、許してなのきゃあ……」


 ああもう! 絶対面白がってるだろこの人! ついに我慢できなくなった僕は軽くため息を落としてから、努めて冷静に反論することにした。


「違うから。ただの協力者で名前はエイジだから。ってかチカ先輩、いい加減にしてくださいよ。なんであんな話し方なんですかっ」

「……悪魔の子相手だし、言うこと聞いてもらう為にもこれが一番だと思って。悪魔は上下関係に厳しいから」


 翻訳機能のある眼鏡を一瞬外してからチカ先輩はしれっと答えた。翻訳されていないからか、悪魔の子は首を傾げている。さぞ、不思議な言語に聞こえることだろう。


「王女さまは、チカセンパイという名なのですきゃ?」


 僕の言葉を聞いて悪魔の子は首を傾げる。なんだかイントネーションがおかしいぞ? つい笑いそうになるから串団子、みたいに言わないでほしい。「先輩」の部分まで名前だと認識してしまったようだ。悪魔の世界、上下関係に厳しい割に先輩という概念はないのだろうか。


「いかにも。だが、それだと呼び辛かろう。チカと呼べ」

「あ、ありがとうございますきゃ、チカ様!」


 王女は訂正しないのかよ。それに、魔王キャラは崩さないらしい。さすがは女優というべきか、演じているとは思えないほどの自然さだ。実は本物の魔王だと言われても納得してしまいそうである。


「それから、エージ様も! あの空間から助けてくださって、ありがとうなのきゃ!」


 悪魔の子のお礼に、戸惑いながらもうん、と反射的に答えてしまった。たしかに、世界と世界の狭間で彷徨ってたところを救出したとは言えるけど……

 あのスノードームに一時的に閉じ込めた張本人はこのチカ先輩なんだけどね。狭間で彷徨っていると、いずれ切れ目と呼ばれるブラックホールのような場所に吸い込まれて戻れず、消滅してしまうらしいから、助けたというのは事実ではある。


 でも、その辺りを説明するのは子ども相手にはちょっとややこしいからね。そのまま特に指摘せずに感謝の言葉を受け取っておこう。……僕は何もしてないって部分も面倒なので触れないでおく。


「では、其方の名前も聞かせてもらおうか」

「あ、はい。私はルルイリーレリオロイジーナと申しますきゃ」

「…………」


 長い。一度で覚えられる気がしない。しかもなんか噛みそうだし。きっとチカ先輩も思ったのだろう、少し固まっている。でも魔王キャラである今、そんなことは言えない。どうする!?


「……ではルルと」

「は、はい! 愛称で呼んでくださるのきゃ!? 光栄ですきゃ!」


 の、乗り切りやがった! というかさ、このルルって子、どうして最初からこんなに先輩を崇拝してるんだ? 上下関係に厳しいのは聞いたけど、僕らが上だって勝手に認識してないか? そう思わせる先輩の演技力と迫力によるものなのかな。うん、まあ、たしかにここまで堂々としていると純粋な子どもなら信じるかもしれない。恐ろしい人である。


 にしても、今回は僕の手を借りなくてもなんとかなったんじゃないかな。先輩が子どもの相手は苦手だって言うから僕がいつも話し相手になっていたけど、この子は大泣きするわけでも怯えるわけでもなく、普通に会話できてるし。

 というわけで、僕は少し離れた場所から二人の様子をのんびり見ることに決めた。余計な口出しは控えよう。突っ込みは、脳内で。


「ルル。早速だが対価を頂こうと思う。さすれば其方が望む場所へと其方を送ることが出来る。其方は、元いた場所へと戻りたいか?」

「っ、はい……!」


 あれ? なんだ? 一瞬、躊躇った? それに、表情がさっきまでの無邪気なものからどこか神妙な面持ちに変わったな。ここに来る前に、やっぱり何かあったんだろう。迷子になる理由の多くは、何かしらの事件か事故に巻き込まれてのものだって、前に説明してもらったし。


「では、其方が先ほどの空間に飛ばされる前に、何が起きたのかを話すのだ。其方のいた世界や国のことも聞かせてくれ。その情報こそが、対価となる」

「そ、そんなことでいいのきゃ?」

「そんなこと、ではないぞ? 情報は力なのだ。これ以上にないほどの対価である。さあ、話せ」


 椅子にどかりと座った事で、ガガッと床が鳴る。足を組み、机に肘を置いて頬杖スタイル。いつもの体勢に入ったな。

 戸惑いつつも、わかりましたと答えたルルに、僕は別の椅子を差し出した。ルルは遠慮してなかなか座らなかったけど、僕がそれがルールだから、で押し通す。何となく、これまでの傾向から悪魔の子には親切心を出すよりその方がいいと思ったから。そのやり方が正解だったのかはわからないけど、それでルルが素直に椅子に座ってくれたから良しとしよう。


「私は、見ての通り悪魔の子ども。悪魔や魔人が集まって作られた小さな村に、仲間たちと住んでいたのきゃ」


 椅子に座り、チカ先輩と僕が黙って注目していると、ルルはそのまま語り始める。


 悪魔の子ども、ルルの対価の支払いが始まったのだ。

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